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空色少年物語  作者: 青波零也
第一部 空色少年と賢者の行方
45/131

09:学問都市ワイズ(4)

 ティンクルは、がん、と一際強く機兵の足を蹴る。汗で滑りやすくなっていたディスの手が、更に滑る。

「――っ、」

 ディスは何とか片腕で耐えるが、ティンクルはそんなディスの前で、虚空に手を伸ばす。その手が夜空にずぶりと埋まり、次の瞬間に引き抜かれたその手の中には、見覚えのある武器が握られていた。

 あれは――ラグナが持っていた、ディスを倒した武器!

 セイルははっとして、ディスも目を丸くする。ティンクルはにっこりと微笑んで、ラグナが持っていたものよりも長さのある、杖のような武器に口付ける。

「えへへ、吃驚した? これね、ノーグがくれた対『ディスコード』武器! 『ディスコード』は磁力に弱いんだって。ノーグってとっても物知りだよね、とってもかっこいいよね、とっても素敵だよね?」

 ティンクルは言いながら、その武器をかろうじて機兵の関節を掴んでいる左手に向かって突き下ろす。ディスはぎりと歯噛みし、「悪い」と短く呟いた。その言葉が終わらないうちに左手に激痛が走り、セイルは慌てて右手で関節を掴み直す。

 ディスは、今の一瞬でセイルの奥深くに潜り込んだらしく、体の主導権はセイルに戻っていた。

「ディス! 大丈夫?」

『今んとこは大丈夫だ……が、やばい。アレがあると、外に出られねえ……っ』

 奥底から、微かにディスの声が響く。

 セイルの中にいれば、何とか耐えることに集中できるけれど。ディスがセイルの体を使う場合、セイルの体を使う方に集中してしまい、耐え切ることが出来ないのだとディスは早口に説明する。

 特に、こんな不安定な姿勢では、到底今の一撃に耐え、なおかつ落ちずにいることなど、出来なかったはずだ。

『悪い、セイル!』

「う、ううん。大丈夫、大丈夫、だけど……っ」

 この状態から、どうしろというのか。ティンクルは、もう一度、とばかりにセイルの右腕に向かって漆黒の棍棒を叩き下ろそうとする。この一撃でディスが傷つくことは無いかもしれないが、左手に力が入らない今、右手までやられれば確実に真っ逆さまだ。

 けれど。けれど――

「それは、駄目です……っ!」

 武器が振り下ろされそうになったその時、ティンクルにシュンランが体当たりした。だが、ティンクルは軽く体を捻っただけでそれをかわし、勢いづいて機兵の角を踏んだシュンランの体がぐらりと傾ぐ。

 その時、セイルの頭の中で、何かがかちりと嵌った気がした。

 途端、世界は音を失い、体が驚くように軽くなる。まるで羽のように重さを忘れた体は、右腕一本で軽々と機兵の体の上まで登りつめ、今にも落下しそうな体勢でその場に留まっていたシュンランの体を支える。

 驚きの表情を浮かべたティンクルは酷く緩慢な動きで武器を叩きつけようとするが、セイルはその横をいとも簡単にすり抜けて、シュンランを抱いたまま機兵の体を蹴る。

 跳躍。

 ふわりと浮かび上がった体は、機兵が不安定な格好で突き刺さっている位置よりも高い、時計塔の屋根の頂点へと降り立つ。足場は不安定だが、しっかりと靴の裏で滑りそうになる体を繋ぎとめて。

 その瞬間、ごう、という激しい風の音とともに体の重さが蘇り、先ほどまでセイルがいた場所に顔を向けていたティンクルがぱっとセイルを見上げる。

「何……何、したの?」

 セイルの腕の中のシュンランも目を白黒させているし、ディスもセイルの心の中で呆然としている。実際、当の本人であるセイルにも、一体何が起こったのかわからなかった。ただ、急に体が軽くなって、自分でも驚くような動きでシュンランを助け出すことが出来た――

 が、それを自覚した瞬間に背筋が凍った。もし、自分が失敗していたらシュンランと自分は地面に叩きつけられて、見る影もなくなっていたはずだ。それを想像してしまい、セイルは思わず身震いする。

 その隙をティンクルは見逃さなかった。一瞬前のセイルに劣らぬ動きで機兵の体を蹴って高く跳躍、棍棒でセイルを叩き伏せようとする。セイルは咄嗟にシュンランを庇うように立つが、『ディスコード』も使えないセイルに、それを受け止める術も無ければ避けることも出来ない。

 襲い来る痛みを想像して唇を噛んだセイルだったが、ティンクルの棍棒が振り下ろされる瞬間に、聞き覚えのある乾いた音が響き渡り――鈴の音と共にティンクルの腕が跳ね、棍棒が手から抜けて真っ逆さまに落ちていった。

 ティンクルは唖然として、ゆっくりと自分の手を見る。手には、一瞬前までは無かった穴が穿たれ、そこから赤い液体が零れ落ちていた。

 撃たれたのだ。それは、ティンクルすらそれと気づかぬほどの、刹那の出来事。それを、セイルたちが理解できるはずも無かったけれど……

「『ディスコード』!」

 静かな、しかし酷くしゃがれた声が響いた途端、ディスがセイルの主導権を奪い取って左手を刃の形に変形させる。左手の感覚はまだ薄かったが、ディスは構わず屋根に降り立ったティンクルに肉薄し、斬りつけようとする。

 ティンクルは「きゃっ」とたたらを踏んで、そのまま空中へと体を投げ出す。夜空にふわりと浮かび上がったティンクルは、刃を構えたディス、否、その後ろに立つ者に向かって頬を膨らませてみせる。

「もう、また邪魔されちゃった。でも、あなたは嫌いじゃないから、許したげる」

「はは、ありがとさん。ついでに、あの家の修理代くらいは出してくれないかしらん」

 ディスの肩を抱くようにして、前に出たのは……ウルラの森で別れたはずのブランだった。ティンクルは血まみれの手を振って「んー」と考える仕草をしたけれど、すぐににっこりと笑って言った。

「きっと、駄目だと思うの。ね、あなたは見逃したげるから、許して?」

 ブランは「残念だなあ」と全く残念さを感じさせない声で言って、それから目を細めた。その目に宿った冷たい光が鋭さを増したのを、セイルはディスの視界越しに捉えていた。

「俺様を見逃してくれるのも、賢者様の指示?」

「そうそう、わかってるじゃん! ノーグの言うことは絶対なの。だってノーグは世界だもん!」

「……あっそ。じゃ、今日はこの辺でお開きにしてくれねえか? さもないと」

 ブランはすっと笑顔を消し、静かだがよく通る声で言った。

「この場で手前を解体する」

 びくり、とティンクルの体が露骨に跳ねた。一瞬目を見開いて、酷く恐ろしいものを見るかのようにブランを見据え……すぐに、何処か螺子の緩んだ笑みを取り戻す。

「お兄さん、こわーい」

「それ、二回目じゃない。ほらほら、怖いお兄さんに襲われる前に、おうちに帰りなさいな」

 ブランも、先ほどの表情が嘘だったかのように普段どおりの笑みを取り戻して言う。ティンクルはまだ不満げに頬を膨らませていたが、流石にこれ以上ブランとやり合う気は無かったのだろう、ぎゅっと機兵にしがみつく。

「また来るね、素敵なお兄さん」

「来てくれない方が嬉しいんだがなあ」

 それは同感だ、とばかりに顔を見合わせるディスとシュンランに向かって、ティンクルは大げさにあかんべえをして……そのままふっと機兵と共に消えた。微かな鈴の音を、風の中に残して。

 時計塔の屋根の上に残されたのは、三人と、機兵が残した爪痕のみ。

 鈴の音が耳から離れたと思った途端、足から力が抜け、へなへなとその場に座り込んでしまった。シュンランが慌てて「だいじょぶですか!」とセイルの肩を支える。ディスは既にセイルの中に潜り込んでしまっていたため、セイルは蒼白になって腕で自分の体を抱く。

「し、死ぬかと思った……」

 何度か危険な目に遭うことはあったが、普段はディスやブランたちの助けがあるという安心感が、セイルの心のどこかにあった。だが、今回ばかりはディスが表に出ることが出来ずに、セイル一人で危機に直面することになった。

 その恐怖が、今になってセイルの足を竦ませていた。

「俺様の読みがちょいと甘かったみたいね、その点はごめんなさい、だ」

 ブランは銃を外套の下に収め、溜息をつく。シュンランは首を横に振って、言う。

「『エメス』はティンクルにワイズには関わるなと指示していた、です。ブランは、間違ってないです」

「や、道化の嬢ちゃんがここまで出てくることを想定できなかった俺様の全面的なミスよ。嬢ちゃんにも、ガキんちょにも、怖い思いさせちまった」

 言って、ブランは乱暴にセイルの頭を撫でる。空色の髪をぐちゃぐちゃにされながら、セイルはただただ呆然としていることしか出来ない。ディスが『平気か?』と問うてくるのに対して、こくこく頷くのが精一杯だ。

「まあ、少し脅してやったし、またすぐ攻めてくるってことは無いと思うが。とりあえず、家に帰るか。立てるか?」

「あ、う、うん」

 ブランの手を借りて、セイルはゆっくりと立ち上がる。やっと、足の感覚も戻ってきた。まだ左腕はじんじん痺れていたが、そこまで強い力で叩かれたわけでもなかったのだろう、それ以上の痛みは無い。

 ブランに魔法の明かりを作ってもらい、それを頼りに屋根から管理用の階段へ降りる。「この屋根も修繕してもらわにゃだわあ」と言って、ブランは手すりから下を見やる。セイルもつられてそちらを見ると、地上には人だかりが出来ていた。

「あちゃあ、流石に見られてたか。誤魔化すの面倒だな……」

 笑顔を軽く引きつらせるブラン。いくら夜、月明かりの下とはいえ、巨大な四角い何かが突如時計塔の屋根に突き刺さり、忽然と消えたとなれば騒ぎになるに決まっている。もしかすると、そこにしがみ付く人の姿や、空に浮かぶ人の姿なども見られていたかもしれない。それを考えると、セイルもブランと一緒に顔を引きつらせざるを得ない。

 そんな中、シュンランは首を傾げてブランに問う。

「しかし、ブランは何故わたしたちがここにいるとわかったですか?」

「かっこいい男は女子供のピンチには訪れるものなんよ」

「ブランは、かっこいいとは違うです」

 一瞬、ブランは固まって、それからがっくりと肩を落として頭を掻いた。

「そりゃあ俺様顔が悪いってのは自覚してるけど、そりゃないよ嬢ちゃん……」

「いいえ、ブランの顔は悪いでもないです」

「じゃあ何よ?」

「怖いです」

「同じじゃん!」

 ブランは大げさに沈んでみせる。シュンランは「違うと思うですが」とか何とか呟きながら、更に首を傾げる。そのやり取りを愉快に感じたのかディスが心の奥で小さく噴き出したが、すぐに真面目な声音になってセイルに言う。

『本当に、悪かった。役に立たなくてすまん』

「ううん、でも、ディスにも弱点ってあるんだね。知らなかったよ」

 ああ、とディスは低い声で返す。その声音だけ聞いても、明らかに落ち込んでいることくらいは、わかる。そんなディスにどう言葉をかければよいのだろう、と思っていると階下から声が聞こえてきた。

「セイル、シュンラン!」

「チェイン!」

 その声を聞いて、シュンランが一段飛ばしで駆け下りていき、階下から魔法の光と共に現れたチェインに抱きついた。チェインは「わっ」と驚きながらも、シュンランの長い銀髪に指を通した。

「ごめんよ、すぐに駆けつけたつもりだったんだけど」

「大丈夫です。セイルとディス、それにブランが助けてくれました」

 チェインの後ろについてきていたフレイザーも、無事だったセイルたちの姿を見て流石に安堵の息をついたように見えたが……次の瞬間、その表情があからさまに強張った。セイルがどうしたのだろう、と思っていると、後ろを歩いていたはずのブランが気づけばセイルの前に立っていて、咄嗟に逃げようとしたフレイザーの耳を引っつかんでいた。

 呆然とするチェインとシュンランの前で、フレイザーは「ぎゃっ」と耳を押さえ、ブランに顔を向ける。

「セイル! 何しやがる!」

 ――『セイル』?

 セイルは、自分が呼ばれたのかと思って一瞬戸惑ったが、フレイザーの色眼鏡の下の目は、明らかにブラン一人に向けられているように見えた。そして、言われたブランも別段意に介した様子も無く、にっこり笑って……しかし、目は相変わらず笑っていないわけだが……言い放つ。

「さあて、お前さんからは後でたっぷり聞きたいことがあるから覚悟しろや、我が愛弟子、むしろ馬鹿弟子」

「セイル貴様、その様子じゃまた覗いてやがったな……性悪め」

「それが俺様の性分ってことで。さ、帰るぞ」

 ブランはフレイザーの耳を掴んでずるずる引きずりながら、そのまま階段を下りていこうとする。セイルは慌ててそんなブランを呼び止める。

「ちょ、ちょっと待って、セイルって……えっと」

「ああ、そうね。俺様もきちんと説明しなかったのが悪いな」

 ブランは一度立ち止まって、にやりと笑って耳を掴んだままのフレイザーを指す。

「こいつは俺様の弟子で、ロジャー・シルヴァーナ。学院でも有名な嘘吐き兎だ」

「兎って言うな」

 フレイザー……いや、ロジャーの抗議は華麗に無視して、ブランは言葉を続ける。

「で、俺様がワイズ学院きっての天才、稀代の魔道機関学者セイル・フレイザーだ」

 魔道機関学者セイル・フレイザー。

 ――ブラン、が?

「え、ええええええ?」

 何だかあまりにあんまりな告白に、セイルはただただ「え」の音を上げ続けることしか出来ない。シュンランも驚いたのか目を真ん丸くしていたが、チェインだけは「なるほどね」と呆れ顔で腰に手を当てた。

「ブランってのは異端としての偽名かい、変な名前だと思ったよ。魔道機関学者に異端が多いってのはよく聞くけど、まさかアンタがあのフレイザー博士とはね」

「偽名じゃなくてあだ名みたいなもんよ。ほら、清廉潔白なイメージの天才フレイザー博士が実は異端なんてバレちゃうとまずいでしょ」

 ブランの方が通りはいいから普段はブランって呼んでくれればいいけどね、とけろっと言い放つブラン。複雑な気分になるセイルだったが、そんなセイルの気持ちなど無視して、ブランは「詳しいことは、家で話すさ」と言ってすたすたと歩き出してしまった。

 その背中を慌てて追いかけながら、セイルはシュンランを見る。シュンランは、じっとブランを見つめていた。

 さっき、ロジャーから話を聞こうとしていた時もそうだったけれど、シュンランはブランのことを知りたがっている。そして、自分も、知りたいと思う。ブランがどうして兄を探すのか、一体この旅を経て何を成そうとしているのか。

 きっと、今なら聞ける。これからの旅のためにも、聞いておかなければならない。

 そして、自分もまた、考えなくてはならない。

 ティンクルと対峙し、死を垣間見たあの瞬間。ディスの助けを借りられない瞬間があるのだと自覚して、もう無理だと絶望しかけたが……自分は、シュンランを助けた。助けることが、できたのだ。

 あの時のことを思い出すとまだ少しだけ足が震えるけれど、もしも、ただディスに頼ってばかりの自分からは卒業できるなら。そうすれば、この胸の中のもやもやした感覚も、少しは取り除けるのではないか。

『……セイル』

「帰ろう、ディス、シュンラン」

 セイルは、シュンランの手を引いて、いつもよりも少しだけ力強い一歩を踏み出す。

 足の震えは、いつの間にか、収まっていた。

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