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十九話 異変

 

 *1*


 三人を乗せた船は一路(いちろ)ミレナスへと向かっていた。


 リリィは船首に座ってボーッと海を眺めている。あの森の中で見せた笑顔の後、彼女は一言も口を開かなかった。


 そんなリリィの様子に、船尾の方にいる二人は声を掛けられずにいた。


「トルザさん…リリィ、どうしちゃったんですかね…。」


 トルザもリリィの様子が気になっていたが、こんなリリィを見るのは初めてだったので少し困惑していた。


「さぁな、俺にもサッパリだ。リリィの奴、ずっと何かを考えているみたいだ。それに、あの野人の親子の事も気になるしな。」


 笠原はトルザの言葉であの森の中の出来事を思い出した。


 今まで残忍で野蛮な生物だと思っていた笠原だが、人間を(あざむ)く程の高い知能と、他の動物と同じ様な親子の関係がある事に、勝手に見下し誤解をしていた自分を責めた。


「トルザさん、俺…何ていうか、リリィがあの小さな野人を殺さなくて、本当はホッとしました。」


 トルザは笠原の言葉を聞いて、難しい顔をした。


「野人に殺されたアルノや他の仲間の事を考えると何とも言い難いが…まぁ俺もそんな所だ。あんなチビなのに一人で立ち向かってくるなんて、少し関心しちまったよ。」


 笠原は大きく頷き、自分が言いたかった気持ちがトルザと同じで安心していた。


「俺も同じ事思いましたよ。あの小さな野人の行動って、俺達人間と何ら変わりは無かった…あっ、もしかしてリリィは…。」


 笠原は何かに気が付いた様子で、リリィの方を見つめる。


 その時、リリィはスッと立ち上がって船尾にいる二人の方へやって来た。


 そして突然、彼女の瞳から一筋の涙が頬を伝って滴り落ちる。


「私は…私は間違っていたか…?奴らは私達の敵だ…アルノも奴らに殺された。でも私は、情けをかけた…。」


 リリィは言葉を発するごとに涙が溢れて来ていた。そしてその場に崩れ落ち、声を上げ泣き(わめ)いた。


「リリィ…。」


 笠原はそんなリリィの肩に優しくてを置き、自分の気持ちを素直に伝えた。


「俺は、リリィがあの小さな野人を殺さなくて良かったと思ってる。例え敵だとしても、どれだけ憎い相手でも、あの時の小さな野人は決して俺たちの敵じゃ無かった。俺たちと同じ、大切な物を命をかけて守りたかっただけなんだよ…きっと。」


 リリィはあの時からずっとこの事に対し葛藤していたのだ。憎むべき敵に、情けをかけた。今まで心を無にして野人を斬り続けてきたのにも関わらず、あの小さな野人の行動を見た時、自分の心が揺らいだのだ。


 その小さな野人が見せた命がけの勇気ある行動に、リリィは何かと重ね合わせてしまったのだ。


 その何かとは、リリィの兄のフィリィであった。


 フィリィも同じく、自らの命をかけて大切な人を守り抜こうとした。


 そんな兄フィリィと同じ様な一面を憎むべき敵が見せた事によって、今まで自分がして来た行いに自信が持てなくなってしまったのだ。


 そんなリリィに、トルザも優しく声をかけた。


「リリィ、俺はな、お前の気持ちがよく分かる。野人を斬っている時、いつも俺自身が分からなくなっちまう時がある。もちろんアルノや仲間の事を考えると、奴らが憎くて堪らない。だがな、俺だって奴らを殺したくて殺してる訳じゃねぇ。むしろあんな(ちい)せぇ奴まで斬るこたぁねぇって思うよ。だからよ、リリィ。お前は何も悪くない。フィリィが生きていたら、きっと同じ事を言う筈だぜ。」


 そんな二人の言葉に、リリィは泣きながら小さな声で言った。


「うっ…うっ…ありがとう。」


 笠原とトルザは顔を見合わせ、お互いに安堵の表情を浮かべた。



 *2*


 しばらく穏やかな波に揺られ、三人はまた和やかな雰囲気に包まれていた。


 リリィの心に潜む物が完全に無くなったとは言い切れないが、少なくと二人のお陰でリリィはまた可愛らし笑顔を見せてくれる様になった。


 若い頃からミレナスの戦士となり数々の危機に直面してきたリリィは、知らぬ間に敵と見なされている対象の命を奪う事に何の抵抗も無くなってしまっていた。


 だが今回の一件によって、その心が揺らぎそして葛藤し、僅かだがリリィ本来の人間らしい心を取り戻したかの様であった。


「二人とも…その、さっきはありがとね。」


 リリィは少し恥ずかしそうにしながら笑みを浮かべた。


「よぉし!それじゃあ、ミレナスに戻ったら三人で飯でも食うとするか!はははっ!」


 トルザはこの雰囲気に気を良くしたのか、気前よく笑って話していた。


 だがそんな時、三人のいる場所から北東の方角にもう一隻のシドラ船がやって来るのが見えた。


 リリィは目を細め、そのもう一隻のシドラ船を見つめた。


「あれは…スラン達の船だ。でも何か変だわ…。」


 そのもう一隻のシドラ船はスラン率いる第五護衛部隊の物であった。


 だが様子がおかしい。スラン達の船からでもこちらの船が見える位置にいるにも関わらず、何の合図も無い。それどころか、船の上に人影が見えないのだ。


「誰も乗ってないのに、どうしてシドラが…?しかも私達と同じ航路、ミレナスに向かってるわ。」


 普段シドラは船を引いていない時や身の危険を感じた時以外、単身で行動する事はしない。そのシドラが誰も船に乗せずにミレナスへ航路を取って進んでいるのだ。


「ヒューイ、もっと近くに寄ってくれる?」


 そう言うとリリィはヒューイの首から伸びている手綱(たづな)の様なロープの左側をクイっと引いた。


 三人を乗せた船は徐々に第五護衛部隊の船へと近づく。そしてその船内が見える位置で三人が目にしたのは、脇腹から血を流して倒れているスランの弟のセランであった。


「セ、セラン!!どうした!?」


 リリィはその無残に横たわるセランの姿を見るなり、船から船へと飛び移った。


「うっ……うぅ…。」


 辛うじて意識があったセランだが、彼は言葉を話すことが出来なかったので、その場で(うめ)いてるだけであった。


 リリィはすぐ様その傷口を確認する為、セランの衣服を小刀で裂いた。


 幸いな事に致命傷は間逃れていたが、傷は深く出血が止まらずにいた。


「こ、この傷…。」


 セランの脇腹にはスッと綺麗に切り裂かれた痕があり、それは野人によるものでは無いとすぐに分かった。


 リリィはその傷痕を見て険しい表情をし、歯をくいしばる。


「トルザ…急いでミレナスに戻りばば様に状況を伝えてくれ。それと、医療部の者に重症患者の手当ての準備をさせておいてくれ。私はここで応急処置をしてから急いで行くから。」


 只事では無いと悟ったトルザは、一度頷きすぐにヒューイの手綱を引いて速度を上げてミレナスへ急いで向かった。


 その場に残ったリリィは自らのマントの端を切り、それをセランの傷口に当てがい、心配そうに言う。


「少し痛むぞ…我慢してくれ。」


 そしてリリィは傷口をグッと抑えつけ、その上からマントの切れ端を使いセランの胴回りをぐるりと巻いた。


「これでよし…と。大丈夫か?」


 セランは顔を歪めながらコクリと頷き、口を僅かに開け覚束(おぼつか)ない声を絞り出した。


「あぃ…がろぅ…。」


 リリィはセランの言葉を理解し、優しく微笑んだ。


「なんだ、”ありがとう”くらいは言えるんだな。」


 リリィはセランの肩を軽く叩き、急いでミレナスへ向かう為にシドラの手綱を引いた。

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