五話 海上都市の生誕
*1*
笠原は考えていた。自分が別の世界に来てしまったと言う、まるで信じられない様な出来事を。
だが、プロの釣り師と言う日頃から常に自然と対峙している職業柄の笠原は、今までにも何度か信じられない出来事に遭遇する事もあった。
そして笠原は思う。自分の頭で考え肌で感じた事より、自然はその先を行くものだ。冷たい風を感じれば、自分がそれを感じるもっと前に”冷たい風”は存在している。雨が地上に達する前に、自分のもっと上の方では既に”雨”が存在している。
今回の出来事が自分のまだ知らない自然の力による物であれば、それを疑う事は愚かな事だ。自分の知る物が全てでは無く、それどころか知らない物の方が遥かに多い。
ーーそう、笠原は考えるのであった。
「…と、言う事じゃ。」
ばば様は床に広げた古文書の巻物から顔を上げた。
その古文書に記された話によると、遥か昔この地球には陸地が多くあり、人々や動物達はそこで暮らしていたという。
その大陸の海岸沿いに大きな都市があり、その都市の中央には立派な城砦もあった。そこで多くの人々は生計を立て、何代にも渡り文明を育んできたと言う。その城砦都市こそが、本当の『ミレナス』なのだ。
だがある日、この地球で大規模な地殻変動が起きた。
数年に渡り地盤は沈下し続け、徐々に海面が上昇し陸地を飲み込んでいった。
それに危機を感じたミレナスの王と街の住人は、海に飲み込まれる前により高い土地に移住しようと連日の様に話し合いをしていた。一部の住人は賛成をし、また一部の住人は故郷を捨てたくないと反対をし、なかなか話がまとまらないでいた、そんな時だった。
ミレナスの海岸沿いに、今にも力尽きそうな様子で丸太にしがみついた一人の男が漂流して来たのだ。
その男の姿はミレナスの皆が見た事も無い様な不思議な格好をしていた。
ミレナスの住人は、その不思議な男を見るなり当初は驚き恐れていたが、王はその男をミレナスへ受け入れる事にしたのだ。そして王や街の住人に介抱され、ミレナスに住まわせてもらう事になる。
その恩返しと言う事もあり、その男は今まさに水没の危機に迫られているこのミレナスの事情を知り、率先して自らの知恵と知識、そして技術をミレナスの王と住人に貢献した。
その男は高度な建築技術を有しており、水没の危機から逃れるための案を出した。
その案とは、『街の上に街を造る』と言う耳を疑う様な妙案だった。だが王は、迫る危機に早急に対応する為と、今まで誰も思いつかなかったその発想に驚かされ、その男の指示を容認する事に決めたのだ。
そして今水没の危機に迫られているミレナスの皆は、藁をもすがる思いで一丸となり街の上に街を建造し始めた。
出来る限りの石材と木材を大陸中から掻き集め、日を追うごとに水位が上がる海面に後押しされるかの様に、その男とミレナスの皆は建造を急いだ。
住宅を壊し、そこに穴を掘り、石材で基盤を造りミレナスの城砦よりも大きな柱を何本も立て、梁を巡らせまた柱を立てる。その作業を毎日早朝から深夜まで何度も人員を交代しながら繰り返したのだ。
そして、男の協力もあって半年も満たないうちに街の上の街が完成した。その新しい上の街の大きさは下のミレナスのおよそ半分程度の面積であったが、大きな城砦や広場、公園などは一切作らなかった為、城砦の王家の人間を含めミレナス全体の住人が住める程の大きさに収まった。
だがその頃には既に下のミレナスの港は完全に海中に沈み、城砦の麓まで浸水して来ている状態であった。
ミレナスの王は早急に住人全員を上の街に移住させる事に決めたのである。必要な食料や家畜、野菜や果物の苗や種などを運び入れ、ミレナスの住人は故郷が海に沈み行くのを遥か上空から物憂げに眺めていた。
それから月日が経ち、下のミレナスは完全に海中に沈み、そびえ立つ巨大な城砦をも飲み込み、その姿を消した。
こうして新しい『海上都市ミレナス』の歴史が始まったのであった。
*2*
古文書の巻物にはこのミレナスの歴史が記されていたのだが、巻物の終わりの方に少しの空白を開けて漂流してきた謎の男の手記の様な物が書かれていたのである。
その男はこの世界に来て、この世界のミレナスで生涯を終えたようであった。彼の切実な願いや無念が、その手記から今話を聞いている皆の心に伝わって来たのであった。
””私は斉藤貴之。職業は建築家である。2008年、42歳の時に、この地へやって来た。そして現在、84歳である。もうこの地に来て40年以上になるが、私はあの日の出来事を忘れない。
2008年、4月22日。この日は休暇を使って私の妻と8歳になる娘の三人で山梨県の河口湖へ遊びに来ていた。まだ朝は少し肌寒い気温であったが、天気も良く雲一つ無い晴天であり気持ちの良い日だ。
湖面はその陽の光を反射してキラキラと輝いており、レジャーや釣り人、ボートでデートをしているカップルなどで賑わっている。都会暮らしでは絶対に見られない美しい風景に気分が高まったようで娘も楽しそうに水辺で遊んでいた。
私と妻は少し離れた芝生の広場で楽しく遊ぶ娘の姿を眺めている。すると、娘が何かを見つけた様で私達の方を向き大きな声で呼んだ。私は娘の元へ駆け寄り、何を見つけたのかを聞いてみた。
すると娘は湖面に指をさし、大きな魚がいると言って私の服の裾を引っ張った。
そして私がその娘の指さす方へ目をやった時、破裂したような水飛沫を上げ湖面から一匹の大きな魚が飛び出して来たのだ。
その魚は今まで見た事もなく、不思議な形と色をしていた。丸く大きな頭に、白く光る体。そして赤茶色の大きな背びれにふわりとした尾ひれ。
私と娘がその大きな魚を目にした時、一瞬辺りの時間が止まった様な感覚がしたのだ。いや、確かに止まっていた。どれくらいの時間か分からないが、娘は指をさしたままピクリとも動かず、釣り人やボートに乗っているカップルも動きを止めた様に見えた。
晴天だった空は一瞬にして厚い雲に覆われ、薄暗い曇天へと変わった。
そして私はその後の記憶が全く無くなってしまい、気が付いた頃には海の上で大きな丸太にしがみついていた。
今も尚、何故私はこの地に来てしまったのか分からないままだ。ただ、一つ思う事はあの謎の魚が関係していると確信している。
私はこの海上都市ミレナスの港で、毎日海を眺めてしばらくそこにいる。もう一度あの謎の魚が現れないかと、毎日毎日港の桟橋に立った。
だが、この40年程の間でその魚は現れなかった。
出来るなら、もう一度妻に、そして娘に会いたい。
私の体はもう老いてしまって自由に動かす事も出来ない。だから、記憶の中でもいいから、もう一度、私の愛する家族に会いたい。””
ーーこれが古文書に記されたミレナスの歴史と、漂流者の男の最後の記述であった。