四話 ばば様の屋敷・刻操魚
*1*
笠原、リリィ、トルザ、そしてばば様の四人は海上都市の中枢本部である大きな屋敷内の一室にいる。
そこで笠原は自分の住んでいた場所や職業、そして突然気を失って目覚めた時に見知らぬこの地にいたと言う経緯を話した。
もちろん、笠原自身も信じられないそんな話を信じてもらえるとは思っていなかった。
「…と、言う訳です。」
笠原を除く三人は、そんな突拍子も無い話に理解し難い表情をして黙っていた。
「つまりじゃ、お前さんは”トーキョー”と言う国の住人で、川で釣りをしている最中に気を失ってしまった。そして気が付くとこの地へ流れ着いていたと言う訳じゃな?」
ばば様は何となく理解した様なしてない様な、そんな感じで笠原の話をまとめた。
「ま、まぁ…そんな所です。」
実際、笠原も何故こうなってしまったのかを理解出来ずにいたので、事実は事実なのだが自分の言葉に自信が持てずにいた。
「はて、困ったものよのぅ。記憶喪失にしてはやけに己の事を良く覚えておるし、その可笑しな格好からしてもこの近辺の地に住んでいる者とは思えん。他に何か思い出せる事は無いか?」
そのばば様の問いかけに、笠原は気を失う前の事を細かく思い出そうとしていた。そして笠原はあの時の不思議な魚の事を思い出した。
「そ、そう言えば…この事と関係あるか分かりませんが、気を失う寸前に見た事も無い魚を見ました。その魚を見る前、何だか周りの空気が静まり返って、何て言うか異様な空気の重たさを感じました。」
笠原の言葉にばば様は目を見開いて大きく反応した。
「な、なんじゃと!?そ、その魚の話をもっと詳しく教えてくれ。もしかしたら…。」
ばば様は少し取り乱した様な素振りを見せた。その様子を見た笠原も、もしかしたら何か分かるかもしれないと思いあの不思議な魚の事を話し始めた。
「は、はい。確か、あの不思議な魚のおおきさは1メートル以上あって、丸い頭で大きな口。体は白くぼんやりと光ってて、赤褐色で扇型の背びれにフワフワとしたスカートみたいな尾ひれでした。」
ばば様はその魚の話しを聞き、急に何か思い出した様にして隣にいるリリィに言った。
「それはもしや…すまんがリリィ。その棚の上の古文書の第六項を取ってくれんか?」
「あ、はい。分かりました、ばば様。」
リリィはスクッと立ち上がり、壁際にある本棚の最上段にある古文書の”第六項”と書いてある古い巻物を取り出し、それをばば様に手渡した。
「どうぞ、ばば様。これです。」
「リリィや、かたじけない。」
その古文書と言われている古い巻物は、ボロボロの布を継ぎ接ぎにして作られていた。所々ほつれが目立ち、今にも千切れてしまいそうな所もある。
ばば様はそれをゆっくりと丁寧に笠原達の前に広げた。
「これじゃ…。どうじゃ?お前さん。ここに描かれているこの魚の絵とお前さんが見た奇怪な魚の姿は似ておるか?」
笠原はその巻物に描かれた魚の絵を見て、胃の奥の方がキュっと締め付けられる様な感覚がした。
「こ、これです!この魚です!俺が見たのは。」
その巻物に描かれていたのは、紛れもなく笠原が見たあの奇怪な魚であった。
するとリリィとトルザは物珍しそうにその巻物を覗き込んできた。
「ばば様、この絵の魚は何なのですか?」
「俺も長らくこの地にいますが、こんな魚見た事ありませんよ。」
ばば様は少しの間を置き、何やら考えながらその巻物の絵の魚の事をゆっくりと説明し始めた。
*2*
行燈の灯りのみの薄暗い部屋でばば様はゆっくりとキセルをふかし、大きく煙を吐き出した。
そして、静かに口を開いた。
「刻操魚…。刻を操る魚。ワシがまだ幼い頃、大ばば様から聞かされた話しじゃ。そして、その話しの記述がこの巻物にある。」
ばば様は巻物を更に広げ、そこに描かれた文書を読む。
「”刻を操る白銀の大魚。それは神の化身かそれとも災禍の元凶か。此れを知る者居らず、幻影の如くこの地に宿りその姿を見た者、己の地より彼方へ消えゆる。時に幸福を、時に災いをもたらす流浪の存在と成り得るだろう”。」
そしてばば様はもう一度キセルをふかし、笠原へ語りかけた。
「お前さんが見たのは、この地で古くからの言い伝えにある幻の大魚、”刻操魚”じゃろう。信じ難い話しじゃが、お前さんのそのおかしな格好と先の話しからすれば、辻褄が合う…。」
その聞き慣れない魚の名前に、笠原半ば疑う様にはばば様に問いかけた。
「こ…こくそうぎょ…ですか?今まで数多くの魚を釣り上げて来ましたが、そんな名前の魚聞いた事もありません。もしかして、深海魚の一種とかですか?」
その笠原の言葉に、ばば様はゆっくりと首を左右に振り、真剣な眼差しで笠原に語りかけた。
「これから話す事は、お前さんにとってもワシらにとっても非常に重要な事じゃ。リリィやトルザもよく聞くのじゃ。」
そう言ってばば様はリリィとトルザにもその真剣な眼差しで語りかけた。
ばば様の様子から、只事では無いと悟ったリリィとトルザは一度小さく頷き、背筋を伸ばして姿勢を正した。
「よろしい。まずお前さんが見たのは刻操魚で間違いない。そしてその刻操魚の力によってお前さんのいる世界から、ワシらのいる世界に飛ばされたのじゃ。」
一同はそのばば様の話に驚きを隠せなかった。また、そんな話を素直に信じる事が出来ずにもいた。
「お、俺のいる世界?飛ばされた?…い、一体どういう事ですか?ここは日本の何処か…いや、地球の何処かじゃないんですか?」
確かに、見た事も聞いた事も無い海上都市、シドラと言われている恐竜の様な生物までいる。だが、笠原はここがあくまで自分のいる地球の何処かだと思っていたのだ。
「確かに地球じゃ。じゃがの、お前さんのいた地球とは別の地球じゃ。これを見せてやろう。」
そう言うとばば様は、古文書の巻物を裏返し、笠原に表紙絵を見せた。
「こ…これは…?」
そこに描かれていたのは、二つの惑星の絵であった。
その一つは、見覚えのある大陸が描かれた笠原の住んでいる地球。もう一つは殆ど陸地の無い丸く青い惑星の絵であった。
そしてばば様は、その古文書の表紙に描かれている二つの地球の絵を指差して話し始める。
「恐らく、お前さんの住んでいる地球はこの陸地が多くある方の地球であろう?じゃがな、ワシらの住んでいる地球はこの殆どが海の方の地球なのじゃよ。言い伝えによれば、この古文書を書いた先人がどちらかの地球の住人で、二つの地球を行き来した事があると言う。そしてその鍵となるのが刻操魚なのじゃ。」
笠原は次第に混乱して来た。まさかそんな夢の様な話が本当にあるのか。これが本当に現実に起こっている事ならば、一体自分は何故こうしてこの別の地球に来てしまったのか。あまりの質問の多さに、何から聞いて良いのか分からずただ生唾を飲む事しか出来ずにいた。
「混乱するのも仕方があるまい。じゃが、これは現実に起こっていることじゃよ。何故なら、ワシらの住んでいるこの海上都市ミレナスを建造したのはお前さんの地球から来た人間なのじゃ。」
一同は目を丸くして驚いた。まさか、このミレナスが別の世界の人間によって建造され、今も尚こうして都市としての機能を果たしているのだから。
口数の少ないリリィですら、その事に黙って聞いているだけではいられなかった。
「ば、ばば様。一体それは、どう言う事なのでしょうか…?」
リリィの驚きを隠せない表情に、ばば様は諭す様に口を開いた。
「リリィ、そして皆の者。誠に信じ難い話じゃが、よく聞いておくれ。」
三人はばば様の話をしっかりと聞くために、少しだけ近寄って姿勢を正した。
そしてばば様は、古文書の巻物を全て広げ、この海上都市ミレナスの成り立ちや別世界の事、そしてその二つの世界を繋ぐ鍵となる刻操魚の話を始めたのであった。