三話 海上都市ミレナス
*1*
海中から幾つもの柱が生えるように伸び、桟橋から港、そして街全体がその上部に建設されている海上都市『ミレナス』。
その都市の海沿いは全て港になっており、都市を囲うように綺麗な弧を描いて造設されていた。
そこから分かるように、この海上都市は大きな円形の造りになっているようだった。
笠原はその美しい都市に見惚れて言葉も出ずに眺めている。
それを見かねたマスクの男がやや強い口調で声を上げた。
「おい貴様。何をしている?早く来い。」
笠原はビクっと背筋を伸ばし、マスクの男とトルザに挟まれるようにして歩き出した。
港から街の中に入り、沢山の木造住宅や商店のある通りを三人は早足で歩く。通りを挟んだ家々の間には無数のロープが張られており、衣服などの洗濯物を干してあったりした。その街を歩いていると、行く行く人々や住宅の窓から顔を出した街の住人がその三人を見ている。
マスクの男やトルザの格好はこの街の雰囲気に溶け込んでいるが、フィッシングベストに鮮やかなブルーのブルゾン、ナイロンのパンツに膝下まである長靴を履いた笠原の格好は、この街には全くと言って良いほど似合わない。
そんなおかしな格好をした笠原の事を街の住人は興味深く、そして半ば怪しんだ目で見つめているのが分かった。正に市中引き回し状態である。
「あの…これから何処に行くのですか…?」
笠原の言葉に前を歩くマスクの男はチラッと後ろを振り返った。
「黙ってついて来い。」
その一言だけを言い、また前を向いて歩き続けた。
すると、後ろから小さな声でトルザが話しかけてきた。
「これからこの街の長である”ばば様”の所に行くんだ。余計な事言ってあまり隊長を怒らせるな。お前みたいな奴なら一瞬で首を落とされちまうぞ。」
笠原は思った。砂浜での目にも留まらぬあの素早い身のこなし、そして的確に相手の急所を突いてくる無駄のない鍛錬された技。
もはや一瞬で首を落とす事など容易いことだろうーーと。
しばらく街の中を歩き続けていると、他の建物よりも一回り程大きく立派な屋敷が見えて来た。
マスクの男は立ち止まる事なく、その大きな屋敷に向かって一直線に歩いている。
すると後方からまたトルザの声が聞こえたので、笠原は歩きながらそちらに耳を傾けた。
「あの大きな屋敷が俺たちの本部だ。そこにこのミレナスの長であるばば様がおられる。」
「そうなんですか…。」
笠原は急に底知れぬ不安に駆られた。あの屋敷にはこの二人の様に屈強な戦士達が沢山いて、自分はそこで厳しい尋問や死に匹敵する程の拷問を受けるのでは無いかと思っていたのだ。
それを思うと今すぐにでも逃げ出したい気持ちだったが、二人に挟まれているこの状況、トルザの怪力、そしてマスクの男の神速な技をもって一瞬にして殺されてしまうだろう…。どちらにせよ、良い事は無い。笠原は己の人生を諦めかけていた。
そして三人は大きな屋敷、このミレナスの中枢である本部の入り口の前まで辿り着いた。
が、特に門番や守衛の様な人物もおらず、マスクの男はそのまま普通に屋敷の扉を開けてその中へ入って行った。
笠原は拭いきれない恐怖に、思わず一度入り口の前で立ち止まってしまう。
その後ろからトルザは少し急かす様に話して来た。
「さぁ、お前も入れ。中でばば様に会って詳しく話を聞かせてもらおう。」
笠原は渋々屋敷の中へと足を踏み入れ、その後に続けてトルザも屋敷の中へと入って木製の扉を閉めた。
「こ、これは…立派なお屋敷だ…」
屋敷の中は広く、大きなテーブルやソファがあり歓談所の様な広間だった。その広間の壁沿いには大小幾つかの扉があり、何処の国にも無い様な奇怪で美しい装飾が施工されていた。
木目の美しい濃い茶色の床と壁、天井は高く梁が所々に見えている。そしてその梁からはシャンデリアの様な電燈が不規則にぶら下がっていて、炎の明かりで屋敷内はやや淡いオレンジ色に染められていた。
だが、思っていた事と大きく違うのが、その屋敷内には誰一人として人の姿が無いのだ。
「だ、誰もいないのですか…?」
笠原の問いに、トルザは答えた。
「今はな。みんな護衛任務に出ちまってる。こうしてフラフラしてんのは俺たちくらいだ。」
「ご、護衛…ですか?」
笠原は不思議に思いながらも、きっとどの国にも重要人物がいて、その人物を守る為のSPの様な役職もあるのだろうと理解する事にした。
「まぁ、詳しい話はまた後だ。これからばば様に会ってからゆっくり話をする。」
トルザがそう言うと、広間にある一番大きな扉が開き、そこから今まで姿を見せなかったマスクの男が出てきた。
「さぁ、入れ。ばば様に話を通しておいた。」
笠原とトルザはマスクの男に促され、その大きな扉の中へと入って行った。
*2*
扉の中に入ると、そこは行灯の明かりだけの薄暗い六畳程の小さな部屋で、少し甘い香りが漂っていた。
その小さな部屋の中央で、白髪頭に何らやら装飾の施された被り物をした小さな老婆がキセルをふかしながら座布団にちょこんと座っている。
笠原はその小さな老婆が彼らの言う”ばば様”なのだろうと、すぐに分かった。
そしてその老婆はキセルを一度ふかし、口を開いた。
「トルザや、その者の縄を解いてやれ。」
「はい、かしこまりました。」
そう言うと、トルザは笠原の両手を縛っているロープを小刀で切り解いた。
久しぶりに自由になった笠原の両手は、ジワっと温かくなり少し痺れていた。
その様子を見ていたばば様は、ニッコリと優しい笑みを浮かべ笠原に向けて話しかけた。
「どれ、お前さん。そこに座りよく姿を見せてくれんかのう?」
その言葉に笠原は緊張しながらも、ばば様の正面に正座をして腰を下ろした。
「よろしい。後ろのお前さん達も座って寛ぐが良い。」
マスクの男とトルザはばば様の言葉に合わせてマントのフードを脱ぎ、笠原と向かい合わせになる様にばば様の両脇に座った。
それを見た笠原は目を丸くして驚き、全く想像していなかった姿に言葉が出なかった。
「えっ…?」
フードをとりマスクを外したその男の素顔は、何と”男”では無く黒髪でボーイッシュなショートカットの若い女性だったのだ。
「何だ貴様、文句でもあるのか?」
そのマスクの男”だった”女性はキリッとした目つきで笠原を睨みつけた。
「い、いや…別に…。」
見るからに、二十歳そこそこだろうか。肌は白く目鼻立ちも綺麗で、見た目はそこら辺の若い女性達と何ら変わりはなかった。
一方、トルザはフードを脱いだがゴーグルの様な物は付けたままであった。髪は銀色でオールバック。口髭を生やしているその姿から、ワイルドな男であるという印象だった。また、歳は四十前半と言った所であろうか。体格も良く、鍛えられているその風貌からは背中の大剣を軽々と振り抜くパワーを持ち合わせている様だった。
そんな精鋭二人の間に”ばば様”と呼ばれている小さな老婆がキセルをふかして微笑んでいる。その様子から、この海上都市の長である事が良く伝わって来た。
そんな威厳のあるばば様が、一度大きく煙を吐き口を開いた。
「さて、まずは自己紹介から始めようかのう。お前さん、なんて名前だい?」
笠原は一度唾を飲み、ゆっくりと自分の名を口にした。
「は、はじめまして。笠原…笠原修二と言います。」
すると向かい合って座っている三人が驚く様に目を見開き、一番先にトルザが聞き返して来た。
「カ、カサハラシュージ?随分と長ったらしい変な名前だな。」
笠原の名前を聞き、まるで初めて聞くイントネーションの様に驚いていた。
「じゃ、じゃあ”カサハラ”か”シュージ”のどちらかで大丈夫ですので…。」
その言葉にトルザは少し苛立ちを表すかの様に反応した。
「何だお前?名前が二つもあるのか?全くややこしい奴だな。その格好も変だしお前の名前も…」
その時、今までにこやかに笑っていたばば様がまるで別人の様に厳格な表情へ豹変し、トルザの言葉に割って入る様にして声を上げた。
「トルザっ!少し黙らっしゃいっ!!」
ばば様のその小さな身体からは想像も出来ない程の大声に、一同はビクリと背筋を伸ばし、特にあの体格の良いトルザが一回り小さく見えた。
「うっ…す、すみません…。」
トルザは急に肩を竦め、黙り込んでしまった。
笠原はばば様があの大男のトルザさえ恐れおののく存在であるのだと、改めて威厳を感じたのだった。
そしてまた、ばば様は先ほどと同じ様なにこやかな表情に戻り、話の続きを促した。
「さて、気を取り直して…。では、お前さんはこれから”カサハラ”と呼ばせてもらおうかのぉ。」
笠原は小さく頷いた。
「はい、それでよろしくお願い致します。」
「では、次はワシらの自己紹介としようかのぉ。まずはあの落ち着きのない男。ホレ、きちんと自己紹介せい。」
するとトルザはスクッと顔を上げ、自己紹介を始めた。
「俺はトルザ。ここミレナスの第三護衛部隊の副隊長をしている。よろしくな。」
「よ、よろしくです。」
その後に続き、マスクの男と思っていたショートカットの女性が静かに口を開いた。
「私はリリィ。ここミレナスの第三護衛部隊隊長兼、ミレナス精鋭討伐隊の総隊長をしている。」
「あ、あの、よろしく…お願い致します。」
自己紹介が終わったリリィは、また静かに口を閉じた。
「さぁて、最後にワシじゃな。ワシはこのミレナスの長であるカシンと言う者じゃ。まぁここの皆はワシの事を”ばば様”と呼んでおるので、お前さんもばば様とお呼びなされ。」
「はい、ばば様。よろしくお願い致します。」
こうして無事に自己紹介を終え、四人のいる六畳程の部屋は、先ほどよりも空気が軽くなった様に感じた。
そしてこの後、本題である笠原が何者でどの様にしてこの地に来たのかを説明をする事になった。