二十七話 時を刻む断片
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二人のいる港の桟橋から見える水平線が、遥か遠くに緩い弧を描いて伸びている。
釣りをしたいと言うリリィの突然の申し入れに、笠原は戸惑いを覚えつつも嬉しさの方がそれを上回っていた。
プロの釣り師として、釣りの楽しさを世間に伝える事のプロモーション活動は仕事として日々行っていたが、今回それとは少し違う。
笠原はただ単純に、リリィが釣りをしたいと言う事が嬉しかったのだ。
そんな笠原は嬉しさを隠しつつもリリィに悟られぬ様、普段の様に海面の様子に目を凝らしていた。
すると彼は何かを見つけた様に反応し、海に向かい指をさしてリリィに話かける。
「リリィ、少し沖のあの辺りを見てくれるかな?」
笠原が指差した方にリリィも目を細めて見つめる。
その笠原の指差した方向には、小規模な海鳥の群れが海面すれすれを旋回しているのが見えた。
それを見たリリィは、特に珍しくも無いごく普段の海の様子に首をかしげるだけである。
「鳥?別にいつも見てる光景だけど…何かあの鳥が特別なの?」
笠原はそんなリリィに対し、何かのスイッチが入ったかの様に淡々と喋り始めた。
「いいかい?あの海鳥たちは餌となる小魚を求めてあの場所で群れになってるんだ。つまり、海鳥がいる場所の下には小魚の群れがいる。その小魚を求めて、大型の魚も群れをなしてやって来るんだよ。元の世界では、あの海鳥の群れを鳥山って呼んでいて、釣りをする人間達の間ではごく一般的な知識なんだ。」
そう言う笠原の話に、リリィは感心した様に頷いて応えた。
「へぇ、なるほどね。今まで考えた事も無かったわ。」
リリィのまずまずの反応に、笠原は気を良くして更に話を続ける。
「そこでだ、このルアーって言う小魚を模した疑似餌を使って、小魚の群れを追って来た大型の魚を釣るって言う事なんだ。」
そう言って笠原はプラケースから取り出したルアーをリリィに見せる。
するとリリィはニッコリとした笑顔を見せ、胸元にしまってあったルアーネックレスを取り出した。
「あっ、これと一緒のやつね!」
それは資源釣りの帰りに、船上でリリィとトルザにあげた笠原のルアーであった。
「そうそう、そうだったね。もうリリィはルアーを見た事あったよね。じゃあ、早速始めてみようか。」
そう言うと、笠原は釣竿をリリィに手渡した。それを受け取ったリリィは釣竿の軽さに小さく驚いた。
「わっ、釣竿ってこんなに軽いのね。」
確かにこの釣竿は非常に軽量ではあるが、普段から剣を振り回しているリリィにとってはまるで鳥の羽根を持っている程度の様に感じていたのだ。
だが釣竿を握るリリィの姿はどこか初々しく、屈強な戦士の風格は微塵もなかった。それが笠原にとって新鮮でもあり、何か心が温かくなる情景でもある。笠原はそんな可愛らしい姿のリリィに少しだけ目を奪われていた。
「で、この後どうするの?」
ハッと我に返り、笠原はリリィに釣りの基本動作の手解きをする。
「あ、ごめんごめん。えっと、まずは糸をこうして指にかけて……。」
笠原は優しくリリィの手を取ってルアーを投げる基本的な形と動作を説明した。
「…よし、じゃあやってみるわ。あそこの鳥が沢山居るとこを目掛けて投げればいいのね?」
そう言ってリリィはゆっくりと釣竿を振りかぶり、そしてヒュッと軽快な風切り音を立てて振り下ろした。
リリィの投げたルアーはまるで弾道ミサイルの様に美しい放物線を描いて飛んで行く。
「おっ?なかなかセンスがいいね。恐れ入りました。はははっ。」
部隊長であり剣術のスペシャリストでもあるリリィは非常に器用で笠原の言う事をすぐに飲み込む事が出来た。
「まあね。あまり私をナメないで。」
そしてリリィの投げたルアーは丁度鳥山のあるポイントへと着水した。
「よし、これを巻いて竿を動かす…。」
少しの間を置き、彼女は手首を器用に動かし竿先の操作でルアーにアクションを付ける仕草をする。その姿はまるで、以前からルアーフィッシングをやっていた経験者にも見えるほど様になっていた。
すると突然、リリィの操作する釣竿がピタリと静止し、間髪入れず大きくブルっと震え出す。
「な、なんだ、なんだっ?」
突然の出来事にリリィは珍しく慌てだした。ルアーフィッシングの基本動作は笠原に教えて貰っていたが、魚が掛かった時の事は聞いていなかったのである。
「あははっ!やったねリリィ。それ、魚が掛かったんだよ。」
笠原はそう言うと、初めての魚の引きに慌てふためき興奮しているリリィに対し、魚が掛かった後の動作をジェスチャーを含めて隣でやって見せた。
それを横目で見て真似たリリィは、まるで手馴れた剣術を思わせる様な仕草で竿を巧みに操作する。
掛かった魚もかなりの大物の様で、リリィに負けじとまるで勝負を挑むかの様に水中で勢い良く右へ左へと方向を変えて走り出した。
「な、なんだ!?急に暴れ出したわよっ!?」
だがリリィが慌てて声を上げた瞬間、全てが白紙に戻ったかの様に”フッ”っと竿に掛かる力が抜けた。
「…あら?ど、どうしたのかしら…。」
その様子を見ていた笠原は、肩をがっくりと落として半笑いで言った。
「あはは、残念〜…バレたんだよ。つまり、魚が逃げちゃったんだ。」
その笠原の言う事に、リリィは更に肩を落としてうな垂れる様にため息をついた。
「うそ〜…信じられない。せっかく初めての釣りで大きな魚が掛かったのにぃ。はぁぁぁ…。」
珍しく落ち込んだリリィの姿を見て、慰める様に笠原は笑って声をかける。
「まぁまぁ、そう落ち込まないで。釣りなんてそんなもんさ。むしろ初めての釣りで大物が掛かったんだから、そっちを喜ぶべきじゃないかな!リリィは釣りのセンスあるかもよ?はははっ。」
そんな笠原の軽い慰めなどに一切反応する事なく、リリィは不貞腐れてもう一度挑戦すると言わんばかりにリールを無理やり巻いた。
そして先ほど投げたルアーがリリィの元へと帰って来た時、ルアーの針に何かが引っかかっているのが見えた。
「あら?何かしら、コレ…。」
それは1センチ程の大きさの魚の鱗であった。だが普通の魚の鱗とは違い、微かに青白く発光していたのだ。
笠原はその微かに青白く光る鱗を見て、ビリビリと背筋に電気が走る様な感覚を覚え、全身の毛穴から汗が滲み出てくるのが分かった。
「そ…その鱗…もしかしたら…。」
急に慌てた態度を見せた笠原に、リリィは首を傾げておもむろにルアーに掛かったその鱗を手に取った。
それを見た笠原は、急にリリィに向け声を上げる。
「待ってリリィ!触っちゃダメだ!」
だがそれは既に遅く、青白く光る鱗を手にしたリリィはその場でガクッと力が抜けた様に桟橋の上で倒れ込んでしまった。
「リリィっ!!」
笠原は急いでリリィの元へ駆け寄ったが、リリィの意識は無く全身の力が抜けたまま目を瞑って僅かに呼吸だけをしていた。
「おいっ!しっかりしろ!リリィ!リリィっ!!」
まるで魂が抜けた様にぐったりとするリリィに、笠原何度も声をかけた。だがリリィは返事をしないどころか何の反応もしなかった。
ただ事ではない状況に笠原はリリィを抱き抱え、釣り竿を桟橋に置いたままばば様の元へと走って向かった。
「くそ…一体何が…リリィ。無事でいてくれ…。」
笠原は全身に汗をかきながら桟橋のある港を抜け、リリィを抱えて一直線にばば様の屋敷へと走った。




