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空色少年物語  作者: 青波零也
第一部 空色少年と賢者の行方
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幕間:魔道機関学者の退屈

 ライブラ国立ワイズ学院。

 八百年の歴史を持つ、楽園最古にして最大の学府だ。楽園のあらゆる学問の中心地であり、楽園各地から学問を志す者たちが集い、時には人に教えを乞い、時には自らの研究に打ち込むのである。

 ここに一人の男がいた。

 そして……本に埋まっていた。

 比喩ではなく、本棚から崩れ落ちてきた本に完全に埋まってしまったのだ。男は何とか頭に乗っかっていた本をどかし、本の海の中から顔を出す。本にしたたか打たれた全身が痛い。頭にはこぶも出来てしまっているようだった。

「っつあー、あの野郎、少しは処分していけというに!」

 誰が聞いているわけでもないが、声を出さずにはいられない。

 本棚に、きちんと本が詰まっていたならば、一冊本を取ろうとしただけで悲劇に発展することはなかったはずだ。だが、この研究室にある本を全て納めるにはこの巨大な本棚でも足りず、無造作に本の上に本を積み重ねるような形で収めてあったのだ。

 その結果が、これである。

 何とか海から抜け出した男は、腕を回して特に体におかしな部分が無いことを確認する。鈍い痛みはあるが、その程度だ。奇跡的に傷一つなかった色眼鏡を押し上げ、床に広がった本の海を見渡す。

 とりあえず、無視することに決めた。

 これを見た「奴」がどのような反応を示すかわかったものではないが、それは男の知ったことではない。その時はその時、なのである。

 研究室は決して広さで言えば狭いわけではないが、本棚や所狭しと並べられた研究対象である魔道機関の装置のせいで、本の海が無くとも足の踏み場は少ない。とはいえ長年この研究室で暮らしている男にとっては普段通りの配置なわけで、目当ての本片手に床が見えている部分を器用に踏んで、己の机に戻った。

 机の上に広げられているのは、魔道機関の設計図だ。綺麗な線で描かれた機関の断面図の中に、何処からどのように魔力を供給するか、魔力を動力に変換するための仕組み、どのように効率よく変換するかの工夫などが神経質そうな文字によって記されている。

 椅子に深々と腰掛けた男はしばしその設計図を睨み、手にした本と見比べて小さく溜息をつく。

 それから、設計図をぐしゃぐしゃと丸めてごみ箱に向かって投げた……が、ごみ箱の横に丸めた紙が跳ねるだけで終わった。

 何とも、ついていない。

 男は自然と胸に湧き上がってくる苛立ちを隠すこともせず、本を読みながら小さく唸り、爪で細かく机を叩く。とはいえこの苛立ちはいつものことで、きっと彼を知る者が見れば「またやってるよ」と笑みをかみ殺したに違いない。

 どのくらいそうしていただろうか。

 男は、窓がこつこつと叩かれる音に気づき、そちらを見た。

 明かり取りの窓を叩いていたのは、一羽の純白の鳩だった。鳩の足には小さな筒がくくりつけられていて、この鳩が伝書鳩であることを示している。

 男は少しだけ背伸びをして、窓を開けてやった。鳩は羽を広げて研究室の机の上に降り立ち、賢そうな瞳で男を見上げた。男も一瞬だけ苛立ちを忘れ、薄い笑顔を鳩に投げかける。

「ご苦労さんだ。お前も大変だなあ、鳩使いの荒いご主人で」

 人の言葉を喋ることのできない鳩はくるる、と喉を鳴らして小さく頷く。その動きは、普通の鳩とも思えぬものだ。

 男は鳩の足にくくりつけられた筒から、細く巻きしめられた紙を抜き取る。鳩はそれを確認してぱっと入ってきた窓から飛び立った。男は「お?」と意外そうな声を上げる。男が手紙を受け取った瞬間に飛び立つ、ということは送り主が返事を求めていないということだろう。

 一体、どのような用事なのだろうか。

 ワイズの空に消えゆく鳩を色眼鏡越しに見送って、それから男は手紙を開いた。手紙には、まるで印版によって刷られたのではないかと疑うほどに整った文字が綴られている。

 手紙を見た男の表情が、一瞬不快そうに歪む。だが、読み進めていくうちに男の口元に何かを愉しむような笑みが浮かんだ。外からは目の表情を伺うことが出来ない色眼鏡も相まって、何処か不気味な笑みだった。

 二度、三度。手紙を読み下し、頭の中にその内容を叩き込む。

 そして、手紙は男の手の中で唐突に燃え上がり、灰になって消えた。

 男はぱんぱんと手を叩いて灰を払い、机の中から煙管を取り出して火を入れた。立ち上る紫煙は開け放した窓からゆらゆらと外へと消えていく。

 もう、鳩の姿は青空の何処にも見えない。

 鳩を遣わせた相手の顔を思い浮かべ、男はふうと溜息と共に煙を吐き出す。

「全く、いつものことながら俺使いの荒い奴だな」

 絡み合う蛇が彫られた悪趣味な煙管を揺らして、それでも男は笑っていた。長い髭を揺らし、皮肉げに、それでも愉快そうに。

「ま、退屈しのぎにはなるか」

 そう言った言葉も、誰に聞かれるわけではない。それにしてもすっかり独り言が多くなっちまったな、という男の独白も、煙と共に虚空に消えた。

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