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空色少年物語  作者: 青波零也
第一部 空色少年と賢者の行方
54/131

11:彼の来た道(3)

「セイル。ブランのところに行くですか?」

 食事を終えて、片付けも一段落したところで、シュンランが問うてきた。セイルは頷き、体の中に入れたところで少しだけ落ち着いたのか黙ったディスに語りかける。

「ディスも、大丈夫?」

『あ、ああ。本当あのオッサン何考えてんだよ意味わかんねえ俺は由緒正しき「世界樹の鍵」であって』

「……まだ大丈夫じゃないみたい」

 包丁扱いされたショックは、なかなか抜けないようだ。ちなみに、ディスの呟きの端々を聞く限り、どうやらパンを切るだけではなく、ほとんどの食材を切る際に便利に使われてしまったらしい。今日の朝食がブランによるものとは聞いていたが、何とも酷い仕打ちである。

『料理は絶対上手いはずなんだから絶対に嫌がらせだろ食べるときに俺を持っていかなかったのも絶対に嫌がらせだろわかってんだよこんちくしょう食わせろおおおおお』

 食事を作るための道具にされながら「食べられなかった」のも、ディス的にはショックだったようだが。実際、ブランの料理は美味しかった。チェインの料理を家庭の味というなら、ブランの料理は洗練された料理屋のそれに近い、というのはロジャーの談。セイルにはそういう細かい味の違いはよくわからないのだが。

 ディスが立ち直っていないのが気にかかるところではあったが、とりあえずブランも待っていることだろうし、庭へ向かって歩き出す。チェインはロジャーと一緒に、今日の昼食と夕食の買出しについて話し合っているところだったから、邪魔をしないようにそっと部屋を出る。

 シュンランは、青い花を飾った白い髪を揺らし、セイルの横から顔を覗き込んでくる。

「わたしも、行ってよいですか?」

 問題ないんじゃないかな、と言葉を返して笑ってみせる。けれど、何だか上手く笑えた気がしない。セイルの顔を見ているシュンランはセイル以上にその表情が奇妙なものだと思ったのだろう、不思議そうに首を傾げる。

「緊張、してるですか」

「た、多分」

 緊張していないと言ったら嘘になる。皆に追いつきたい、そのために戦い方を少しでもいいから知りたい、そう言ったのは自分だが、ブランがそれにどう応えるつもりなのかはわからない。ただでさえ何を考えているのかわかりづらいブランなのだ、不安と緊張はいやに増すというものである。

 それを聞いたディスが、やっと我に返ったような声で言った。

『お前、今から何すんだ? ブランがどうとか言ってたが』

「そっか。ディス、さっきの話、聞いてなかったんだ」

『使い手に持たれていない限り、ほとんど聞こえねえんだって前にも言っただろ』

 『ディスコード』は意思を持つが、それが完全に覚醒するのも使い手に持たれている時だけ、なのだそうだ。使い手の五感や思考を通して外界を把握するのだから当然だ、とディスは言うけれど、セイルは結局ディスの感覚がよくわからずにいる。

 喋る剣の気持ちになるのは、流石に難しい。

 これからブランに戦い方を教えてもらいに行くのだ、と言うとディスは露骨に不機嫌そうな気配をかもし出した。セイルが「ディス?」と問い返すと、ディスが低い声で言った。

『や、悪い。何でもない』

「何か、気に入らないことでもある? あるなら……」

『無えよ。それより行くならとっとと行こうぜ』

 無いはずはない、と思うけれど。言い切られてしまっては、これ以上追及する気にもなれない。いつも不機嫌そうな態度を取るディスのことだ、しつこく聞けば言い争いになって、どちらも嫌な気持ちになるに違いないから。

 セイルは唇を引き結んで、廊下を抜けて庭に出る。

 広い敷地を持つフレイザー邸だ、庭も当然ながら広い。この前のティンクルの襲撃でも庭にはほとんど被害は無かったが、今は家を修理するための資材などが片隅に積み上げられている。

 そして、ブランは庭の木々が作る影の中、長い足を伸ばして座り込んでいた。セイルたちが来たことに気づいたのか、顔を上げて手を挙げた。

「来たな、ガキんちょ」

「う、うん」

「はは、んな硬くなんなって。肩の力は抜いとかないとな」

 笑いながら立ち上がったブランは、セイルの目の前にまで歩いてくる。セイルは背筋を伸ばし、緊張の面持ちで長身のブランを見上げた。

「さて……と。始める前に、いくつか言っておくことがある」

 何、と首を傾げるセイルに対し、ブランは軽く腕を組んで言う。

「戦い方に限らずどんな技術も一朝一夕で身につくようなもんじゃねえ。中にはディスみたいな反則もいるが、基本的には時間をかけて頭と体で覚えていくもんだ。それは了解?」

 セイルは深く頷く。すぐに結果が出るわけではないことくらいは、覚悟している。だが、ただ手をこまねいているだけよりは、一歩ずつでも先に進むべきだ。シュンランとの旅がいつまで続くかはわからないけれど、この経験が生きる日はきっと来るはずだから。

 瞳に強い意志を込め、ブランを見つめる。ブランは鷹揚に頷いてみせ、口元の笑みを深くした。

「だから、俺様が教えるのは本当に基本中の基本だけ。ま、それと一緒にお前なりの理想の形も模索してく必要があるがな」

「……俺なりの、理想?」

「誰にでも得意不得意はあるし、目的や相手によっても当然やり方は変わる。自分を知り、相手を知るってのは大切なことよ。と言っても、これは口で言うよりきちんと見た方がいいな。ディスと代われ」

 ブランはちょいちょいと人差し指を動かす。セイルは少し躊躇いながらもディスに体を譲り渡した。ディスは己の左手を閉じたり開いたりしてその感覚を確かめながら、ブランを睨む。

「何すんだよ」

「少し、手合わせしようじゃねえか。実際に見せた方が早いでしょ」

 その言葉に、ディスは露骨に眉を顰めた。

「嫌だね。『アーレス』抜きで『アーレス』相手にやり合いたかねえよ」

「やあねえ、俺様そこまで大人気なくないわよ。もちろん『アーレス』抜きだし、得物も銃じゃなくてこいつにしたげるからさ」

 言って、ブランは壁に立てかけてあった長い棒を手に取った。ブランの背丈より少し短い、木の棒だ。ディスは意外に思ったのか、左手を普段どおりのナイフの形に変化させながら問いかける。

「お前、長物が得物なのか」

「ん、何でもある程度は使えるぜ。その中でも得意な方ではあるがな」

 ブランは両手で棒を握り、その先端で風を切るようにして構える。ぴたりとディスに向けられてぶれることのない先端を見るに、言葉通り棒を己の武器として扱うだけの技量があることを示している。

 ブランが構えを見せたのだから、ディスも、小さく溜息をついて構えを取るしかなかった。ディスの構えは普段と変わらぬ、重心を低く取った無駄の無い構えだ。それを確認したブランは少しだけ笑みを深めて、視線をシュンランに向ける。

「嬢ちゃんはちょっと下がってなさい。危ないからね」

「はい」

 シュンランは素直に頷いて、先ほどまでブランが座っていた木陰へと移動した。それを見届けたディスも、視線をブランへと戻す。普段は決してブランと視線を合わせようとしないディスだが、今ばかりはブランの氷色の瞳から意識を逸らすことは無い。

 呼吸を整え、四肢の先まで意識を行き渡らせる感覚に、セイルは心の中で息を飲む。ディスは戦う時には常にそうしてセイルの体を認識し、操っていたのだろうが……今まではセイル自身が意識してディスの挙動を見ていたことが無かったのだと気づかされる。

 意識を集中させ、猫のように低い姿勢で飛び掛るタイミングを計るディスに対し、ブランは肩の力を抜いた楽な立ち姿でディスを見据えている。それは、酷く対照的な姿だ。

「さて、ガキんちょ。授業の時間だ」

 ブランは歌うように、ディスを見据えたまま、その中に潜むセイルに言葉を投げかける。

「ディスの得物は『ディスコード』の本質であるナイフだ。俺様と違ってディスは不器用だから、それ以外の得物を扱うのは苦手としている」

「俺が特別不器用なわけじゃねえ、手前の頭の仕組みが天才と紙一重なだけだ」

「は、お褒めにあずかり光栄ね」

 褒めてねえよ、とディスは吐き捨てるように言う。ディスとしては「紙一重の馬鹿」と言いたかったのだろうが、そういう皮肉はブランには理解されていたとしても通用はしない。

「じゃ、実際にお手並み拝見、っと」

 ブランは無造作とも思えるような動きで、手にしていた棒を突き出した。未来を見る瞳を封印しながら、正確無比にディスの眉間辺りを狙った一撃だ。ディスはひゅっと息を飲んでそれをぎりぎりのところでかわし、ブランが棒を引き戻す動作を許すまいと地を蹴る。

 ディスの武器、左手の刃は距離を取られていては真価を発揮しない。だからこそ、セイルの持つ高い身体能力と小さな体を生かし、地面すれすれを走りぬけブランの武器の死角に潜り込もうとする。

 が。

 ディスははっとして咄嗟に足を退こうとするが、遅かった。セイルの意識に、思わずうめき声を上げたくなるような鋭い痛みが走る。

 ブランが棒を持つ手を捻り、突き出したのとは逆側の先端でディスの足をしたたかに打ったのだ。ディスは苦悶の表情を浮かべ、残った足で跳躍して間合いを離れる……否、それは本来ならば十分にブランの得物なら追撃の範囲にある距離だ、そのくらいは微かに歯噛みしたディスには当然理解出来ていただろうし、ディスの中から見ているセイルですら理解できた。

 だが、今は「授業」だからだろう、ブランは追撃をしようともせず、とんと棒を地面について元の楽な姿勢に戻る。

「こいつは速くて判断も正確だが、動き自体は直線的で読み易い」

 悪かったな、とディスは悔しそうに言うが、ブランは「別に悪いって言ってんじゃねえよ?」と苦笑する。

「ただな、ディス。お前さんはちと使い手に頼りすぎ」

『使い手に、頼る? 別に俺が何をしてるわけでもないのに?』

 セイルは意識の奥底に沈んでいるだけで、ディスが戦っている時にはただ見ているだけではないか。しかしディスはブランの言っている意味がわかったのだろう、軽く唇を噛んで眉を寄せる。

「これも前に言っただろ、セイル」

『あ……それってもしかして、俺の身体能力が高いとか、そういうこと、だっけ』

 かつて、ディスは言っていた。セイルの身体能力は常人を遥かに上回る。自分は戦い方を知っているだけで、実際に戦うのはあくまでセイルの体なのである、と。

 沈黙するディスに代わって、ブランが「そういうこと」とこつこつ棒で地面を叩く。

「ディスの強さは、使い手の能力に大きく左右される。偶然馬鹿高い身体能力のガキんちょが使い手だったからよかったようなもんで、他の奴が使ったらクラスタ弟に勝てるかも怪しい」

 正確に言うならば一回目は『ディスコード』の性能を相手が知らない分十二分に勝ち目はあるけれど、二回目以降は力で押される可能性が高い、というのがブランの分析だ。ディスもほぼ同じ意見なのだろう、沈黙したままではあったが、反論はしない。

「……ただな、それは本当に悪いこととは言えんのよ。ディスが『ディスコード』である以上、避けられねえからな」

『体は使い手のものだから、ディスが力や素早さを自分で鍛えたりすることは出来ない、ってこと?』

「正解。ディスが唯一『一から十まで己のもの』と言えるのは、それこそ戦闘に関する経験と知識だけだ。その扱い方は相当上手い部類だと思うがな」

「褒められても全く嬉しくねえのは何故だ」

「俺様の人徳じゃねえかな?」

「自分で言うな」

 ディスはむっとした様子で言いながらも、軽く先ほど打たれた足を振る。微かな痛みはあったが、別段骨や筋に影響のありそうな痛みではない。青痣くらいは出来るかもしれないが。

 それを確かめてから、ディスは眉間の皺を深めて左手の刃を消す。ブランが「おろ?」と不思議そうな顔をしてみせたのを無視して、セイルに向かって言う。

「もう見せるもの見せたからいいだろ。戻るぞ、セイル」

『え、あ、うん』

 まだ終わりだと言われてもいないのに、何故戻ってしまうのだろうか。そう思わなくも無かったが、気づけばセイルの体の主導権はセイル自身に戻り、ディスは先ほどまでセイルがいた意識の奥底に潜り込んでしまった。

 しばし呆然と突っ立っていたブランは片手で頭をかき、苦笑する。

「俺様なんかに気遣わなくてもいいのに。本当に変なとこで律儀な奴」

「ディスがブランを気遣った……って、どういうこと?」

「や、独り言独り言。じゃ、授業に戻るぞ」

 ブランは無造作ともいえる動きで棒を振るい、セイルの耳の横にぴたりと当てる。空色の髪が温い空気に揺れてセイルはびくりと震えたが、ここで怯えて目を逸らしてはならないと目を見開いてブランを見つめる。

「……俺様の目から見ても、お前さんの潜在能力は高い。が、ディスとは逆に、お前さんには圧倒的に戦闘の経験と知識が足らねえ。それと『お前さん自身』に対する知識もな」

 ブランは棒を構えたまま、セイルの目を見つめて言葉を紡ぐ。

「お前さんは、今の自分がどういう能力を持っていて、何が出来るのかをわかっていない。そこを理解しない以上、効率的に経験や知識を身につけることは出来ねえ。これは勉強と違って体と頭、どちらも伴って初めて意味を成すわけだからな」

 セイルは自分の右手を見つめる。昨日、人を殴った感触はまだ忘れられてはいない。自分が思っていたよりもずっと強かった力。無意識に手加減することを覚えてしまっているセイルにとって、今まで「自分の本当の力」がどのくらいなのかを確かめる手段などあるはずがなかったのだ。

 ディスはセイルの体を自在に扱っているように見えるが、実際にはセイルの持つ力の一部分を使っているだけのはずだ、とブランは説明を加える。

「だからこそ、お前自身で自分のことを理解する必要があんのよ」

「でも、どうやって?」

「そうね、実際に動いてみるのが一番手っ取り早いんじゃねえかな」

「えっ」

 驚きに目を見開くセイルに対し、ブランは棒を引いて軽い足取りでセイルとの距離を取った。そして、棒で地面に自分を中心とした小さな正円を描いて、笑いながら言う。

「どんな手段を使ってもいい、俺様を、この円の外に動かしてごらんなさいな」

「ブラン、を?」

「あ、ただし素手でよろしく。『ディスコード』とか使われたら流石の俺様も全力で逃げたくなるから」

 それはそうだ、『ディスコード』は金属ですら一刀両断できる刃、いくら剣を振るう心得の無いセイルでも、下手にブランに当ててしまったら命の危険が生まれる。

「当然、こちらも素手だし『アーレス』は使わない」

『俺が助言するのは?』

「却下。それじゃあ、ガキんちょを試す意味がないじゃない」

 ブランは軽く肩を竦めて見せる。ま、そりゃそうだなとディスは言って再び心の底に潜っていった。それを意識で見届けたセイルは、ブランに意識を戻して質問を投げかける。

「その、俺、本気で行っていいの?」

「ん、全力じゃないと意味無いわよ。まあ、俺様を砂袋か何かと思って遠慮なく殴りかかってきなさいな」

 そんな風に思えるはずはなかったけれど。セイルは一抹の不安を覚えつつも、自分とブランとの距離を目測で計る。

 ――ディスならば、一息で飛び込める距離だ。

 何度かの交戦を経て、ディスが戦っていた時の感覚は理解出来つつある。そして、ディスが使っていたのは自分の体。ディスに出来て、自分に出来ないことはないのだ。そう自分自身に言い聞かせて、呼吸を整えて。

 ディスがそうしていたのと同じように、体を低くして地を蹴った。

 だが、慣れない姿勢だからだろうか、思ったよりも足に力が入らずに、何処かつんのめるような感覚で一歩を踏み出してしまう。見上げるブランはいつも通りのニヤニヤとした笑み。何とかブランに届こうともう一歩を踏み出し、腕を伸ばしてその細い体を掴もうとするが……

 その腕を、ブランは避けることなく逆に引き寄せるように掴んできた。

「……っ?」

 疑問符を飛ばした、その瞬間。

 視界が、逆さになった。

 そう思った途端に背中に強い衝撃が走り、一瞬呼吸が止まる。体が呼吸を求めるも、急に肺に入り込もうとする空気に思わずむせ込む。けほけほと咳をしながら、やっとセイルは自分がブランに投げられたのだ、という事実を痛みと共に認識した。

 仰向けになって見上げるブランは「あ」という表情をして、何処か乾いた笑いを浮かべながら片手をひらりと挙げた。

「言うの忘れたけど、俺も一応抵抗はするから」

「砂袋は抵抗しないだろ!」

 微妙にとんちんかんな反論を投げつけながらも、セイルは途方に暮れるしかなかった。

 いくら『アーレス』を使わないといっても、相手はブランだ。素手でごろつき数人を相手取ってこてんぱんにのしてしまった、という話を聞かされたばかりの相手に、喧嘩すらろくにしたことのないセイルが太刀打ちできるはずもない。

 多分、提示された条件から考えるにブランもいくらか譲歩してくれているのだろうが……それでも、届く気がしない。

 地面の上に座りこんで憮然とするセイルの顔を、ブランが大きな目で覗き込んでくる。

「なあに、もうおしまい?」

「む、だって……」

「あのな、別に今すぐ条件を満たせ、とは言ってねえよ? お前さんが俺様相手にどうするか見たいだけなんだから。でも、そうね」

 ブランはほんの少しだけ笑みを深めて、ぽんぽんとセイルの頭を撫でた。

「あと半刻の間にここから俺様を動かせたら、一回だけお前さんの言うこと何でも聞いてやるよ」

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