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空色少年物語  作者: 青波零也
第一部 空色少年と賢者の行方
120/131

24:ノーグ・カーティス(4)

「……ここ、は?」

 空を突き抜けるように聳えるのは、セイルの知らない建物。その材質は、煉瓦でもなければ石でもない。硬い何かによって形作られた、背の高い建物がいくつも立ち並んでいる。道の横には、見たことのない、不思議な材質の車輪を取り付けられた金属の車が、半ば壊れかけた姿で置かれている。

 塔の中にいたはずだというのに、その天井もいつしか灰色の空となっていて、今にも泣き出しそうな重たい雲が垂れ込めている。

 そのどれもが、灰色をしている。本来は何かしらの色を与えられていた、かもしれないけれど。セイルの銀の瞳に移りこむ世界は、何もかもが、白と黒を混ぜた色彩によって形作られていた。

「かつて、ここには、一つの世界があった」

 ひゅう、と風が泣く音と共に、声が響き渡る。

 凛、と張り詰めた少年の声音。かつて、セイルに遠い昔の物語を語っていた、懐かしい声。

「何一つ育むことのない大地、泥のような黒い液体を満たした海、分厚い雲と細かな灰に閉ざされた空。そんな世界においても、なお、人は夢を見続けていた。遠い日に忘れてきた、万色の夢を」

 実際には風など吹いていないというのに、セイルの目の前に広がる建物の間を、砂交じりの冷たい風が駆け抜けていくのが、視覚からわかる。人一人いない町を、くしゃくしゃに丸められた紙屑が転がっていく。

 道の一角に立つ金属の柱の上には、セイルの知らない形の灯りが灯され、薄暗い世界を照らしている。それも、ちかちかと瞬き、今にも消えてしまいそうな頼りない光だったけれど。

「……もちろん、夢は、見るだけじゃただの夢だ。だから、その夢を現実にするために、かろうじて生き延びていた人間は、己の身を守る町を築き、己が夢を実現するための塔を築いた」

 ぱちん、と何かを弾く音がして、周囲の風景がざっと乱れ、別の像を結ぶ。それは、塔だった。灰色の雲をも貫く巨大な塔が、セイルの目の前に出現していた。

 その姿には、セイルも見覚えがあった。海の底で見た、この塔の姿と、今セイルの目の前に現れた塔の姿は全く同じものであった。とすれば、先ほどセイルの前に広がっていた町並みは、海に沈んでいた町の姿であったのだろうか?

 そんなことを思っているうちに、塔の姿も崩れ、今度は大きな硝子の壁で区画を隔てられた、白い部屋が映し出される。部屋の構造は、何となく、先ほどの水槽だらけの部屋に似ている。

 そして、分厚い硝子に隔てられた部屋の一つに、白い服を着た小さな子供が膝を抱えて座っている。その子供を、硝子越しに白衣を羽織った男女が数人、観察している。まるで、動物園の動物を眺めているかのように。

 繋いだ手が、微かに震えたのを感じて、セイルは思わず横に立つシュンランを見る。シュンランは、すみれ色の目を見開いて、目の前の光景を凝視していた。その表情は、驚きにも見えたし、恐怖のようにも、見えた。

「世界を変える夢を見た連中が集った塔。そこでは世界を変えるため……もしくは、この世界に生きるための、試行錯誤が繰り返された」

「……ディーヴァ・プロジェクト……?」

 子供を見つめるシュンランの呟きが、やけに強く、耳に響き渡る。セイルの内側でちりちりと緊張を高めていたディスもまた、そっと、同じ言葉を唱えていた。

 ディーヴァ・プロジェクト。セイルには意味のわからない言葉。しかし、声の主は満足げに肯定の言葉を返す。

「そう、『ディーヴァ・プロジェクト』。人の身に余る奇跡を起こす力を持つ子供たち、『歌姫』を軸にした世界再生計画は、最も連中の夢に近い存在だった」

 だが、という逆接の言葉と、指を弾く乾いた音と共に、周囲を取り巻いていた幻影は完全に崩れ去る。

 気づけば、セイルたちが立っていたのは、広い部屋の入り口だった。周囲は金属の壁に囲まれていて、奥だけが少しだけ材質の違う白い壁になっているのが見て取れる。

 その中心に、一人の男が立っていた。

 白衣を纏った、細い影。その横顔が、うっすらと笑みを浮かべて。

「かの計画は、極めて不完全な形で実行されて。世界は、ある一人の小娘が望んだ、イビツな形に創りかえられた。そう、今、俺たちが立っているこの場所のように……な」

 かつん、と。

 手にした背丈ほどもある杖で床を叩き、こちらを振り向いて――朗々と、宣言する。

「ようこそ、『シルヴァエ・トゥリス』第三番塔……葬り去られた夢の跡へ」

 そして、セイルは初めて、そこに立つ者の姿を真正面から見据えることになった。

 鮮やかに輝く、山吹の光を纏う髪。遠浅の海を閉じ込めたような、青い瞳。白磁のよな肌に、人形のように整った顔立ちをした青年。その淡い色をした唇が、歌うように言葉を紡ぐ。

「招かれざる客人ではあるが、歓迎してやろう。余計なものもついてきちゃいるが、俺が望んでいた全てが、ここに揃ったんだからな」

 淡々と紡がれる声は、セイルの記憶を揺り起こす。

 だが、それ以上に、セイルの中に再生されゆく記憶との間で、耳を塞ぎたくなるような不協和音を奏でてもいて。

 セイルは、じっと青年を見据えて……その違和感を、はっきりと、言葉として放つ。

「……アンタは、誰だ?」

 すると、青年は微かに眉根を寄せ、珊瑚礁の海を思わせる両眼を細めてみせる。

「何だ、セイル。俺を忘れちまったのか? ま、姿かたちはかなり変わっちまってるから、わからなくても当然か」

 セイルは、その瞬間に、確信と共に強く歯を食いしばった。

 そもそも、セイルは、兄ノーグ・カーティスの姿かたちを、はっきりと覚えているわけではない。彼についての記憶は決して多くなく、いつも、彼の姿は逆光の中にあったから。セイルの中に根付いているノーグ・カーティスの記憶は、目の前の青年が紡ぐ、壊れてしまいそうな響きの声音が全てだった。

 けれど、けれど――!

「違う! アンタは、兄貴じゃない。兄貴は、俺の名前を、そんな風には呼ばない!」

 一番の違和感は、セイルの名を呼んだ、その発音。

 そうだ、今この瞬間、はっきりと思い出した。兄は、ノーグ・カーティスは、普段から決して手本のような発音を崩さないというのに……人の名前を呼ぶときに限って、本当に僅かな北方訛りを混ぜる癖があった。

 セイル。その名を呼ぶ知らない響きが、空気の中に虚ろに溶けて。青年は、小さく息を付いて肩をすくめる。

「悲しいな。折角の再会だってのに、かわいい弟に全否定されるとは」

 杖を鳴らして一歩、歩み寄った青年は、反射的にシュンランをかばうように構えたセイルを見て、愉快そうに声を上げて笑った。セイルの知らない、どこか螺子のゆるんだ笑い方で。

「なーんて、な。アンフェアは嫌いだから、正しい答えくらいは教えてやろう」

 胸を張り、背筋を伸ばして立つその姿は、決して大きな身体ではないというのに、圧倒的な存在感を放つ。その、張り詰めた、針のような気配を崩すことなく、青年は、言葉を紡ぎ上げる。

「初めまして、だ。セイル・カーティス――俺の名はアルベルト」

 ――アルベルト。

 知っている。その名前を、自分は知っている。しかし、セイルの知るその名と、理解が結びつかない。セイルの混乱を理解しているのかいないのか。青年は、兄のそれとよく似た、早口ではあるが極めて聞き取りやすい発音で、言葉を続ける。

「アルベルト・クルティス。お前らが葬った時代に生まれた、ただの人間だ。お前たち楽園の住人からは、『使徒』なんて大層な肩書きで呼ばれているはずだがな」

「使徒……アルベルト……?」

 まさか。

 だが、楽園にその名を持つ人間は、一人しかいない。

 裏切りの使徒、アルベルト。

 人族を導く者として女神に創られながら、その女神に刃を向けた罪により、海の底に沈められたと伝えられる存在。

 そして……己が創り上げた蜃気楼閣ドライグの深層にて、シュンランに向かって何かを語りかけていた、存在。

 目の前にいる青年が、そのアルベルトだというのか。

 ただただ、呆然とすることしかできないセイルの背後から、チェインが絞り出したような声を投げかける。

「使徒アルベルトは、エルヴィーネとターヤに討たれたはずだよ。それに、ただの人間だというなら……この時代まで肉体を維持することなんて、できやしない」

「その疑問ももっともだな、『連環の聖女』。もちろん、俺様の本来の肉体は、とうに骨すら残さず消滅してる。故にこの身体は、蜃気楼閣からの借りもんだ。『ユニゾン』と限定的な『アーレス』を持つとはいえ、『レザヴォア』との接続も出来ねえ、極めて不完全な義体さ」

 やっぱりか、と内心でディスが言う。その声には、隠しようもない苦々しさが滲んでいた。

 義体。機巧と生体部品を使った作り物の体。遠い昔、遺跡から発掘された機巧人形を元に、蜃気楼閣ドライグで造られた一種のゴーレム。そう、ブランが説明したことを、思い出す。

 『エメス』によって蜃気楼閣から奪われたものが、今、ここにある。そして、ガブリエッラからその奪還を頼まれた時、ブランは言っていたはずだ――「完全な形でなくても、構わねえな」と。

 ブランは、当初から、この事実を想定していたのだろうか。

 ブランに確かめたいと思ったが、どうしても、目の前の男から目を逸らすことが出来ない。アルベルトと名乗った男は、兄とよく似た声でけたけたと笑い……焦点の合わない目で、セイルたちを睨む。

「何しろ、本来『俺』であるべき身体は、俺の許可なく勝手にほっつき歩いてるもんでな」

「本、来……?」

 わからない。この男が何を言っているのか、わからない。その焦点がどこに向けられているのかも。

 だが、ディスはその意味合いを、その場にいる誰よりも先に察したのだろう。今にもセイルの身体を強引に奪い取る勢いで、全身を震わせて吼える。

『くそっ、手前の狙いは、手前の身体を「取り戻す」ことか!』

「そう、本当は『名前』だけじゃねえ、何もかも、何もかも、『俺のもの』であるべきなんだよ」

 ディスの声を『ユニゾン』を通して聞き届けたのだろう。使徒アルベルトは高い声で笑う。

「さっさと、俺様に何もかもを渡しちまえば、楽になれただろうに」

 深い、深い、狂気をつくりものの顔に湛え、うたう。

 

「なあ……ノーグ・カーティス?」

 

 ――え?

 一瞬、頭の働きが、凍りつく。

 今、この男は何を言った?

 誰を見て、その名を呼んだ?

 それを、思わず振り返ったセイルが正しく理解するよりも先に。

 

「そう思ってるのは手前だけだ――賢者様」

 

 氷河の瞳を細め、鋼の銃口をアルベルトに向けて。

 

 ブランは、酷く嗄れた声で、呟いた。

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