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八話 ミレナスの箱庭

 *1*


 笠原はこの地で資源釣り師としてやっていく事を決意した。


 トルザの話によれば、この仕事はミレナスにとって重要な役割がある。だが、笠原は何よりも釣りが好きだ。責任感や重圧より、見た事も聞いた事も無い未知の魚を釣るという事に少しばかりの高揚感を覚えていた。例えそれが、命の危険を伴う仕事だとしても。


「じゃあ、とりあえず話はここまでだ。また明日の朝に迎えに来るから、釣り具の準備をして待っててくれ。」


 そう言って立ち上がろうとしたトルザを笠原は慌てて引き止めた。


「あっ、ちょっと待ってください。あの…俺の釣り竿折れちゃって…。」


 釣り具の準備と言っても釣り竿が折れてしまっては元も子もない。釣り竿を持たない釣り師など、ただの笑い者になるだけである。


「そうだったそうだった!じゃあこれを持って工房に行くといい。場所はここを出て右にまっすぐ行った突き当たりの所だ。そこの主人にこれを渡せばその釣り竿を直してもらえるはずだ。」


 トルザは腰のポーチから紋章が描かれた木札を取り出した。その木札の裏側には三本の剣の絵と、二名の指印が押されていた。


「これは俺達の様な護衛部隊と資源釣り師だけが使える札だ。こいつを工房に持って行けば武具や釣り具を作ってもらえる。この札がない奴は、自分で資源を持って行かないと何も作ってくれないんだ。その空いているところにお前の指印も押しておけ。」


 そしてトルザは木札とナイフを笠原に手渡した。


「あ、あの。もしかして、このナイフで…?」


 笠原は不安そうな眼差しでトルザを見つめた。だがトルザは当たり前かの様に頷いている。


 仕方なく笠原は自分の親指の腹の辺りをナイフで小さく突いた。チクリとした痛みを伴い、赤い血がぷっくりと出てきた。


「イテっ。こ、これでいいんですか?」


 笠原はその自らの血で、木札に指印を押した。


「よし、これでお前も第三護衛部隊の仲間入りだ!はっはっはっ!」


 トルザは何やら嬉しそうに笑っている。そんなトルザの様子に、笠原も少し嬉しい気分になった。


 見ず知らずの地で、一人でいる不安が無くなりこうして仲間と呼んでくれる人間がいる。それだけでも何とかやって行ける様な気がした。


「じゃあ、俺はこれからリリィと…あ、いや隊長と今後の打ち合わせがあるからひとまず失敬する。工房に行った後は自由にこのミレナスを見て回って構わない。あと、そのヘンテコな服も着替えた方がいいな。この街じゃ目立ち過ぎる。そこらへんの服を着ておけ。それじゃあ、またな。」


 そう言い残して、トルザは笠原の前から去って行った。


 一人になった笠原は、ドンっとベッドの上に仰向けに寝転んだ。二つの世界の事、刻操魚の事、命懸けの仕事の事、そしてリリィやトルザの事。色々と考える事が多過ぎるが、これ程の出来事になるともう頭で考えるだけでは何も見えて来ない。今いる現実を理解する事に集中して、考えるのでは無く自分の目で見て感じた事全てを受け入れる事にした。


 見ず知らずの異世界で、新しい生活が始まる。不安もあるが、好奇心も多い。もし、無事に元の世界に戻れたら皆になんて話そうか。いや、何も話さない方がいいか。そんな事をぼんやりと考えていたのであった。


 少しして笠原はベッドから起き上がり、クローゼットの扉を開けた。亡くなった主人の事を思うと少し気が引けたが、笠原には面識も思い出もなかったのであまり深く考えない事に決めた。


 クローゼットの扉を開けると、そこにはいくつかの衣服が入っていた。綺麗に洗濯された衣服が寂しそうにハンガーに吊るされている。


 笠原はその中から一着の上下を取り出し、自分の体にあてがってみた。


「サイズは…大丈夫そうかな。」


 そして笠原はフィッシングベストやナイロン製の上下を脱ぎ、この地で着られている衣服を身に纏った。


「うわぁ、軽くて柔らかいな。本当にこれが魚で出来ているのか…?」


 その非常に着心地の良い服を着て、笠原は思わず口ずさんだ。一見、木綿や麻の様な素材で繕われているかの様に見えたが、着心地はまるで絹の様な滑らかさと軽さ、そして丈夫さを持ち合わせたとても素晴らしい衣服であった。これが化学繊維ではなく、自然素材で出来ている事にも驚きを覚えた。


「確か、繊紡魚(せんぼうぎょ)…だったっけな。釣るのも楽しみだけど、加工された物を見るのも楽しみだな。」


 こうして実際に自らミレナスの産物を味わう事が出来た笠原は、この世界での未だかつて無い未知なる魚との出会いに心が躍った。それが命の危険が伴うとしても。


「よし、とりあえず街に出てみるか。工房にも行かないといけないしな。」


 そして笠原はその繊紡魚から作られたミレナス特有の衣服を着て、街の散策と釣り竿を直してもらえる工房へ向かう為にこの部屋を出た。



 *2*


 笠原はトルザの言った通りに家を出てから右にまっすぐ歩いた。


 ここはミレナスの居住区の様で、商店などは無く殆どが民家だった。どの家も形は違えど大きさはほぼ同じ。皆が平等な敷地を有して暮らしている様だ。


 通りには子供達が駆け回り遊んでいる姿や、女性達が立ち話をしていたり忙しそうに物を運んでいる男性などがいる。それはごく普通な光景だったが、笠原には新鮮味溢れる物に感じた。


 しばらく歩いていると、どこか懐かしい匂いがして来た。それはまさしく田畑などによくある、あの土の匂いだ。


 そしてその土の匂いを辿り、更に歩いていると目前には思いがけない光景が広がっていた。


「ど、どうしてこんな所に畑が…。確かここは海の上だったよな?」


 笠原の目の前には何と、海上都市であるにも関わらず畑が広がっておりそこには見た事も無い作物がなっていた。


 赤や緑、黄色味がかった葉が土の中からひょっこりと顔を出している。


 しばらくその畑に目を奪われていると、一人の老人が声をかけて来た。


「お前さん、見ない顔じゃな。じゃがミレナス(ここ)の服を着ておるのならこの街の一員であろう。はて、この畑がどうかなさったか?」


 笠原はビクリとして思わず背筋を伸ばした。ミレナスの衣服を纏ってはいるが、ここでは全くの新顔である。見慣れない顔に気付かれてしまってもしかたないのだ。


「あ、あの…俺はただ…。」


 笠原は自分の立場を説明しようとしたが、まさか違う世界からこの世界にやって来たなどと言えるはずがなかった。ばば様や後の二人はともかく、なんの予備知識もない人間にいきなりそんな事を言えば余計に怪しまれると感じ、何も言えずにいた。


 だがその老人はそんな笠原の事を気にもせず、ニッコリと微笑んで言葉を掛けた。


「ほほほっ、いいんじゃよ。誰にでも言えない事や言いずらい事はある。特にお前さんは悪い人間には見えんし、何か訳あっての事じゃろう。気にせんでよろしい。」


 その老人の言葉にホッと胸を撫で下ろした笠原は、目の前の畑について問い掛けてみた。


「す、すみません。あの、この畑ってどうやって出来たのですか?ここ、海の上ですよね?」


 笠原の問いに、老人はまたにこやかな顔をして答えてくれた。


「ほほほっ。この畑の土は、食用や資源の為に使った魚の残骸から出来ているのじゃ。その為土の栄養も豊富での、野菜がよく育つのじゃよ。何せここは海の上じゃ、畑に使える土など獲れん。じゃがの、先代のミレナスの住人達が知恵を絞って魚の残骸を土に変える技術を会得したのじゃ。なかなか賢いじゃろ?ほほほっ。」


 笠原は驚いた。今までこの世界は自分の元いた世界よりも文明が遅れていると感じていたが、間違いだ。これは紛れも無く現代のバイオテクノロジーからなる物だ。このミレナスの衣服だってそうだ。魚からこんなにも素晴らしい素材を作る事が出来るなんて、自分のいた世界では想像もつかない技術だ。


 そこで笠原は思った。この世界は元の世界とは文明の進む方向が違うのだと。決して遅れているのではなく、こちらの世界ではこちらの世界なりの発展があるのだ。


「なるほど…すごい技術ですね。」


 笠原はこのミレナスの技術に心底感心していた。


「ほほほっ、ここを気に入ってくれたのならワシも嬉しいのぅ。それじゃ、ワシは老人会の集まりがあるので失敬するぞ。ほほほっ。」


 そう言い残し、老人は腰を曲げながらゆっくりと歩いて笠原の前から去って行った。


「老人会とかもあるのか…。何だか思ったより良い所かもしれないな。」


 笠原はそんな長閑なこのミレナスを好きになれそうな気がして、目の前の畑を見つめながら小さく微笑んだ。


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