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空色少年物語  作者: 青波零也
第一部 空色少年と賢者の行方
17/131

04:機巧の賢者(1)

 窓越しでもはっきりと耳に届く、通りをゆく人波のざわめき。椅子に腰掛けたセイルは、背筋をぴんと伸ばし、体を堅くしてその音を聞いていた。セイルの銀色の瞳の先には、窓際で夕暮れ時の通りを見下ろす長身の男、ブラン・リーワードの姿があった。ブランはしばし通りをゆく人々を観察した後に、無造作にカーテンを引いた。途端、部屋が薄闇に包まれる。

「……追手は流石にいねえな。撒けてるならいいんだが」

 ベッドの上に座るすっかり汚れてしまったドレス姿のシュンランが、不安げな視線をブランに向ける。ブランは「あはは」と陽気に笑って大げさに手を振る。

「心配するなって、嬢ちゃん。この天才俺様ブラン様がついてりゃ何も不安なことはねえよ?」

『そういう手前が一番不安なんだよ、俺らは……』

 ディスがセイルの頭の中で溜息混じりの呆れ声を立てる。ディスの声が聞こえているらしいブランはちらりとセイル……というよりはセイルの中にいるディスの方を見たが、すぐにシュンランに視線を戻して猫なで声を立てる。

「それに、きちんと脱出できただろ? 少しは信頼してくれてもいいと思うんだけどなあ」

 確かに、とセイルは思う。

 ブランは二人に投げかけた言葉を違えなかった。

 あの後も巧みに『凧』を操り、拍子抜けするくらいあっさりと一番近い位置にあったこの町に着陸させたのだ。もちろん空賊の船を船着き場に降ろせるはずもないから、町外れの森に不時着、そのまま乗り捨てるという形だったが、セイルたちには怪我一つない。流石に服はすっかり汚れてしまったけれど。

 それにしても、動力も推進力もないはずの『凧』をまるで自分の手足のように操る腕前だけでも、ブランが天才を名乗るにふさわしいかもしれない、とは思う。

 けれども、ブラン・リーワードという男が信じるに値するかどうかは、別の話。

 シュンランはしばしじっとすみれ色の瞳でブランを見上げていたが、やがてぽつぽつと言葉を落とし始めた。

「あなたは、わたしたちを助けてくれました。ノーグを知っていると言いました。だから、わたしはあなたを信じたい、です」

 ――でも。

 その瞳に映るのは、ブランに対する期待と、それ以上の不安だとセイルは思う。その思いを裏付けるように、シュンランが言葉を紡ぐ。

「何故、あなたはわたしと一緒に来たいですか」

 ブランはその言葉を聞いて、「はは」と小さく笑った。そして、何故かセイルの方に顔を向けた。セイルがびくりとしてブランを見ると、ブランは無造作にセイルに片手をつきだした。

「ガキ、『ディスコード』を貸せ」

「え? でも……」

「ちょっと借りるだけだ」

 セイルは少しだけ躊躇いこそしたが、『ディスコード』が外に出てくる様子をイメージする。すると、セイルの左手が見る間に形を変え、気づけばそこに一振りのナイフが握られていた。

 ディスに言われたわけではないが、何となく「こうすれば『ディスコード』が体の外に出せる」気がしたのだ。

 当のディスは『うわマジやめろそいつに渡すな俺が何したってんだうわー』とか何とか喚いている。別に少し渡すだけだというのに大げさなことだ。セイルやシュンランがブランを疑うのはともかく、ディスのそれはどうも度を超しすぎているようで奇妙ではある。

 ブランもディスの言葉を聞いたのだろう、にやにや笑いを小さく歪ませ、苦笑いする。

「んな怯えるこたねえっての、なあ」

 言いながら、セイルの手から『ディスコード』を受け取る。セイルの手を離れても、ディスの恨み節はセイルの脳内に響き続けている……とはいえ、セイルが握っている時よりも遙かに遠くから聞こえるような気はするが。

 ブランは慣れた手つきで『ディスコード』を逆手に握ってみせる。ナイフの持ち方すらよくわからないセイルからすれば、ブランの方がよほど様になって見えた。

「使い手のお前にゃわかると思うが、俺様も『鍵』の使い手だ。正確にいや、その血を引いてる、と言った方が正しいかな」

 その証拠に、とブランは『ディスコード』の刀身を己の唇の前まで引き寄せ、「ディスコード」と囁いた。その瞬間、甲高い音が部屋中に響きわたる。思わず耳を塞いでしまうセイルとシュンランだったが、その音はすぐにぴたりと止んだ。

 間違いない、これは『ディスコード』が起動した音だ。

 呆然とするセイルとシュンランに、笑いかけるブラン。

「俺様は、この『鍵』を狙う連中に用がある。それに、お前さんが探してる奴にも」

 その言葉に、シュンランが息を飲んだ気配がセイルにも伝わってきた。シュンランを執拗に追う機巧の使い手たち。町で出会った影追いの女は、彼らを『エメス』と呼んでいたが……

 シュンランが身を乗り出して話の続きを促そうとすると、ブランは唇の前に指を一本立ててシュンランが声を立てることを許さなかった。

「ただ、それ以上のことを聞きたいなら、俺様を同行させてほしい。これは、俺様自身にも関わる話だからな。関係ない奴に聞かせるわけにはいかねえのよ」

「あなた、自身にも?」

「そ。俺様にも色々事情があんのよ、っと、これは返すぞ」

 ブランはあっさりと『ディスコード』をセイルに返した。このまま持っていかれるかと思ったが、それは杞憂だったらしい。

 セイルは再び『ディスコード』を体の中に戻すと、シュンランを見た。シュンランはブランの言葉に迷っているようだった。ブランの話は聞きたい。しかし本当にブランが敵でないと信じてよいものかどうか……判断に悩んでいるのだろう。今まであれだけ追われていたのだ、疑り深くなるのも当然といえよう。

 ブランも、即座にシュンランが答えを出せるとは思っていないのだろう、長く伸びた前髪を鬱陶しそうにかきあげて言う。

「何、お前らがここを出るまでに決めてくれりゃ構わないわよ。俺様もさほど急いでるわけじゃねえし。ただ」

 正しい判断をしろよ、嬢ちゃん。

 ブランが放った言葉には妙な含みがあった。シュンランを見れば、スカートの上で手を組んだまま辛そうな表情で俯いている。何故、そんな顔をするのだろうか。その表情を見ているだけで、セイルはぎゅっと胸が締め付けられるような思いになる。

「それじゃ、俺は先に下でメシ食ってるわ。お前らも適当に降りてこいよ」

 シュンランの思いを知ってか知らずか、ブランはひらりと手を振って部屋を出ていった。音を立てて扉が閉められて、薄暗い部屋にはセイルとシュンラン、二人きりになる。

 辺りを支配する沈黙に、セイルはいたたまれない気持ちになって拳を握りしめる。だが、シュンランに何を言えるというのだ。自分は何も知らないのだ、『鍵』についても、シュンランを追う連中についても、それに……シュンランについても。

「……セイル」

 ぽつり、と。

 シュンランは、自分の握った手を見つめて、言葉を落とす。

「わたしは、どうしてもノーグを探さないといけないです。けれど……どうしていいか、わからないです。とても、怖いです」

「……怖い?」

 シュンランの口からそんな言葉が出るとは思わず、セイルは思わずオウム返しにしてしまう。シュンランは小さく頷いて、セイルを見上げる。

「わたしが間違えたら、全部終わってしまいます。時間もないです。なのに、わたしは何をしているのでしょう」

 すみれ色の瞳が、震える。

 ああ、そうか、とセイルは思う。シュンランだってずっと不安だったはずだ。怖かったはずだ。震えそうな心を胸の奥に閉じこめて、真っ直ぐ前を見て走っていたけれど……今、こうやって落ち着いて考える時間を与えられて、不安を思い出してしまったのだ。

 セイルには、何も言えない。言えないけれど、そっとシュンランの小さな手の上に、手を重ねることくらいはできる。

 シュンランははっとしてセイルを見上げる。セイルは銀色の瞳を細めて苦笑してみせる。

「ごめん、何も気の利いたこと言えなくて。シュンランがどうしてそんなに辛い思いしてるのか、俺にはわからないんだ」

「セイル……」

「ごめん」

 シュンランをこれ以上不安がらせないように笑ってみせながらも、その笑顔が自然と歪むのがわかる。自分が、もう少しシュンランの役に立てれば。せめて、兄の居場所くらいわかっていれば、シュンランにこんな表情をさせることはなかったのだ。

 もちろん、セイルが知りたいと思って、知ることができるわけでもなかったけれど。

 無力を感じて、唇を噛む。シュンランの手を握る自分の指先にも、微かに力が入ってしまう。すると、シュンランがそっともう片方の手をセイルの手に重ねた。

「こちらこそ、ごめんなさいです」

「え……?」

「わたし、大切なことをセイルに言えてませんでした。わからないは当たり前です。でも」

 シュンランは真っ直ぐにセイルを見上げる。セイルの姿を映し込み、なお深い色を湛えたすみれ色の瞳。

「聞いたら、きっとセイルは困ります。笑うかもしれません」

「わ、笑わないよ!」

 一体シュンランが何を言わんとしているのかはわからなかったが、これだけ必死に兄を探しているシュンランなのだ、どんな事情があろうと笑えるはずもない。

「その、迷惑じゃなかったら聞かせてほしいんだ。何でシュンランとディスが追われてるのか。何で兄貴を探してるのか」

 それは、確かに知らなくてもいいことなのかもしれない。兄を探すだけなら、ただシュンランとディスについていくだけでいい。けれど、今は何よりも知りたいと思う。シュンランがこれほどまでに辛い思いをしてまで、行方の知れない兄を探し求める理由を。

「……それとも、俺には話せないようなこと、なのかな」

 セイルが問うと、シュンランは首を横に振った。長い白銀の髪が、しゃらりと揺れる。

「本当は、話してはいけないと言われました。でも、セイルになら話せます。セイルは、信じられます」

「シュンラン……」

 包まれた手が、熱い。

 自分一人ではシュンランに何をしてやれるわけじゃない。ここまで来られたのだって、『ディスコード』の力があったからだ。けれど、それでもシュンランが自分を信じてくれたのが嬉しくて、胸がいっぱいになる。

 シュンランのすみれ色の瞳を見つめ返し、二人で頷きあったその時。

『だああっ、甘い! 甘すぎるぞ手前ら! 何だこのケーキに砂糖かけたみたいな甘さは! 口ん中ざりざりするだろ!』

 ディスがセイルの頭の中で絶叫する。もしディスに人の体があるなら、四肢を床に投げ出してじたばたしていたに違いない。

『話すなら話す! 黙るなら黙る! とにかくさっさと話を進めやがれ、俺ぁもう手前等のラブラブ加減に辟易してんだよ!』

「ら、ラブラブって!」

 セイルは思わず顔を赤くしてシュンランの手を離してしまった。シュンランは唐突なセイルの反応にびっくりしたようだったが、それがディスのせいだと気づいたのだろう。ふわりとセイル……というよりはその中のディスに向かって笑んで言う。

「ディス、セイルには教えてよいですよね」

 ディス、とセイルは体の中に呼びかける。ディスは『へいへい』と気のない返事をして、セイルと交代する。いつもの不機嫌そうな気配を思い切り表情に出して……と言っても、心から不機嫌なわけではなさそうだったが……ひらりと左手を振ってみせる。

「俺は別に構わねえよ。こいつとはそれなりに長い付き合いになりそうだしな。知っておいてもらった方が俺は有り難い」

「よかった。ディスは、反対すると思っていました」

 シュンランは嬉しそうに手を胸の前で重ね合わせる。ディスは訝しげに眉を寄せ、「何でだよ」と問う。すると、シュンランは目をぱちくりさせて言う。

「何故、ですか? ディスは、セイルを巻き込みたくないと思っていたですよね」

「ああ、まあな……けど、ちと気が変わった」

『気が、変わった?』

 ディスは目を細めて笑う。それは、セイルの浮かべる柔らかな笑顔とは違う、斜に構えたシニカルな笑み。

「変な野郎の手に渡るくらいなら、こいつの方がよっぽどマシだと思ったんだよ」

「へんなやろう。ブランですね」

 ――すごい、ばっさり言ったな。

 自分で言っておきながら、ディスは珍しくブランに同情したようだった。セイルも、「変な野郎」を「ブラン」だと言い切ったシュンランをちょっとだけ恐ろしく思った。ちょっとだけ。

「それとも、シュンラン。お前、俺をあの野郎に渡す気か? 確かに俺を『使う』分には奴の方がよっぽど手達だろうし、俺についての知識はありそうだが」

「いいえ、そのつもりはないです。ディスが望むなら別ですが」

「まさか」

 ディスは吐き捨てるように言って、再びセイルの意識の奥底に潜り込んでしまった。本当にディスはブランが嫌いなのだなと思う。何故、会ったばかりの相手をここまで毛嫌いできるのかは、セイルにもわからなかったけれど。

 体の自由を取り戻したセイルは、シュンランを見る。シュンランはもう一度、そっとセイルの手を取った。そこに笑顔はなく、ただ真っ直ぐに、こちらを貫く視線だけがあった。

「それなら、セイルに教えておくです。わたしのこと……わたしが、ノーグを探す理由」

 セイルはごくりと唾を飲み込む。シュンランは小さな唇を動かし、歌うように言葉を紡ぐ。

「わたしは海から来ました。海の底に沈む、不思議なお城です」

 海の底に沈む城。それは、セイルも聞いたことがある。ただし、兄が語るおとぎ話の中で、ではあったが。

「海の城って……もしかして蜃気楼閣ドライグ?」

「はい。そう、聞いています」

 蜃気楼閣ドライグ。

 その名の通り、海の上に現れては消える幻の城だ。兄によれば、その正体は海の中を自由に動き回る機巧仕掛けの要塞であり、創世時代に女神を裏切り海の底に沈められた使徒アルベルトが築いた、禁忌機巧の王国なのだという。

 ただ、それはあくまで古くから語り継がれる伝承にすぎない。巨大な機巧の城なんて、存在するはずもない。そう言って、兄を困らせたことははっきりと覚えている。

 けれど――

『ドライグは、確かに存在する機巧の王国だ。女神側に不利益をもたらさないって条件で、存在を黙認されてんだよ。それ故に、めったなことじゃ表には出られねえんだがな』

 ディスが、脳内で解説を加える。セイルも、シュンランとディスが言うことを疑うつもりは毛頭ない。だが、セイルは二人の言う「蜃気楼閣」がどんな外見をしているのか想像することもできずにいた。

 シュンランはセイルの理解を待ってくれているのか、ゆっくりとした口調で言葉を続ける。

「半年ほど前、わたしは目を覚ましました。わたしを助けてくれた人は、わたしが海の底の棺に入っていたと教えたです」

「ひ、棺?」

 死んだ人を葬る、あの棺だろうか。そんなはずはない、シュンランは今ここで確かに生きているのだから。もしかすると言葉が多少不自由なシュンランのことだから、言葉を間違った可能性もある。そう思ったセイルだったが……シュンランが間違っていたわけではないと、次の言葉で知ることになる。

「わたしは、死んだように眠っていたと聞いたです。だから棺なのだとその人は言いました。けれど、いつ眠ったのか、どうして海の底にいたのか、何も思い出せないです」

「思い出せないって……記憶がないの?」

 それこそ、兄の語ってくれたおとぎ話のようだ。記憶を失い、茨の城に眠る姫君。そういえば、その姫が眠る場所も「棺」だったはずだ。

 セイルの言葉に、シュンランは小さく頷く。

「はい。眠る前のことも、この世界のことも、ほとんど覚えてないです。覚えているのは、わたしがシュンランなこと、不思議な歌を歌える『歌姫』なこと」

 そして。

 シュンランは強い力を込めた瞳で、セイルを……セイルよりも遙か先の空を見据える。

「わたしが、世界を助けること」

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