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空色少年物語  作者: 青波零也
第一部 空色少年と賢者の行方
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幕間:セイル・フレイザー

 かつてのロジャー・シルヴァーナにとって、セイル・フレイザーは雲の上の存在だった。

 自他共に認める万能の才と無限に湧き出す知識を持つ、若き魔道機関学者。ロジャーも魔道機関学者を志す身ではあるが、フレイザーの足元に及ばないどころの話ではない。フレイザーが巨人なら自分は蟻、もしくはダニかもしれない。

 しかしそのフレイザーは、天才博士に憧れる無数の助手志願者を華麗に無視して、自分を唯一の助手に任命した。ロジャーは全くフレイザーの助手になる気なんか無かったにも関わらず、だ。

 とはいえ、その気は無かったにしろワイズ学院が認める……認めざるを得ない、とも言うが……天才に目をかけられたことで、学院の嫌われ者である嘘吐き兎から、学院一の有名人の助手に格上げされたのだ。これを美味しいと思わなければ、何を美味しいと思うべきか。

 もちろん、美味しい話には裏があることも、ロジャーはきちんと理解している。

 フレイザーがロジャーを選んだ理由は、決してロジャーの頭の働きや魔道機関に対する造詣の深さなどではない。ロジャーが他の学士たちよりも優れているということはフレイザーも認めているが、フレイザーがそんなありきたりなものを求めているわけではないことくらい、一目瞭然だ。

 天才セイル・フレイザーが求めていたのは、きっと、理解者だったのだろう。

 何も言わずとも自分の抱えているものを理解してくれる、そんな都合のよい理解者。

 ロジャーに天才の頭の内を測ることなど出来ない。出来ないけれど、悲しいかな、ロジャーのフレイザーに関するとある推測が的を射てしまっただけに、フレイザーに気に入られてしまった。

 ロジャーは主が帰ってきたフレイザー邸の片隅で、誰にも悟られないように溜息を漏らす。

 そう、セイル・フレイザーはここにいる。

 ――ここに、いるのだ。

 

「……ねえ、ちょっと味見してくんない?」

 気色悪い、女言葉交じりのしゃがれ声が台所から聞こえる。そちらを覗けば、すっかり見慣れてしまった金茶から焦げ茶にかけてのグラデーションを描く三つ編みが、高い位置で揺れている。三つ編みを留める緑のリボンは、微かに端がほつれていた。

 そして、三つ編みの持ち主であるセイル・フレイザーの横には、肩の上ほどであちこちに跳ねる赤毛のエルフが立っていた。影追い『連環の聖女』セディニム・シャール、通称はチェイン。フレイザー同様、異端結社『エメス』……正確にはその頭である『機巧の賢者』ノーグ・カーティスに恨みを持つ女だ。

 この二人が並んでいるのは珍しいことだ、とロジャーは思う。何しろこの二人、というよりもセディニムはフレイザーを露骨に苦手としている。それはそうだろう、ロジャーとて好き好んでフレイザーの元に長時間いたくはない。セイル・フレイザーとはそのような評価を下されても仕方ない人格破綻者なのだから。

 ただ、当のフレイザーはにこにこ笑顔を浮かべながら、セディニムに話しかけている。いつも本当の意味で笑うことのないあの男には珍しく、案外真面目にこの状況を楽しんでいるのかもしれない。

 セディニムはあからさまに迷惑そうな顔をしていたが、簡単な頼みだ、断るのもどうかと思ったのだろう。フレイザーが差し出した小皿を受け取り、口をつける。

「十分美味しいじゃない」

「そう?」

「けど、少しあっさりしすぎてるかも。私なら、モーレの皮を少し加えるかな」

「あ、なるほど。ありがと、俺様、味覚には自信がなくてさ」

 フレイザーは軽く肩を竦めて、調味料の棚から粉末にしたモーレの皮を詰めた小瓶を手に取った。セディニムは、そんなフレイザーの様子を見ながら呆れた声を上げる。

「そんなとこで、変な謙遜するんじゃないよ。アンタ、下手な料理人より料理上手いんだからさ」

 そう、フレイザーは見た目や言動に似合わず、料理を得意中の得意としている。普段はフレイザーがいない方が気楽でよいと思っているロジャーだが、食事という段になると俄然フレイザーのことが恋しくなる。正確には、「フレイザーの料理の腕」だけだが。

 そんな料理人顔負けの腕前を持つフレイザーの言葉を「変な謙遜」と取るセディニムの気持ちもわからなくもない。しかし、フレイザーは「謙遜なんかじゃねえよ」と苦笑する。

「俺様は、レシピ通りに料理を作ることしか出来ねえんよ。だから、自分が作ったものが美味しいかどうかって、よくわからなくて」

「味見とかしないのかい? 料理の基本でしょう」

「それでも、わからねえんだ。だから、助かる」

 セディニムは、フレイザーの言葉の意味がわからなかったのだろう、訝しげに眉を顰めた。フレイザーはセディニムの表情に気づいていないのか、スープに調味料を加えながら楽しげに問いかける。

「チェインは、料理好きなの? いつも率先して台所に立ってくれてるけど」

「好き……なのかな。物心ついた時から、家事を手伝ってたからね。自然に身についたってだけだよ。それに、アンタ以外に料理が出来る奴もいないしね」

 まず、ロジャーは料理などしたことない。フレイザーがいない時は常に外食だ。

 そして、ここにやってきた青い髪のセイルと、シュンランという少女。この二人は、女神ユーリスが料理の才能をあえて与えなかったのではないかと疑うほどに、料理に関しては疎く、教えようとしても筋が無かったのらしく、セディニムは三日で匙を投げた。

 そんなわけで、ここに来てからはずっとセディニムが台所を握っていたと言っても過言ではない。フレイザーは「ふうん」と言って、スープをかき回す手を一端止めて、セディニムに顔を向ける。

「それじゃ、面倒くさいとか、嫌だとか思ってんの?」

「そんなわけない。そう思ってたら、とっくに外に食べに行ってるさ」

「そっか。なら、よかった」

 フレイザーはいつになく穏やかに笑う。

「俺様は、料理を作ってる時間が一番好きでね。ほら、食い物って人が必ず味わってくれるもんだろ? それで喜んでもらえるってのは、嬉しいことじゃねえか」

 セディニムにとっては、その言葉は意外なものだったのだろう。眼鏡の下で目を真ん丸くした。

「らしくないことを言うもんだね」

「そう? 素直な気持ちよ? 姐御だって美味しいって言ってもらえれば嬉しいだろ」

「そりゃあ、そうだけど……」

 当たり前のこと、ではある。料理をしないロジャーでも、フレイザーの言葉が料理をする者にとって不思議なものではないことくらいは、わかる。ただ、セディニムが驚く理由もわかる。要するに、「フレイザーが言う」こと、それ自体がらしくないことなのだ。

 セディニムはしばし何を言うべきか迷った挙句、深々と溜息をついた。

「アンタにも、そんな当たり前のことを嬉しい、って思う気持ちがあったんだね」

「何よそれ」

 フレイザーは心外だとばかりに軽く眉を寄せた。セディニムは微かに皮肉っぽい笑みを口の端に浮かべて言う。

「アンタって、目的以外の何にも興味が無さそうだからさ。無駄な話もしないし、遊んでるようにも見えない。器用なもんだから何でも出来るけど、その何もかもに興味が無い」

「……そういう風に見える?」

 フレイザーの問いに、セディニムは「見えるよ」とだけ答えた。

 ロジャーも、セディニムの感想は正しいと思った。フレイザーはどんなことにも精通する反面、ある種の「無関心さ」がある。自らの目的を真っ直ぐに目指す、その姿勢はロジャーも認めているが――

 何に対しても、心を動かされているようには、見えないのだ。

 セディニムをじっと見つめていたフレイザーは、人差し指で軽く顎をかいた。それから、小さな声で「そっか」と呟いた。

「それは、確かにそうかも。でも、その時その時は、大切にしてるつもりだぜ」

 今、この瞬間も。

 言って、フレイザーは……心底、嬉しそうに笑った。

 覗き見るロジャーも、これには色眼鏡の下の目を丸くした。こんな表情をするフレイザーは、ロジャーも初めて見た気がする。いつも笑顔を浮かべているこの男が、本当の意味で笑うことなんて無いと思っていたから。

 セディニムもそれは同様だったに違いない。口を半開きにして、呆然と笑うフレイザーを見つめていたが、フレイザーは笑顔のまま、ぽんとセディニムの肩を叩く。

「だからさ。チェインも、ささやかな幸せは、大切にしなきゃ駄目よ」

「私も?」

「目的のために自分を殺す。それが悪いとは言わんよ、俺も似たようなもんだしな。でもさ、別にそれで今はいいかもしれないけど」

 淡々と、淡々と。フレイザーはしゃがれた声で言葉を紡ぐ。

「全てが終わった時に、そいつを殺した感覚だけが手に残ってて、他に何も残ってなかったなんて、きっと悲しすぎる」

「……何を言うかと思えば」

 セディニムは、俯いたまま低い声で言った。そこに込められた感情は、微かな苛立ち。

「私はノーグを殺すために全てを捨てたんだ。何かを残そうとも思わない。それを悲しいと思う心さえね」

 捨て切れてはいないかも、しれないけれど。

 小さく、その唇が呟いたのは、ロジャーにもわかった。そして、一番近くでその言葉を聞いていたはずのフレイザーは、微かに表情を歪めて、感情の篭らない声で言った。

「それは、望んで捨てるものじゃねえよ。捨てたら、俺みたいになっちまうから」

「ブラン?」

「お前さんは、これからも生きるんだ。ノーグなんてちっぽけな野郎如きに全てを捧げる必要なんてねえ」

 それはお前さんじゃなくて、俺の役目だから。

 言って、フレイザーはことことと音を立て始めた鍋をそっとかき回した。何か、大切なものがその中に隠されているかのように。

 セディニムはそんなフレイザーを、何か奇妙な動物を見るような目で見つめていたが、やがてぽつりと言葉を落とした。

「アンタから、そんな言葉が聞けるとは思わなかったよ」

「あら、見直した?」

「……全然。でも、それなら何でそんなにノーグを憎んでいながら、機会を私に譲ったんだい」

 その問いに対しては、フレイザーはきょとんとした。セディニムが何を言っているのか、わからなかったという表情だ。

 ――ああ、これは限界だな。

 ロジャーは思い、顔を出してフレイザーに声をかける。

「セイル。ちょっと話があるんだが」

「ああ、はいよ、ちょい待ち。チェイン、台所任せていい?」

 フレイザーは今までの会話が断ち切られたことを気にした様子もなく、さらりとセディニムに言う。セディニムは口をぱくぱくさせながらも、ただ頷くしかなかった。

 全く、いつ見ても危なっかしい男だ、とロジャーはこちらまでやってきたフレイザーを睨む。フレイザーはいつもの通りの、何処か歪んだ笑顔を浮かべながらロジャーを見下ろした。先ほどセディニムに見せていた、無邪気な表情は何処かにかなぐり捨ててしまったに違いない。

 何の用だ、と問うフレイザーを、ロジャーは自室へ連れて行った。あまり、他の面々には聞かれたくない内容なのだと説明するとフレイザーも少しだけ表情を変えた。

「じゃ、とっとと聞かせてもらえるか」

「ああ。どうやらシュンランが気づき始めたみたいだ」

 ロジャーが声を低くして言うと、フレイザーはさほど驚いた様子も見せずに「そう」とだけ言った。

「本当に鋭いな、あの嬢ちゃんは。これは是非あの子と二人で話をしておきたいところね」

「話して……どうするつもりなんだ?」

「さあね。それはその時にならんとわからんさ」

 フレイザーはくつくつと笑う。ただ、その何処までも何処までも冷たい色を秘めた瞳は、目の前のロジャーを見てはいなかった。この男の瞳は未来を見る。ここにはない、本来はその輪郭すら見えるはずもない未来を。

 その瞳に映る未来がどんな色をしているのか、ロジャーにはわからない。知りたいとも思わない。

 窓の外、青い空に視線を移して、フレイザーの唇が小さく動く。

「その前に動き出さなきゃならんかも、しれねえしな」

 その言葉の意味を、ロジャーは聞かなかった。聞いたところで、ロジャーがフレイザーの行動の助けになることも邪魔をすることも、出来ないだろうから。そう思いながら、ロジャーはフレイザーを色眼鏡越しに見つめ続ける。

 背筋を伸ばして立つフレイザーは、笑顔ながらも瞳に全てを拒絶するような光を湛えて、そっと、窓に爪を立てた。

「待ってろよ、賢者様」

 痛々しく嗄れた声を、乾いた空気に響かせて。

 セイル・フレイザーはここにいる。

 まだ――今は。

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