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空色少年物語  作者: 青波零也
第一部 空色少年と賢者の行方
48/131

10:見知らぬ旅人(2)

「……あれ、何?」

「人です」

「いや、うん、それはわかるよ。わかるけど」

 朝食を食べた後、セイルとシュンランは、チェインから頼まれた買い物のために、市場へと向かっていた。預かった地図を片手に、他愛の無い話をしながら少しだけ細い道に入り……そこで、それを見つけてしまった。

 それは、シュンランの言うとおり、確かに人だった。

 道端に何だかものすごい格好で蹲る、背の高い男だった。

 道に人の姿が見えないのは、きっと、この男の姿を見た瞬間に回れ右をしたからではないだろうか。町の人らしい格好をしていれば大丈夫かと声をかけたところだが、綺麗な縁取りを施された黒い服と海の色を染め抜いたような青いマントを砂埃に汚し、銀色の長く細い三つ編みを地面に垂らしたその姿は、明らかに「ただの町の人」からはかけ離れているわけで。

 これは、関わり合いになるべきではない。

 セイルはそう断じた。ただでさえ『エメス』や影追いなど、普通には関わり合いになりたくないような相手とばかり接しているのだ。今この光景を見なかったことにすることくらいは、許されるはずだ。

 だから、その場を離れようと横に立つシュンランの手を握ろうとして、その手が空を切る。え、とシュンランを見れば、シュンランはちょこちょこ倒れている男に近づいて、指先でその肩をつついているところだった。

「しゅ、シュンラーン!」

「だいじょぶですか?」

 ああシュンラン、君の優しさと好奇心はよくわかっているけれど、使う場所はちょっとだけ選んで欲しい。セイルはそんな心からの声を何とかぐっと押さえ込み、死んだ魚のような目でシュンランの背中を眺めることしか出来なかった。

 シュンランはしゃがみこみ、空色の花飾りで束ねた白い髪を揺らして首を傾げる。

「生きてるです、きゃっ」

 シュンランが急に悲鳴に上げたものだから、セイルは慌ててシュンランに駆け寄った。

「どうしたの、シュンラン!」

 見れば、今までぴくりとも動かなかった男が、いつの間にかシュンランの手首を掴んでいた。恐ろしさよりも先にまず驚きが勝ったのだろう、すみれ色の瞳を大きく見開いて硬直するシュンランに対し、男はゆっくりと顔を上げた。

 よく見れば、美男で通る、鼻筋の通った端正な顔立ちをしている。だが、その顔色は蒼白を通り越して土気色で、珍しい深い赤色の瞳も虚ろでまともに焦点が合っていない。セイルがシュンランから男の手を引き剥がそうかと迷っていると、男はすがるようにシュンランを見上げ、呟いた。

「ああ、見知らぬお嬢ちゃん……ど、どうか、助けてくれ……」

 シュンランは掠れた男の声を聞き取ろうと、顔を寄せて首を傾げる。

「どうしたですか? 痛いですか、苦しいですか?」

 どうやら男が本気で助けを求めているらしい、と思ったセイルもシュンランの横に膝をついて、男の顔を覗き込む。男は苦悶の表情を浮かべながら、ただ一言、言った。

 

「食べる物を、くれないか」

 

『……は?』

 

 セイルとシュンランの声が、唱和した。

 

 ――そんないきさつを経て、セイルは今、テーブルの向こうに座る男を、とても冷めた目で見つめていた。男はそんなセイルの視線には気づかぬ様子で、一心不乱に並べられた料理をむさぼっている。

「とても、おなかがすいていたのですね」

 頼んだジュースをちまちまと飲むシュンランは、のほほんとしたものだが……セイルは、買い物のために、とチェインから渡された財布の中身と男が頼んだ料理の値段を見比べて、肩を落とさずにはいられなかった。

 別に、事情を話せばどうということはないのだろうけれど。人助けなのだから、普通ならこんなに重たい気分にはならないと思うのだけれど。助けを求めていた原因が、単なる空腹だというのは、何とも。

「それにしても……どうして、あんなところに倒れていたんですか?」

「む? もひゃももひゃむ」

「ごめんなさい、食べ終わってからでいいです」

 口の中に食べ物をいっぱいに詰め込んだ男を見て、セイルは諦めて首を横に振った。男はごっくんと口の中のものを飲み下すと、深々と息を付いた。どうやら食事を腹に入れたことで生気も蘇ったようで、上げた深紅の瞳には明るい光が宿っていた。

「いやあ、流石に今回は死ぬかと思ったが、優しい少年と嬢ちゃんのおかげで助かったよ。本当にありがとう、少年たちは命の恩人だ」

「命の恩人だなんて、大げさですよ。そもそもあんな街中で餓死されても笑えませんって」

「何を言う、少年! 大都会というのは、とても薄情なものなんだぞ……腹をすかせて倒れている旅人に、パンの一つも恵んでくれない!」

 いや、自分だってあんまり関わりたくなかった。セイルはその思いを噛み締める。シュンランがいなければ、見て見ぬ振りを決め込んだと思う。だが、そんなセイルの思いも知らない男は大都会の薄情さについてとうとうと語る。

 すると、そんな男の言葉が途切れた瞬間に、シュンランがふわりと微笑んで、言った。

「パンが買えなければ、盗めばいいのですよ」

「シュンラーン!」

 まさかシュンランがそんなことを言い出すとは思わず、叫んでしまうセイル。男も、可憐に見える少女がそんな痛烈な提案をするとは思わなかったのだろう、目を見開いている。

 シュンランは何故セイルと男がそんなに驚くのかわからない、といった表情で首を傾げながらも淡々と続ける。

「盗んで、おなかがいっぱいになったら働いて倍にして返すです。おなかがすいては働けません」

「う、うん。それはそれで間違ってないかもしれないけど……せめて、お願いして譲ってもらうとかさあ」

「本当におなかがすくと、目の前にパンがあると食べてしまうです。食べてから考えます」

「そ、そういうもの、なんだ」

「そういうものです」

 一体、シュンランはどんな暮らしをしていたのだろう。初めて出会った時の身なりや彼女の言葉から、蜃気楼閣にいた時にはそれなりの待遇を受けていたと推測できるが、そうすると、これは失われた過去にまつわる記憶なのだろうか。だとすれば、どれだけ壮絶な生活を送ってきたのだろう。

 セイルがシュンランの過去に思いを馳せてしまっている間、男はうんうんとシュンランの言葉を感慨深げに聞いていた。

「嬢ちゃんは若いのに苦労してるんだなあ。お兄さんも見習わなきゃなあ」

「しかし、一番いいのはきちんとお金を払ってご飯を食べることです。あなたは、お金を持たないですか」

「うっ」

 とても根源的な問題を突きつけられた、という顔をする男。だが、シュンランは視線を逸らそうとする男の目を、そのすみれ色の瞳でじっと覗き込む。

 男はしばし虚空に視線を彷徨わせていたが、やがてフォークを握り締め、搾り出すような声で言った。

「見つからないんだ」

「え?」

「鞄の中を探しても、どこを探しても財布が見つからないんだ……っ!」

「あー、つまり、失くしたんですね」

 セイルはただただ呆れるしかなかった。男も流石にセイルの視線が冷たいことに気づいたのだろう、慌てて弁解する。

「い、いや、別にいつも失くしてるってわけじゃないんだぞ? ただ、気づいたら鞄に穴が空いていて、財布だけが消えている……よくあることだと思わないか、少年」

「無いですよ! もしかして、そんなほいほい失くしてるんですか?」

 うう、と男は情けない表情で肩を落とす。これが、セイルたちに飯を奢らせるための嘘、というならセイルもシュンランを連れてさっさとこの場を離れているところだが、男の真剣そのものな表情を見る限り、嘘とも思えないのが困ったところだ。

 悪い人ではないかもしれないが、とにかくとても困った人なのだな、と思うことにして、こんな不毛な話をしていても仕方ないとセイルは話題を変える。

「そ、それはそうとして。えっと」

 男の名を呼ぼうとして、不意にまだこの男の名前を聞いていないことに気づいた。男も、セイルの反応で気づいたのか、すぐに言った。

「悪い悪い、世話になったのに名乗ってもいなかったな。ルクスだ。ルクス・エクスヴェーアト」

「ルクスさん、ですか。俺はセイルでこっちはシュンランです」

 セイルも名乗ると、男――ルクスはセイルとシュンランに交互に視線を向けた。こちらを見据える瞳は、深い、深い、吸い込まれそうな深紅をしている。けれども、そこには例えばブランが見せるような冷たさはなく、相対する人を安心させる、そんな色合いだった。

「少年がセイルで、お嬢ちゃんがシュンランね。その様子だと、少年たちも旅をしているのかい?」

 はい、とセイルが頷くと、ルクスは少しだけ苦い顔になった。

「こんな物騒な時期に旅なあ。お兄さん、感心しないぞ。少年たちも知らないわけじゃないだろう、異端結社『エメス』を名乗る連中が、各地を襲撃している。ついこの間も、『エメス』との関係が疑われてる謎のゴーレムが、あそこを破壊したって噂じゃないか」

 言って、ルクスはフォークで窓の外に聳える時計塔を指す。時計塔の頂点には足場が組まれ、今もなお補修工事が進められていたが……セイルは、あの上からティンクルに突き落とされそうになった瞬間を思い出して、反射的に身を震わせる。耳の横をごうごうと吹きぬける風の音、痺れる腕の感覚、その全てがまざまざと脳裏に蘇ってしまったのだ。

 言葉を失って俯くセイルに対し、シュンランが首を傾げてルクスに問う。

「確かに危ないです。しかし、ルクスも同じに危ないです。だいじょぶですか?」

「はは、まあ危ないけどな、お兄さんはそれがお仕事みたいなもんだから」

「ルクスは、何をしている人なのですか?」

 お兄さんはこういう者だよ、と懐から何かを取り出した。それは、メダルのような形をした、金製のマント留めだった。そこに描かれていたのは――

「十字に樹の文様? もしかして、ユーリス神殿の神聖騎士、ですか?」

 セイルは、微かな驚きと共に問う。神殿、という言葉に、シュンランが微かに緊張する気配が伝わってくる。

 神聖騎士。それは、チェインをはじめとする神殿が密かに組織する暗部『影追い』とは異なり、神殿が大々的に組織する、女神と世界樹を守護する存在だ。基本的には本殿の守護を任されているが、中には楽園を巡って人を襲う魔物を退治することもある。ただし、「隊」として動くことがほとんどであり、単独行動の騎士というのは珍しい。

 実際、セイルも故郷の町で何度か騎士の姿を見たことはあるが、彼らは一様にルクスが持つものと同じ十字に樹の文様を身につけ、白銀に輝く鎧を纏い、女神に祝福された銀の武器を携え、背筋を伸ばして集っていた。

 そんなセイルの知る「騎士」と違い、鎧もろくに身に着けず、武器らしい武器を持っているようにも見えないルクスは大げさに肩をすくめて見せた。

「ほとんど肩書きだけだけどな。騎士の仕事が嫌いでな、いつもは逃げ回りつつ首狩りの真似事をしてるのさ。とはいえ今回ばかりは仕事しなきゃクビだって脅されて来たんだが……」

 財布をなくして途方に暮れていた、というわけか。

 この瞬間、セイルの中の「騎士」のイメージががらがらと音を立てて崩れた気がした。この旅を始めてから、ただでさえ神殿のイメージを改めるような出来事ばかりだというのに、これ以上心象を微妙な方向に持っていかないで欲しいものだ。

「仕事、ですか。どのようなお仕事か、聞いてもよいですか」

「ああ……というか、もし知っていたら是非協力してもらいたいんだが」

 ルクスはシュンランの問いに対し、少しだけ声を落とし、真面目な顔つきになって言った。

「セイル・フレイザー博士の居所を、知らないか?」

「フレイザー博士の?」

 セイルは、思わず声を上げてしまった。居所も何も、今セイルはそのフレイザー、ブランの家で寝起きしているのだ。知らないはずはない……が。

 シュンランは、すみれ色の瞳を細めて、セイルを睨んだ。彼女には珍しく、鋭く刺すような視線にセイルは喉元まで出掛かっていた言葉を飲み込んだ。

 そうして、セイルも、一拍遅れて気づく。

 この情報を渡すかどうかは、きちんと考える必要がある。セイル・フレイザーは、周囲にはそうと知られてこそいないが、まごうことなき異端研究者だ。目の前のルクスが神殿の騎士であるとわかった以上、馬鹿正直に話せばブランが危ないし、これからの自分たちの旅にも支障が出るに違いない。

 シュンランは、大きな目をぱちぱち瞬きしながら、細く白い指を組んでルクスを見上げる。

「フレイザー博士、というのは、学院の偉い博士さんですね」

「そう、魔道機関の偉い博士さ。と言っても旅がちで、学院の連中でも、それこそ弟子だって居場所を知らないと来た」

 ただ、近頃こっちに戻ってきたらしい、という噂を聞いて駆けつけたのだ、というルクスの言葉に、セイルは首をひねる。

「どうして、フレイザー博士を追ってるんですか?」

 ルクスは「そうだなあ」と腕を組んで、宙に視線を彷徨わせながら言葉を紡ぐ。

「神殿はフレイザー博士に頼ってるところがあってな。ちょいと、博士の力を借りたいことがある、ってとこかな」

 それ以上はお兄さんが言うとちょいと問題あるから言えないんだ、とルクスは唇の前に人差し指を立てる。騎士には影追いほどではないが職務上の機密も多いというから、それはある意味、当然の反応だろう。

 しかし、セイル・フレイザーというのは神殿に信頼されるほどの博士だったのか、とセイルは驚くが、考えてみれば魔道機関という新しい技術を通して魔法を奨励する女神ユーリスに貢献しているフレイザーは、神殿からすれば確かに無くてはならない存在なのかもしれない。

 同時に、実際には正真正銘の異端であるフレイザーことブランに知恵を借りる、という辺り神殿も随分と人を見る目が無いのだな、と思わずにはいられないわけだが。

「というわけで、俺はフレイザー博士と会ってお話せにゃならんのだが、肝心のフレイザー博士が見あたらないんだ。ワイズにいるって話は聞くんだが、博士がいそうな場所を当たっても、さっぱり足取りがつかめない」

 くうっ、と涙を呑む仕草をするルクスに対し、それはそうかもなあとセイルは呆れ半分に思う。何しろ、フレイザーその人の家にいるセイルでさえ、一日中ブランに会わないことがあるのだから。

「というわけで、何か博士の居場所について知ってることは無いか、少年にお嬢ちゃん。何でもいい、本当に何でもいいんだ! また『見つからない』って帰ったら、今度こそアイツにゴミを見るような目で見られるんだ……!」

 すがるようなルクスの声には、切実さが篭っていた。ルクスの言う「アイツ」が誰なのかはちょっと気になるところだったが、セイルが何か声をかけるべきかと言葉を考えている間に、シュンランが言った。

「フレイザー博士は知っています。しかし、わたしも居場所は知らないです」

「……シュンラン?」

 セイルが思わず小声で問うと、シュンランは「嘘はないです」とセイルに耳打ちした。

「わたしは、今のブランが何処にいるか、何をしているか知らないですよ」

「そ、そうだけど」

 ですから、と言ってシュンランはすぐにルクスに視線を戻し、微かに笑んで言った。

「わたしたちも、博士を探すことを手伝うですよ」

「本当か? それはありがたいなあ」

 ルクスは愉快そうに笑うが、セイルは何とも不可解な気分になってシュンランを見る。シュンランは微笑みを浮かべたまま、言った。

「わたしも、博士に興味があるです。色んなことを、知りたいです」

 ――そう、か。

 セイルも、やっとシュンランの狙いを察した。

 これは、自分たちにとってもいい機会だ。今まで行動を共にしながらも、実のところ何一つとして知ることの出来なかったブラン……セイル・フレイザーについて、少しでもわかることがあるかもしれない。

 一番いいのは本人から聞くことだろうけれど、知る手段は決して一つではないのだ。

「嬢ちゃんはこう言ってるけど、少年は異論無いのかい?」

 ルクスの問いに、セイルは一瞬だけ躊躇って、しかしすぐに力強く頷いた。

「はい。ルクスさんが迷惑でなければ、ご一緒させてください」

「そうか。それじゃあ、とりあえず外に出て聞き込んでみるか。で、だな」

 ルクスは、自分が平らげた十枚近くの皿を見て、何か懇願するような瞳でセイルを上目遣いに見上げた。と言っても、ルクスの方がセイルよりもずっと背が高いため、わざわざ頭を下げてセイルをうるんだ目で見上げる、とてつもなく不気味な光景であった。

「……俺が全部払います。払いますから、そんな顔しないでください」

 後で、チェインには一から十まで説明しなければいけないな……そう思いながら、セイルは深々と溜息をついて財布の中から銀貨を数枚取り出した。

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