表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空色少年物語  作者: 青波零也
第一部 空色少年と賢者の行方
66/131

幕間:賢者は眠る

 闇の中で、彼は寝台に腰掛けて、片手の通信機を耳に当てていた。魔力とはまた違う力で動く禁忌の機巧から聞こえてくるのは、自らの右腕である男……『エメス』の幹部、エリオット・レイドの声。

『今日は起きていてよいのですかな?』

「ああ、久々に気分がいいからな。それよりもエリオット――ワイズで、『棺の歌姫』と会っていたようだな」

 彼の声に、エリオットはひゅっと息を飲んだようだった。ただ、彼が想定していたよりもずっとエリオットは冷静だったようで、即座に言葉を返してくる。

『流石は我らが主、「機巧の賢者」。私の考えなどとうにお見通しというわけか』

「そのくらいはな。俺とは違う思想を持つお前が、俺の指示を超えた場所で動くことは、何ら不思議ではない。そして」

 ――俺がそれを、咎める理由も無い。

 彼の言葉に、エリオットは一瞬呆気に取られたようだった。彼がエリオットの行動を言い当てた時よりもよっぽど驚いていたかもしれない。

 その反応も当然だろう、彼は今までほぼ己一人の判断でこの『エメス』という組織を動かしてきた。そこから逃げ出そうとする者、己に逆らおうとする者にはしかるべき処罰を加えてきた。そうすることで、表には決して出ることの無い彼……『機巧の賢者』ノーグ・カーティスの力をはっきりと示してきた。

 だが、それは楽園の影の中に曖昧な形で存在していた『エメス』という組織を磐石のものとするために必要な行為だったというだけ。女神と神殿に宣戦し、楽園を変えようという意識を持つ者たちが集う確固たる組織となった今、エリオットの反逆とも言える行動一つではその基盤が揺らぐことは無い。そう、彼は確信していた。

 それに――エリオットは、自分とは違う思想の持ち主ではあるが、決して自分と正反対の方向を見ているわけではない。目指す場所は同じ、ただその方法が違うだけ。彼は、そんな「理想」を追い求め続けるエリオット・レイドという男を、個人的には好ましく思っていた。

 そうでなければ、とっくにエリオットを処分していたに、違いない。

『……あなたの考えは、私には測りかねるな』

「誰も、人の心など読めないさ。俺も、お前の心は読めない。ただ、推測するだけだ」

 もし、正しく人の心を読めるのであれば。自分はもう少し上手くやってこられただろうか。誰も悲しませること無く、人を力で従えることもなく。ただ一人の誰かとして、本当に守りたかったものを、守ることが出来たのだろうか……

 遠い昔に失ったはずの心が、微かに悲鳴をあげた気がした。それを相手に悟られぬようつとめて冷静を装って、彼は通信機の向こうにいるエリオットに語りかける。

「それで、『歌姫』と会って、何か得られたものはあったか?」

『彼女が、我々に己から協力してくれる可能性は皆無に近い、ということがわかったくらいだ』

「ま、それは強硬な手段に出たこちらが悪いな。反省しよう」

 言いながらも、たとえどのような方法で「説得」しようとも、『棺の歌姫』が自分たちに味方してくれるとは思えなかった。初めからそう思っていたからこそ、愚かともいえる強硬手段に出たのだ。

 彼女のすみれ色の瞳は、何もかもを暴く。彼が内に秘め続ける、『エメス』を率いる真の目的すらも、彼女の前に立てば自然と暴かれてしまうに違いない。そして、暴かれたその時、彼女が自分を許してはくれないということも、容易に想像できた。

 それでも……それでも、彼は『棺の歌姫』を求めずにはいられない。彼女抜きでは、決して望みを果たすことは出来ないのだから。

『それと……もう一つ』

「何だ?」

『賢者よ、あなたは「魔弾の射手」ブラン・リーワードという男を知っているか』

 『魔弾の射手』ブラン・リーワード。

 度々『エメス』の障害として立ちはだかる異端研究者。卓越した銃の腕と禁忌に対する異様なほどの知識を持ちながら、楽園の変革よりも停滞した平穏を望む穏健派。今は『棺の歌姫』、そして『世界樹の鍵』たる『ディスコード』とその使い手を一手に握ることで、こちらを絶えず牽制している。

 そのくらいは、この場にいても情報として入ってくる。ただ、エリオットが「知っているか」と問うたからには、「核心」を理解しているか、ということだ。

 彼は薄い唇を笑みの形にして……当然エリオットからは見えていなかったが……短く言った。

「知ってるさ」

 長らく闇の中で目覚めと眠りの間を漂っていた彼は、ブラン・リーワードと名乗るその男を実際に見たことはない。だから、あくまでそれはクラスタ兄弟やティンクルから聞いた話から推測したに過ぎなかったが、エリオットの問いが推測を確信に変えた。

『あなたは……まだ、彼に執着しているのか』

「執着。そうだな、そうかもしれない」

 彼は、出会ったことも無いはずの男を頭の中に思い描く。その姿のほとんどは影のように曖昧なものになってしまったが、その中で一つだけ、脳裏にはっきりと焼きついたものがある。

 闇の中にもなお、冷たい光を宿す……氷河の色の、瞳。

 そのイメージを振り払うように軽く頭を振って、彼は呟くように言う。

「だが、奴のことは後だ。俺が手を下さなくとも、奴はいつか俺の元に辿りつく。そういう風に出来ている」

 奴も……そして、俺も。

 その言葉を、実際に声に出すことは無かった。

 エリオットは彼の言葉をどう捉えたのか、それとも、どう捉えていいものかわからなかったのか、しばし沈黙した。彼もまた、沈黙には沈黙で返す。

 やがて、エリオットがぽつりと言った。

『あなたの言葉を疑いたくはない……だが、本当に、あの少女と剣を手に入れることができれば、楽園を変えることが出来るのだろうか』

「それは間違いない。『棺の歌姫』の力、そして世界樹を制御する『ディスコード』。この二つがあれば、楽園を縛る女神の偽りを、暴くことが出来る」

 どのように、とは決して言わない。

 それを正しく説明することは、今の彼にも難しかったから。ただ、彼は『棺の歌姫』が眠っていた本当の意味を知っていた。人よりも、ほんの少しだけ詳しくこの楽園の成り立ちを知っていた。ただそれだけの話。

 もちろん、それで信じろ、という方がおかしいこともわかる。ただ流されるだけで満足してしまう者ではなく、例えばこのエリオット・レイドのように、己の頭で考える者であれば、必ず疑問に思うはずだ。

『……私には、「歌姫」がただの少女にしか見えなかったのだ。しなやかな心と、希望に満ちた瞳を持っているが……それ以外は何も変わらない、少女だった』

「そう、ただの少女だ。だが、女神ユーリスもかつてはただの少女だった」

『どういう、ことだ?』

 その問いに対しては、唇を噤む。これ以上のことは、今は言えなかった。今の彼にそれを証明する術が無い以上、口が滑ったとしか言いようがない。自分らしくないミスだ、と思いながら苦笑して、何とか取り繕おうと唇を開いたその時。

「ノーグ! 大ニュースだよっ」

 自分以外に誰もいなかったはずの部屋に、鈴の音と明るい声が生まれた。通信機の向こうのエリオットにもその声が聞こえたのだろう、小さく呻く声が聞こえた。

 勢いよく……しかし、まだ弱々しい彼の体を気遣ってだろう、出来る限り優しい動きで……彼の首に腕を巻きつけたのは、ほとんど見えないはずの闇の中でもわかる、極彩色の服に身を包んだ道化師の少女。

「どうした、ティンクル」

 彼は片手を通信機にかけたまま、もう片方の手でそっとティンクルの腕を撫でる。ティンクルは横から彼の顔を覗き込んで「えへへー」と嬉しそうに笑ってから、高らかに言った。

「あの怖い異端のお兄さんがね、歌姫を神殿の騎士たちに引き渡したんだって! 今頃あの子はお兄さんと一緒に船の上、二日もすれば神殿の中だよ」

『何……だと?』

 エリオットの驚きが通信機越しに伝わるが、彼は全く驚いていなかった。

 ブラン・リーワード――自分の知る「奴」なら、いずれそういう判断を下したはずだ。むしろ、遅すぎたともいえよう。

 彼は通信機の向こうのエリオットに向かって、「悪いが、話はここまでだ」と言った。エリオットは微かに歯を鳴らしたようだったが、『了解した』と答えて向こうから通信を切った。

 彼は改めて、ティンクルに向き直る。真っ白に塗られた顔の中で、赤い炎を燃した化粧が彼女の表情の変化に合わせてゆらりと揺らめく。

「ね、ね、どうするの? どうするの? ワタシが行くよ?」

 ティンクルは、今にも飛び出しそうな勢いだ。事実、ティンクルの前に物理的距離など無意味。ただ『棺の歌姫』を確保するだけなら、ティンクルに指示を下すのが一番早い。

 だが、彼はかぶりを振って言った。

「『塔』の連中に伝令を。完成しているだけの『鳥』を放つ。それと、『塔』に戦える者を呼べるだけ呼んでおいてくれ。指示は追って伝える」

 その指示は、ティンクルにとってはなはだ不満だったのだろう。ぷうと頬を膨らませて、今にも唇が触れてしまいそうな距離まで顔を近づける。

「どうして? どうして行かせてくれないの? この前、失敗したから? 今度こそ上手くやるよ、絶対だよ!」

「駄目だ」

 ティンクルの言葉を、彼はぴしゃりと退けた。確かに、ティンクルはよくやってくれている。ここから動くこともままならない彼はいつも彼女の働きに助けられている。

 けれど、どうしても、ティンクルには出来ないこともあるのだと、この前理解させられたのだ。

「駄目だ、お前をシュンランの元には、行かせられない」

「……どう、して?」

「お前は、この前シュンランを殺そうとしただろう。俺がどれだけシュンランを必要としてるのか、言っておいたはずなのに」

「あ、あれは……あれは」

 ティンクルは言葉に詰まり、彼の肩に手をかけたまま、今にも泣き出しそうな顔をしてしゅんと項垂れる。けれど、それも一瞬のことで、ぱっと顔を上げて甲高い声を上げる。

「でもね、今度はそんなことしない! 絶対に生かしたまま連れて帰ってくるから! だから」

「駄目だ。今回は、伝令に回ってくれ。これもシュンランを手に入れるために必要な、大切な役目だ。わかってくれ」

 それに――声には出さないまま、彼は思う。

 シュンランが本気で抵抗するならば、空間を渡り歩くティンクルであろうとも、勝ち目は無い。そうなってしまえば、自分はまた……

 胸に響く痛みが、彼の意識を現実へと引き戻す。まだ何かを言おうと毒々しい紅を引いた唇を開こうとするティンクルをそっと抱きしめて、彼は囁いた。

「いいんだ、お前が無理することは何一つないんだ。本当は」

 彼の言葉を最後まで聞くことなく、ティンクルはそっと彼から体を離した。明らかに傷ついた表情を浮かべた道化は、ちりん、と鈴の音を鳴らして一歩下がる。

「わかったよ。ノーグの言葉は絶対だもん。ワタシ、頑張ってお仕事するよ。頑張る、頑張るんだから」

 言って、無数の鈴の音と共に、道化は闇の中に消えた。

 彼は、無意識に伸ばしかけていた腕を引いた。そして、さっき言いかけたまま喉の奥に飲み込んでしまった言葉を、頭の中で反芻する。

 ――本当は、側にいてくれるだけで、いいんだ。

 そんな当たり前なことも言葉にさせてくれないのか。思いながら、彼は頭の中にぼうっと霞がかかり始めたことに気づいた。

 ああ、眠い。

 いつもの暴力的なまでの眠気が、今日もやってきたのだと気づく。

 重たい体を寝台に横たえ、彼は小さく息をつく。

 色々考えるべきことは多いけれど、とにかく今は眠ろう。何も考えずに、幸せだった頃の夢を見よう。

 夢の奥で、誰もが笑いあう、そんな夢を見よう。

 いつか夢見た、それでいて手が届かなかった、夢を……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ