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空色少年物語  作者: 青波零也
第一部 空色少年と賢者の行方
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幕間:彼の物語の終わり

 空色の少年は、白い少女を連れて走り去った。

 それを見届けたラグナ・クラスタは、拳を握り締めようとした。だが、指先はいうことを聞いてくれない。指先だけではない。機巧の鎧は自分を害するあらゆるものから身を防ぐというが、一度動力を失ってしまえば、それは全身の動きを阻害する枷にしかならない。

 ……いや、仮にこの身が機巧の鎧の中になかったとしても、指一つ動かせなかったはずだ。

 ――完敗だ。

 ラグナは初めて、己の負けを胸の底から認めていた。

 兄、キルナの言葉に従い、姿も見せない『機巧の賢者』から送られてくる異形の鎧に初めて身を包んだその日のことは、今でもはっきりと覚えている。

 それは、彼が心から望んでいた『力』だった。魔法だけでは叶えることのできないもの、他の人間を圧倒する強大な『力』。それが、この鎧の形をした機巧には凝縮されていた。

 素晴らしい技術だ。キルナも目を輝かせてそう言っていた。

 確かに、素晴らしい技術だった。今までも兄と共に機巧について学んではいたが、このような形で己の積年の夢が叶うとは思ってもみなかった。

 力。誰も手の届かないような、強大な力。

 ラグナは常にそれを夢見ていた。幼い頃から、ずっと。ずっと。兄の手を借りなければ何もできない自分が嫌いだった。もちろん、そんな自分を嘲笑う周囲も嫌いで、自分を上から見下ろす兄だって嫌いだった。この楽園の何もかもが、嫌いだった。

 だが、この鎧に身を包んだ瞬間に、世界の色が変わって見えた。自分が生まれ変わったような気がしたのだ。実際に、生まれ変わったようなものだった。ラグナ・クラスタは、その日から『エメス』のために力を尽くす、機巧の戦士という役割を与えられたのだから。

 力を与えられ、役割を与えられる。自分がそこにあることを認めてもらえる。

 それは、彼にとって何よりもの、喜びだったのだ。単に『機巧の賢者』に利用されているだけであったとしても。利用されているという事実に、気づいていたとしても……己の存在に意味が与えられている、という事実さえあれば、ラグナにとっては何も、問題にはならなかったのだ。

 ――あの空色の少年に、出会うまでは。

 そんなことを考えながら、ラグナは天井に視線を戻した。

 『世界樹の苗木』……『シルヴァエ・トゥリス』。

 これがどのような機能を持つ古代の遺物なのか、ラグナは知らない。聞かされていない。それを知っているであろう兄、キルナは「知る必要もないでしょう」と酷薄な笑みを浮かべて言い放ったし、ラグナ自身、興味はなかったから。

 空色の少年は、クラウディオ・ドライグを助け出したのだろうか。きっと、上手くやってのけただろう。戦闘能力では『エメス』最高峰であった自分を、完膚なきまでに倒してみせたのだから――

 負けたというのに、妙に誇らしい気分で目を閉じようとしたその時、ごん、という轟音と共に床が揺さぶられた。驚きの表情を浮かべていると、耳につけていた機巧の通信装置が、ざらついた雑音と共に、耳慣れた声を放つ。

『ラグナ……聞こえて、いますか』

「何だ、キルナか」

『何だ、ではありません! 定時連絡もなしに、何をしているのです……』

 装置越しに聞こえる声は、酷く苦しそうだ。キルナは、先ほど自分が従えていた、最新型の禁忌機兵を連れて、『魔弾の射手』と『連環の聖女』の迎撃に向かっていたはずだ。

 だが、実のところ、ラグナはそれが上手く行くとは全く思っていなかった。あの二人は、ラグナとキルナの手に負える相手ではない。

 こちらの手の内に対して一定以上の知識を持ち、数十対の禁忌機兵に囲まれながら顔色一つ変えずにその全てをあしらってみせた『天才』ブラン・リーワードに、極めて扱いの難しい聖別の鎖を自在に操り、『エメス』が誇る精鋭をことごとく打ち倒してきた影追い『連環の聖女』だ。

 一人ずつであればまだ勝ち目はあっただろうし、もしラグナとキルナ二人で相手することができるのであれば、状況は変わっただろう。だが、キルナ一人であの二人を相手取るのは完全に力不足としか言えなかった。

 その状況を作ったのは、自分ではあったけれど。

『……ラグナ?』

 返事をしないラグナに、訝しげな声を投げかけてくるキルナ。ラグナは「いや」と軽く返事をした上で、言った。

「空色のガキとやり合ったが……完敗だ」

『完敗……です、って?』

「言われた通り、『歌姫』の力は封じたし、気に食わねぇが禁忌機兵も使った。だが、あのガキは、俺らの思った以上に強かった。強かったんだよ」

 それは、単純な力だけではない。

 一度、己の拳が少年の体を捉えた瞬間、勝ったと思った。人の体では耐えられる一撃ではないと思った。

 それでも、少年は立った。銀色の瞳の中に、決して消えることのない光を湛えて。今まで、空色の少年が見せたことのなかった、強い、強い意志の光。

 最初は、何も知らない、ただの子供だと思った。だが、何度も何度もやり合っているうちに、少年が秘めているものこそが、人並みはずれた力であると気づいた。だから、ラグナは空色の少年に執着した。得体の知れない『棺の歌姫』でなく、『エメス』の邪魔をする『射手』や『聖女』でもなく、力を手に入れた自分とやり合えるだけの力を握る空色の少年こそが、ラグナが戦うべき相手であった。

 彼を打ち倒すことができれば、自分の手に入れたものが無駄でなかったと、この生き方が間違っていなかったと、胸を張ることもできたはずだから。

 けれど、最初は戸惑いと共に剣を手に取った空色の少年は、最後の最後でラグナの遥か高みを駆け抜けた。

 勝てるわけがない。揺るぐことなき力と意志を見せ付けられて、借り物の力と与えられた目的に縋った自分が、勝てるわけがなかったのだ。

 通信装置の向こうで、ぎり、とキルナが歯噛みしたのがわかった。

『不甲斐ない』

 吐き捨てられた言葉は、しかしラグナの心を波立たせることはなかった。今のラグナの心は、いつになく凪いでいた。『エメス』に入ってから、役割と力を与えられてから、こんな気持ちになったのは初めてだった。

 酷く落ち着いた心でキルナの言葉を受け止めたラグナの内側に浮かんだのは、悲しみのような、哀れみのような、自分でも不可解な感情……ただ、その出所だけははっきりとしていた。

 ラグナは小さく息をつき、兄に向かって言う。

「……そっちも、どうせ負けたんだろ?」

『っ、それは……っ』

「なあ、キルナ。もう、やめにしねぇか」

 ぽつり、と。落とした言葉は、ラグナの思いの全てであった。

 しかし。

『やめに……な、何を言うのです! いいですか、ラグナ、これは、あなたのためでもあるのですよ! このような危機にあるからこそ、我らが賢者、ノーグ・カーティスを見捨てることなどできるはずもありません』

「俺ぁ、そうは思えねぇな。そもそも、賢者様は俺らなんざ必要としてねぇよ」

『……ラグナ。あなたの自由が、誰から与えられたものか、理解して言っているのですか?』

「こんなの、自由でも何でもねぇ。だから、終わりにしようぜ、キルナ」

『いいえ……いいえ! 終わりになどしません、終わらせなどしませんよ! 私は何処までも、あの方についていくと決めたのです! あなたがそう言うのであれば、好きにすればよいでしょう。あなた一人では何もできないということを、思い知ればいいのですよ!』

 それきり、通信は途絶えた。

 ラグナは小さく息をつく。話こそ通じなかったが、キルナの言うことは、ある意味では正しい。これから、どうしていいのか。まず、この場からどう逃れればいいのか。そんなことすらも、ラグナにはわからない。

 先ほど感じた揺れは、やがて断続的な、激しいものに変わっていく。この塔を破棄するための崩壊が始まっているのかもしれない。『エメス』はそうやって、己の痕跡を消しながら渡り歩いていくものだと、聞かされたことがある。

 そして、自分はここに残されるのだろう。それを理解してもなお、妙に清々しい気持ちではあった。そこに、一抹の悲しみはあったけれど。

「変わっちまったな、キルナ」

 言い放って、もう一度天井を見上げる。

 ここにあるのは灰色の、無機質な天井だけれども、その向こうには、きっと青空が広がっているに違いない。

 自分たちが求め続けた『ディスコード』を携え、『棺の歌姫』の手を繋ぎ。

 結局最後まで自分の目で見ることのできなかった『機巧の賢者』を求める、少年の髪と、きっと同じ色をしているに違いない。

「もう一度やり合うって、約束したもんな」

 出会うたびに違う顔を見せる、二つの刃、二つの心。

 それでも、譲れない一つの願いのために自分を打ち負かしていった、少年の背中をもう一度脳裏に思い描いて。

 

 彼は、目を閉じた。

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