三十八話 西の大陸へ
*1*
皮肉にも、ペギーの裏切りによる事件があった孤島でもう一度事件が起きてしまった。
突然の飛竜とセスによる襲来に、ミレナスきっての剣術の持ち主であるリリィですら手も足も出ず、ましてや傷を負い更には笠原まで連れ去られてしまったのだ。
リリィは己の力が足りずしてまた仲間を危険に晒してしまった後悔と自責の念に苛まれ、その場で何度も何度も地面を叩きつけ泣き叫んだ。
「くそっ…どうして…どうして私はいつも……何も守れないの……。」
自分の身がわりで死んで行ったリリィの兄フィリィ、任務中に野人に襲われ命を落とした元第三護衛部隊の釣り師アルノ、そしてスラン。
何人もの仲間を失いながらも、彼女は必死で己を失わない様に心を強くして来たつもりでいた。
だが、笠原を守る事さえ出来なかった今、リリィの心は既に脆く崩れそうになりつつあった。
「私は……一体今まで何を……どうしていつもいつもいつも…何も出来ないの……どうして…。」
普段から部隊の隊長として気丈に振る舞っていたリリィであったが、今となってはその威厳すら消え去り目も当てられない程にか弱く憔悴して見えた。
そんなリリィの姿を掛けてやる言葉すら無くただ見守る事しかトルザは、リリィの兄フィリィが殺された時のあの変わり果てた彼女を見ている様で、心臓が強く締め付けられる思いでいた。
「リリィ……。」
だが意外な事に、いち早くリリィの元へ歩み寄ったのはセランであった。
彼は泣きじゃくり嗚咽しているリリィの肩をそっと抱き寄せ、まだ上手く話す事が出来ないながらも懸命に言葉を掛けてやった。
「まだ…おわりじゃ…ない…。カサハ…はまだ…いきてる…。だから…いしょに…たすけに…いこ…。」
自分の目の前で兄が殺され、そんな時にさえ何も出来なかった自身の力の無さを呪い、悔やみ、そして希望さえも失い掛けた。それを一番理解しているのが、同じくして兄を殺されたセランであった。
だが彼はそんな時でも、リリィやトルザ、そして笠原やばば様、ミレナスの仲間の力とその想いで心を保つ事が出来たのだ。
セランは今のリリィにとって、その仲間の想いが何よりも必要な時だと分かっていたのであった。
そんなセランの想いに心を打たれたトルザも、またリリィに対する想いが強い一人である。
「そうだよ、リリィ…。セランの言う通りだ。前の時とは違う。アイツ…そう、カサハラはまだ死んじゃいねぇ。そうとなれば、助けに行くしかないだろう?」
そう言ってトルザは笠原の落としていった釣り竿を拾い上げ、それをリリィに渡した。
「アイツも、俺たちの仲間だからな。ホレ、これをきちんとカサハラに渡してやろうぜ。なぁ?リリィ。」
トルザはニッコリと笑みを浮かべ、その手に持った笠原の釣り竿をリリィの顔の前に差し出した。
「トルザ…セラン……うん、うん…。そうだね、仲間だもんね。」
泣きじゃくり頬と目を真っ赤にしたリリィは、ゆっくり顔を上げ二人の顔を見てはやっと笑みをこぼした。
「ありがとう…二人とも。カサハラを、助けに行こう。」
リリィはよろめきながらもしっかりと立ち上がり、腰布を千切って負傷した左腕にきつく巻き付けた。
「リリィよ、怪我の方は大丈夫か?」
トルザもリリィの怪我を案じたが、彼女はいつもの隊長らしく気丈に振る舞った。
「これくらい、何ともないわ。」
そう、その彼女の言葉通りセスとの戦闘で負った左腕の傷は思いの外浅く大怪我とまではならなかった。
リリィを凌駕する程の剣撃だったのにも関わらず、大した深傷になっていなかった事に対し、リリィはある事を感じ取っていた。
(あの時…奴は手を抜いた……何故…?)
(それに、去り際のあの言葉の意味……。)
その時はセスの圧倒的な剣術になすすべも無く、ただ笠原を守りたいと言う思いだけで頭がいっぱいだったリリィであったが、正気を取り戻した今、セスと言う男の心情と思惑に疑念を持つ事になったのだ。
*2*
先ほどまで頭上の真上にあった陽がやや傾き出し、三人の影を伸ばし始める。
笠原がセスに連れ去られ、第三護衛部隊の三人は任務の続行を断念せざるを得ないと判断し、その孤島を後にする事に決めた。
幸いな事にリリィの怪我も大事には至らず、それぞれ自らの足で荒れた岩場を歩いてシドラ船の元へ還る事が出来た。
「まずは急いでミレナスに戻って、ばば様にこの事を報告しましょう…。」
三人は足早にシドラ船に乗り込み、リリィはその場からすぐに発とうと、シドラの手綱を強めに引いた。
リリィは船首に、他の二人は船尾に腰を据え、本来笠原がいるであろう場所には彼の釣り竿だけが物静かに横になっていた。
「カサハラ…必ず迎えに行くから…。」
リリィは一度だけ肩越しに振り返り、笠原の釣り竿に目をやり、三人と一本の釣り竿を乗せたシドラ船は、休む事なく最大速度でミレナスへの帰路を辿った。
無情にも、四人乗りに対応するべく改修した船体がやけに広く感じるのであった。
しばらくの航海の後、傾いた陽が水平線に差し掛かりそらがややオレンジ色を見せた頃、シドラ船はミレナス港へと帰還する事が出来た。そして桟橋に着くとすぐに三人は急いでばば様の屋敷へと向かう。
その道中、急ぎ足で歩きながらトルザはリリィに話しかける。
「リリィ、とりあえずばば様の屋敷についたらその腕の怪我を見てもらった方がいい。いくら傷が深く無いとしても、怪我を負ったままじゃ思う様に闘えないからな。」
もはや隊長と部下と言う関係は薄れ去り、トルザにとってリリィは妹の様な存在なのでもある。それも全て、亡きフィリィに変わりもう一人の兄として彼女を守ると心に決めたのであったからだ。
「えぇ、ありがとう。そうするわ。」
そう軽く笑って応えるリリィの手には、笠原の釣り竿がしっかりと握られていた。
*3*
三人はばば様の屋敷の扉を開き、まずはリリィの怪我の治療をする為、彼女を救護室へ連れて行った。
「じゃあ、しっかり診てもらえよ?俺たちは先にばば様に報告してくるからな。」
リリィを救護係の年層の女性に預けると、トルザとセランはその部屋を後にしてばば様の元へ向かった。
「ありがとう、私も済んだらすぐに行くわ。」
そうしてリリィは腰布を千切って作った包帯を解き、血の跡で斑らになった左腕を救護係の女性に見せた。
「そうねぇ…傷は深くは無いけど縫合はしないとダメね。でも、この程度の傷で良かったわね。」
傷を診てくれているその年層の女性は、そそくさと薬草から精製した消毒液を純白の布に染み込ませ、左腕に纏わり付いた血糊をリリィの肩から肘に掛けて優しく拭き上げる。
「いっ……っつ…。」
その消毒液が傷にしみたのか、リリィはピクっと身体をこわばらせた。
「これから縫合するから、ほんの少し我慢してちょうだいね。まったく、若くてこんな綺麗なお肌がこれじゃ台無しだわ。リリィちゃんに怪我させた奴、ホント許せないんだから。」
そう言って年層の女性は慣れた手つきでリリィの傷をひと針、ふた針と縫合してあっと言う間に処置を終えた。
「…これでよし、っと。あとは二、三日安静にね…って言ってもリリィちゃんならそう言っても守らないわね。ふふっ。」
リリィは図星かと言わんばかりに、照れながらはにかんで見せた。
「えへへ、ごめんなさい。まだ、これからすぐにでもやらなきゃいけない事があるの…。あ、手当をありがとう。」
リリィはニコっと可愛らしい笑顔を見せた後、すぐに救護室を出てばば様の部屋へと向かった。
そして処置を終えたリリィがばば様の部屋についた頃、既にトルザがこれまでの経緯を説明していたので彼女はトルザの隣に静かに腰を下ろした。
「リリィや…どれ、怪我の方は大丈夫であったか?」
ばば様はいつもの様に、薄暗い部屋でキセルをふかしながら問いかけた。
「はい、この通り。心配かけてごめんなさい。」
リリィは包帯を巻いた上腕をチラリと見せ、怪我よりも話の続きを始めようとその場を促した。
「ふむ、それならよろしい。ひとまず、一連の話はトルザより聞かせてもらった。リリィや…辛かったろうのぉ…。」
ばば様はリリィの想いを案ずる様に、優しく包み込む様な表情で彼女を労った。
だがそんな気遣いとは裏腹に、リリィはまっすぐばば様を見据え、その瞳には本来の彼女らしい力強さが灯っていた。
「はい、ばば様。でも、私は大丈夫。トルザもセランもいるし、何しろカサハラはまだ生きている。必ず…必ず救ってみせるわ。私たち三人で。」
そのリリィの表情からは一切の迷いも無く、ただ仲間を信じて心を強く持つ事で、押しつぶされそうな重圧に打ち勝つ事が出来たのだ。
彼女の心は、決して崩れる事は無かった。
そんなリリィの事をばば様は誇りに思い、一見してまだ若い彼女がいつの間にか逞しく成長した様に見えた。
「ばば様、今回の襲撃をしてきたゼオールのセスと言う男、何か引っかかる所があるの。」
そう話す彼女に、一同は静かに耳を傾ける。
「あの男…あの時確実に私を殺す事が出来た。でも、殺さなかった。それに、この傷が軽傷で済んだのも彼が故意に手を抜いたからだと感じたわ。」
リリィは包帯の巻かれた左腕の上腕を見つめ、話を続けた。
「それに…奴の去り際に放った言葉……。私にはあえて”助けに来い”と言っている様に思えたわ。」
そう、リリィはセスと対峙した際に、明らかな殺気を感じていなかったのだ。
そして笠原を連れて去る際にセスが言った言葉。
”ーー真正面からぶつかって来ても、門は開かぬぞ。だが、堅牢で高い壁でも抜け道は必ずあるーー”
この言葉の意味を、リリィは理解する事が出来た。
「もし、これがあの男の罠でなければ……ゼオールの城壁には何処かに兵の目の行き届かない場所があると思うの。理由はわからないけど、その場所を見つけて助けに来いと言っているんじゃないかって……。」
他の三人も確かにセスの罠かもしれなとは思ったが、もし笠原を連れ去る事だけが目的であれば、リリィを殺して無理矢理にでも笠原を連れ去る事が出来た筈であった。だが、セスはそうしなかった。
そんなリリィの話を静かに聞いていたばば様だったが、彼女の直感を信じて何か心当たりがあるかの様に口を開く。
「ふむ…確かに罠かもしれぬ。じゃが、その男の行いが真実を語っておるのかもしれぬな。さもなければ、わざわざ単身で我々の領海に来る事もなかろう。」
そう、ばば様の言う通り、セスが一人で来た事にもリリィは腑に落ちない思いがあった。
「トルザよ、ちょいと済まんがその棚の海図を取ってくれぬか?」
ばば様は何か思い付いた様で、それをトルザに頼んだ。
トルザはひょいと立ち上がり、棚の中腹にある巻物の書物を取って渡した。
「すまんな、トルザよ。さて……。」
ばば様は四人がいる部屋の中央に巻物の海図を広げ、ある場所を手に持ったキセルで指し示した。
「皆も知っての通り、ここが帝都ゼオールじゃ。無論、帝都への唯一の入り口である大門はこの様に大海に面しておる。」
帝都ゼオールは、ミレナスより北の大陸の一画にある海に面した大都市であり、都市全体が高く分厚い城壁に囲まれている。
「もちろん、正面の大門からの潜入は不可能と見てよい。また、都市の東側の平原は身を隠す物が殆どない砂地の大陸にて、こちらからも難しいであろう。」
そしてばば様は大陸の一部をキセルで軽く叩く様に指した。
「だが、ここじゃ。この都市の西側の大陸は深い森となっており、今だに多くの野人が生息していると言われておる。風の噂で聞いた話によると、その野人達の影響でこの西側の城壁を建設する際、他の城壁よりも簡略化された造りになっているそうな…。」
ばば様は話を終えると、キセルを大きく吸ってゆっくりと煙を吐き出した。
「あくまで…じゃがな。」
確かに、ばば様の言う事は可能性として大いにあり得る話であった。
あれ程の巨大な城壁を建設するとなれば、昼夜問わず作業をするはず。だが、陽の光があるうちは問題ないが、日が沈み闇が訪れると必ず野人は狩に出て来る。そうなれば夜間の建設作業が出来ない分、構造を簡略化して工期を短縮する策を取るのは常套手段だと言える。
しかし、仮にも本当に西側の城壁に欠陥箇所があったとしても、それ以前に大きな問題があった。
「ばば様…その西側の壁に向かうとしても、その森を避けては通れない。つまり、野人の巣窟である森を進まなければならない…ってことね。」
その大きな問題とは野人の森に生身で潜り込み、数日かけて無事に城壁へと辿り着かなければならないと言うことだ。しかも、城壁の欠陥箇所があると言う事が確実な情報の元では無く、あくまで予想の範囲に過ぎないと言う事。
つまり、これは身の危険を晒しつつ不確かな情報にその命を掛けなければならない、非常に不利なギャンブルそのものだった。
「みんな…。」
リリィは恐る恐る他の二人に目をやると、思いの外二人の表情は余裕すら伺える程に肝を据えた姿をしていた。
「リリィよぉ……他に手がねぇってなら、そりゃもちろんやるしかねぇだろ?それがあいつを救う唯一の手段なら、尚更だ。なあ?セラン。」
セランも同じく、既に心を決めていた様子で腕を組みながらウンウンと無言で頷いていた。
そんな二人の姿のお陰でリリィの不安は遠くに消え去り、彼女もまたこの危険な賭けにその身を投じる道を選んだ。
いや、リリィはどんな危険な賭けだったとしても最初からその道を選ぶ事を心に決めていた。
きっと、トルザもセランも、どんな状況でも一緒に来てくれると信じていたからだ。
「二人とも、ありがとう。」
リリィ達は己の命の危険があろうとも、仲間の為、そして笠原を救う為にならどんな荊の道でも歩む覚悟を持っていた。
「それじゃあ、決まりね。」
リリィはその場でスクッと立ち上がり、皆と顔を合わせ心を通じた。
「行きましょう、西の大陸へ。」




