1-13 逆さ回し
思い通りに透輝を仕留められず、逆上した飴男が取りうる方策は一つだ――無差別攻撃。
理瑚がいるからこそ控えていた蛮行ではあったが、煮えたぎった飴男になりふりを構っている余裕など無くなっていた。
「テメエら構えろ、ゲロ男と化物嬢ちゃんダ」
憤怒を押し沈めようとしているのか、体を震わせ、左へ右へとアスファルトをウロウロと踏みしめながら黒服に命令する。男の号令に従って、車から降りていた黒服達が一斉に銃を構える。
「確かに有能な盾だが、同時に二人を守れるカナ?」
理瑚を銃弾が貫けば、その傷を治癒するために近くにいる者から命を拾っていく。透輝も例外なく命を奪われるだろう。柑奈が理瑚を守るため盾となればその危機はなくなるが、透輝はそのまま銃殺されることになる。
「加減を間違えるなよ」
予防線を引いておく。
間違って理瑚に大怪我を追わせてしまえばおそらく飴男や黒服たちも命を奪われてしまうだろう。
「――失血死」
命令に従い無情にも複数の拳銃が火を噴いた。――だが、柑奈がどちらかの盾となるまでもなく銃弾は透輝にも理瑚にも届きはしなかった。
小さな白煙と大きな炸裂音を響かせ高音速で空を割く銃弾は、しかし直ぐに進行を止め、逆進を始めた。時間にして0.7秒。銃撃を放った黒服達は己の射出した弾に打ち抜かれ、夥しい量の血液を流し始めた。
「――ナニ?!」
驚きを隠せない飴男に、透輝は畳み掛ける。
「見ての通り、僕の能力『逆さ回し』はどんな攻撃も跳ね返す。君の破れかぶれも無意味だったということかな」
「逆さ回し……だと? どっちが反則能力だよ、とんだチート能力だよナァ」
「僻むのは勝手だけれど、もっと他に考えるべきことがあるんじゃない? 例えばどうして僕が、君の言うところのチート能力を今の今まで使わなかったのかとかね」
「あァン?」
確かに、どんな攻撃でも跳ね返せるのなら何故最初から使わなかったのか。
仲間の少女を盾にし、ギリギリのところで車の衝突を避けていた。使っていれば柑奈が何度も犠牲にならずに済んだだろう。
「能力には使いどころってものがあるからね。最も効果のある状況でこそ使うべきだよね。たとえば、君がさっき走らせた暴走車の走行線上に立つ状況とかね」
透輝の言葉で男はようやくその回答に至る。
何故、能力を出し惜しみにしていたのか――それは、無用に『逆さ回し』を警戒させないため、そして最後の一手へとコマを進めるためだ。
今尚、燃え盛る高級車が猛進した線上を逆に進むのなら、今飴男の立っている場所を通過することになるだろう。男を巻き込む形で。透輝はその一手を待っていたのだ。
しかし、飴男はほくそ笑んだ――バカが、こっちにも最後の一手はあるんダヨ――と。
「――爆死」
「その一手を待っていたんだよね」
男と透輝のセリフはほぼ同時だった。
今まで漏れ出た燃料にしか引火していなかった炎が、燃料タンクへと火の手を伸ばす――同時にすでに見る影もない高級車のタイヤが勢い良く後転を始め、高級車は元の位置へ戻るように、男の位置へ戻るように逆進した。
ガソリンが燃焼し爆発を起こすには若干のタイムラグがある。引火して温度を引き上げ、発火させ、気化と燃焼を重ね、熱風と火炎による圧力が一気に膨れ上がって爆発に至る。
ほんの刹那であるが、さらに車が動き出すことで燃料タンク内への引火が遅れれば、爆発までの猶予は広がる。
透輝達は爆死の危機を逃れ、燃え盛る車は爆弾を抱えたまま走った。
「――ケッ。そういうことカヨ。だが残念ダナ。俺様の能力は自分には及ばねえんダヨ」
爆死という死因に飴男自身が適用されることはない。
男は直進してくる炎上車をひらりと、横に飛び退くことで簡単に躱し――、
「それはどうかな」
飛び退いた飴男の運動は逆転し、元の位置へと戻るべく宙を飛んだ。そしてそのまま飴男は自身が元いた場所を占領する炎上車内ヘと叩き込まれた。
「確かに君の言う通りかもしれないけれど。それでも君が他人の爆死に巻き込まれて死なない道理にはならないよね。爆死に適用される人もちゃんと車には乗っていることだし。最初からずっとね」
燃え盛る車で必死に体勢を立て直そうとしていた飴男は、透輝の言葉に、慌てて飴男は運転席に振り向いた。
そこには意識こそ無いものの、気づかないほどに呼吸は浅く、しかしそれでも生きてはいる、その人物がいた。
死因が適用される人間は乗っていた。最初からその席には運転手という死因適用者が。
「本当にどんだけ万能な盾なノヨ。お嬢ちゃん」
苛立たしげに、呆れた口調で飴男は呟いた。
直後、燃料タンクにまで火の手は周り、一気に爆炎をその周囲へと振り撒いた。運転手を爆死させ、男を巻き込んで、大きな一本の火柱が薄暗いコンビナートに突き立った。