表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空色少年物語  作者: 青波零也
第一部 空色少年と賢者の行方
75/131

15:対峙(4)

 拳は、吸い込まれるようにブランの頬に入った。ブランは抵抗出来ないままセイルの全力を受け、後方に弾き飛ばされる。その動きすらもセイルの目には緩慢に見えたが、それも刹那のこと。

 セイルの中の針が止まり、時間が正常に動き出した時には、ブランの体は遥か後方にあった壁に叩きつけられ、ずるずると床に倒れこむところだった。受身を取ることも出来なかったようで、そのままぐったりと倒れたまま動かなくなった。

 一応負傷した右手での一撃ではあったが、怒りに支配された状態だ、ろくに加減が出来るはずもない。そもそも人が間離れした腕力のセイルの一撃、もろに喰らったらひとたまりもない。

「あ……ぶ、ブラン! 大丈夫?」

 流石にセイルも怒りから覚め、ブランの無事を確認しようと駆け寄る。床に倒れたブランの顔はほとんど原型をとどめておらず、口や鼻からはだらだらと血が流れていて、呼吸困難に陥りかけている。その上、打ち所が悪かったのか頭からも血が流れているのがわかった。

『セイル……煽った俺が言うことじゃねえけど、これは、まずくねえか……』

「う、うん」

 頭からさあっと血が引く。いくらブランを殴るという決意を持ってここに来ていたとはいえ、ここまで酷い目に遭わせたかったわけではない。

 どうしよう、と戸惑うセイルを押しのけたのは、今までセイルとブランのやり取りを黙って見ていた女騎士だった。

「退いてください、この馬鹿の手当ては私が」

「あ……ありがとう、ございます」

「それよりも、あなたは彼女を」

 彼女、と言われてセイルははっとしてそちらを見る。壊れた髪飾りの破片を握り締めたシュンランは、しばし何が起こったのかわからない、といった表情で呆然としていたが、すぐに目にいっぱいに涙を溜め、両腕を広げてセイルに飛びついた。

「セイル!」

「シュンラン! ……っていたたた痛い痛い痛い」

 セイルもシュンランを抱きとめ返そうとしたが、右肩の痛みを思い出して悶絶する。

「あ、ご、ごめんなさい。今治すです」

 慌ててぱっと身を離したシュンランは、小さな唇を開く。唇から零れ落ちるのは魔法ではない、シュンランだけの歌。温かな旋律と共に歌われる知らない言葉の歌は、セイルの肩の傷をみるみるうちに癒していく。

 やがて、微かな引きつるような痛みと失血感のみを残して、セイルの傷はすぐに塞がった。

「あ……ありがとう」

「いいえ、こちらこそ、ありがとうです。助けに来てくれた、ですね」

「うん。ごめん、遅くなって。怖かったでしょ」

 セイルは改めてシュンランを見るが、シュンランは小さく首を振る。

「怖くはありません。しかし、おそろいを、一つ、なくしてしまいました」

 言って俯き、小さな手を広げる。空色の破片が、手の平いっぱいに広がっていた。その破片の一つは、強く握ったからだろう、手の平に刺さって微かに血を滲ませていた。セイルは慌ててその手を取って、顔を上げさせる。

「俺も、残念だと思うけどさ。でも、全部無くなったわけじゃないし……これから、また、おそろいを作っていけばいいよ。一緒に」

 ブランは、「同じものはいくらでもあるじゃないか」と言い放ったけれど。それでは意味がないのだ。セイルとシュンラン、二人一緒に手に入れたもの。それは、他の何かと同じ形かもしれないけれど、二人にとってはたった一つの「思い出」なのだから。

 シュンランも、そんなセイルの思いを受け止めたのだろう。片手で涙を拭って、こくりと頷く。

「はい……ありがとうございます、セイル」

 そして、手の中の青色の破片をハンカチに包み、ポケットの中に落とす。きっと、崩れ去ってもそれは、シュンランにとっては大切なものなのだろう。それほどまでに大切に思ってもらっていたことに、セイルの心にも温かな光が灯る。

 シュンランはゆっくりとセイルの手を取り直し、それから不意に視線を動かした。

「……その、ブランは、だいじょぶですか」

「ごめん、ちょっとやりすぎちゃったみたい。今、あの騎士さんが診てくれてる……」

 言いかけたところで、上半身を起こし、壁にもたれかかるような姿勢に移されていたブランが微かに呻いた。はっとして、二人でブランの横に駆け寄る。よく見れば、癒しの魔法を施されたのだろう、顔の腫れまでは治りきってはいなかったが、流れていた血はもう止まっているようだった。

 騎士がブランの横に膝をつき、肩を軽く叩いて問いかける。

「しっかりしろ。聞こえてるか?」

 ブランは声が聞こえたのか、うっすらと目を開ける。それから、目蓋の動きを確かめるように二、三度瞬きをして……顔を上げた。そこに表情は無く、今までセイルが対峙していたその時と同じように、硝子球のような硬質の瞳だけがぎょろりと騎士を見て。

 そして……ぽつりと、呟いた。

「誰……?」

「何?」

 びくり、と震える騎士に対し、ブランは、表情を失ったままことんと首を傾げる。

「ここは……あれ、俺、何してたんだっけ?」

 声は酷く掠れて、ほとんど聞き取れなかったけれど……ブランが、今置かれている状況を把握しかねていることだけは、セイルにもはっきりと理解できた。

 騎士は慌てた様子でブランの肩を強く掴み、真っ直ぐにブランの目を見据える。ブランは朦朧とした様子で騎士を見るともなしに見ている。

「大丈夫か? 私が誰だかわからないのか?」

「あ、ああ……いや、何処かで会った……ような。ちょ、ちょっと、待ってくれ」

 頭を押さえて、何かを思い出そうとするような姿勢になって、目を閉じる。呆然とするセイルたちをよそに、ブランは何度か目を開いたり、閉じたりを繰り返していたが、やがてその表情が焦りに支配されていく。

「あれ、ど……どうして……待て、どうして、繋がらない?」

「ブラン?」

「応答……応答が、応答、あ、ああああっ」

 ブランは苦悶の表情を浮かべ、頭を抱えてその場に蹲る。応答、応答が無い、そう呪文のように繰り返すブランに、騎士もどう対応していいかわからなくなったのだろう、ブランの肩を支えたまま、何も言えずにただ呆然とすることしか出来ない。

 セイルとシュンランも不安げに目を見合わせたが、しばしセイルの中からブランの様子を観察していたディスが、『あ』と間の抜けた声を上げた。

「ディス? 何かわかったの?」

『衝撃で通信が途絶したんだ! アイツ、マジで「レザヴォア」に頼りすぎなんだよ!』

「でぃ、ディス? れざぼあ、って何言ってるの?」

『一時的なものだと思いてえが……おい、俺の声は聞こえてんだろうな! 深呼吸して再起動でもかけろ、早くしやがれ!』

 ディスはセイルの中から声を上げる。ブランは頭を抱えたまま、弾かれたように顔を上げて、セイルを見る。ディスの声は聞こえている、ようだが……セイルはごくりと唾を飲み、ブランの反応を待つ。

 すると、ブランは呼吸を整えながらも戸惑いの表情で首を傾げ、真っ直ぐにセイルを見つめて言った。

「……なあ、セイル」

「え?」

「今の声……誰の声だ? 何処かから聞こえた気がするんだが。聞こえなかったか?」

 思わぬ反応に、今度はセイルが戸惑う番だった。ブランの氷色の瞳は、先ほどまでの混乱をすっかり忘れたかのように、やけに穏やかで、優しい色を湛えてセイルを映し込んでいた。

 まるで、そこにいるのがブランではない別の人になってしまったかのような錯覚に、セイルの頭の方がくらくらしてくる。果たしてどう答えるべきか迷って、口を開けたり閉じたりするセイルだったが。

 不意に、ブランが「っ」と額に手を当てて眉を顰めて顔を伏せる。「大丈夫?」と慌ててセイルが問うと、ブランは顔を上げてひらひらと手を振った。

 その口元には、何処かだらしない笑みが浮かんでいて。上げた瞳の冷たさも、もう、いつものブランと何ら変わらなかった。

「あ、ああ、そうだ……頭打って、ちょっと混乱した。もう、大丈夫だ」

「本当か? 私の名前は言えるか?」

 ずいとブランに迫る騎士だったが、ブランはいつも通りの軽い口調で言い放つ。

「お前さんはユーリス神殿神聖騎士団炎刃部隊長ライラ・エルミサイア。ここはユーリス本殿が保有する飛空艇『白竜の翼』で、俺様はあの空色のガキに喧嘩を売って、一発でかいのを喰らった、と。それで合ってるでしょ?」

 全く、少しくらい手加減して欲しいわよねえ、とブランはけたけた笑う。それを聞いて、騎士ライラは安堵の息をついてブランの頭を軽く小突いた。

「心配させるな。お前に何かあったら、スノウ様に申し訳が立たない」

「はは、悪いねえ、変なところで心配かけたな」

 ブランは全く悪いと思っていないような口調で言い放ち、それから視線をセイルに移した。正確にはその奥に潜むディスに。

「気づいてくれてありがとな、ディス。流石に焦った」

『うるせえ。手前がアレに依存してるってのは知ってたが、まさかそこまでとは思わなかったぜ』

「……それしか方法がねえからな。仕方ねえんだよ」

 セイルには理解が出来ない言葉を交わし、それでいてセイルの問いを挟ませることも許さず、ブランは今度こそセイルを見た。セイルは思わず息を飲み込んだ。何故なら、ブランが一度は床に落とした銀の鎌を握り直したからだ。

 まだ、やる気なのだろうか――戦慄が体を走り、思わず構えを取ってしまうが、ブランはひらりと右手を振った。

「ああ、心配すんな、ここまで完封されてまだやろうってほど馬鹿じゃねえわよ、俺様」

 言って、鎌を腕輪に戻す。そして、セイルを見上げたその姿勢のまま、力なく笑う。

「本当、世の中って、計算じゃねえのな。一応、全力だったんだがなあ」

『嘘つけ。殺す気で来てたらとっくにセイルが死んでる』

「そりゃ約束に反するもの。俺様には出来ねえよ……そうでなくとも、殺せねえよ」

 だろうな、とディスは吐き捨てるように言って、それきり黙った。セイルは唇を引き結び、シュンランの手を握り直し、ブランの言葉を待った。ブランはそんな二人を何処か眩しいものを見るような目で見上げて、笑う。

「何で、そんなしけた面してんだよ? お前は俺様の見たくそったれな未来を覆したのよ、もっと喜べばいいじゃない」

「……ブランって、何か、切り替え、早いよな」

「そお?」

 ブランは笑いながら言う。その態度があまりにもいつものブランと同じで、セイルは妙な徒労感を覚えて肩を落とす。けれど、すぐに表情を引き締めてブランを見下ろす。

「とにかく、まず、シュンランに謝って」

「は? どうして」

 やっぱり未だにわかってない。セイルはブランの顔を無理やり上げさせて、小さな子供に言い聞かせるような気持ちで畳み掛ける。

「シュンランの大切なものを壊して、髪まで切って、それで何も言わないで許されるなんてこと、絶対にないんだよ! どうしてそんな簡単なことわからないんだよ! いいから謝って、早く!」

「そ、そうか。ああ、その……すまん。悪かった。この通りだ」

 ブランはセイルの気迫に押されるように深く頭を下げるが、その表情はいつものニヤニヤ笑いのままだ。セイルはもう一度ブランの頭を上げさせる。

「心が篭ってない!」

「む、無茶言うなあっ!」

「だ、だいじょぶです。セイル、そんなこと言ったらブランが困ってしまいます」

 そう? とセイルは首を傾げると、シュンランは「それに」と付け加えてにっこりと笑った。

「わたし、ブランが謝っても許さないです」

 ……うわあ。

 思わず声を上げてしまったのは、セイルか、ディスか、それともライラか。最低でも、笑顔ながらもだらだらと冷や汗を流してただただ平伏することしか出来ないブランではなかったと思う。

 しばし、微妙な空気が流れたが、とにかくまだ言わなくてはならないことがある。セイルはやっとの事で顔を上げたブランの目を見据えて、言葉を紡ぐ。

「あのさ、ブラン。俺、絶対にシュンランを『エメス』から守るって約束する。だから……シュンランと一緒に、ここから降ろしてもらうよ」

「ああ。お前にそれだけの力があるってわかったからな、もう、全力で否定してかかる理由もねえわ」

 言って、ライラに目配せをする。女騎士はやれやれとばかりに肩を竦めながらも、部屋を出て行った。多分、船内の戦闘を止めるよう指示を出しに行ったのだろう。それを合図にして、紅姫号の面々も撤退を開始するに違いなかった。

 そして、部屋の中にはセイルとシュンラン、そしてブランが残された。ブランはまだ呼吸がままならないのか、意識して深く呼吸をしながら、ぽつりと言った。

「なあ……セイル」

 セイルは思わずびくりと震える。別に、もはやブランを恐れる理由もないというのに。

「な、何?」

 ブランはふと一際深く息をついて、抑揚の無い声で言った。

「お前はやっぱり己が手で未来を掴んでいくんだな。俺の目には見えない、未来を」

「どういうこと?」

「言葉通りだよ。お前は――」

 言いかけたブランの言葉は、不意に船体を襲った横殴りの衝撃に遮られた。反射的にシュンランを庇い、床に伏せるセイル。そこに、先ほど部屋を出て行ったばかりのライラが飛び込んできて叫ぶ。

「敵襲だ! 北北東の方角から、機巧の鳥の集団!」

「あーあー、やっぱり『エメス』が放っておくはず、ないわよねえ……」

 ブランはこの襲撃すらも予測していたのだろう、のんびりとしたものだ。南向きの窓から敵の姿は見ることが出来ないが、船を揺らす衝撃は明らかにただならぬものを感じさせた。

 床に座りこんだままのブランは、視線だけをライラに向けて、言った。

「ライラちゃん、この二人を逃がしてくれ」

「貴様はどうする」

「俺様は残るよ。風を正確に読める奴は必要だろ」

「え……っ」

 セイルは思わず絶句する。シュンランを連れ戻すことができれば、ブランも戻ってくる……無意識に、そう思い込んでいた。だが、ブランは当たり前のことを説明するかのように、言葉を重ねていく。

「お前は、俺の選択とは別の未来を見出した。それに、俺よりもお前さんの方が『ディスコード』を使いこなせるってこともわかった。後はディスとチェインがお前らを正しい方向に導いてくれる、お前らはきっとお前らの力で賢者様に届く」

 だから、とブランは口の端を歪める。

「お前らとの約束は破棄させてもらうよ。もう、見当違いな俺の守護は必要ないはずだ」

 それきり、ブランは口を閉ざした。船の揺れは大きくなるばかり、砲撃の音も聞こえるが、被弾している割合の方が高く思えてくる。実際、船の中に響いている警報の音がどんどん増えていることからも、決して楽観できる状況でないことがうかがえる。

 それでも、ブランは動かない。ただ氷色の視線で一点を見据え、セイルたちがこの場を去るのを、待っている。

 ディスが、ぎりと歯を鳴らして言う。

『ブラン、お前、本気か』

「ああ……ま、ここで後始末もしなきゃならねえからな。神殿最強の船に空賊の侵入を許して、シュンランを逃がして、ついでに『エメス』の襲撃まで受けちまった。それらの責任は、この船を動かした俺様にあるもの」

 今度こそ、女神様に首を打たれてもおかしくないねえ、とブランは緊張感のない様子でへらへら笑う。

 それは、ブランの言うとおりではある。セイルは、ブランの見た未来を覆し、新しい未来を切り開いた。そして、この場のブランには、ブランのすべきことが残されている。だから、ブランはきちんとこの場で別れを告げようとしている。

 けれど。けれど――

「セイル」

 揺れの中でゆっくりと立ち上がったシュンランはセイルの手を握り、すみれ色の瞳でセイルを見上げる。

「いいのです。迷うことはないです。セイルは、セイルの思うことを言えばいいのです」

 言葉は、自由なのです。

 シュンランは言って、にっこりと笑う。

 ああ、シュンランはいつも、曇った自分の心を明るく見通してくれる。見通した上で、自分が一番求めている言葉をかけてくれるのだ。

 セイルも、シュンランの手を取って立ち上がる。そして、ブランの前に歩いて。

 もう片方の手を、差し伸べる。

「ブラン。一緒に来てよ」

「あのさあ、人の話聞いてた? 俺様は残るって……」

 ブランは億劫そうにセイルに視線を向けるが、セイルは、そんなブランを前に、笑う。きっと、今までの旅の中で一番とびっきりの笑顔で。

「俺、まだ、ブランに話したいことがたくさんある。ブランに助けて欲しいこともいっぱいあるんだ。だから、俺、切り札を使うよ」

「は?」

 一体何のことを言われているのかわからない、という表情のブランに対し、セイルは笑顔で言い放つ。

「初めてブランと手合わせした時、ブランは一回なら俺の言うことを何でも聞いてくれるって言った。その一回、ここで使わせてもらうから!」

 あっ、とブランが声を上げる。ブランも、完全にその約束を失念していたのだ。実の事を言えば、セイルもこの瞬間までは忘れていた。だが、約束を違えないブランがこれに逆らうことは出来ない以上、ここで使わない手は無かった。

 満面の笑みを浮かべるセイルの中で、ディスが彼には珍しく大声を上げて爆笑する。

『ははは、最高じゃねえか! 諦めろブラン、こいつはセイルの勝ちだ!』

「そういうこと。行こう、ブラン!」

 セイルはブランの手を無理やりに取って、失血と頭を打った後遺症でふらつくブランの体を支える。そして、入り口に立ち尽くしていたライラに向かって叫ぶ。

「ライラさん! この人、連れて行っていいですよね?」

 問われたライラは、飴色の瞳に明らかな迷いを浮かべた。

 本来全ての責を負うべき男を侵入者の手に渡すなど、あってはならない。それでも、ライラは今の今まで、侵入者であるセイルに槍を向けることなく、ブランと自分との戦いをただ見守っていてくれた。

 だからこそ、一抹の希望を託してライラを見つめる。

 ライラはしばし、無言でセイルを見下ろしていたが……やがて、重たげに首を振って、吐き捨てるように言った。

「こんな馬鹿、何人でも持っていって構いません」

「ちょ、ライラちゃん! それ酷くない?」

 ブランは慌てて言うが、ライラはそれには構わず冷たい視線でブランを見据え、雷のごとき声を降らせる。

「セイル・フレイザーは『エメス』の襲撃の中、脱出艇に乗って『白竜の翼』を脱出したが消息不明。それで異存ないな、ブラン・リーワード!」

 それは、この場にいたはずの「セイル・フレイザー」という男の痕跡を、ライラが己の一存で抹消することを意味していた。

 もちろん、本来は許されることではない。

 だが、ライラはセイルの願いを聞き届け、神殿の虚絶ち「セイル・フレイザー」ではなく神殿と敵対する異端研究者「ブラン・リーワード」をセイルに引き渡すことを選んだ。

 それは、この場に乗り込んで大切な者を取り戻そうと剣を振るい、己を裏切った男にすら手を差し伸べた空色の少年、セイル・カーティスに対する敬意に他ならなかった。

 ブランは、そのライラの決断を目を白黒させながら聞いていたが、やがて表情を引き締めて頭を下げた。

「ありがとな、ライラ。恩に着る」

「礼はその少年に言え。さあ、行け!」

 セイルとシュンランは、ライラに礼を言って駆け出した。通路に続く扉を開いたその瞬間。

 セイルに支えられたブランが、酷く穏やかな表情を浮かべて、呟いた。

 

「本当……お前は凄いよ、セイル」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ