ベルポスト
その人は突然私の前に現れた。誰も入れないはずのこの森に、突然。颯爽と。
私の住むこの森は、心がきれいな人しか入れないのだとご神木が言っていた。それが本当なのかは誰にもわからないのだけど。外にこの森の存在が知れているかなんて、森の中にいる生物にはわからないから。
私の母親はここに小さい時に来て、ここで育った。だから私は生まれた時からここにいるし、周りには植物や動物たちしかいない。そのため、私の心が大きく汚れてしまうことはないようだ。
しかし森の外に住んでいる人間は多くの人間と関わるからどうしても、何かしらの悪い感情を持ってしまうようだ。煩悩というのが108個もあるらしい。だから、相当な幸せな人じゃないとここには来られないと思う。もっとも、母親以外の人間と関わったことのない私は、人間と関わる楽しさも辛さも、何もかも知らないけれど。
しかし突然私の前に現れたその人は、普通に今までずっと外で生活してきた人だった。そして他人の手によって、利き手である右の腕のひじから下を奪われた人だった。
心を濁しても仕方がない状況にずっといたはずなのに、なぜかこの森に現れた。
利き手を奪われ、恨まないのだろうか?憎たらしくないのだろうか?痛かったはず。辛かったはず。なのに…
ここにいるということは心がきれいだということになる。
それは偶然かもしれなかった。奇跡かもしれなかった。
それでも、ここに来ることができたその人が、私は気になって仕方がなかった。それは、いつからだっただろうか?
彼の名前はインヴェルノ。冬という意味らしい。やさしい海色の瞳。そして淡い金髪の長い髪をくくって垂らしている。さっきも言った通り右手がない。
比較する相手がいないから説明しがたいけれど、格好いいのだと思う。彼の顔には、人の目を引く魅力があると思う。多分、だけれど。
*
草が揺れた。
声かけられたのは突然、後ろから。
「ねぇ。君はひどく幼く小さく見える。」
そういう声に私はひどく驚いた。いるはずのないものがそこにいるのだから。
その上初対面一言目で幼い、小さいなんて。なんて失礼な。
でも私は腰を抜かすわけでもなく声をだしびくりとするわけでもなく、平然を装って後ろを振り返り、問い返す。
此処に来られた人間だからと言って警戒しない理由にはならない。たまたま手違いか何かで、ここに入ってしまった怖い人かもしれないから。
「なぜそんなことを聞くの?」
少し、咎めるような口調で言った。彼はすぐに答える。
「だってここにはきみしかいないみたいだから。どうやって生活しているのかなって。…まあ僕にはここがどこかなんてわからないけれど。」
彼は突然ここに迷い込んだはずなのにひどく平然としていた。私の咎めにも一切動じず、言葉を返してくる。
だから私も平然と。
「…前はお母さんがいたけど、外に行ってしまって帰ってこないの。それが4年前くらいの話。その時はもう18だから生活面に問題はなかったね。」
落ち着いている知らない男を見て、ウソをつくという選択肢を持っていない私は正直に答えた。嘘をついたら泥棒になってしまうと言われているから、嘘をついちゃいけない。
「じゃあ今22…?」
素っ頓狂な声を出して言う彼。そんなに驚くことなのだろうか?これはまたご生憎さま、なんで驚くのか私にはわからない。22歳の平均的な見た目も知らない。
「そう。22歳。さっき言っていた幼く見えるのっていうのは、たぶん植物に成長を分けているせいだと思う。」
「成長を分ける?」
「そう。私の寿命が減るわけでもなく、ただその成長の過程を分けているのよ。たとえば早く花を咲かせるとかね。もっとも、そんな使い方はしないけれど。」
私には生まれた時から不思議な能力がある。動植物と会話ができること。成長を分けられること。
因みに成長を分ける能力の使い方といえば、大きな木のせいで日が当たらなくて枯れそうな芽を日があたる高さまで成長させたり、芽が出そうで出ない種に力を貸したりと、植物のためになるように使う。無理やり成長させることは絶対にない。花を早く咲かせるなんてひどいことだ。
「へぇ…面白いね」
彼は微笑んだ。その顔はなんだか心があったまるような素敵なものだった。なぜかはわからないけど、とにかくやさしそうな、暖かそうなそんな顔。
警戒心少しほどける。
この時かもしれない。私が彼に興味を持ったのは。ここが最初。この笑顔が。
彼は言う。
「ねぇ、君の名前はなぁに?」
ゆっくりとしたペースの、柔らかい声色の、彼の言葉。
しっとりと、私の心に入ってくる。
「私はシルカオ。森という意味だと聞いているよ。」
言おうと思ったことをそのまま口にしてみる。彼からはまた言葉が返ってくる。
4年ぶりの同じ人間との言葉の渡し合い。なんだかむず痒い。
「いい名前だね。森と一緒に生きている君にはぴったりだ。きっと君は運命共同体ってやつなのかな?…聞いたからには僕からも名乗るのが礼儀ってもんだよね…えっと僕はインヴェルノ。冬という意味だ。冬生まれだから冬。そのまんま。」
律儀に自分の名前と意味まで説明してくれた。
「どこの言葉かわからないけれど、響きがあなたにぴったりだと思うよ。」
私は自然とほほ笑んだ。
いつの間にか私の、彼…インヴェルノに対する警戒心はほとんどなくなっていた。そう、いつの間にか。
「ありがとう。シルカオ。そういわれたのは初めてだ。」
彼はうれしそうに笑った。
また、私は微笑む。そうしたいと思ったから。
「…ところで、ここから出るにはどうしたらいいの?君は知っている?」
その発言を聞いて少し。少しだけ残念に思ったような気がするけれど、きっと気のせいかな。私はすぐに答える。
「出たいって思えばすぐに出られるはずだよ。お母さんがそうしていたから。出たいって思いながらちょっと歩くだけ。」
私がそういうと、インヴェルノは少し考えるような顔をして言った。
「もう一つ、聞かせて。今はいかなきゃいけないところがあるからそこに行かないといけないわけだけど…またここに来るにはどうしたらいい?この森、すごくきれいだからまた来たいのだけど。」
また、この人が来てくれる…?また、お話しできる?
不覚にもそのことがうれしいと思ってしまった。さっきまで警戒していたのにもかかわらず。残念に思ったのも気のせいじゃないかもしれない。
そんなことを考えていたら、不思議そうな目がこちらをじっと見ていた。返事が遅くなってしまったようだ。私はあわてて答える。
「来たいと思えば来ることができる。きっと。」
自分はやったことがないし、わからないけれど。そうであってほしいと思ったし、言うことで本当になるかもしれないから、なんて思いながらそう言った。
この人がまたここにこられますようにと願いを込めて。
「ありがとう。またくるからね、シルカオ。」
そして彼は数歩歩いて私の前から消えた。
そのあと私は足の力が抜けてその場に座り込んでしまった。夢を見ていたような初めての状況に、自分は知らず知らずに緊張をしていたらしい。
外の人間がさっきまでここに。そして不覚にも私はその人に対して警戒心を忘れて…。
私のことを心配したのか、近くにいたウサギが私に言う。
『シルカオ。大丈夫?あの人はだぁれ?』
無邪気なウサギ。人の気は知らない。
「私は大丈夫だよ、うさぎさん。あの人はここに迷い込んでしまったんだよ。それだけ…」
自分に言い聞かせるように言う。迷い込んだだけ。来たかったわけじゃない。ただ、迷い込んだだけなのだ。もう会うことはないのだ。ここに来れたのも奇跡。もう彼が来ることはできないのだ。
『そっか。いい人そうだったね。残念だね。』
やっぱり人の気なんて知ったことではないウサギが言う。
「うん。そう。とても、いい人に思えた。残念…なのかな。」
『気になる?シルカオ。気になるのでしょう?』
ウサギが私に問う。問いというより誘導尋問か。そう聞かれたらNOとは答えにくいだろう。
「…そうね。気になるわ。でも彼はもうここには来ないと思う。」
率直にそう思った。心が汚れていないにしても、ここに来るのは奇跡的なこと。母親だって外に出ていったきり帰ってこられていないわけだし。帰ってきたいとも思っていないかもしれないけれど。
『それはどうかな?待ってみなよ。シルカオ。大丈夫さ。きっと来る。』
何の根拠もないのにそんなことをいうウサギ。今の私にはあんまりうれしくない。せっかくもう来ないのだろうと、自分に言い聞かせているというのに。
でも、ウサギは何も悪くない。私のために言ってくれているのだから、感謝をしなければ。
「ありがとう。うさぎさん。」
そうとだけ言った。
そしてうさぎは森の奥に去って行った。
ウサギに言われたことを思い出す。“気になるのでしょう?”
気になる…気になるのだろうか。そう。気になる。
インヴェルノのことがひどく気になる。こんなこと今までなかった。とにかく気になって仕方がない。ただそれだけ。
*
私はその次の日から毎日。インヴェルノが再びこの地を踏むのを待ち続けていた。朝から晩まで、植物や動物と戯れながらも彼のことをずっと考えていた。
いつもなら植物や動物と関わっているときは、余計なことは全部忘れることができるのに、インヴェルノのことは忘れられなかった。
『きっと大丈夫。くるさ!』うさぎは言う。なぜか自信満々で。
『シルカオ。ずっとうわの空よ?どうしたの?』 花が言う。心配したような声で。
『あの人は何なのだろう。』シカが言う。疑問符をにじませて。
『なぜここに入ってこられた?』ご神木が言う。自分を責めるように。
みんな、インヴェルノのことを気にしていた。外で生まれ外で育った人間のことを、ずっと考えていた。
毎日同じ人のことを考えていたら、さすがに気持ちというものは募ってしまうものだ。
少しの時間しか話していなかったせいか、余計に想像力が掻き立てられてしまい、彼のことを考えてしまう。そしてまた、周りの動植物がごちゃごちゃとあの日のことを言ってくるものだから、忘れることができない。
そのせいで毎日彼のことを考える羽目になり、会いたいという気持ちが募ってしまったらしい。その気持ちが恋愛感情なのかはわからない。少なくとも今は違うと思う。
私はその日もあの日のことを思い出していた。日に日に募る彼への思い。興味。期待。
それも限界に近い。
何度も何度も思い描いた再会の図。あと一回。あと一回でいいから、もう一度彼に合わせてください。私はそう願った。
今日もまた、来ないのだろうなと思った瞬間だった。
がさりと。あの時みたいに、草が揺れる音がした。
まさか、と思った。まさか、来られるはずなんて…。
草がなった方向を見ると待ち焦がれたインヴェルノが立っていた。
しかしいざ前に立たれるとどうしたらいいのかわからない。もっといろいろな事柄に対して、適応能力が高い達者な脳みそがほしかった。いまさらもう遅い。
私からは何も言えず、ただただ彼を見つめていると…
「やっとこられたよ…。なかなか入れないものだから、困った。」
そういって彼は笑った。
人の気も知らないで!そう思ったけど顔にも声にも出さず、というより出せず。
「久しぶり。インヴェルノ。」
そうとだけ言った。
久しぶりに見たインヴェルノはあの日と大して変わらない。違うところと言えば、少し荷物が多いかなと、それぐらい。
「君に逢いたかったのは僕だけなのかな?ひどいな~また来てほしいような眼をしたくせに!」
彼は冗談めかして、へらへらしながらそう言った。
冗談っぽかったけどその発言にびっくりした。逢いたい?インヴェルノが、私に?
「逢い…たかったの?冗談?」
「冗談じゃないよ?」
よくわからない人だ。冗談じゃないならもっとまじめな顔をしていってほしい。分かりにくいから。
「ずっとここに来たこととシルカオのことが忘れられなかったんだ。気になって気になって仕方がなくてさ。」
私だけじゃなくて、インヴェルノも気になっていたんだ。
ようはお互いがお互いのことを気にしあっていたようだ。
「実はね、もうここに住んでしまおうと思って。絶対来られるって思っていたから、もう帰らなくてもいいように全部売り払っちゃったんだ。向こうのもの。」
何を言い出すのだろうこの人は。私は呆気にとられた。もしかして、馬鹿なのだろうか。物を売り払うということは…インヴェルノにとってこの森に入ることは、決して奇跡ではなくて必然だというのか。
確かに私はきっと来られるといったけど、実際もう二度と来られないだろうと思っていたわけだし。自信過剰なの?
私はあっけにとられたまま、答える。
「うん…。うん…?売り払っちゃったの?ここに住むの?」
「だってこんなにきれいなところを知っていて、あっちに住むのはちょっとしんどいものがあるよ。」
笑顔でそんなことをいうものだから、今までの感情が一気にこみあげてきてなぜか涙が出た。相当適当な奴なのか、この人は!本当に、変な人!
「何をしているの…!?私がインヴェルノのことを嫌いと言ったらどうするの!?来られなかったらどうしていたの!住むとこなかったらどうするの!」
「考えてなかったなぁ…。」
そういってまた笑う。なんて能天気なやつ。
なんだか、めそめそしてたいしてものを言っていない自分にイライラして、投げやりに私は叫んだ。やけくそである。
「待ってたよ!なんかよくわからないけどずっとインヴェルノが気になって。ずっと待ってた!遅いよ!馬鹿!」
自分でも何を言っているかよくわからなかったけど、やけにすっきりしたのでよしとする。
私の投げやりな叫びに対して、やっぱり落ち着いた雰囲気で彼は返す。
「気になるの?」
なんでそこにつっかかるんだ。いつもの調子なら、そうかえしたかもしれないが今は残念ながらヒートアップ中である。
「うん。そうだけど?」
「好き?」
「…好き?」
好き。これまた残念ながら私は恋愛というものをよく知らない。確かに気になるけど好きかはわからない。
「わからない。けど、インヴェルノが帰ると言ったとき、いやだった。」
気になって気になって、ほかのことを考えられなくなるぐらい、インヴェルノの存在は大きかった。
「じゃあとりあえずここにいさせてよ。いい?」
「うん…。」
「ちゃんと僕のことも考えてくれよ?」
「…わかった。考えてみるよ。」
もしかして、これが恋~!?的な展開には、生憎ならない。
そのあと、私は家にインヴェルノを連れて行った。一人で住むには大きすぎる、木造建築の家。母親が私に残したもの。
「大きな家だね…誰が作ったのかな?」
口を開けて驚いている彼をみて私もふと考える。自分が物心ついた時にはそこに存在していたこの家。だれが、いつ作ったかなんて聞いたこともない。
「わからない…考えたこと、なかった。」
「そっか。誰も自分の家を作った人の顔なんておぼえてないもんね。」
そうはいうものの、私はここにいた人間というのを母しか知らない。母は力が強い方ではないし、そもそも一人で家を作ったとは考えにくい。結構な大きさの家だし、少なくとも数人の男が必要だろう。それと道具が。
インヴェルノは何となく聞いたのだろけど、思えばすごく気になることである。母が帰ってくるならば聞きたいが今更帰ってくるとは思い難い。
気になるけど、答えを見つけることはできなさそうだ。母が日記でも書いていて、それが残っていたらわかるかもしれないが、あの適当な人間がそんなことをするわけがない。
「誰が作ったんだろうね…。」
さらさらと会話は進んでいく。お母さんとはとても仲がいいわけでもなかったから、こんなことは初めてでまたびっくりする。
「ねぇシルカオ。僕、本当にここに住んでいいの?」
いまさら何に怖気づいているのだろうか。さっきの勢いはどこに行った?
「いまさら何を言っているの。帰る場所、ないんでしょ?好きなだけ居座ってよ。とことん。ね?」
私はインヴェルノに、ここにいてほしいという期待を込めてほほ笑んだ。恋愛感情があるのかわからないにしても、もうずっとインヴェルノに気をとられるのは御免だし、もともと一人でいることはあまり好きではないのだ。だから。
すると彼は笑った。
「大丈夫。どこにも行かないよ。今更君を一人にするつもりはない。22歳とはいえ、なんか心配なんだよね…。」
見透かしたように言うものだから。やっぱりこの人すごいなぁなんて思った。
「ありがとう。インヴェルノ。」
そして私たちの新しい生活が始まる。
こんな言い方をしたら新婚生活みたいだけどそういうわけではない。インヴェルノが私たちの森に来た、それだけの話のはず。
私は植物や動物とお話ができるけれどもちろん彼はそうはいかない。けれど、彼は私の友達にやさしく微笑みかけてくれた。
声は聞こえないはずなのに、耳を傾けているようなその姿勢に、微笑ましい気持ちになった。大事な友達を大切に思ってくれるのはやっぱりうれしいものだ。
『いい人じゃない?シルカオ。』
彼に聞こえないことをいいことにみんながいろいろ言ってくる。こんなときだけ、無駄に威勢のいいこと。
「もう!そそのかさないでよ!」
こっそりと言い返す。
「どうしたの、シルカオ?」
気にしないでいてくれたらいいものを。
「…気にしないで!」
みんなに笑われた。
こんな生活を始めてから結構たった。相変わらず私とインヴェルノはさわやかに会話をするだけである。…とはいかない。そうだったら平和だったと思う。
私の気持ちが変わってきたのは最近の話。
インヴェルノがニコリと笑うたびにどきっとする。インヴェルノが話しかけてくるだけで心拍数が上がる。さてどうしたものか。
何か大きな出来事があったわけでもないのに、突然こんなことになる理由が本当にわからない。ずっと仲良くやっていけたらいいな、なんて思っていたわけで、自分の感情に変化が起こるということを想定していなかった。
どうしたらいいのかもわからない。何もわからない。ご神木に聞いたら彼に聞いてみなさいっていうし、お花たちに聞いても笑われるだけ。
そう、自分で気づかないといけない。自分の気持ちには、自分でけりをつけないといけない。分かっているけど。方法はわからない。
また月日はたつ。私はインヴェルノとの生活にすっかり慣れて、家事の分担などもして充実した生活を送っていた。
二人の生活は一人で暮らしていた時や母と一緒に住んでいた時よりも安定感があり、安心して毎日を過ごすことができた。
そしてその中で、だんだんインヴェルノへの気持ちを自分の中で考えて確認していった。毎晩、考え続けた。自分が納得のいく答えを見つけるために、ひたすらに。
そしてたどり着いた答えが、「好き」だった。
一緒に暮らし始める前に聞かれた好き?がずっと突っかかっていた。
好きといえるものはこの森のものみんなだけだった。しかしそれはなんというか場を共有している仲間意識のようなものだ。
だから人間に対する感情というものがどうもよくわからなかった。
しかし、インヴェルノと生活をしていくうちに同じ人間に対しての親近感とか、性別の違いゆえの信頼感とか。いろんなものを感じてだんだんわかってきたのだ。
心の奥底から、湧き出てくる。好きだなぁって。頼れるなぁって。
だから言おうと思う。よくわからないところも含めて全部。伝えてみようと思う。会話の中で伝えることの大切さも知ったから。
ご神木に伝えてみることを言ったらやさしくいっておいでと言ってくれた。
だから私はその日、いつもより早くインヴェルノと一緒に家に戻った。話があるからと言って。
私が緊張した顔をしていたせいか、インヴェルノは不安げな顔。何かがあったのかと思ったのだろう。
「シルカオ。話ってなぁに?…帰れなんていうわけじゃないよね!?今更そんなこと言わないよね!?」
焦ったように言うものだから少し笑ってしまった。
「違うよ…!えっと、あの~」
やさしい目をして待っているインヴェルノ。言わなければならない。ちゃんと自分の言葉で伝えると決めたのだから。
一息ついて、声に出す。話しだしたら、行き止まりなんてものは存在しない。
「私ね、この数か月間いっぱい考えたの。インヴェルノとの生活の上で私はあなたに対して何を思っているのか。あなたの存在が私にどんな影響をもたらしてくれるか。」
うなずきながら、でも何も言わずに私の次の言葉を待っていてくれる彼。そういうところがいいところだと思う。本当にありがたい。
「私、一人でいた時よりも今のほうが楽しいの。インヴェルノと会話をすることが何よりも楽しいの。楽しくて仕方がないの…。だから、うまく言えないけど。ずっとここにいてほしいし、どこにも行ってほしくないし…。えっと、好き…だと思うんだ…。」
彼はにこりと笑った。やっと言えた。
「がんばったね、シルカオ。なんかいっぱい考えさせて申し訳ない。僕もね、シルカオと一緒にいるのが好きだしずっとここにいたい。ずっと、初めて見た時から好きなんだ。シルカオが。」
びっくりした。初めて会った時と変わらず彼はいつでも平然とした顔をしているから何もそんなことを考えているとは思いもしなかった。
「ほんと?私と一緒?」
「ずっとオーラ出してるつもりだったんだけどなぁ…。逢いたかったとも言ったのに。」
「わからなかった!」
「鈍感。」
鈍感…前、ボリジに言われた。いや、あの花は花言葉が鈍感だからか…な?
とにかく、嬉しかった。同じ気持ちを共有できることが幸せに感じられた。これもまた初めての経験。
「好きなんだよ、シルカオ。」
訴えるように言わないでほしい。答えるから。
「私も…す、好きです。よろしくお願いします…?」
「うん、よろしくね?シルカオ。」
そんな告白をして、私たちの関係に恋人という名前がついてもやっぱり私たちの関係はさほど変わらない。家事の分担が変わるわけでもなく、話をする内容が変わるだけでもなく。
出会った時からあっさりしていたし、今更べたべたしようだなんて思えない。
でも、少しだけ。お互いを見る目がやさしくなったかなと思う。私は迷いから解放されたし、インヴェルノもまた大好きオーラを放ったりしなくていいから楽になったようだ。
お互いが楽に、心置きなく過ごせる関係は理想的だと思う。個人的に、とても心地がいいから。
私とインヴェルノの出会いも突然だったけど、関係が変わるのもまた突然である。
それは突然だった。私の母が、森に帰ってきたのだ。インヴェルノは家の中にいたから、まだ気づいていない。
「ただいま、シルカオ。元気だった~?」
そんなふうにのんきに聞いてくる。私が成人したとはいえ、さんざん娘をほったらかしにしておいて、いまさら何をしに戻ってくるというのだろうか。心は濁ってないのだろうか。
「なんで帰ってきたの?ずっと家を空けていたのに。」
「少し恋しくなったのよ。彼とケンカしたの。でも長くはここにいれないのよね。心がドロドロだから。」
そういう母の身体は心なしか透けているように見える。どうやら寝ている間にでも、ここに来たのだろう。
しかし、なんでこんなことをするのだろう。せっかく自分には親がいないと割り切っていたのに。
父も母も、ずっと向こうにいったきりかえってこないせいで、ほとんど一人でいたのに。
動植物がいたからさびしくはなかったけど、少し切なくなったのに。
「あ、シルカオ。もう私ここにいれないみたい。ご神木がお怒りだわ!!じゃあね!!」
ぎゃははと汚く笑いながら、母は私の目の前から消えた。
ここにいるときも、ずっと父のことを言っていた。子育てなんて面倒くさい。彼に会いたいとずっと言っていた。
ずっと私の精神状況を乱し続けていたのはあの人だった。
「なんで私の心をかき乱すのよ…。あの人は…!!!」
その場にうずくまると、心配したような声でタンポポが私に言った。
「大丈夫?シルカオ。気にしなくていいわ。こういうときはインヴェルノに頼りなさい。」
インヴェルノに…?
親との問題は、私個人の問題だ。他人を巻き込むのは…間違っているんじゃないの?
私がその場から動けずに固まっていると、後ろから声がかかった。
「シルカオ!大丈夫?」
私は、頭がこんがらがっているのもあってすぐに返すことができなかった。
「シルカオ。お母さん、来たの?」
インヴェルノがそう言った瞬間、私は思いっきり振り返った。
「見てたの?」
「見てないよ。」
「じゃあどうして…。」
なぜインヴェルノが、なぜ?
「そこにいるリスが見ていたらしい。教えてくれたんだ。」
「もしかして、動物とお話しできるようになったの?」
外から来た人間が、できるようになるなんて。今までそんなの聞いたことがない。ご神木が、インヴェルノを認めた?森にいることを、認めたの?
「そうなんだ。さっき突然ね。植物はダメみたいだけど。」
「すごい…すごいよ、インヴェルノ…!」
私はさっき起こったことも忘れて感激した。だって、これでインヴェルノが森に認められという事だもの。植物と話せるようになるのかはわからないけど。
少なくとも動物と話せるようになったということは、ご神木がそれができる能力を与えた以外に理由が見当たらない。すごい。
嬉しかった。インヴェルノがやっと、ご神木に認められた。この森の神様みたいな存在のご神木に。
「で、シルカオ。僕のことはいいんだ。君のことが話したい。さっきは君のお母さんが来ていたんだよね?」
そのまま忘れてほしかった。あんまり人を巻き込みたくない。ただの私の悩みだもの。
「来ていたけど。気にしないで。いいの。」
インヴェルノは私にとってとても大切な存在だ。だから、私の弱みはあまり見せたくないものだ。
「気にするよ!!シルカオがうずくまるくらいだ。悩んでるんでしょ?親のこと。頼ってくれよ。」
珍しくインヴェルノが声を荒げた。相談していいのかな?
私としてはあんまり人を巻き込みたくないのだけれど、話して楽になりたいというのはある。
「…ごめんなさい。頼らせて、インヴェルノ。」
母が昔からあんな感じだったせいで、人に相談するという事を知らなかった。そもそも悩みなんてほとんどなかったし、お花たちがいやなことがあれば慰めてくれたりもしたからいろいろあんまり気にしたことがなかった。
伝えないとダメなのは最近気づいたはずなのに。
「いいんだよ、それで。たまには話してごらんよ、悩みとか。」
インヴェルノの瞳はやさしい。最近は意識していなかったけど、この人は利き腕を取られた人だ。生活に不便もたくさんある。私なんかよりずっと苦労している…。
自分のことでいっぱいいっぱいになりそうな状況にいる人が、自分に頼れという事は容易なことではないはずなのだ。
私は、初めから話し始めた。親とのことを。
「話す…ね。長くなるかもしれないけれど許して。」
「構わないよ。心置きなく話してくれよ。」
私のお父さんは、インヴェルノと同じように外の人だった。私の父と母が出合ったのは、ここじゃなくて外。
私の母はここがあんまり好きじゃなくて、18くらいの時外に出た。そこで父と出会った。そのまま私を作っちゃったってわけ。
森の血が入っている人間は、成人するまで外には出られないと決まっているらしくて。母は父を置いて、私のために森に戻った。もっとも、母は私になんか愛着はなくて、父が殺すのは気が引けるといったから森に戻っただけだけど。
そして、お母さんは年に数回父に会いに行きながら18まで私を育て、役目を果たして去って行った。
「私が五歳になるころには、母は年の4分の一ぐらいを外で過ごすようになったの。だから、さびしかった。森に自分しか人間がいないという状況は、子供心には結構しんどかった。だから…もう、あんまり顔を出してほしくない。いまさら私に関わるのはやめてほしいって思う…。」
私は一気に話した。インヴェルノが口を出す暇がないぐらい。
みっともない話だもの。さびしい思いをさせた親に会いたくないってそれだけの話だもの。
「シルカオ…。仕方がないよ、子どもだったら親と一緒にいたいのは当然だ。自分の生みの親を嫌いになれる子供はいないよ。」
インヴェルノは私をそっと抱き寄せた。そして利き手じゃない方の手で私の頭を撫でた。
「インヴェルノ?」
「忘れろとは言わないけど、君の両親のことで僕が眼中になくなるのは嫌だな?…僕は消えたりしないよ。」
消えさせるものか。消えたらその時は地の底まで迎えに行ってやる。
「ありがとう。そうだね、今はインヴェルノがいるもんね。とりあえずここまで育ててくれたお母さんに感謝でもしておくよ。」
私がそう言うとインヴェルノはにっこり笑って私の頭をぐりぐり撫でた。
くすぐったくて、自然と笑みがこぼれる。
「その意気だ、シルカオ!!恋人の僕がいるんだから大丈夫。」
そう。インヴェルノは恋人であり唯一の友人であり美しい人。この人ならば信用してもいいと改めて実感する。
人に腕をとられてもなお、まっすぐに生きるこの人に頼れない方が罪かもしれない。
「やっぱり好きだな。インヴェルノのこと。」
インヴェルノが赤い顔をする。なんでこういう時に照れるのかが分からない。なぜか私も恥ずかしくなってきたので、勢いでインヴェルノにキスをして…逃げた。
久しぶりに全力疾走をしたような気がする。そもそも体力なんてものは持ち合わせていないし、全然走れなかった。
すぐにインヴェルノが追っかけてきてつかまえられてしまった。
「なんで逃げるの?あ、つっかまーえた♪とか言ってほしい?」
なんでこんな時に冗談を挟むのかが分からない。まあこういう愉快な人なのは存じ上げている。
「そんな言葉いらないよ!!…勢いで…、ごめんなさい。恥ずかしいの!!」
そういうとげらげらと笑ってくるインヴェルノ。デリカシーのないやつ。
大変むかつくので、顔を見られたくもないし思いっきりインヴェルノに抱き着いた。この選択に後悔はない。
「大胆だなぁ、さっきから。キスするのも抱き着くのもできるのに、ふつう恥ずかしいって逃げるかな?」
「知らないよ!経験がないから仕方ないでしょ!?」
このあといろいろ言い続けたけどインヴェルノがデレデレするだけだったからやめた。
でも話を聞いてもらえて、本当にすっきりした。今までため込んでいたものが一気に亡くなった感じで、不思議な気持ちだ。
インヴェルノにはお世話になりっぱなしで申し訳ない。
*
物事が起こるのはいつでも突然である。
自分以外の人間が起こすことは、私にとってはたいてい突然に思えるのだけど。それにはインヴェルノ以上にびっくりした。
森に、女の子が現れたのである。年齢は17、18ぐらいに見える、きれいな女の子。
背は高くて足は長い。私とは似ても似つかない、そんな美人。
性格のよさそうな顔、声。
「すみません…ここは?」
私にそう聞く声は多少のあざとさを感じるそんな声。わざとか、それとも素なのか。どっちだったとしても、私には関係のないこと。
「見ての通り森の中だよ。どうしたの?」
「お母さんとケンカしちゃって…ぶらぶらしてたらここに来たんです~…。」
のんびりした声というよりは、真の抜けた声だ。心地が悪い…直感的にそう感じてしまった。
「そうなの。…帰ろうと思えば帰れるけど…?」
「合わせる顔がないんです~~~!!!…あのぉ、お家とかに…。」
初対面の女の子に家に入れてくれと頼まれるなど、なんだか変な感じだ。というか絶対自分より年下だと思っているだろう。もうじき23の女の子とは言えない都市の女にそんな扱いをしないで欲しい。
どうすればいいかわからなくて、言葉に迷っているとインヴェルノがやってきた。周りにいた動物に事情を聴いた後、ふむふむといいながらうなずいた。
「少しぐらいならいいんじゃないかな?シルカオ、どう?」
インヴェルノに言われてしまうと、断る気はなくなる。もともと断るすべも持っていないけれど。
「…うん。早く仲直りしてほしいのもあるし、少しだけなら。」
「ありがとうございます~~!」
そういった顔は、家主の私の方ではなくインヴェルノの方を向いていた。
あんまり考えないけどインヴェルノは格好いいと思う。整っているがおっとりとした顔立ちは、相手に安心感を与えるのだろう。
突然現れた少女、ミカはインヴェルノに媚びっぱなしだ。
外ならまだいい。私がずっと住んでいる家で、そんなことをするのだ。
「インヴェルノさ~ん、お仕事とかされてたんですか~??」
「いろいろしていたよ。郵便配達とか。」
「え~?意外だな~~!!」
出会って数時間で何が意外だ。何を知っているというのだ。何も、知らないくせに。インヴェルノのこと。
笑って答える彼も彼だ。そんな楽しそうにして。
でも私はその会話にはいることはできないし、止めることもできないから。
私はこっそり自室に戻り、もやもやしたまま眠りについた。
朝起きたら二人はもう起きていた。
「朝ごはん作ってみました~!!食べますかぁ?」
知らない人にキッチンに入られるのがこんなにもいやだとは思わなかった。しかし表情には出さない。
「ありがとう。いただくね。」
固まった笑顔のまま食卓に出された料理を口にした。
…大変申し訳ないのだがあまりおいしくない。これは料理慣れしていないな。
「どうですか?」
正直あまりおいしくないよ、練習したほうがいいよと言いたいところだけど、やさしい嘘というものがあるのは知っている。
ここはその嘘をつくときだろう。やさしいものでも嘘をつくのは気が引けるが、今回ばかりは仕方がない。緊急事態というやつだ。
「結構おいしいよ。」
これが精いっぱいだった。おいしいよとは、言えなかった。
それに対してインヴェルノは。
「インヴェルノさん、どうです?」
「おいしいよ~。」
言ってあげるやさしさを優先するか、言わない優しさを優先するか。迷いどころである。
ミカは昼食を終えてもインヴェルノにだけ話しかけ続けていた。
「インヴェルノさん~!!」
「なぁに?」
なんというか胸糞悪いってこういう感じなのかもしれない。正直、同じ場所にいたくない。
「ミカさん、インヴェルノに森の案内してもらったら?」
「それ、いいですね~!インヴェルノさん、いいですか?」
「いいよ。」
インヴェルノは一瞬、怪訝そうな顔をしてこっちを見たが私は知らんぷりをした。
すぐに二人は森の中に消えていった。
「さて、後片付けか。」
中途半端に朝食だけ作って、片づけずにインヴェルノに話しかけだしたミカのしりぬぐい。私はいつも通り、食器洗いを始めた。それにしても、もやもやする。
昼になり、とりあえず帰ってきた二人に昼食を振舞った。
ミカはおいし~とかいっていたが、目はずっとインヴェルノの方。私のことなど眼中にないのだろう。…インヴェルノに惚れたのだろうか?
インヴェルノもまんざらじゃなさそうな顔。
…私みたいなちっこいのより、美人の方がいいってことかな。
何を思っても私は気にしないそぶりで、二人の会話を聞いていた。
昼食後も森に出かけた二人を横目に、私はまた片づけを始める。
いつも二人分のものが三人分になり、普段より少し時間がかかる。私はため息をつきながら、皿を洗い続けていた。
皿洗いが終わり時間が空いたので、私は森に出ることにした。
幼いころからずっとそばにあるこの森にいると、やっぱり落ち着く。
うろうろしていると二人の様子が目に入った。
ミカの顔がインヴェルノの顔に近づいていく。これは…。
私は、すぐに振り返って二人とは反対方向のご神木がある方に走り出した。
どれくらい走っただろうか。私は、私の家からはかなり遠いはずのご神木の前にいた。
見るのが怖くて逃げてしまった。インヴェルノがまた外に…。
私は彼を縛るつもりなどないから別に外に戻りならそれはそれでいいけれど、自分が愛する人が他人といちゃいちゃしているところを見て気分がいいわけはない。
私は、ご神木にある大きな穴の中に入った。隠れたいわけではない。ただ、なにか嫌なことがあった時はご神木の真ん中に開いた大きな穴の中に身をひそめるのが昔からのくせだった。
中で体育座りをする。成長を分けているとはいえ、一応自分も成長しているから前より少し狭く感じる。
年月がたったのだとひしひしと感じる。昔のことを考えていたら、ご神木が話し出した。
『シルカオ、心が乱れているぞ。大丈夫か?』
いつでも優しいご神木。昔も母とケンカしたときとかはこうやって慰めてもらった。
「少ししたら落ち着くよ。だから、もう少しここにいさせて?」
『好きなだけいればいい。お腹がすいたらでればいいさ。』
やっぱり、ご神木はいつでも私の味方だ。ご神木に、話してもいいかな?
「ねぇ、なんであんな女の子いれたの?」
昨日からずっと気になっていた。ご神木が見極めを失敗したような、そんな人間だ。あの人は。
『はっきり言って失敗だ。手違いだ。あんなのを入れるつもりはなかったがうっかりしていた。申し訳ない、シルカオ。』
もし、失敗じゃなかったらどうしようかと思った。私は、あの人がすごく苦手だ。男に色目を使うような人は苦手だ。
「そうだったんだ。なら、いいや。出すことはできないんだよね?」
『私には出す能力がない。入れるだけだ。出すのは、こっちと正反対にある小さな芽だ。成長しない小さな芽。』
ご神木や植物たちにも役割分担みたいなのがあるんだなと思った。ひさしぶりにゆっくり話しているけど、前より身近に感じた。
「役割があるんだね。知らなかった。」
『言っていなかったからな。とにかく、本人が出たいと望まなければ一生ここに居座ることもできる。』
それはちょっと嫌だな。自分の家なのに、すごい居心地が悪くなりそうだし。
「いやだな…。あの子がインヴェルノと話してるの。」
『シルカオ、それは嫉妬だな。やきもちともいうか。』
嫉妬?やきもち?それは欲の一種じゃなかったかな…。
「嫉妬…か。あの子に嫉妬ね…。ねぇ、嫉妬って欲だよね?…私も、汚くなっちゃった?」
嫉妬は七つの大罪の一つだと、外でカトリックを信仰している母が言っていた。自然と目に涙があふれてきた。心の汚い私はここにいちゃダメ?
「もう、汚い私はここにはいない方がいい?」
『大丈夫だ、シルカオ。お前は大丈夫だ。恋をすれば誰だって、嫉妬はつきものだろう。ましてやこの森の中。人がほとんどいないから、ストレスも大きい。仕方がない。』
この森から出た方がいいと言われたらどうしようかと思った。涙は今もなお、ぼろぼろとこぼれている。不安で不安で仕方がないのだ。森から強制的に出されることはないにしても、私は大好きなこの森のみんなに心配など掛けたくないから。
「本当に…?」
『私事で申し訳ないが、この森にはシルカオが必要だ。動植物の心のケアはお前にしかできんだろう。インヴェルノも多少はできるようにしたが、これ以上能力を与えればあいつの体に負担になるから駄目だ。シルカオ、この森で生まれたお前にしかできないことだ。』
少なくともご神木は私に外に行ってほしくないようだ。長く生きているご神木でも、話す人間は少ないだろうからさびしいのだろう。
「そうだね。私の意思は森にいることだけ。森と運命共同体なのに、外に逃げちゃいけないね。」
この森を愛し、癒し、元気にする。そして私も、愛され、癒され、元気をもらう。ずっとそうやって生きてきたのだから、いまさらその生活は変わらない。たとえ周りの環境が変わっても、森と私の関係は変わったりしない。
『ああ。この森が死ぬとき、お前の魂も死ぬんだ。だからそれまでは、ここにいろ。』
それは命令形だった。ご神木が私に命令することはとても珍しい。
少し照れ隠しも入っているのだろうけど。
気づけば涙はすっかり止まっていた。
「ありがとう。大分落ち着いたよ。」
『それは良かった。さぁ行っておいで。彼の目を見に。そうしたら全部わかるだろう。』
目を見れば、全部わかる。子供のころからずっとご神木が言っていたこと。ご神木は、目がないから物理的なものは何も見えないけど、なんでも悟れる木だ。でも、人間の私はそんなことはないから、その代わりに目を見るんだとずっと言われていたんだ。
「本当にありがとう。行ってくるね。また来るから。」
『別に来なくてもいいぞ?私の心もシルカオの心も、同じ森にあるのだから。分かる。』
そうだったね。ご神木は森のことなら何でも分かる。でも、私はお話しないと分からないから。また、話に来るね。
本当に、いつもありがとう、ご神木。
さっそく家にいるだろうミカとインヴェルノのもとに行くことにした。
目を見て、話してみよう。私はミカと一切、ちゃんと話をしていなかったから。相手もそれを望んでいなかったようだけど。
インヴェルノとも昨日からまともに話せていないし。
家に向かう途中で焦った様子のインヴェルノが走ってこっちに向かってきた。
「シルカオっ!どこにいたの?!」
「ご神木のところ。」
「ご神木って…結構ここから遠いじゃないか。」
すごく焦った様子のインヴェルノ。何にあせるというのだろうか。まさか、あのあとミカにキスでもされたのだろうか。…まぁいいけど。
「割と遠いけど、別に大したことないよ。いきなれてるからね。…ミカさんは?」
さっきから気になっていたけど、インヴェルノの横にはいない。どこにいったのだろうか。せっかく腹をくくって話そうと思ったのに。
「帰ってもらった。…あの子は、ここに来てはいけない子だね。」
インヴェルノの発言に私は驚いた。あんなに仲良さそうにしてたのに。なんで?
「なんで…?」
「下心丸見えだし、動物たちの文句がすごかったから、ダメなんだろうなって思った。」
「キスしようとしてたよね!!?」
「よけたよ。」
いつから、ミカさんのことをダメな人だと思っていたのだろうか…。
「いつから…」
「最初からだよ。」
「じゃあなんで…!」
なんであの子と仲良くしていたんだ。なんで、私をほったらかしにして…!
いつの間にか目に涙がにじんでいたらしい私を、インヴェルノは抱き寄せた。
「ごめんね。シルカオ。…子供みたいでばかばかしくて本当に申し訳ないんだけど、やきもち焼かせたかったんだ。僕のこと本当に好きなのかなーって…出来心で…!ごめんよ~!」
大慌てのインヴェルノに私はふきだした。インヴェルノもなんだか子供っぽい部分があるんだ。平常心で生きているような人間だと思っていたから、面白い。
「そんなことで人を利用しちゃだめだよ?…インヴェルノが私のことを好きじゃなくなったんだと思って結構焦ったんだよ…もう!」
「ごめんね…。シルカオが植物や動物にばかり構うから、僕のことあんまり好きじゃないのかな~って思っちゃったんだ。」
あははと笑ってごまかそうとするインヴェルノに、一発殴りを入れた。力がないのでまったく効果はないけど。
「そんなことしなくたって、大好きだから…。」
インヴェルノの顔が赤く染まった。
それからというもの、外からの人間の出入りを厳重にご神木が監視するようになり、あの日から来客は一人もいない。
大きいのか小さいのかすらわからないこの森に、インヴェルノと私、二人きり。匹だといっぱいいるけれど。
前と変わらない状況のはずなのに、私とインヴェルノの距離感は大分変わった。
「インヴェルノ。外に行こう?」
「ちょっとまって~もう少し寝させてくれよ~。」
「仕方ないな~…。」
あの出来事以来、私は極力インヴェルノのそばにいるようにした。
もちろん、良い程度に離れたりしながらだけど。
もう、お互いにやきもち焼いたりしないように。程よい距離感を保ちながら。
私もインヴェルノも、もうこの森から出られないだろう。
ずっと一緒にいるんだから、良好な関係を築いていけたらいいな。
今日もどこかにその森はある。
森の中には、大変仲のいい片腕がない男の人と背の小さな女の人がいるらしい。
でも誰も見たことがないらしいから、それはうわさに過ぎない。
ベルポスト
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