三十七話 舞い降りた漆黒
*1*
リリィと笠原は島の東側へ、そしてトルザとセランは西側へと向かった。
陽の位置はちょうど真上にあり、木々や森の無い島の西側の平野はジリジリとした陽射しが濃い緑を鮮やかに映し出している。
その平野を岸壁へと向かい歩くリリィと笠原がいた。
「ここら辺は特に変わった様子も無さそうね……ひとまず、釣り場まで案内するわ。ペギーも資源釣り師としてここに来た訳だから、釣り場なら何か手掛かりがあるかも知れないし。」
笠原はリリィに案内され、平野を越えた位置にある岩場の釣り場まで歩いて向った。
笠原は釣り竿をしっかりと握り、前を歩くリリィへ問い掛ける。
「あの子…ペギーはさ、何の為にこんな事したんだろうね……俺にはまだ…。」
その笠原の言葉を遮る様に、リリィはやや強い口調で応えた。
「わからないわ。何の為に……いえ、どんな理由があろうとも彼はスランを殺し、そしてセランに傷を負わせた。彼の目的が分かった所で、その事実は変わらない。今は理由なんて考えてる暇は無いわ。」
笠原はリリィの強い口調に、その後の言葉が出せずにいた。正論かそうで無いかでは無く、リリィの内なる怒りや憎しみが明らかに露わになっていたからだ。
「リリィ……そうだね。まずは任務の事だけ考えなきゃ…ご、ごめんよ。」
すると前を歩くリリィはその場にピタリと足を止め、肩を小さく震わせていた。振り返る事はなかったが、その背後を見るだけで彼女が涙を流すまいとひっに感情を堪えているのが、笠原にはすぐに分かった。
「リ、リリィ……。」
笠原はこう言う時、彼女にどんな言葉を掛けてやれば良いのか、何をしてあげれば良いのかを分からず、ただその場に立ち尽くす事しか出来ずにいた。
だが程なくしてリリィは一度だけ鼻をすすり、そして大きく肩で深呼吸をして笠原の方へ振り返る。
「エヘヘ、ごめんなさい。私も少し感情的になっちゃった。もう平気だから、とりあえずこの任務はしっかりこなしましょう。あ、ほら、もうその先が釣り場よ。」
リリィはいつもの様に愛らしくあどけない表情を見せたが、その笑顔の内側には隠し切れない暗い感情が見え隠れしていた。
若くして国や民を守る責任を負いながら任務こなし、時には命の危険に晒されながらも剣を抜き続ける。
笠原のいた世界であれば、この年頃の女の子ならオシャレをしたり友達とショッピングや旅行に出かけたり、そして恋をしたり。そういった青春を楽しんでいた頃だろう。
そんな年頃の彼女が、いま目の前で仲間の死と仲間であった者の裏切りに心を蝕まれながら、必死で闘っているのだ。
そんなリリィの想いを汲んだ笠原は、自然とその手を彼女の肩に乗せ、優しく静かに言葉を掛けた。
「君だけが全て背負う事はないよ。僕らは、みんな仲間だからね。」
リリィは今までにない程、可愛らしい笑顔を見せた。りんご色に赤らめた頬を大粒の涙が伝い、それを拭う事なく、彼女は泣きながら笑っていた。
「ありがと、カサハラ。それじゃ、今度こそ気を取り直し……っ!?」
リリィが口を開いたその時だった。
二人のいる平野に一瞬、大きな黒い影がその強い陽射しを遮り通り過ぎる。
「なっ…なんだ!?」
笠原とリリィはその一瞬の影に驚き、空を見まわした。
「…あそこだ!カサハラ!」
すると、北東の空から雲を切り裂き物凄い速さで旋回しつつ、大きな翼を広げこちらへ向かってくる黒い何かが見えた。
「鳥……?いや……あれは………飛竜っ!?」
ーーー「彼が…別の世界からきた男か。そして護衛は一人…」
ーーー「よし、行くぞ!ヒドラっっ!!!」
*2*
漆黒の翼は正に晴天の霹靂の如く、何もない大空から突如として現れた災いかの様に地上の二人を目掛けて滑空してくる。
「来るぞ!早く下がれっ!カサハラ!!」
リリィは白銀に輝く剣を物凄い速さで向かって来る飛竜に向けつつ、笠原をその場から僅かでも遠ざける為にもう片方の手で彼の胸を強く押し出した。
「うぐっ……!リリィっ!?」
そして飛竜はリリィとあと僅かで接触するかという距離で態勢を整え、その場で大きく羽ばたきながら滞空した。
飛竜の羽ばたきで生じる強い風圧を受け、リリィは一歩後退りしつつもグッと踏ん張りを入れ込んだ。
「くっ……何故こんな所に飛竜が……?」
飛竜の風圧により地面から舞い上がる草や埃で思う様に目が開けられず、リリィはその飛竜の全貌をしっかりと確認する事が出来ずにいる。
するとその時、飛竜が羽ばたくのをやめ太い二本の脚で地上に降り立った。
それと同時に、飛竜の背後から白髪で細身の男がゆっくりと歩いて近づいて来た。
「其方は、ミレナス第三護衛部隊隊長…双剣のリリィ嬢と見受ける。」
リリィはその白髪の男を警戒し、間合いを取りながらもう一本の剣を抜く。
「貴様…ゼオールのセスだな。何故ここに来た…?目的は何だ…。」
リリィは鋭い目つきでセスを睨みつけ、その間合いを慎重に保ちながら低い声で問い掛けた。
そんな殺気混じりのリリィに対して、セスは全く動じず両手を背後に組みながら淡々と話しを始める。
「ほぅ、私を存じておるか…ならば話は早い。その後ろで尻餅をついている男…カサハラと言ったな。彼をゼオールに引き渡して欲しい。」
リリィは目を見開き、以前夢で見たあの惨劇が脳裏をよぎった。
「貴様…カサハラの正体まで知っているのか。ならば答えよう……」
するとリリィは目にも止まらぬ疾風の如き身のこなしでセスとの間合いを一気に詰める。
「カサハラは渡さん!!!」
リリィはセス目掛けて白銀の剣を振りかざした。
その刹那、”キィーーン”と言う高密度の金属音が辺りに鳴り響き、ほんの少し遅れて白銀の剣が空から降って緑の平野に突き刺さった。
リリィは咄嗟に態勢を変え、再度素早くセスとの間合いを取った。
「見えなかった……くっ…。」
リリィは左腕にスギンっと言う痛みを覚え、咄嗟に剣を持つ手で左腕を押さえる。
「貴様…。」
先ほどまで両手を後ろに組んで立っていたセスだったが、その両手にはリリィと同じ白銀に輝く剣が二本握られていた。
「良い筋をしておるな。流石は、ミレナス一の剣術と言われるだけある。」
セスが一歩近づくのに合わせ、リリィは一歩下がる。
そのリリィの左腕から手の甲を伝って真っ赤な血がポタリ、ポタリと滴り落ちる。
「リ…リリィっ!?」
「来るな!カサハラ!!早くトルザ達の元へ!!」
笠原はリリィの左腕の怪我を案じて急いで駆け寄ろうとしたが、その場でリリィに制止された。
既に片腕を負傷し、さらに剣も一本だけとなってしまったリリィだったが、まだ引き下がる気配は見せずセスを鋭い眼光で睨みつけている。
「もう一度言う…カサハラは渡さん。」
そう言うと、リリィは己の血で真っ赤に染まった手で腰に下げた小袋から小笛を取り出して笠原に投げ渡した。
「早く!それを吹いて!!」
笠原は小笛を受け取るやいなや、すぐに力一杯小笛を吹いた。
”ピーーーッ”と言う高音の音色が遠くの空まで響き渡るかのように鳴り響き、それがこだましてもう一度遅れて聞こえた。
「これでトルザ達が気付いてくれれば……」
「…油断は命取りになるぞ。」
するとその時、一瞬の隙を突いてセスがリリィの懐目掛けて踏み込んだ。
更にもう一度、”キィーーン”と言う金属音が鳴り響き、もう片方のリリィの剣が宙に舞った。
完全に無防備になってしまったリリィに、セスは更に追い討ちを掛ける様に強烈な一撃を見舞った。
「さて…これで終わりだ。」
「うっ………」
ドスっと言う鈍い音が鳴り、リリィはその場で一瞬動かなくなった。
セスの剣の柄がリリィの鳩尾を鋭く突いて、その場で彼女は全身の力が抜け落ちた様に倒れ込んだ。
それをただ見ている事しか出来なかった笠原は、リリィの名前をただ叫ぶだけであった。
「リリィ!リリィーっ…!」
そんな二人を俯瞰で見るかの様に、セスは表情一つ変えずに口を開いた。
「そう慌てるな、別に殺した訳ではない。だが……。」
そう言うと、セスは白銀の剣を倒れ込んだリリィの喉元に向ける。
「カサハラとやら、貴殿が私と共に行かぬとなれば、この娘の命の灯火はこの場で消え去る事になろう。さあ、私と共に来てくれ…。」
セスは更に深くリリィの喉元に剣を突き立てる。
「だ…だめ……カサハラ…早く逃げて…お願い…。」
辛うじて意識を保っていたリリィは、最後まで笠原の事を守ろうとしていた。
「リリィ…俺は……。」
笠原はリリィ程の剣術を持っていても敵う事のないその男から、只ならぬ力の差を感じ取っていた。
「…分かった。俺が行けば、彼女を救ってくれるんだな…?」
セスは真摯な面持ちで一度だけゆっくりと頷く。
そして笠原はリリィを守る為、ゆっくりとセスの元へ歩み寄って行った。
「だめ…カサハラ……行っちゃだめ……。」
その時、笠原の吹いた小笛を聞いて異変を感じ取ったトルザとセランがその場に駆け付けた。
「待てっ!カサハラ!…き、貴様はゼオールの……!?リリィっ!おいリリィ!?」
トルザは息を切らしながら、倒れているリリィを抱き上げた。
同じくして、セランは二本の剣を構えセスと対峙する様に間合いを取る。
するとセスは近づいて来た笠原をぐいっと引き寄せ、背後から白銀の刃を首元に添えた。
「動くな。この男の命が惜しくばその刃を下げるが良い。」
セランは背後にいるトルザに一度目をやると、彼は小さく首を横に振った。
それを見たセランは、セスに向けた二本の剣をゆっくりと下ろす。
「それでいい。実に賢明な選択だ。」
セスは笠原の首元に刃を添えたまま、慎重に後退りして漆黒の翼を広げる飛竜ヒドラの元へ寄った。
「…良き仲間を持ったな。」
そして彼は、笠原の耳元で一言だけ静かに囁き、剣の柄で一撃。笠原は意識を失い、全身の力が抜けた様に項垂れた。
その笠原を担ぎながら、セスは飛竜の背中によじ登った。
「では、ミレナスの兵士よ。この男は私が預かる。」
「…まって……カサハラ…カサハラっ……!」
リリィの姿を飛竜の上から見下ろすセスが、彼女に一言だけ言葉を掛ける。
『……真正面からぶつかって来ても、門は開かぬぞ。だが、堅牢で高い壁でも抜け道は必ずある。』
「え…なに……?」
リリィはセスが一瞬だけ微笑みを見せたかの様に思えた。
「では、またいずれ会うであろう…その時まで。」
そうして、セスと笠原を乗せた飛竜は漆黒の翼を羽ばたかせ天へと舞い上がって言った。




