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空色少年物語  作者: 青波零也
第一部 空色少年と賢者の行方
92/131

19:作戦会議(1)

 分厚い雲を切り裂き、赤い魚は風の海を泳ぐ。

 窓の外も雲に覆われてしまって、一体自分が何処にいるのか、魚――『紅姫号』の腹の中にいるセイルにはさっぱりわからない。いや、もし空が晴れていたところで、遥か上空からそれを判断するのは極めて難しい。

 だが、『紅姫号』の中を駆け回る真っ赤な飛行服のシエラが、背筋を伸ばしてはっきりと現在の位置を告げる。

「テレイズ領海に突入! こっからが本番、皆、気ぃ引き締めて行くよ!」

 応、とシエラ一味の声が唱和する。その力強さに、セイルはほんの少しだけ安堵して、いつの間にか強く握っていた拳を緩めた。ただ、それでも胸の中に渦巻く不安はなかなか払拭できない。

 自分に、上手く出来るのだろうか。

 何度も何度も、地上を離れてから投げかけていた問いを己に投げかける。

 弱気は悪い癖だ、と思いながらも、どうしても悪い方向にしか思考が回っていかない。越えられない壁だと思っていたブランを打ち倒すほどの力を自覚した今でも、生来の弱気が頭をもたげて離れてくれない。

 すると、そっとセイルの手に触れるものがあった。顔を上げると、横に座っていたシュンランがセイルの拳に柔らかな白い手を重ねて、大きなすみれ色の瞳でこちらを覗き込んでいた。

「セイル。だいじょぶですか?」

「……う、うん。ちょっと、緊張してるだけ」

「わたしも、どきどきしています」

 今度はシュンランの指先がぎゅっとセイルの手を握りしめた。そうすることで、己の「どきどき」をセイルに伝えようとしているかのように。

「でも、それは不安なだけのどきどきとは違うです。やっと、わたしが探している人に追いつけるかもしれません。それはとても怖くて、不安で、それでも少しだけ、期待していると思うです」

 恐怖、不安、そして期待。

 シュンランの言葉に導かれ、曖昧な輪郭を持つ兄の影が、頭の中をよぎる。やっと、足取りが掴めた兄……『機巧の賢者』ノーグ・カーティス。セイルは彼の顔をよく覚えていない。彼についての記憶は、そのほとんどが彼に手によって作られた空を飛ぶ魚の模型と、彼が語ってくれたたくさんの物語によって形作られている。

 つまり、ノーグそのものを、セイルは未だ知らずにいる。

 兄が失踪して、人殺しの異端研究者として指名手配されて初めて異端であったと知ったように。今もなお、セイルは『ノーグ・カーティス』という人物がよくわからずにいる。

 人は言う。ノーグ・カーティスとは血も涙も無い機巧の如き男であり、女神を滅ぼし、楽園を変革しようとしている異端の狂信者であると。それは、シュンランや『ディスコード』を狙うやり方にも現れている、そう言われてしまえば頷かざるを得ない。セイルとシュンランは何度も彼が率いる『エメス』の危険にさらされてきたのだ、事実は否定しようがない。

 だが、それでもセイルの中では、ノーグ・カーティスとはセイルのために飛空艇を生み出す指先を持ち、楽しい物語を語ってくれる優しい兄であり、そして――

 新調した服のポケットに、シュンランからは気づかれないように手を入れる。指先に触れる紙の感触。それは、誕生日に兄が贈ってくれた手紙だった。

『十五歳の誕生日おめでとう』

 兄は、自分の誕生日を覚えていてくれた。誕生日を祝ってくれた。その兄が、ただ冷酷なだけの男だとは思えない……思いたくないだけ、なのかもしれないが。

「期待……期待、か。俺も、期待してるのかな、兄貴に」

 ぽつり、呟くと。

 シュンランはセイルの目を真っ直ぐに見据えてきた。すみれ色の瞳の中に、セイルの銀色の瞳を映しこんで。淡い桃色の唇が、動く。

「セイル。セイルに、伝えたいことがあります」

 その声が、その表情が、あまりに切実さを帯びていて、セイルは目を丸くする。

「え、ど、どうしたの、突然」

「ずっと、伝えるかどうか、迷っていたのです。しかし、セイルには知っていて欲しいことです」

 決然としたシュンランの言葉に、セイルは表情を引き締めて背筋を伸ばす。一体、シュンランが自分に何を伝えようとしているのか、それはわからなかったけれど……否応なく胸の鼓動が高まる。シュンランも、微かに唇を噛むような表情を浮かべてから、ゆっくりと唇を開こうとして……

 突如、強い衝撃が船体を襲った。セイルは咄嗟にシュンランの体を引き寄せて、強く抱きしめる。鳴り響く警報、あちこちから響く、敵襲を告げる声。まさか、こんなに早く? シュンランを庇ったまま思うセイルの頭上で、溜息交じりの声が聞こえた。

「こちらの手は、すっかりバレてるってわけかい」

「ま、そのくらいの判断はしてくれねえと、こっちもやりがいがないわよ」

「ああはいはい、アンタって奴は……」

 顔を上げれば、いつの間にかチェインとブランがそこにいて、この状況でも緊張感に欠ける会話を交わしていた。だが、単に危機感が無いわけではなく、未だ危惧すべき状況ではない、という冷静な判断を下したのだろう。

 その証拠に、チェインはブランを眼鏡の下で睨みつつも言う。

「とにかく、作戦は次の段階に進める、ってことでいいんだね」

「ああ。シエラちゃん、被害状況は?」

 ブランの声に、一拍遅れて前の方にいたシエラから威勢のいい答えが返ってきた。

「煽られただけ、飛行に問題なし! 相変わらずいい予知してるよ、博士」

「よかった。……見えてねえから、精度は不安だったが」

 言葉の後半は、側にいるセイルたちにしか聞こえなかったはずだ。セイルとの対峙以来、何故か未来視――『アーレス』を失ったと言ったブランだったが、それはまだ回復に至っていないようだった。

 それでも。それでも、ブランの明晰な思考そのものは決して衰えてはいない。その事実にセイルは安堵する。

 そもそも『アーレス』というのは、ブランが抱えている莫大な情報量と、人間離れした計算能力によって「最も起こり得る可能性の高い出来事」を導き出す能力であるらしい。そう教えてくれたディスの喩えは「極めて精度の高い天気予報のようなもの」。確かに天気予報とは今まで同じ時期にどのような天候であったか、という過去の情報と、現在の気象状況を照らし合わせて初めて予報として成り立つものであり、ディスの喩えもあながち的外れではない。

 ただ、『アーレス』が単なる「予報」や「予測」ではなく「未来視」と呼ばれる理由は、その演算が瞬間的に行われ、視覚化されることにある、そうだ。ディス曰く。セイルはブランになったことがないから、それがどのような視界であるのか考えも及ばないが、例えば危険を回避しようとするならそのために必要な「手」が、そっくりそのまま視界に映し出されるのだそうだ。ただし、どのくらい先まで手が読めるかについては、『アーレス』の使い手に依存するようだが。

 いくつかの致命的欠陥を抱えているブランは、己の行動のほぼ全てを『アーレス』の予測に委ねていたはずだ。それは、ここしばらく一緒に行動していてはっきりしてきたことでもある。『アーレス』の加護を失ったブランの言動は、妙に頼りないものであったから。

 けれど、それは別にブラン自身の能力が完全に失われたことを意味するわけではない。ブランが持つ記憶力、演算力そのものは『アーレス』とは別物、とディスは言っていた。ただ、それらを一本の糸として結びつけるまでに『アーレス』抜きでは多少時間がかかる、それだけなのだと。

 ブランは氷河の色の瞳でシエラを見据え、言う。

「次の手を打つ。頼んだぜ、シエラちゃん」

「アンタの頼みを聞く気はないけど」

 ちらり、と。シエラはセイルとシュンランに視線を向ける。二人の決意を確かめるように。セイルとシュンランはお互いに顔を見合わせて……その瞳の奥に、答えを見つける。シュンランは迷ってなどいない。何があろうと先に進み、ノーグに会おうとしている。そしてその気持ちは、セイルも同じ。

「……お願いします、シエラさん!」

 セイルの声を聞いて、シエラは満足げににっこりと笑った。

「セイルたちの望みじゃあ断れないからね」

 感謝するんだよ、博士。そう言って、シエラは再びブランに向き直った。ただし、そこに篭められた感情は、セイルたちに向けるものとはまた違う、何処か鋭いものだった。

「この子たちの戦いだから力を貸すけど、始まりはアンタのわがままでもあるんだからね。そこだけは理解しとくことだよ、頭でっかちのお坊ちゃま」

 ブランは目を細め、小さな頷きだけでシエラに応えた。シエラは「本当にわかってるんだか」と呆れて肩を竦めながらも、辺りを駆け回る船員たちに指示を飛ばす。

「作戦二、風船を用意! 遅れるんじゃないよ!」

 再び応、という声が唱和する。その声は、セイルの胸の中に渦巻く不安すらも吹き飛ばしてしまうような、力強さだった。チェインはそんな男たちを「頼もしいね」と眩しそうに眼鏡越しに見つめてから、ブランに向き直って言った。

「で、私たちも出るんだろ?」

「ああ。行くぞ、ガキども」

 ブランはふと口の端に笑みを浮かべて言った。セイルとシュンランは、そんなブランを見上げて同時に頷く。そして、ジャケットを羽織り直し、シュンランの手を引いて駆け出しながら――セイルはこれから始まる「作戦」に思いを馳せていた。

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