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異世界にトリップしたっていう設定のアニメや小説は、おれ自身なんども見たり読んだりしている。
例えば、神様の手違いで死んじゃって別の世界でチート技を使う勇者になる話とか。
或いは、魔王様として悪魔達をこき使って天下取りを狙ったり。
一番多いのは多分『どうか世界を救ってください!』って頼まれて国王や民衆のヒーローとなるパターンかな。
つまりおれが何を言いたいかというと。
異世界に来て真っ先に奴隷商人に捕まるおれって余程運がないよね。
って事なんだ。
麻倉を突き飛ばして一人深い穴に落ちたおれ。気がつくと森の中で目を覚ましていた。
その時はまだ自分が異世界にいるとは思っていなかった。ちょっと寝ぼけてたのかなと寝落ちを期待したりもしたさ。
しかし、森の中を彷徨っていたら背後から殴られて気絶して――。
目が覚めたら、オークが居たんだ。そう、ゲームに出てくるブタの顔で二本足のアレ。
思わず、アメリカ人っぽく『Oh……ジーザス』って呟いちゃったよね。
最初は食べられるのかとビクビクしていたけど、オークはおれを食べる気は全くないらしい。但し、手錠を嵌めて檻付きの荷車に入れられているけれど。
檻の中にはおれ以外にも、異様に首が長い人とか、赤ちゃんぐらいの身長しかないハゲのおっさんとかトカゲの頭に兎の体の謎の生命体が居たりしてかなり個性的なメンバーが揃っていた。
むしろ、おれだけこんなに平凡でごめんなさいって謝ってしまいたくなるぐらいバラエティに富んだメンバーだが、全員が手錠をはめられている。
おまけに喋っている言葉がさっぱりわからない。異世界なんだから当たり前だけど、普通こう言うときってチート技みたいなのあるよね?
唯一の救いはおれ達を檻に閉じ込めているオークは、暴力を振るったり食べる気が無いって事だ。むしろ、毎日二回食事が貰える。
やたらに固いパンと水だけだが、無いよりはマシだ。おこしを思い出す固さの食事を噛み締めながら食べる。
夜はガタゴト動く車の揺れを感じながら支給された毛布に包まりぐっすりと眠る。
あれ?実はそんなに不憫な目にあっていないのではないか。実はオークはいい奴だったのか?誤解しそうになるおれを正気に戻す、トカゲ頭の泣き声が聞こえた。
泣いているのはトカゲだけではない。ここに閉じ込められた者は皆泣いているかもしくは絶望しきった目をして項垂れている。
唯一ピンピンしているのがおれだけで、オークが毎朝食事を運くたびにニコニコしながら手を差し出すおれを不思議そうに見ている。
そんなオーク達との旅は四日で終わった。動きっぱなしだった車が止まった。着いたのはどうやら目的の街らしかった。
檻から出されたおれ達を向かえたのは多くのギャラリーだ。人間っぽい人もいるけど、大半はオークみたいな外見をした人達が広場みたいな場所に集まっている。
広場の中央には今にも壊れそうな古い台がある。オークはその台に立ってギャラリーに手を振った。拍手が辺りに広がる。
おれはその時まで、このオークが実は役人で不法入国者として拘置所に連れて行かれるという望みをわずかながら持っていた。
しかし、その後の光景は、おれが映画や小説で知る奴隷売買の現場と酷似していた。オークはおれ達を一列に並ばせて、一人ずつ舞台にあがらせた。
オークの合図に合わせて立たされた人間はパフォーマンスをした。例えば拳で近くの椅子を叩き割ったり。或いは首を伸ばしてギャラリーから飛んできたハンカチを口でキャッチしてみせたり。
果たして、それがなんの役に立つかは解らないが、次から次へと売買は進んでいくようだ。そして、最後におれだけが残った。
多分「はやくあがれ!」という意味の事をオークは叫んだ。おれは舞台にあがってギャラリーを見渡した。
しかし、おれは他の連中と違い、出来るパフォーマンスが無かった。おれの拳では椅子どころかベニヤ板だって満足に割れないだろうし、当然首が伸びるわけもない。
苛立った様子のオークはきっと「何も出来ません」といっても怒らせるだけだろう。言っても言葉は通じないだろうが。
……そう。確かに言葉は通じない。けれど音階だったらどうだろう?そこまで辿り着いたおれはようやく自分の特技と言える物を思い出した。
「みなさん、聞いてください。童謡『森のくまさん』」
森のくまさん
ある日森の中 くまさんに 出会った
花咲く森の道 くまさんに 出会った
くまさんの 言うことにゃ お嬢さん おにげなさい
スタコラ サッササノサ スタコラ サッササノサ
ところが くまさんが あとから ついてくる
トコトコ トコトコと トコトコ トコトコと
お嬢さん お待ちなさい ちょっと 落とし物
白い貝がらの 小さな イヤリング
あら くまさん ありがとう お礼に うたいましょう
ラララ ララララ ラララ ララララ
それにしても、ずっと前から疑問に思っていたのだが、この森のくまさんって歌詞おかしいよな。
逃げなさいって忠告したのに、追いかけてくるし、落し物拾ったお礼にうたう理由もわからないし、ってかおじょうさんうたっている場合じゃないって。相手クマだよ超逃げて。
異変に気付いたのは歌を歌い終わってすぐだった。音程を外さなかった自信はある。カラオケ採点機能があれば最高得点を叩きだしていたかもしれない。
それくらいとてもいい出来栄えだったと自負していただけに、歌い終えた後の静けさは異様だった。
だが、呆然としていたオークが大声を張り上げると、一気に場が騒乱となった。我も我もと札束を握って叫んでいる。
先程の活気よりも更に場は盛り上がっていた。いや、これは盛り上がるというよりもう、狂気に近かった。皆がオークに札束を持って声を張り上げる中、突如おれの腕を誰かが掴んだ。
「走れ!」
「っ……!?」
それはおれがこの世界で初めて耳にした日本語だった。数日前までは当たり前のように耳にして聞きなれていた言葉。
不覚にも泣きそうになった。心から安堵した。この人がおれの味方か敵かはわからない。
もしかしたら奴隷になるよりも酷い運命がこの後に待っているかもしれない。
それでもおれはこの一言で、この人についていこうと決めていた。
走り出したおれ達に周りも気付いて止めようとする。おれの前を走る人は薄汚れたボロを全身に纏っていたから体格はあまり解らない。
けれど声からして若い男のようだった。おれを引っ張る褐色の腕は鍛えられてあるようだが逞しいというほど太いわけではない。
むしろ細い方だろう。とてもあのオーク達相手に戦えるとは思えない。しかし、この広場にはおれ達の逃亡を見逃してくれる者等いるはずもなかった。
走って逃げきるしかない。しかし、オークもおれ達を逃すまいと必死に追いかけてくる。数では圧倒的に不利だ。
男が舌打ちした。そして、口に指を当てて吹いた。甲高い音が空に木霊する。
すると街の外の砂漠から砂埃をあげて大きな動物がこちらに向かってきた。
二メートルもあろうかというダチョウのような鳥である。しかし、これをダチョウというには少し問題があるだろう。何故ならこの鳥には頭が二つあったからだ。
クエッ、クエッ、と器用に交互に鳴きながらやってきた大きな鳥は周りをかきわけておれ達の前に急停止した。
鳥の背中には老人が一人乗っていた。「乗れ」と男に指示されておれは老人が差し出した手を握り鳥の背中に乗った。
続いて男が飛び乗ると老人が鳥の手綱を握りしめた。鳥は再び走り出す。周りにいたオーク達は怒り狂って追って来た。
しかし、巨体に似合わない猛スピードの鳥には追いつけないようだ。オーク達の姿が小さくなっていき、街を抜け、やがて鳥は砂漠の中を走り出した。