序章 平凡、穴に落ちる
おれの通う高校は元が男子高だったためか圧倒的に男子が多い。四十人クラスに女子8~10人くらいの割合だ。
その分、女子のレベルが高いというのがもっぱらの噂だ。あくまでもウチの学校に通う女子学生達の自己評価であるが。
そんな女子の中でもひと際目立つ存在が二年A組に所属する麻倉 奈緒である。小柄な体系にスラリとした細い足、ぱっちりな二重にサラサラのショートヘア。胸元がちょっと寂しいのがアレだが、快活な笑顔が似合う気さくな性格で、比較的男子と会話する機会が多い貴重な美少女の一人である。これでスポーツ万能で成績がいいんだからモテて当たり前なのだが。
「ねぇ、今日の放課後予定ある?」
そんな美少女からの突然の呼び出しである。ざわついていた昼休みの教室が途端に静かになる。周りを見なくてもこちらに皆の視線が集まっていることは解った。
彼女がいくら気さくな性格でも、こんな人目の着く場所で意味深な誘い文句を言っていたらおれだって思わず皆と同じ反応をするだろう。
まぁ、いくら注目されようとおれの返事は決まっているのだが。
「悪い。とても大切な用事があるから無理」
「私より大切な用事って何よ?」
いや、その誤解を招きそうな台詞が何よ。
「月刊クロスワードde懸賞の応募締め切りが今日までなんだ。帰って家で解いてから投函しないと」
「つまり、とぉっても暇ってわけね。放課後迎えに行くからそれまで教室で待ってて。無断で帰ったら許さないから」
麻倉はおれの言い分を無視して勝手に決めてしまうとさっさと自分のクラスに帰ってしまった。
「ゆ~う~り~くぅ~ん?」
麻倉が帰って間もなく、おれはクラスメイトの男子達に囲まれた。男子に囲まれてもちっとも嬉しくない。しかも何やら目がギラギラしている。
「今のはどういうことかなぁ?」
「君いつの間に麻倉さんとあんな親しくなったの?」
「ぼく達にかわるように説明してほしいんだけど」
「返答によっちゃあ、ちょっと顔が変形するかもよ?」
笑顔だけど全員目が笑っていない。殺気立つクラスメイト達におれは肩を竦めて答えた。
「説明って……おれとあいつは幼馴染だけど。物心つく前からの」
麻倉の家はおれの家の近所で道場を営んでいる。四歳の時におれが入門したのがきっかけでよくつるむようになった。
麻倉は、男だろうが上級生相手だろうが関係なしに次々と勝負をふっかけてくることで有名で、しかもめちゃくちゃ強かった。
おれはというと練習はよくさぼっていたし、適度に手を抜いていたので型の方はさっぱりだった。
しかし、いざ組手になるとそこそこ勝ってしまうので道場主の麻倉の親父さんもしきりに首を傾げていた。
親父さんの方は暫し怒鳴られるだけで良かったのだが、ずるをしているのに勝ってしまうおれが麻倉は相当気に入らなかったらしく、ことある事に勝負を挑んできた。
それは何も試合だけでなくどっちのほうが速く走れるかとかどちらがより多くドングリを集める事が出来るかとかくだらない勝負も多かったわけだが、とにかくこのとんでもない負けず嫌いの彼女には昔から振り回されてきた記憶がある。
中学でおれが道場をやめて、その後高校に進んでクラスが別れるとお互い別々の友達とつるむようになり交流は途絶えがちになっていた。
それが今日突然の接触である。正直悪い予感しかしなかった。
「実はおばけがでるらしいの」
ビクビクしながら待ち合わせ場所のハンバーガーショップに着いたおれに、麻倉が切り出した話はこれだった。
「はぁ?おばけ?」
「そう。ひゅ~どろどろぉ~のおばけ」
こいつの表現の仕方ははっきりいって昭和だ。そういえばこの女はかなり古風である。今時携帯を持たない女子高生は朝倉くらいなものだろう。
せめて携帯は持って欲しい。今回の件もメールですれば、昼休みの大騒ぎは起きなかったはずである。
「私達が通っていた小学校に大きなイチョウの木があったでしょう?」
「あぁ。イチョウ太郎ね」
ちなみにこのダサい名前はおれがつけたわけじゃない。昔からあの小学校のイチョウの木は太郎という名前だったのだ。
「夜になるとそのイチョウの木が怪しく光るんだって。そして不気味な笑い声がするようよ」
「気のせいかいたずらじゃねーの?」
「私もそう思ったんだけど、目撃者の中には体育の教師も居るのよね」
「へぇ。やけに詳しいな」
「実はその体育の教師って人が、私のお父さんの知り合いで、怖くて夜眠れないって相談してきてね」
そりゃ仕事になんねーだろ。ってか悪戯の可能性が高いのに大の大人が怖がりすぎだろ。
「私、あんまり気の毒だったから、その人に約束しちゃった」
「何を?」
嫌な予感をヒシヒシと感じながらもおれは訊ねた。案の定、麻倉はにこっと笑って答えた。
「お化け退治。私と遊里君がこの謎を解明するのよ!」
そういえばこの女の特徴に負けず嫌いともう二つ。好奇心旺盛とお人好しっていうのがあった。
今更ながらに思い出してみても、後の祭りで、おれには拒否権なんて初めからなくて、麻倉に引きずられるようにして懐かしい小学校へ忍び込んだ。
「なんでわざわざこんな真夜中に?」
「この時間の目撃談が一番多いからよ」
しかし、改めて見ると夜の学校って不気味だ。たしかに幽霊とか出てもおかしくないかもしれない。
近くで工事をやっているのか遠くに赤い明かりが見えた。時々、重機音と振動がこちらにまで響く。
「まさかお化けの正体って、この音とランプじゃないだろうな?」
「さすがにそれはないでしょ。そもそもこの裏道の工事はお化け騒ぎ以前からやってたみたいだし」
学校の敷地内を歩くこと数分。問題のイチョウの木に到着した。
「うーん。私達が居た頃の太郎と何も変わっていない気がするわね」
「強いて言うならちょっと低く見える」
「それはきっと私達の背が伸びたからよ」
麻倉は幹の周りをくるくると回って異変が無いか調べたがやはり声も聞こえなければ光りもしない。
「何も無いわね」
「だから悪戯だって」
「悪戯にしたって仕掛けがどっかにあると思わない?」
「すぐに見つかるような仕掛けなら誰かがとっくに見つけてるだろ」
「つまり?」
「一目じゃ見つかんない場所。例えば、そこの花壇とか」
「花壇?」
麻倉の足元にある花壇のそばには肥料の袋が未開封のまま放置されている。
「肥料がすこし零れてるだろ?」
「変ね。開いてないのに」
「ひっくり返してみると……ほら、あった」
袋の底にはガムテープがしてあった。テープを剥がしてみると、破れた穴から肥料と一緒に小さな時計が出てきた。
「時計?」
自分でアラームの音を録音出来るタイプだった。午前二時にタイマーがセットされている。時間を早めてみると、女のうめき声みたいなのが聞こえた。
「これだったのね、女の声の正体」
「恐らくは。そんで、光ってたのは多分コレが原因」
おれはイチョウの根っこのすぐそばの地面を踏んだ。そこだけ草のはえ方が違った。
「ここに光の正体が埋まっているはずだ」
「スコップを持って来ましょう。確かめないとね」
花壇のそばに落ちていた小さなスコップを手にザクザクと土を掘り進める。
「それにしてもちょっとがっかりだなぁ」
「がっかり?なんでだよ。悪戯って解ったらその体育教師もほっとするんじゃねーの?」
「それはそうなんだけど。遊里君ってばあっさりと解いちゃうんだもの」
面白くないわぁ、とぼやく麻倉を無視しておれはスコップで土を掘り返す。
「でも一つだけ疑問なのよね」
「なにが?」
「音の仕掛けはともかく、光の方はこんな解り易い場所に隠してあるのにどうして先生達は見逃したの?」
「それは掘り起こしてみれば解るよ」
作業開始からわずかの時間で何かにコツンと当たった。
「なにか出てきた?」
「あぁ」
出てきたのは密封された大きな箱だった。
麻倉は驚いた顔でその箱を見つめている。
「これってタイムカプセル?」
「覚えてるか?おれ達の学年が記念でやったやつだ」
「確かイチョウ太郎の100歳を記念して埋めたんだよね」
「150歳の記念に掘り起こすって決めて埋めたんだよな」
「……先生達が手をつけなかった理由が解ったわ」
「恐らく、この箱に埋めた玩具か何かが地震かあるいは工事の振動で偶然スイッチが入ってしまって動いてしまったんだろうな」
これで、おれたちのお化け退治はあっさりと終了した。皆の想い出のつまったタイムカプセルを開けてしまうのは忍びない。
体育教師には事情を説明して納得してもらおう。あとはこの掘った穴を埋めて元通りにするだけだ。
「でも、この箱結構ぴっちり閉まってるよ?その上に土も被ってたのに、そこまで光るかなぁ」
「……確かに」
しかし、麻倉のこの疑問におれも再び首を傾げることとなった。実物を見るまではこれが、光の正体だと疑っていなかったし、先生達も同じ結論に達して穴を掘り返すようなことはしなかったんだろう。
でもこの箱は思ったよりも頑丈に閉ざされていた。この箱の中身が光の原因だとするとよっぽど眩しいものでなければならないはずだ。
何か、間違ってたのだろうか。いや、しかし、現場を見る限り他に怪しい所は何も……。
「……麻倉?」
「え?何?」
「お前、今何か喋ったか?」
「ちょっと!何怖い事言ってんのよぉ!脅かそうとしたって無駄よ!」
バシバシと容赦なく叩かれる背中が痛い。それ以上に気になったのが耳元で聞こえた声だ。
「また聞こえる……」
「は?ちょっと……何よいきなり」
これは女の子の声だ。何を言っているかは解らない。恐らく日本語じゃないと思う。
けれど、その声は確かに
『たすけて』
と呼んでいる気がした。
「麻倉には聞こえないのか?」
「ちょっと冗談やめてよ。何も聞こえないよ!」
麻倉は混乱気味に叫んだ時だった。
突然、イチョウの木が光りはじめた。
思わず目を瞑ってしまうほど眩い光を放ち、金色に輝いたイチョウの幹の中心に広がる漆黒の点。それは見る見るうちに大きくなり、やがて巨大な穴となった。
「な、なにこれっ!?」
「逃げろ、麻倉」
「え?遊里君?」
「なんかこの穴ヤバい気がする」
しかし、少し遅かったようだ。突然の突風。それはもはや人の力では抗えない威力だった。おれと麻倉はあの黒い穴に吸い込まれようとしていた。
「きゃあああああっ!」
「普段は男勝りなのに今の叫び声は随分女の子らしかったな」
「なに、こんなときに馬鹿な事を言ってんのよ!」
「悪ぃ。でも、これで最期かもしんねぇから言っとくけどさ。
おれってお前の事、けっこー好きだったんだよね」
きょとんとした顔で呆然とした麻倉の隙をついて。
おれは彼女の身体を思いっきり突き飛ばした。
風の威力が強すぎて無理かと思ったけど、おれの体がすっぽりと穴に落ちるのと引き換えに麻倉の身体はどうやら穴から脱したようだった。
「っ、遊里の馬鹿ァ―――!」
その証拠に、おれの視界が真っ暗になると同時に麻倉の叫び声が、遮断された。
深い深い穴に落ちながらおれが思った事。
告白の返事に馬鹿は無いだろ。