雨降って……
蒲公英様主催「かたつむり企画」参加作品です。
※雨の中、傘をささずに歩くシーンを含む短編。
「道の先には……経験値ゼロ」で最初と最後にちょこっと登場した見合い相手、渋井一男のかなり先の後日談です。
夕方、一男が帰ってきたとき、妻はいつものように出迎えてくれなかった。代わりに、隣から一男の帰宅を待ちかねたように、母がやってきた。
母は一男の姿をみるなり、妻が父の年金を勝手に引き出して使っていると捲くし立てた。まさかそんなはずはないと言う一男に、
「嘘じゃないわよ、ほらこの通り。毎月2万円。公共料金分をちゃんと入れてたのに、落ちなかったからびっくりして調べたらでてきたのよ」
母は通帳を叩きながらそう言って目くじらを立てた。
「お袋、なんかリボで何か買ったんじゃないのか」
定額だ。おそらく、リボにしたことを忘れているだけだろうと、一男はそう母に聞き返してみたが、
「そんな訳ないでしょ。あたしも父さんもリボなんて知らないからね。大体、ここ何年もカードなんて使ってないんだから」
という答えが返ってきた。だとしたらどういうことだろう。スキミングでもされたのかもしれない。一度銀行の方に問い合わせてみる必要がありそうだ。
だが、今の世の中、そう言う手続きはおろか、情報すらも本人でないと答えてはもらえない。それに、電話で聞くにせよ、出向くにせよ自分には会社があって、一緒に行動などできない。とりあえず、両親だけで銀行に出向いて、スキミングの可能性がないか確認してもらうこととなった。
一方妻の方は、寝室にいた。一男は、
「カズオ、私お義母さんのカードなんて知らないよ」
と泣きながら言う、タイ人の妻ファラの頭を撫で、
「当たり前じゃないか。大丈夫、明日になれば本当のことがわかるよ」
と、その震える肩を抱きしめた。
そして翌日、銀行側の回答を聞いた一男は唖然となった。
父の通帳はそれ自体がカードローンを含む形式で作られており、父は退職前にそこから相当額の金を借りていたのである。
一応、退職金からその金額に相当するものはその銀行に入金してあったのだが、入金しただけ。当然カードローンだからリボ払いのままだ。どれほど高額を入金してあったとしても引き落とされるのは、毎月一定額。両親としては完済していると勘違いしているので、その金額は勘定に入れていない。それでも、それまではそれが落ちてもいけるほど残高があり、知らずに引き落とされていただけなのだ。
念のため、父は銀行でそのカードにはさみを入れた。だが、これではカード自体を処分してもこれ以上の借入金ができなくなるだけで、借入金自体がなくなるわけではない。
それでも、それで事は終わったと一男は思っていた。
だが、2ヶ月後、次の年金支給日にも母は怒鳴り込んできた。またその2ヶ月後にも……
「ちゃんと完済したはずなのに、また借金ができている。ファラが盗った」
と。母は判で押したように毎度同じ口上を述べる。それが三度目にもなるとついに妻は、
「お義母さんは、そんなにわたしを泥棒にしたいか」
と言って篠つく雨の中、傘も差さずに飛び出して行った。帰宅後、それを知った一男は、慌てて妻を捜したが、見つけたのは3時間後。すでに体は冷え切っており、ぐったりしていた。
そこで、上の娘菫に電話で風呂を沸かさせ、家に連れ帰ってすぐに入れたが、妻の震えは一向に収まらない。
やがて、妻が戻ってきたことを知って、やってきた両親に、
「ファラに何かあってみろ、俺は親子の縁を切る」
一男は声を荒げた。
遠い外国から自分だけを頼りにきた妻。お義父さんお義母さんがいてくれてうれしいと常々言っている彼女に向かって、それが仕打ちかと、怒りが抑えられない。一男は、
「ごめんなさい、どうかしてました。許してください」
と土下座せんばかりに謝る母を冷たく見下ろして、返事をすることはなかった。そして父は、そんな一男に、
「すまんな、また後で電話するわ」
と泣き崩れる母を連れて、隣の自宅に戻っていった。
その言葉の通り、一時間ほどして父から電話があった。
『ファラさんは落ち着いたか』
「ああ、まぁな」
父の言葉に、一男は素っ気なく返す。だが、
『もしなんなら、引っ越すか』
続く父の言葉に一男は驚いた。
「何で」
この二世帯住宅を望んだのは、他でもない両親の方だ。このカードローンも元はと言えば、この家に移り住むためにかかった費用が思わぬ大きかったからだ。第一、二世帯住宅の片側だけなど、売りようがないではないか。
『母さんは、たぶん次も同じように怒鳴り込むだろうから』
すると、父は一男にそう言った。これほどの大事になって、まさかそれはないだろう。そう思った一男に父は、
『認知がかかってきているんだ。今日のことも何度も説明したが、ダメだ。年金が減額しているのも、盗られている言い出す。
ま、母さんも不安なんだよ。先が見えないと思うから、その気持ちが、持っている金を盗られるということにすりかわる』
と、今の母の状況を告げた。
「だからって、なんでファラが傷つけられなきゃなんないんだ」
電話を切った後、話のあらましを憮然とした表情で妻に告げた一男に、
「それ、お義母さんがカズオを愛し過ぎてるね。確かに、わたし、お義母さんからカズオ盗ったね。だから仕方ないね」
と、事の真相を聞いた妻は笑いながらそう言った。そして、
「次、お義母さん怒るとき、寂しいね思うようにするね。でも、カズオ返すわけにいかないから、私しか渡せないけどな」
とまで言った妻を、
「ファラ、我慢ばっかするなよ。あんまり言われるようなら俺にぶつけろよ、分かったな。絶対だぞ」
一男はそう言ってきつく抱きしめたのだった。
母は結局、数年後、この嫁に本当に世話になったと、涙を流しながら旅立っていった。
いやね、この歳になると、親の認知に苦しむ友達の多いこと。
その中でよく聞く、
「嫁(婿)が盗った」話を書いてみました。
お年寄りにすれば、経済的にいつも不安な方って多いんですよ。ホント、年々年金目減りしてますしね。生活の不安の持っていきどころが、共に生きてきた夫や血を分けた子にいかず、その配偶者にいくのはよくある話なんですよね。
ま、でも、このファラさんのように、前向きに取れれば良いんですけど、普通間違いなく嫁姑戦争に発展するか、悪くすれば離婚ですね。