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かげがおってくる!


夜の鴉が鳴いている。


墨を溶かしたような寒空の下、私は暗い夜道をただただ歩いていた。吐く息は白く濁り、黒で統一された空気にわずかながら色彩を与えるものの、数秒間気ままに空気を漂ったかと思えば姿を消した。


まだ季節は秋だというのに、どうしてこうも肌を刺してくるような寒さなのか。


なけなしの金で買った縫い目の粗い襟巻きの隙間から入り込んでくる夜風に首をすくめさせる。早く家に帰って珈琲でも飲んで暖まろう。冷蔵庫に置いてあった菓子も少し摘まんでしまおう。夕食前に味わう軽食の喜びはきっと仕事で疲れたこの身体を存分に癒やしてくれる筈だ。


帰路を誘う足が速度を速めた時だった。人気の少ない畦道の通りの向こう。一本の街灯が目に入った。年季の入った腐りかけの木に小さな電球が一つついているだけのお粗末なものだったが、暗闇を照らす目印になるには充分だった。狭い範囲を照らす灯りの下に、黒い人型の影がいるような気がしたのだ。


冷気が染みる瞳を瞬いて凝らしてみる。誰かそこに立っているのかと考えたが、どうも違和感しか覚えないのだ。人影が目的もなくそこに突っ立っている、というよりも人の形に切り取った黒の折紙があると表現した方が正しい気がした。


人だとするならば、所々浮かびあがる色や形があるはずだ。肌の白さだとか、服の色だとか。そういったものすべて「あれ」には存在しない。真っ黒だ。驚くことを忘れるほどに「あれ」に意思はなかった。


まるでそこに何も有りはしないと言い張るように、電球の明かりに濡らされながら人の形を気取っていた。闇が生きているとするならば、あのような形になるのだろうか。何度も目元を擦って目玉が乾くほどに凝視したが消えることがない。


疲れて悪い幻想でも見ているのかと我を疑うも、多少の好奇心がなかったとは言えない。あのように真っ黒の人の形をした物体は、今どのような状況下でどのような条件が揃って生み出されているのだろうか。物事には必ず理論があり、答えがあると信じている自分の心を奮い立たせながら、足を踏み出した。


じゃり、と土を踏みしめながら帰り道に置かれてある街灯に近づいていく。


回りに民家は数件しかなく、眠る田畑から虫の寝息が聞こえてくるばかりである。謎の物体と距離を詰めていくにつれ、高まっていく心臓の鼓動がやけに煩い。


見たことがない現象に遭遇できるかもしれない喜びと、やめておけ、と未知との遭遇に警告を鳴らしているのかは、その時の私には判別つかなかった。わずかな勇気を振り絞って、「あれ」との距離を詰め寄っていく事に懸命だったのだ。


やがて「あれ」の形をしっかりと視認できる距離まで辿り着いた時、違和感が全身を走る。あれだけ急いて私の背中を押し続けてきた気持ちも黙り込んでしまう。


近づくにつれ「あれ」が大きくなっているかのように感じた。距離を詰めるにつれて、遠近感とは無関係のところで影が自らの意思で背丈を伸ばしているかのような。証拠に遠目から見たら私よりも小さかった筈なのに、目と鼻の先にまで来てしまうとそれは間違いだったと気づいた。明らかに寄れば寄るほど大きくなっている。


そこで私はその影を心底薄気味悪いと思ってしまった。好奇心はかき消され、喉元に残ったのは気色の悪い生唾だけ。素知らぬ顔をして通り過ぎてやろう。


戦きながら私は畦道の一番隅を通って「あれ」から距離をとった。できるだけ身を縮こませながら息を殺してゆっくりと通り過ぎていく。寸前を通り抜ける際、全身を悪寒が走った。漏れ出しかける悲鳴をなんとか押さえ込み、今更ながら来た道を戻って時間がかかるが遠回りして帰路につけばよかったと後悔する。


なんとか外灯を通り過ぎ一つ息をつく。これでもう家に帰るだけだ。この奇怪な体験は酒の場で酔っ払い共のいい肴になるだろう。どうせ自分の見間違い、妄言だと笑い飛ばされるに違いないが。


見間違い、妄言、幻覚?危機を抜けたと思った瞬間、私の脳内にゆるい可能性が浮かび上がる。そうだ、そうに違いない。だってそうじゃないと理由がつかない。


証明できない事なんてこの世の中にはない。決まっている、どうせ振り返ってもそこにあるのはぼんやり畦道を照らす外灯だけ。訳の分からない物体なんてこの世に存在しないに決まっていて……。


私は振り返った。気の緩みと先程まで体験した出来事は全部嘘だと信じ込みたいが為に。


眼前を覆い隠す黒。すぐそこにいた。


自分の直ぐ背後にまで、影が、迫って。こっちに向かって、自分を飲み込むかのように大口をあけてゆっくりと倒れて


「う、わ」


奇怪な闇に一瞬髪の毛の先が振れた瞬間、悲鳴をあげることすら忘れ私は一目散に走り出した。


振れたのは毛先だけだというのに全身を生臭い何かで這いずり回られたような不快感に襲われた。あのまま硬直していたらあの暗闇に喰われてしまう恐怖が一心で私の足を動かす。振り返り追ってきていない事を確認したが、私は自宅まで全力で走った。


肌に刺さる風が頬を撫でる度に、あの気味悪さが脳裏を過ぎり、私は脂汗を額に滲ませた。


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