1-11 生命の泉
「……か、柑奈?」
零れた名前が虚しく響く。
看板を打ち付けていたらしいボルトは、どれも錆び付き、どれも劣化し、折れていた。傍から見れば不幸な事故のように見えるだろう。
不幸な事故――不運な事故死。
「まさか――」
理瑚は疑いの視線を飴男へと向けた。
対して、飴を咥えながら男はとぼけたようにニタリと笑う。
「そのまさかダヨ。なーんテナ。俺様が何したっていうノヨ」
「いやいや、君の能力だよね。『死神の鎌』だっけ。その反則能力」
「ァン?」
とぼける飴男に、対して柑奈と共に現れた優男――透輝があっさりと真相を見抜く。いや端から飴男の能力について知っているふうである。
身元不明で正体不明な酔っぱらい優男は、自分を怪訝に見つめる理瑚に振り向いた。
開閉の不明瞭な細目に、ニコニコ顔の優男は傍から見れば好青年にも見えなくはない。
次々と現れる不審人物に、廻る状況に目眩がする。
「そんなことより、柑奈ちゃんの安否も気にしてあげたら?」
気楽な調子で透輝は言う。
安否を気にするもなにもなかった。
頭上高くから落下してきた鉄製の看板は相当な重量のはずだ。まともにそれを受けた柑奈が無事であるはずがない。
しかし、チッチッチッ、とそんな軽い音に合わせて、看板から飛び出た手がメトロノームのように踊った。
「大丈夫だよ、安心だよ、無問題だよ」
いつもと変わらない人懐っこい声色が看板の下から響く。
よーいしょっ、と掛け声を発しながら柑奈はのっそりと巨大な鉄板を持ち上げ、脇へとどけた。奇跡的に大事にはいたらなかったのだろうか、と理瑚が安穏な感想を漏らそうとしかけたところで、すぐさまその異常さに目を奪われた。
起き上がった柑奈の体はアスファルトを転がった林檎のように見るも無残に傷だらけで――その傷口という傷口から金色の光が放たれていた。
金色の光は、まるでそれ自体が『生』を持っているかの如く蠢いている。それは内側に住まう何者かが、突如開け放たれた門扉を慌てて閉じようとしている風にも見える。
「柑奈……あんた、それって……」
「驚いた? 吃驚した? 驚嘆した?」
「自己治癒能力?」
言って、一瞬戸惑ってしまう。
自己治癒能力――見た目こそ違えど、もしそれが理瑚と同じような能力で、大きすぎる代償を必要とする能力だったら――。
「大丈夫だよ、理瑚ちゃん。私の能力は理瑚ちゃんみたいなソレとは違うから」
理瑚の心の内を見通すように柑奈は言う。
軽く答える柑奈に悪意は感じられない。柑奈にとってはたわいのない言葉。それでもその言いようは、その言い分は理瑚を突き放すように受け取れてしまう。
「正確には『生命の泉』っていう能力なんだけどね」
続く柑奈の説明は理瑚の耳にはほとんど届いていなかった。ずっと隠していたはずだった。ずっと言わないつもりだった。ずっと知られないでいたかった。
「柑奈……私の能力のことも知って……」
「はぇ? そんなの、知ってるに決まってるし、周知事実だし、一般常識だし?」
柑奈は当たり前だと言わんばかりに答える。
「なーに、くっちゃべってンノ? また嬢ちゃんも厄介そうな能力なことで、お友達のピンチに勇み足で駆けつけたってとこカイ? 悪いけど友情ごっこは他でやってクレ」
あっという間に致命傷を治癒した柑奈を見ても飴男にさして驚いた様子はなかった。異様な能力を見せられても、余裕然とする男はそういう世界で生きてきたのであろう。
「友達? 友情?」
柑奈のその言葉には、先ほどまで感じられなかった悪意が込められていた。人懐っこかった声色が反発色をおびていく。
「理瑚ちゃんが私の友達だなんてあるわけがないじゃない。そんなの、ありえないし、信じられないし、考えられないし」
柑奈の口から放たれる拒絶と否定に、理瑚は心臓を握りつぶされそうだった。
少なくとも理瑚は嫌ってはいなかった。むしろ、感謝していたかもしれない。
誰からも特別気をかけられなかった生活。それは能力を隠すため、願ったことでもあり、叶ったことでもあった。
それでも、もの哀しい理瑚の人生の中で柑奈は希望を与えてくれた。欲望を満たしてくれた。人から遠ざかり、距離を置き、存在すらも希薄になりながら、それでも矛盾する人恋しさを満たしてくれた。
そんな柑奈を理瑚が嫌いになれるはずがない。
「まったく、どいつもこいつも、誰も彼も、あいつもそいつも。たまたま同じ学校へ通っているからって、偶然一緒のクラスにいるからって、望外に後ろの席にいるからって、私が理瑚ちゃんの友達だなんてあり得ないことをぺらぺらべらべらと」
男に向けられているはずの言葉が、次々と理瑚へと突き刺さる。
「この際だから言っておくけど、私と理瑚ちゃんは友達や、親友や、心の友なんて鼻がむず痒くなる関係なんかじゃ決してないから」
そうだ、柑奈は知っているのだ。
化物だから――周りの命を蝕む化物だから。そんなモノを友達だなんて言うわけがない。友達でなんていられるわけがない。
「それじゃあ、なんだって言うんダイ? こんなところにまで助けにきておいテサ」
「そんなの決まってんじゃん。理瑚ちゃんは……理瑚ちゃんは……」
「私の嫁だーーー!!」




