三十四話 新生第三護衛部隊
*1*
波は穏やか、快晴で優しい風が吹く美しい海原。そんな心安らぐ情景を裂くかの様に、リリィ達を載せた一隻のシドラ船が勢い良く突き進む。
時折小波に乗り上げた小舟が大きく波を立てて揺れ動き、それに合わせ一同は小舟のへりやロープを握って振り落とされない様にしっかりとしがみ付いた。
リリィは船首から後方を確認し、笠原を心配する様に声をかける。
「カサハラ、大丈夫?しっかりつかまってないと落っこちちゃうわよ!」
そんな心配も無用と言わんばかりに、笠原は軽く親指を立ててニッコリと合図した。
「ははは、これくらいは大丈夫だよ。こんなの慣れっこだしさ!」
そう、笠原は言わずもがな元の世界ではプロの釣り師である故、船に乗り大海原へ釣りに行く事も多々あるのである。そんな彼からすればこれくらいの船の揺れなど日常茶飯事、むしろまだ軽い物だと余裕の表情を見せる程であった。
そんな笠原も、すっかりこちらの世界の暮らしに慣れてしまっていたが、この時ふと元の世界にいた頃を思い出したのである。
(…そう言えば、あれからどれくらいの時間が経ったのかな…仕事仲間のみんな…父さんや母さんも俺が急に居なくなったから、心配してるんだろうな…。)
笠原は自分が生きているとは言え、信じがたい事だが別の世界に来てしまったと言う事を改めて実感し始めたのだ。
しばらくこちらの世界で暮らしていたが、思いの外居心地も良く信じられる仲間も出来た。
それは元の世界の事を忘れてしまうかと言う程に、彼にとって新しい人生の始まりとして、この現実を知らぬ間に自ら受け入れてしまっていたからでもある。
(…俺は、いつか元の世界に戻れるのだろうか…いや、戻らなければいけないんだ…。)
笠原はそう思いながら、何故か自然とリリィの背後を見つめていた。
するとリリィがまた振り向き、笠原の視線に気づいては首を傾げてはにかんだ笑顔を見せた。
「ん?どうかした?私の顔になんか付いてるかしら?」
笠原はそんな愛らしいリリィの笑顔に対し、ほんの一瞬だけ胸の鼓動が高まった。
「い、い、いやいや!何でもないよ!うん、大丈夫!」
そう言うと笠原はリリィから慌てて目を背け、何もない水平線が広がるだけの美しい大海原を見つめた。
その様子を後ろからじっと見つめていたトルザがモゾモゾと船内を移動し、静かに笠原の傍へやって来た。
「おい、カサハラ……。お前、もしかして……。」
笠原はビクッと背筋をのばして慌てふためき、何度も首を横に振った。
「いいいいやいやいやややっ…!ちがうっ!ちがうってっ!そんなんじゃなくて、その、ほら、あれだよアレ!ソレソレっ……うん!」
ゴーグル越しにトルザの鋭い眼光が垣間見え、笠原は心中を読まれまいと必死に対抗した。
するとトルザはニンマリとした不気味な笑顔を見せ、間髪入れずにリリィに声をかけた。
「おいリリィ…じゃなかった、隊長!カサハラの奴…うぐっ……!?」
笠原はトルザの口を思い切り両手で押さえつけ、余計な事を言わないでくれと必死に目で合図をした。
だがそれも虚しく、トルザは笠原の手を振り解き残りの言葉を大声で発した。
「……って、なんだよ急に!?ったく変な奴だなぁ…隊長!カサハラの奴、どうも酔っちまったみたいだ!船酔いだ船酔い!」
そのトルザの言葉に、笠原はまるで狐につままらた様な気の抜けた表情でその場に立ち尽くした。
「ほぇ…?ふ、船酔い?…あっ、そそそ、そうそう!ぼ、ぼくちょっと気持ち悪いなぁ!うぇ〜うぇ〜…。」
その様子を顔だけ振り向いて見たリリィは、小さくため息をついて手綱を軽く引いた。
「はぁ…ったくもう…よっと!」
すると海中からヒョイっと二頭のシドラが顔を出し、船はゆっくりと速度を落とし、静かに動きを止めた。
「お前達、少しお休み。」
リリィは二頭のシドラを優しく撫でると、船首からトントンと軽いステップで笠原の元へやって来た。
そしてスッとしゃがみ込み、笠原の様子を伺う様に話しかける。
「ちょっと、アナタ大丈夫?少し休む?」
船酔いで気持ち悪い”フリ”をして俯いている笠原を覗き込む様に、リリィが心配そうに見つめてきた。
「だ…大丈夫だよ!ごめんごめん…でもせっかくだし、す、少し休もうか!うん、それがいい!」
何処と無く様子がおかしい笠原だったが、リリィも少し休んだ方が良いと判断してひとまずその場で休憩を取ることにした。
「まぁ、大丈夫ならいいんだけど…。あんまり無理しないでね。よし、私達も少し休みましょう。」
笠原はホッと胸を撫で下ろした。
(…ふぅ。よかった…上手くごまかせた……ん?ごまかせた?…って、何をだ?何でこんな下手な演技までしなきゃならなかったんだ…?)
笠原は自分の心に問いかけた。だが、まだ素直になれない自分の方が強かったのである。
そして、その様子をまた後ろから静かに見ていたトルザは、ニンマリとした笑顔を見せつつ隣にいるセランに目をやった。
セランは何も口にしなかったが、全てを悟ったかの様にゆっくりと目を瞑り頷き、そして彼もニンマリとした口元をチラリと見せるのであった。
*2*
程なくして暫しの休憩も笠原のおかしな演技もすっかり終わり、皆を乗せたシドラ船はリリィの手綱の合図と共に海上を切り裂く様に進み出した。
「カサハラ、船酔いはもう平気?もうすぐ着くから、がんばってね!」
リリィの可愛い笑顔に、笠原もニッコリと嬉しそうに笑って見せた。
「悪かったね、でももう大丈夫だよ!さっ、気を取り直して頑張ろう〜頑張ろ〜。」
ふと、背後をみると何やら意味深な笑顔を見せる二人がいた。
「…な、なんですか二人とも。」
「いやぁ〜……べつにぃ?ククク…。」
「…べつに……ククク…。」
そんな二人の様子無視し、笠原はまた何もない水平線の大海原を見つめていた。
すると、さっきまで本当に何もない水平線だったのだが、遠くの方にポツンと小さな黒い点が見えてきた。
「あれは…目的地の島かな?」
笠原の言葉にリリィはチラッと振り向き、一度だけ軽く頷いた。
一同はその島が見えてから、先ほどまでの和やかな雰囲気を一気に拭い去るかの様に、辛辣な空気が小さな船上に纏わり付いた。
それもその筈、その島はセランの兄であるスランがペギーによって命を奪われた孤島だからなのである。
その島を見るやいなや、セランはスッと立ち上がり船首のリリィの元へ静かにやって来た。
「に…さん…スランに…さん。」
彼はグッと拳に力を入れ、そしてすぐにそれを解いた。
リリィも彼の心中を察し、少し視線を落としもう一度確認をするかの様に尋ねた。
「本当に、あの島に行っていいのね…?辛いと思うけど、私たち皆が一緒よ…。」
だがセランは気丈に振る舞い、軽く微笑んでリリィの肩をポンと叩いて頷いた。
「だいじょ…ぶ。いこう…。」
そう言うと、セランは笠原とトルザの元へ振り向き、同じ様に微笑んで見せた。
その決意と心の強さに、笠原とトルザもしっかりとした眼差しで意思を確かめ合ったのであった。
そうして彼らを乗せたシドラ船は、目的地である孤島の岸壁へとゆっくり船体を寄せ、静かに停泊した。
ーーーそんな彼らの行く先を見据えるかの様に、どこから現れたのか、一羽の鷹が大空を旋回して飛び去っていったのであった。




