依頼主
唐戸市場より車で十数分。
すいた道路に広いワゴンでかいてきなドライブを沿岸沿いに行きつつ、藤堂の短い観光案内がおまけでついてきた。
「右手が壇ノ浦、もう少ししたら左手に赤間神宮ですよ、奥には壇ノ浦で入水した平家一門の墓があって隣には耳なし芳一の堂があります。その隣に日清講和館。ご覧になられましたか?」
「はい、水でお亡くなりになられた天皇は安徳天皇ただお一人との事で、竜宮城を模した作りで魂をお慰めしていると伺いました。」
真実の女性らしい丁寧な言い方に藤堂の頬が緩む。
「おっしゃる通りで、隣に安徳天皇陵があります。関門橋の下を通れば右手にすぐみもすそ川公園です。」
全員が右に視線を走らせた。
距離的には関門橋よりも関門トンネルの方が長いと言われる出口より右手前方道路を挟んですぐに見えるのはまず関門橋、義経と知盛の像。
更そのに左には馬関戦争に使われた大砲の模型がある。
「下手にある島は船島、巖流島ですな。上手には満珠、干珠の島があります。」
説明を受けながら真澄は赤い鳥居に視線を奪われて、気がつけば平家茶屋の駐車場に車は止まっていた。
駐車場では関門橋が右手見え、潮の香りを嗅ぎながら建物の中に入ってゆく。
立派な建物の平家茶屋の窓側の席からも関門橋が美しく見え、夜ともなれば夜景に心奪われるであろう事は必然だ。
案内された場所に全員が座り、暫くすると水を持って来た従業員が来る。
従業員がご注文決まりましたら、
とお決まりの台詞を言うより早く藤堂と青砥が素早く注文をした。
少々お待ち下さい、と去って行った背中が視界からきえると同時に青砥が口を開く。
「早速ですが、種村洋子さんより藤堂さんに大まかな内容を聞いてくれと言われておりましてね。」
目を細める時の青砥は若輩とは思えぬ観察力と洞察力を備える。
口角を上げ、目を細めた青砥の顔に通常の変人ぶりは見当たらず、真澄はいつもそうなら少しはまともに見られるのに、と内心で溜め息を一つついた。
「はぁ、まずは種村貴寿氏の遺した遺品が問題でして。いくつかあるのです。」
幾つか、とは初耳で真澄は真実を見ると口角を歪めた真実がそこにはいる。
これは、真澄がようく知っている真実の…企み顔だ。
そこんじょらの毒がある男など話にもならぬ、真実の海千山千の顔。
こうなればすべて真実の掌の上で動く可能性は八割。
トンと真実愛用のモンブランの万年筆がテーブルで音をたてる。
青砥は顎の下唇に触れるか触れないかの位置に人差し指の第二関節を押し当てて、唇の右端だけを1mmだけ上げた。
「種村洋子さんからお伺いしました内容と少々異なりますね、理由をお聞かせ願えますか?」
「遺品は、選べるのです。洋子さんはおそらく青砥に話したものこそを手に入れようとなさっているのではと。」
藤堂が困ったように眉を寄せ言うと小さく芦刈が呟く。
「主語、抜けています。」
「え?」
「僕達は遺書の全文を聞いていないですし、まずはそこからご説明願えますか?」
瞬く間に藤堂の顔が強張る。
とうに伝わっているものと思っていた藤堂の思惑が手に取るようだ。
「ぇ、あの…それは。」
汗をながしはじめた額を薄い青のハンカチで拭いつつ言葉を濁す藤堂の目の前で真実がえんぜんと微笑む。
「大方の予想はついておりますし、こんな依頼をするぐらいですもの。ある程度の事ならば許容範囲内ですわ。」
けして強制ではなく、ただ真実の誘うように藤堂はゆっくりと口を開いた。
「五つ、種村貴寿氏が遺した品物が御座います。財産自体は法にのっとり分配されましたが、五つの品物は五人の指名がされ、好きなものを死後三ヶ月以内にわけるようにとの指示で御座いました。」
その内の一人種村洋子は草々に品物の一つに目をつけて、依頼をしたというわけだ。
だが、と真澄はじいっとグラスに注がれた水に反射する光を見つめる。
時期が早過ぎやしないか?
種村洋子が確信を持っていないのならば、品物鑑定の依頼をする筈。
だが種村洋子は数珠、を指定してきたのは何故か。
また確信があるならばこの依頼は気が早過ぎる。
死後三ヶ月以内…一度決めた品物を変える事は可能なのだろうか?
「憶測で申し訳ないのですが、五つの品物については遺言書にまだなにか記述があったのではありませんか?」
真実の言葉に藤堂の顔色が更に悪くなる。
「例えば、五人の所有者のうち三ヶ月以内に不幸があれば、品物の指し示す謎を解いた者の所有物となる、とか。」
藤堂の顔色は青褪めた状態を通り越して土気色といえよう。
「更に、」
床波が続ける。
「一度決めた品物を変える事は不可能とかだろ?」
つまり、自分が手にした品物の示すモノが見つからず、他の品物が欲しければ四人に不幸が訪れなければならない。
しかも期間は三ヶ月。
「品物は既に五人の手にあるんでしょうか…」
真澄の呟きに藤堂は深く頷く。
「遺言書公開の際、品物も公開致しまして期間も申し上げたのですが皆様重なる事無く、それぞれの品を手になさいました。」
異様な話だ。
「ふふふっ種村貴寿氏はよっぽどの楽天家かお身内を憎んでらっしゃったかのどちらかですね。」
青砥が優雅に葉巻を取り出しながら言った台詞に藤堂は目を点にする。
「失礼、種村氏は事前に受取人個別にお話をなさったのでしょう、遺産についてのね。」
肩を震わせつつ紫煙をスゥっと吐き出して笑う。
「実に面白い。」
「何が面白いというのです。」
藤堂の声は掠れている。
口の中が乾いているのだろう。
「人間が、です。」
楽しそうに笑う青砥を異様なものを見るかのように藤堂が見つめていると、従業員の軽やかな明るい声が場違いに響いた。
「お待たせいたしました。」
てきぱきとテーブルに並べられていく河豚ちりなどの向こうの
藤堂の握りしめた手を見ながら真澄はカランとグラスの中で揺れる氷の音を聞いた。
美味である。
まっこと美味である。
そう顔面にでかでかと書いた馳平は食事に夢中だ。
横目もふらず一心不乱に食事をする姿は欠食児童のよう。
馳平の右隣りに真澄、芦刈。
左に床波。
更にその反対側奥から青砥、真実、藤堂という席順で静かな会食は進む。
芦刈の機嫌はまだ悪く、フォローをしようと一生懸命だった床波の努力は芦刈の完全無視という結果を招いていた。先刻までの真剣な会話はどこへやら、
大学生の若い彼等の旺盛な食欲(主に馳平)に藤堂も少し緊張を崩した模様で箸を進めている。
冷静に食べているのは青砥と芦刈だけで、藤堂の目には真実の食欲が意外に写っているが、美味しそうに沢山食べる人間を見るのは楽しいという年配の人間が皆思う事を藤堂も感じていた。
けっして下品に食べているわけではないが皿は猛スピードで殻になってゆく。
「追加しましょうか?」
藤堂の言葉に目を輝かせた馳平に藤堂はメニューを渡す。
「何でもかまいませんよ。」
目を細めて馳平に言う姿は子犬に癒された親父だ。
真澄はこうした時の馳平効果は結構買っている。
調査の場合、依頼人は大概青砥の異様さに恐れおののき、真実の紅唇から紡ぎ出される言葉に目眩を感じ床波の毒舌で撃沈するのだ。
それを馳平の無邪気さが癒し、芦刈の優しい言葉が掬い上げて、常識人の自分が話を聞くのが定石となりつつある。
「じゃあっじゃあっ!河豚ちりにお寿司とか……だめですか?」
上目遣いの天然おねだりに大概の男も女も落ちる。
馳平で駄目な場合はふんわり微笑むサナトリウム系美少年+αの芦刈先輩に落ちる。
更にだめな場合、常識人だが美人な真澄に落ちる。
………時折真実に落ちる者もいる。
真実にころんころんごろんごろっと転ぶ者は何故か転んだ者同士交流を深めており、全国各地に真実の下僕が転がっているのは真澄の頭の痛い事実だ。
藤堂は最初の砦、馳平にすっ転んでくれたようで早速従業員を掴まえては馳平に注文させていて、それを横目で見ながら真澄は寿司を一貫口にいれて真実に目線をやる。
真実と真澄の家はけっして貧しいわけではないが、家訓として「喰える時に喰っておけ」という言葉を幼少時より大切にしており、今でもそれは変わらない。
「真澄ちゃんも追加する?」
他者がいる為か、若干まともっぽい青砥がメニューを差し出すが、この男におごられるという危険を犯したくない真澄の眉間に皺がよる。
と、目の前でメニューが消えた。
「じゃあ海鮮盛追加で。」
真実が従業員に愛想よく声をかけた。
青砥が少し不満気に目線を送ると真実は真澄に視線を向けて、自分の左鎖骨をトンと叩く。
これは「私は誰でしょう」という問い。
青砥の答えはわかりきっているので、青砥は意見を口に出す事はしないで仕方ないと首を少し傾ける。
青砥にとって真実は頼りになる仲間でもあり、それと同時に真澄の姉なのだ。
真澄に酔っている男の弱点ともいえよう。
そんなこんなで食事を終えた一同は藤堂の運転するワゴンで北東の方角へ走り始めた。
長府。
古風な町並みと歴史の面影が垣間見える路地を通り、少し山道を登ればこれまた土塀に囲まれた大きな屋敷が故種村貴寿邸である。
一同は門前で降ろされて、藤堂は駐車場に車を止めに行く。
走り去ったワゴンの排気ガスがきれいに消え去るのを見ていた真澄は突然女性の声がしたので驚いて後ずさる。
「M大学、奇怪研究会の皆様で御座いますね?」
振り返れば、渋みのかかったウコン色の着物に桃色の刺繍がなされた白帯を締めた上品な着こなしの女性が立っていた。
「はい、私が代表の青砥哨一郎です。」
礼儀正しい真っ直ぐな背中を一同に向けて上品な笑みを浮かべているであろう青砥を真澄は相変わらずの詐欺だと感じた。
「洋子様がお待ちです、まずはお部屋へご案内致します。」
女性の案内するままに屋敷に上がり、回廊を左に歩き右へ曲がり左の庭に面した細い回廊を進む。
入念に手入れされた日本庭園を眺めつつ、別棟へ。
「三部屋ご用意させて戴きました、。」
女性が目の前の雪月花という札のついた部屋をあけると、純和風の通常ならば五、六人は泊まれそうな広い部屋。
これを二人で使っていいというのだ。
「三部屋続いてこの雪月花の隣と隣をご利用下さい。急ぎで申し訳ないのですが、とりあえず荷物を置いていただきまして洋子様の元へおいで下さいますか?」
はい、と荷物を置いた一同は再び回廊を通り、先刻通った玄関より右へ進む。
奥へ奥へと誘われ五人が横並びで歩けそうな廊下を進み、左に庭園、右に広間という日本独自の風景が広がってすぐ女性がゆっくりと膝をついた。
「お連れ致しました。」
「お入りなさい。」
応答は若い涼やかな妙齢の女性のもの。
「失礼致します。」
襖を開けた先に広がる座敷とその中央に鎮座した若草色に紅葉を散らした訪問着、渋柿色の帯、結い上げた髪には銀と珊瑚の髪飾り。襟から折れそうな程細い首が伸びて小さな顔がのっている。
顔の造形は品よくととのっており、天の細工師もかくやと言わんばかりの…そう人形浄瑠璃に出て来る悲劇の姫君がそこにはいた。