1-10 化物
夜も更けた時間帯、煤けた街灯だけが辺りを朧げに照らす人気のないコンビナートで、とある一角だけが、高級ワゴン車のやけに煌々としたフロントライトに照らされていた。
その一角で、白波瀬理瑚はある男と対峙していた。
オレンジ色の髪を波立たせ、子供が好むだろう棒付きの飴を咥えている。
飴男によって告げられた事実に、理瑚は膝から崩れていた。
脱力感というよりはむしろ虚無感といったほうが良いだろう。放心状態のまま、飴男に反論する事も出来ないでいた。
理瑚は自分の超能力をただの治癒能力だと思っていた。そして、それだけでも異常な存在だと思い込んでいた。
だが、事実は違った。
現実はそんなになまやさしいものではなかった。
自己を治癒する――その一点においては間違ってはいないが、そこには多大な犠牲が必要であった。非情な生贄を必要としていた。
理瑚が傷を負い、そしてその傷を治癒する度に、理瑚から同心球上のより近い位置のものから――ありとあらゆる生命からその命を奪い取る。
思っていた以上の化物であった。
突き付けられた言葉に、体中から力が抜け落ち心と共に地面へと叩きつけられる。
生暖かい湿った風が、ねっとりと体を舐め回すように流れていく。空には今にも泣き出しそうなほどに重く垂れた雲が広がっていた。
「それじゃ、お嬢ちゃんが化物だとわかったところで、連行させてもらおうカナ」
逃げなくてはいけないと頭の片隅では考えていたが、理瑚の体はその意思に反して微動だにしなかった。
連れ去られる車の中で暴れだした、そんな戦意は既に消え失せていた。自分が生きているだけで周りの者を死の危険に晒してしまう。かと言って自分が死ねないことも事実だった。
それどころか死のうとすればするだけ、周りの命を代償として奪ってしまう。まるで死神のように他の命を簡単に刈り取っていく。
なんなのだろうこれは。この現実は――。
いきなり誘拐され、助かったと思えば、自分の非常な宿命を知らされる。
これではまるで、悲劇のヒロインじゃないか。ならばいっそ、この危機的状況もヒロインらしく、ヒーローの登場で救い出してくれ。
――いや、違う……。
その事実に、直ぐに至る。
悲劇のヒロインなどではない。理瑚に秘められていた能力は、背負わされている宿命は、悲劇という言葉ですら生ぬるい。
理瑚の能力は、自身を治癒するために他者の命を代償として問答無用に奪う。生きとし生ける物の脅威となるその能力は理瑚を化物という存在ヘと貶める。
悲劇のヒロインなどではない。悲劇でなく非情で、ヒロインでなく化物で――そして何よりも、被害者などではなく加害者なのだ。
ヒーローが助けに来るわけがない。人類に――あらゆる生物に牙を剥く化物は、むしろ退治される側の存在だ。
もしも、そんな化物にも。もしも、仲間と呼べるものがあるのなら――それは怪獣や怪人、怪物と呼ばれる側の存在だろう。
化物は所詮化物で、人ではなく怪物とでしか生きていくことはできないのだろう。
「とりあえず、すやすや眠ってもらおうカナ。傷もつけられないなんテナ。厄介な危険物だネェ」
面倒そうに零す飴男の手招きに応じて、黒服が三人、車から降りてきた。理瑚を誘拐した黒服と同じ装いだ。
理瑚に抵抗するだけの気力はなかった。
「連れてコイ」
「あいや、待たれい。そこの人、そこのオジサン、そこのナンパ野郎!」
飴男の命令とほぼ同時だった。聞き覚えのある、人懐っこい声が理瑚の耳に届いた。
タッタッタッ、と暗い夜道からローファーの駆ける音が聞こえた。そして――
「ナンパなら、他でやんな、他方でやんな、地方でやんな」
理瑚の目に映ったのはよく知る少女の姿。理瑚を捕えよとする男達の前に、椎谷柑奈が立ちはだかる。
仁王立つその姿は、さながらピンチに駆けつけたヒーローのようだ。
「――えっ?! 柑奈?」
唐突な状況に理瑚は間の抜けた声を発してしまう。
夕方別れたままの制服姿でただのクラスメイトであるはずの柑奈が現れたのだ。
「誰よ、お嬢ちゃん、迷子ちゃんってわけじゃないヨナ」
飴男も突然の女子高生乱入に少し戸惑っている風である。
「ふふふ。私は弱きを助け、強きをくじく。ナンパ男を成敗し、助けた娘をお持ち帰る。その名も――」
「うぅぅぇ%#?$*&>!レロレロレロー」
辺りに嘔吐音が鳴り響いた。
その発生源を辿り、柑奈が駆けてきた方向、建物に両手をついた優男が青白い顔で消化不良の食物を盛大に大地へと還元していた。
「っておい、透輝。私の口上を!」
「えぇ~、仕方ないよね。酔っ払いに全速力で走らせるんだもの」
「はい、お嬢ちゃんはゲロ子ちゃんってことダナ」
「違うし、異なるし、間違いだし」
「柑奈……」
「理瑚ちゃん」
ショートボブをふわりと浮かせ、柑奈がキラキラとした目で振り返る。
「えっと……どこからツッコめば……」
「そんな気遣いはやめて!」
何をしているのかと、理瑚が何から尋ねようか逡巡する間に、先に飴男の方が痺れを切らした。
「んったく。まあ、これでこそ俺様の職務圏内っつー感じだガナ。邪魔者を排除するのが俺様の本来の職務だからナァ。それじゃあ、張り切っていこうか、邪魔者のお嬢ちゃんヨォ。――事故死」
飴男はそう言いながら飴付きの棒を立ちはだかる邪魔者に、柑奈に差し向けた。
言葉の意味が分からず、皆が呆然とする中、不気味なほど凪いでいたコンビナートに突風が吹き抜けた。
「――っ!!」
一瞬何が起きたのかわからなかった。
突然吹きぬけた強風に、理瑚が目を瞑ったほんの寸隙で目の前の状況は一変していた。
――ガシャン、という耳を痛めつけるような金属音が響いたかと思うと、目を開いた時にはもう柑奈の姿が消えていた。柑奈が立っていたはずの場所には一枚の大きな看板が占領している。
『条』と書かれた煤けた鉄板。その下から赤黒い液体に塗れたか細い腕が覗いていた。




