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空色少年物語  作者: 青波零也
第一部 空色少年と賢者の行方
51/131

幕間:五番目の剣

 夜。

 酒場には、一人の男がいた。カウンターで琥珀色の液体が注がれたグラスを傾ける彼以外にも数人の客がいたが、薄暗い店内はやけに静かで、魔石ラヂオが流すノイズ交じりのゆったりとしたテンポの即興曲が心地よい。

 そんな中、きぃという扉の軋む音が響く。新たな客の訪れに、カウンターの向こうでグラスを磨いていた主人が「いらっしゃい」と声をかける。客たちもちらりとそちらに視線を向けたが、すぐに興味を失って己の持つグラスに意識を戻す。

 ただ、彼だけはそちらを少しも見ることなくグラスの中の液体を一気に煽り、それから、主人に新たな酒を頼んだ。この程度ではまだ酩酊には程遠かったから。

 そんな彼のすぐ横の席に、客が座る気配があった。そして、その客は良く通る声で言った。

「俺も、同じものを」

 彼はそこで初めて客に視線を向けた。すると、客の男は柘榴石を思わせる深紅の瞳で彼を見て、朗らかに笑う。

「それにしても久しいな」

 それは、昼間、セイルたちと出会ったユーリスの影追い――ルクス・エクスヴェーアトだった。彼も「久しぶり」と気の無い声で返した。

「話には聞いてたが、本当にワイズにいたんだな」

「ああ。一応、上からの命令だからなあ」

「神殿からいつも捜索願が出されるルクス様が、命令で動くたあねえ」

 ルクスは「はは」と苦笑しながら、酒場の主人が差し出したグラスを受け取る。彼もグラスを手にすると、どちらからともなく軽くグラスを打ち合わせる。硝子が触れ合う高い音が、静かな酒場にやけによく響いた。

「再会を祝して、ってところか?」

「祝すような関係じゃねえけどな」

 口の端に皮肉げな笑みを浮かべて、彼はちまりと琥珀色の液体を口に運ぶ。ルクスもちまちまと酒を舐め、しばし二人は黙り込んだ。いつの間にか流れていた即興曲は終わっていて、耳に馴染んだピアノの音色が聞こえてくる。

 独特の変拍子のリズム、少しばかり物悲しさを秘めた旋律の前奏が流れ、微かな呼吸の音に続いて、澄んだ女の声がピアノの音に歌をのせる。彼は、自然と視線をルクスからラヂオの方へ向けていた。

 優しい声は、決してこの静かな酒場の空気を乱すことは無い。けれど、どうしても。彼はその声に意識を向けずにはいられなかった。

「この歌、好きなのか?」

 ルクスが、歌声を邪魔するのを避けてか小声で彼に問いかける。ただ、彼はそれに正しく答えを返せるとは思えなかった。「好き」かと問われると、わからない。この歌を聴く度に胸に渦巻く不可解な感情、目蓋の裏に浮かぶ光景を「好き」と言い切ることは出来ずにいる。

 青い空、そこに飛び立つ黒い影。それが、両の腕を広げた人の形をしていたことも、はっきりと、はっきりと、今もなお記憶回路の何処かに焼きついて忘れられずにいる。

 だから。

「さあなあ」

 と、曖昧な言葉でかわし、ルクスが次の言葉を投げかけてくる前に、ルクスに視線を戻して話を変えた。

「とっとと本題に移ろうぜ、第七番」

 彼の言葉にルクスは頷き、それこそラヂオから響く女の歌声にかき消されそうになるくらい、低く、小さな声で彼に言う。

「女神ユーリスの宣託が下った。『虚絶ち』第五番、君に『鍵』の確保と『鍵』を持ち出した少女の保護が任されることになった」

 彼はすぐには答えず、ゆったりとした動きで酒を飲み下す。空になったグラスの中で、まだほとんど溶けていない氷がからりと音を立てる。透き通った氷の表面が、覗き込む彼の顔を歪めて映し出す。

 彼が答えないのを、躊躇いと見たのか。

 ルクスは目を細め、そっと彼に問いかける。

「まだ、『剣』を返還する気はないんだろう?」

 小声で囁かれたルクスの言葉に、つと視線を上げた彼は「もちろん」と満面の笑みで応じる。彼のそんな反応は想定に無かったのだろうか、ルクスは深紅の目を見開いて、驚きの表情を浮かべる。

 だが、彼は何故ルクスが驚くのかがわからない。

 銀の輪を嵌めた手首に視線を落とす。女神ユーリスの手で創られた『剣』を手にし、第五の剣として楽園の憂い、虚妄を絶つ『虚絶ち』としての立場を手に入れたその日から、遅かれ早かれこの時は来ると覚悟していた。それが今だった、それだけだ。

 驚くことは何一つ無い、後はそう、ただ彼が『決断』するだけだ。

「第五番、了解した――そう伝えといてくれ。後でこちらからも神殿には連絡を入れとく」

「ああ。だが、いいのか」

「何がだ?」

 純粋に、ルクスの問いの意味が理解できず、彼は新たな酒を主人に頼んだその姿勢のまま、視線だけをルクスに戻して首を傾げる。ルクスはまだ半分以上酒の残っているグラスを両手に持ったまま、複雑な表情を彼に向ける。

 数秒の間言葉も無く、視線を交錯させて。

 やがて、彼から視線を逸らしたルクスは諦めたように肩を竦めた。

「俺には君がさっぱりわからんよ、青年」

「わからなくて結構だ。俺もアンタのことはさっぱりわからんしな」

 そりゃあそうかもな、とルクスは苦笑する。彼はそんなルクスを、笑顔ながらもただただ淡々と観察していた。

 女神直属の暗部『虚絶ち』第七番ルクス・エクスヴェーアト。長らくその場に座し続け、それでいて決して盲目的に女神に仕えているわけでもないこの男の心こそ、誰も掴めないものではないか。そう、彼は思う。

 人とは違う時間を生き続ける男の心など、わかったものではない。

 ――いや、「人とは違う時間」というならば、ある意味で自分も同じといえるか。

 彼は自嘲気味に、くすりと笑う。ルクスは怪訝そうな顔を浮かべたが、それを問うたところで意味が無いことも承知だったのだろう、グラスの中の酒を、少しずつ舐める。

 いつしか彼の記憶を呼び起こす歌は止み、木管楽器による古い室内楽の編曲へとラヂオの音は変わっていた。ルクスは空になったグラスをカウンターの上に置き、立ち上がる。

「それじゃあ、俺は行くぞ。君の伝言は確かに第一番を通して女神に伝えておこう」

 彼はここに来て五杯目になるグラスを手にして、ルクスを見上げる。

「で、ルクスさんよ」

 彼は口元に浮かべた笑みを、苦笑に変える。

「お前の飲んだ酒は、俺が奢らなきゃならんのか?」

 それに対するルクスの返事は、一瞬の沈黙、そして酷く空々しい笑い声だった。

 彼は大げさに溜息をつき――渋々財布を取り出した。

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