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空色少年物語  作者: 青波零也
第一部 空色少年と賢者の行方
22/131

05:連環の聖女(1)

『異端結社「エメス」の首領、ノーグ・カーティスの反乱宣言から一週間が経過しました。本日に至るまで、楽園の各地で異端研究者による暴動が報告されています……』

 道具屋のショーウィンドウに飾られた魔石ラヂオが早口に語る。荷物を抱えたセイルはふと足を止めた。

 兄……ノーグ・カーティスの声は、音声を運ぶ魔力の波に乗せられ、楽園全土に響いていた。そしてその日から、各地で息を潜めていた異端研究者が一斉に動き始めたのである。

 もちろん、目的は「女神を倒し、真実を知らしめる」こと。彼らの言う「真実」が具体的に何を指すのかはセイルの知る由もない。ただ、異端研究者たちはまるでこの日を待っていたかのように立ち上がり、神殿を襲い、暴徒と化して敬虔なユーリス信者を攻撃し始めた。その規模は決して小さなものではなく、楽園の住民は「異端」と呼ばれる者の多さに驚くことになった。

『ユーリス神殿は鎮圧を試みておりますが、抵抗も激しくさらなる被害の拡大が予測されます』

「セイル」

 街行く人々の話し声の端々にも、兄の名前を聞き取ることが出来る。そのほとんどが兄を非難し、恐れるようなもの。自分のことではないというのはわかっていても、ぴりぴりした毒を含む重たい空気に押しつぶされるような錯覚に陥る。

『この事態を受け、大司教は以下のような声明を発表しています……』

「セイル!」

 停滞した空気を震わせる、鈴のような響きにセイルははっと我に返る。見れば、すぐ横にシュンランが立っていて、すみれ色の瞳に心配の色を湛えてセイルを覗き込んでいた。

「だいじょぶ、ですか?」

「あ、うん。大丈夫。心配しないで」

 セイルはシュンランに笑いかける。本当は、笑えるはずもなかったけれど。

 兄は、完全に楽園の敵になってしまったのだ。手がかりを掴もうと手を伸ばした刹那、その背中が遥か遠く、セイルが決して届くはずのない場所に霞んでしまったようで……

 胸が、苦しい。思わずその指先でシャツの胸元をぎゅっと握りしめてしまうくらいに。

『……セイル』

 頭の中に、少年の……セイルの体の中にいる『ディスコード』の声が響く。憂鬱そうな響きの中に、微かな不安を込めて。

 セイルは小さく首を横に振って視線を前に戻す。自分一人で落ち込んでいるわけにはいかない、兄を探しているシュンランだって不安じゃないはずがないのだ。

 道の少し先では、ブランが立ち止まってこちらを振り向いたところだった。セイルはシュンランの手を取って、鉛のような足を上げる。

 その背中を追うのは、兄の声。一週間前に録音された、あの演説だ。それを無理やり振り切るように、暮れゆく空に背を向けて大股に歩きだした。

 

「さて、と。これからどうしようかしらねえ」

 部屋に戻るなり、ブランが苦笑を浮かべて言った。

 セイルたちは、今、ユーリス領レクスの小さな町、サフィラにいた。本来ならばとっくに別の国に向かっていてもおかしくなかったのだが、一週間経った今でも、『紅姫号』を降りた場所からそう遠くない町に滞在していた。

 何故なら。

「やはり、船は危ないですか?」

「そうだな。聞き込みしてみたが、やっぱ異端への取り締まりは強化されちゃってるわね。正直、俺様が渡るのは難しいかも」

 言って、椅子に腰掛けたブランはベルトに収まっている武器を軽く叩いて示す。銃……魔力を用いない鋼の武器。女神の厭う鋼の武器は、異端研究者の象徴でもある。

 一週間前のあの日から、神殿側も異端に対する弾圧の手を一層強めた。特に各国に渡ることのできる船は海空問わず神殿の監視が厳しくなっているようだ。

 ブランのような、表立って神殿に反抗するわけでもなくとも、異端であるというだけでただでは済まない状況なのだ。それに。

「ブランだけでなく、わたしたちも危ないですか」

「ああ。お前ら、既に影追いに目を付けられてるらしいじゃねえか、んな状態でのこのこ港にでも行ってみろ、目立つお前らのこと、あっさり捕まるわよ」

 ブランはいつも通りの軽い口調で言うが、決して軽い事態でないことくらいはセイルにもわかっている。ただ、ここでじっと事態を静観しているわけにもいかないのも事実であった。

 焦燥だけが心の中に積もっていく。兄に会いたい、その思いだけがセイルの心を鷲掴みにして離さない。具体的に何をすればいいかなんて、何一つわからないのに。焦りは思考を鈍らせ、ブランとシュンランの声も遥か遠くのもののように思えてくる。

 ベッドに座りブランに質問を続けていたシュンランは、しばらく唇に手を当てて俯いたが、やがてぱっとブランを見上げた。

「あの……ノーグは、何がしたいですか?」

「言葉通りだろ。女神を倒すため、って言ってたじゃない」

 セイルもブランの言葉に同意するように小さく頷く。絶対の存在である女神を倒す方法などもちろんわかるはずもないけれど、言葉だけを取ればそういうことだ。だが、シュンランは余計に首を傾げ、不思議そうに言う。

「しかし、何故あんな方法で皆に知らせたですか。何も言わずにいた方が、皆も怖がらないと思います」

「へえ、嬢ちゃん、いいとこに気がついたな」

 ブランは目を細め、満足そうに笑んだ。それは、さながら出来のいい生徒を褒める教師のよう。

「奴の宣言で、今まで『エメス』とは関係なかった異端研究者まで調子に乗って決起したみてえだが、それ以上に奴の宣言で神殿が緊張したのも事実。正直、『エメス』としては敵を増やしたとも言えらあな」

 なるほど、とセイルもやっとシュンランの言わんとしていることを理解した。つまり、シュンランは「何故ノーグがあんな宣言を楽園中に広めたか」と聞いていたのだ。だが、そんなもの兄本人にしかわからないのではないか……そうセイルが思ったとき。

「……奴があんなこと言った目的は、楽園を混乱させることそのものじゃねえのか」

 自然と、セイルの唇が動き、言葉を放っていた。シュンランがすみれ色の瞳を驚きに、ブランはこちらを一瞥して笑う。

「おやおや、お前さんはガキんちょほどバカじゃねえみてえだな、ディス」

 バカ、って。ちょっとむっとしたが、ディスに体の主導権を奪われていてはそれを表現することもできない。「借りる」の一言もなくセイルの体を乗っ取ったディスは、小さく肩を竦めた。

「ただ、奴の狙いがわかるわけでもねえよ。天才様の考えることは、常人の俺には理解できねえ」

 まあ俺は「人」じゃねえけどな、とディスが大げさに溜息をついてみせると、ブランはくくっと喉を鳴らして笑った。

「んなもん、あの賢者様にしかわからねえよ。けど、そうだな。想像の域を出ないといえ、俺様ならこう考える」

 言葉を切り、ブランは真っ直ぐにこちらを見据えてくる。口元の笑みはそのままだったが、瞳の色は、冷ややかなもの。

「あの宣言によって、楽園の連中は『異端』が確かに存在することを認識させられた。異端研究者や影追いは、確かに噂には語られるが、ほとんどがラヂオや新聞じゃ語られることのない、それこそ幻のような存在だったからねえ」

 そう、異端はあくまで異端。セイルは兄から聞かされていたからある程度の知識を持っていたが、本来それは決して人の口から語られるものではない。異端について語ること自体が禁忌に触れることなのだ。

 ただ、異端研究者もまた自分たちと同じ人で、自分たちと同じように二本の足でこの楽園に立っているのだと、兄が言っていたこともまた思い出す。自分と違う考えを持つ異端だからと言って決して簡単に否定してはならない――故に、セイルには正しく知っていてほしかったのだ、と。

 そう言った兄の顔は、やはり思い出せなかったけれど。

 シュンランは何とかブランの言葉を理解しようとしていたのか、しばし大きな目をパチパチさせながらブランを見ていたが、やがて首を傾げて言った。

「しかし、ノーグのことは初めから皆知っているようでした。ノーグも異端なのに、皆が知っているのは不思議です」

「奴さんはちょっと例外。賢者様は、魔女騒乱以後では唯一、一般に名前が知られるようになった異端だろうな」

「まじょ、そうらん?」

 シュンランはさらにこくりと首を傾げる。ブランは「そか、知るはずねえよな」と苦笑する。それを見て、シュンランはしゅんとした表情で俯いた。

「その、ごめんなさい。わたし、昔のことも、今のことも何も知らないです」

「いや、それは嬢ちゃんが悪いんじゃない。謝ることもないさ」

 ブランは穏やかな微笑を浮かべてシュンランの頭を撫でる。シュンランはまだ落ち込んだ表情こそ払拭は出来ていなかったが、ブランの言葉には小さく頷いた。

「ま、気になるなら詳しいことは後でディスにでも聞けばいい。要は、その頃には異端研究者を束ねて女神に真っ向から反抗するカリスマがいたが、ここ数百年は異端も自分勝手にやってて、女神様とことを構えようって奴はいなかったのよ」

 俺様もその有象無象の一人ね、とブランは自分を指す。

 けれど――

「三百年近く経った今になって、燦然と輝く異端のカリスマが現れちゃったのよ」

「それが、『機巧の賢者』、ノーグ・カーティス……」

 シュンランの言葉に、セイルはまた胸に痛みを感じる。それは、今まで兄の名を聞く度に感じていたちくりとした痛みではなく、ぐっと心臓を握りしめられたような強い痛み。

 ブランは不意にディス……いや、中に潜むセイルかもしれない……を見やり、すぐにシュンランに視線を向けてにたりと笑む。

「そ。ノーグ・カーティスは元々ぱっとしない飛空艇技師だったが、何故か異端の知識に詳しくてな。自然と異端研究者の中では名の知られる存在になっていった。本人がそれを望んだかどうかは、やっぱり本人にしかわからねえがな」

「じゃあ、ただの技師だったはずのノーグさんはどうして『エメス』なんて怪しげな組織のトップになっちまったんだよ」

 それは、セイルもずっと気になっていたことだった。色々と噂は耳にするが、異端研究者としての兄を知らないセイルにとっては、どれもセイルの知る兄のイメージからかけ離れていた。セイルの抱く兄のイメージが間違っているのか、噂が間違っているのか、どちらなのかはセイルにはわからなかったけれど。

 果たして、ブランはどれだけ兄について知っているのだろうか。そう思ってブランを見れば、ブランは顎を短い指で叩いて、言葉を選びながら言った。

「『エメス』に所属する、とある異端研究者にスカウトされたのさ。結構ごねたのよ、ノーグさんってば『エメス』嫌いだから」

「は?」

 今や『エメス』の長であるノーグが、『エメス』を嫌っていた?

 ブランの言葉には、セイルもディスと一緒に疑問符を飛ばしてしまった。シュンランも、ブランが何を言っているのかわからなかったのか、不思議そうな顔でブランを見上げている。

 ブランも、その疑問は当然だと思ったのか、微かに苦笑混じりに言葉を付け加える。

「前にも言った通り、元々ノーグ・カーティスは異端の穏健派を束ねるクラウディオ・ドライグと親交があった。要は、ノーグ自身も急進派じゃなかったわけだ」

「でも、ノーグは誘われて『エメス』に入った、ですか」

「そ。当時の『エメス』は確かに急進派ではあったが、今みたいな力はなかった。当時のトップもあくまで優秀な研究者ってだけで、研究者どもを指揮するようなガラじゃなかった。だから、ノーグは思想信条は横に置いて一介の研究者としての立場で『エメス』に加わったってわけ」

 『エメス』は楽園唯一ともいえる異端の一大コミュニティである。それは、ありとあらゆる異端の知識が集う場所ということでもある。知識欲旺盛な天才ノーグ様が、『エメス』の抱えている知識に食指を伸ばさないはずもない、というブランの言葉にはセイルも思わず納得してしまった。

 兄についての記憶は、さほど多くない。けれど、セイルの知る兄は何でもよく知っていて、そして同時に何かを知ることに関してはとても貪欲な人だった。だから、セイルの記憶の中の兄は常に机の上に大量の本を積み上げ、旧型のラヂオに耳を傾け、難しい表情をしていた。

 それが、セイルの中の「兄」の全てだったとも言う。

「が、『エメス』が天才ノーグ様を放っておくわけもないし、いつの間にか本人もどっぷり『エメス』に染まってた、ってか」

 セイルの回想を打ち破ったのは、そんなディスの投げやりな声だった。セイルは即座に意識を現実に引き戻し、再びブランの声に耳を傾ける。

「そゆことだ。そもそも『機巧の賢者』という通称はノーグの持つ異端……機巧に対する知識以上に、その思考の特異さから来ている。魂を持たぬ機巧のごとき、精密にして怜悧な思考回路、と評したのが誰かは知らんが、要は人間味のない奴だったわけ。でも逆にそれが『エメス』の連中には受けて、ノーグ様を信奉する奴まで出る始末」

 ――本当に?

 セイルは思う。

 『機巧の賢者』という通称はセイルもずっと聞かされてきたが、そういう所以で兄がそう呼ばれていたという事実は初耳だった。

 だが……本当に、兄はそんな人間だっただろうか。

 確かに、兄が陽気に笑ったり激しく怒ったりしていた記憶は無いし、常に淡々と流れるような喋り方をする人だった。

 ただ、兄が心ない人物だったとは思わない。兄はいつもセイルには優しく、笑顔こそ見せなかったが、穏やかな声で昔話を語ってくれた。セイルが泣いていれば頭を撫でてくれて、泣かせた奴を代わりに殴ってやるから、とまで言ってくれた。

 そんな兄が機巧仕掛けなどと、誰が言えよう。

「……セイルはすげえ反論したがってるけど?」

 ディスはそんなセイルから流れ落ちる感情を受け止めたのか、半眼でブランを睨む。ブランは「はは」と小さく笑って、ディスというよりはセイルを見やる。

「俺様は、そう語られてた、って事実を述べただけよ」

 そして、今も一般的にはそう捉えられているだろうね、と。

 語るブランの表情は、相変わらず間の抜けた笑みだったが、その長い前髪から覗く瞳はいつも以上に冷ややかな色を湛えているように、見えた。

「で、ノーグ・カーティスはちょうど今から六年前に当時の相棒を殺した。その噂は瞬く間に楽園中に広まって、ノーグ本人は楽園の表舞台から姿を消す。それからは誰もが知る通り。異端が関わるあらゆる事件の裏には必ず賢者様の影がある」

 そして『機巧の賢者』はいつの間にか『エメス』のトップにまで登りつめ、ついに女神と楽園に宣戦を布告した――

 囁くブランの声は、低く、とても冷たくて。セイルは体まで凍り付いてしまったような錯覚に陥る。実際には、セイルの自由にならないだけで、セイルの体は当たり前に動いたけれど。

「何故ノーグが相棒とも言えた仲間を殺したのかは知られてはいない。そして、どうやって噂が広まったのかも不明だ。ただ、その頃には既に賢者様は『エメス』には無くてはならない存在で、故に女神と楽園の敵としてその名が広まったんだろうな」

 言って、ブランは「このくらいでいいか?」と笑った。シュンランは「ありがとうございます」小さく頷きを返す。完全に納得したわけではないようだったが、やっと自分が探す相手の姿が見えてきたようで、不安の色を湛えていたすみれ色の瞳も少しだけ明るさを取り戻した。

「……それにしても詳しいな、ブラン」

 そんな二人のやり取りを見ていたディスが、ぽつり、呟いた。すると、ブランは何処か含みのある笑みを浮かべてみせる。

「そりゃあ、詳しくもなるさな」

「何故、ですか?」

 シュンランは目を丸くしてブランを見つめる。ブランは「はは」と小さく笑って目を伏せた。

「言っただろ、俺様は賢者様に用があるの。その相手を知らない、ってのも変でしょ」

 どのような「用」があるのかはわからないけれど、その「用」を果たすためにここまで兄について調べたのだろうか。

 セイルはもっと突っ込んでブランが知っていることを聞いてみたいと思ったが、今セイルの体の主導権を握っているのはディスだ。ディスはノーグ・カーティスについてはそれ以上興味がなかったようで、「ふうん」と気のない相槌を打つだけだった。

 これ以上の質問が無いと見たブランはついと立ち上がり、ディスとシュンランを見やった。

「さ、どうでもいい話はこの辺で切り上げだ。さっさと寝ろよ、ガキども。明日も早えぞ」

「で、言った側から手前はお出かけかよ」

 椅子にかけたコートに手を伸ばしたブランに向かって、ディスが情け容赦ないツッコミを入れる。ブランはにやりと笑って唇の前で人差し指を振る。

「ここからは大人の時間、ってことで一つ。何、すぐに帰るわよ、道化のお嬢ちゃんにまた狙われても困るしな」

 シュンランが不安げな顔をしたのを察したのか、ブランはそう付け加えてコートを羽織り、鍵を片手に部屋を出ていった。廊下を行く靴音が遠ざかって消えていくのを、セイルは自由にならない体のまま、どこかぼんやりとした聴覚で聞いていた。

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