5 黄色いクチバシ
手が生えて動かせるようになってくると、トリーは急激に変化した。
まず食べ物。
虫だけではなく、肉も食べられるようになったんだ。
トリーはまだまだ食べ盛り。身体が大きくなったぶん、たくさん食べるようになったから地虫がだけでは量が足りなくなっていた。だからこれは助かった。雉を捕って二人で分ける。これが最近の習慣になっていた。
そしてトリーの容姿。
産毛はすべてさっぱりと抜け落ちて、むき出しの皮膚は硬くなり、やがて全身が美しいウロコで覆われた。
身体の側面に1本黒い筋のある、艶やかな深い青。光の加減で青から緑に色が変わり、光を弾いて煌めくさまはとても綺麗でいつまで見ても飽きないほどだ。滑らかなウロコはすこしひんやりしているけれど、抱いているとすぐにじわりと暖かくなってくる。
僕の爪など歯が立たない、固くて丈夫なトリーのウロコ。もう痒くはないようで、噛みついたりひっかいたりはしなくなった。
それでも僕は、毎晩トリーの身体を拭いている。
歩けるようになったいま、トリーを妨げるものはなにもない。両手両足を使って机に登り、布をくわえて僕の前に持ってくる。そしておねだりするように、行儀よく僕の前に座るんだ。
期待に満ちてきらきら輝く黒い瞳。そのうえごろんと横になって「撫でて」って腹をみせられてしまったら、僕はとても断れない。
ウロコの部分を丁寧に拭いてやるとトリーはさらに艶をまして輝きだす。終わった後は僕の肩まで登ってきて、お返しに毛繕いをしてくれる。小さな手が頭をまさぐり、それが少しこそばゆい。
トリーは鷹ではなかったけれど、僕はじゅうぶん幸せだった。
それにぽやぽやの羽が生えたトリーの翼。こちらは抜け落ちることはなく、そのまま大人の羽になった。美しく、やはり輝くばかりの深い蒼。肩から尾の付け根までは風切り羽がすっと伸びて、ここだけみれば本当の鷹に見える。
同じような羽は耳の後ろにも生えてきた。長く伸びた耳殻の後ろで伸びた羽。豪華な冠を冠っているようで、トリーはまるで王様だ。
そして尾も徐々に伸びてきて、トリーは立派なドラゴンになりつつあった。
「ドラゴンってのは、恐ろしい生き物なんだ」
そう言うアキは、困ったような、そしてとても難しい顔をした。
「この辺りにいるって話は聞いたことがない。ドラゴンて種はもっとずっと北の方の、竜骨山脈の奥地に住んでるって言われている」
「じゃあなんで。トリーの卵は裏山で拾ったんだよ?」
「だから不思議なんだよ。ドラゴンってのは小さいヤツでも牛ぐらいの大きさになるだろ? 卵が裏山にあったならさ、親が近くにいるはずだ。けどドラゴンなんてどこにもいない」
そう、ずっとそれが不思議だった。
トリーの卵を見つけたとき、近くにそれらしき巣はどこにもなかった。だいたいドラゴンなんてものが近くにいたら足跡だって残るはずなのに、そんなものは今も昔もどこにもない。
「……飛んできた、とか」
「おまえな。空飛ぶドラゴンてのはでっかいんだぞ? 家よりも大きいんだ。そんなのが飛んでみろ。誰かしらに見つかるだろ」
「だよなー」
ドラゴンなんてのは絵で見たり、話で聞いたりするだけの生き物だ。
賢くて、けど凶暴で。ときには人を襲ったりもする。中には大人しい種類もいるらしいけれど、基本的に人には懐かない生き物だ。懐く奴は家よりでかい空飛ぶドラゴンだけ。そいつはドラゴンの王様で、僕たちよりもよっぽど頭が良いらしい。
「じゃあ、トリーはドラゴンじゃないかもしれないよな」
「馬鹿いえ。足が4本あって翼まで持ってるのはドラゴンだけだ」
「……もし。もしトリーがドラゴンだったら、どうなる?」
「ドラゴンは人に懐かない。そして基本的に肉食だ」
「…………」
「わかるだろ? もともと住む世界が違うんだ」
いずれ手に負えなくなる。だからあまり入れ込むな。アキはそう言っていた。
トリーがドラゴンだとすれば、確かにその通りなのかもしれない。
けれど、やっぱり違うんじゃないだろうか。
「クチバシがなー、残ってるんだよなー」
くちゃくちゃ、あむあむ、くちゃくちゃ、きゅるぴー
両手でクヌギの枝を握り、顔を斜めにしながらトリーはそれを噛んでいる。口の中が痒いのだ。
確かに最近よく甘噛みすると思っていた。毛繕いの延長だろうと放っておいたら、夕べ椅子の足をがりがり齧ってダメにした。びっくりしてトリーの口の中を見てみたら、クチバシの内側の肉の部分に上下2つずつ、ぽつぽつ白い歯が見えた。他にも小さな盛り上がりが奥の方まで続いていて、どうやらこれが痒くて噛んだらしい。
クチバシがあって、歯も生えて。
そして鳥のようなトリーの翼。
子供のころアキの家で見たドラゴンは、ツノがあって牙も鋭く瞳ももっと怖かった。そしてなによりその翼。コウモリの羽のように膜が張って、トリーのような羽じゃない。
「トリーは鷹とドラゴンの子供かも」
そうだったら良いのに。
もしそうなら、トリーは純血のドラゴンじゃないってことだ。
だったらずっと一緒にいられるじゃないか。
そんなことを考えながら布団に入るとトリーがそっと寄ってくる。
もうずっと、僕らは一緒に眠っていた。
頬と頬とをくっつけて、二人でひとつの枕を使う。トリーは僕の顔の隣で身体を丸め、尻尾の先だけ布団に入れる。そこを軽く握ってやると、きゅるきゅる嬉しそうな声が響いてくる。
そしてすぐにトリーは眠り、深い寝息が聞こえてくる。
すー、ぴすー、すー、ぴすー、すー
トリーの寝相は僕と同じで悪くない。
でも少し困った癖はあった。ひんぱんに寝言のように鳴いたりするんだ。
うにゃうにゃ口の中でしゃべるだけなら可愛いけれど、たまに「きゃるっ!」と大きな声を出したりする。以前はそれで目が覚めてしまったけれど、僕も最近では慣れてきた。ああ、なにか夢を見てるんだな、とそう思いながら寝てしまう。
でも一度だけ我慢ならないことがあった。
トリーが寝ながらおならをしたのだ。
あまりの臭さに飛び起きて、思わず窓を開けてしまったほどだった。
あれだけは勘弁してくれ。次の日トリーにそう言ってみたけれど、きっとわかっていないだろう。だってトリーはあの臭いの中で、ぴくりとも動かずすやすや眠っていたのだから。
それでも僕はトリーを嫌いになんてなれなかった。
ふわふわの水色毛玉じゃなくなって、姿形が変わっていてもトリーはトリーだ。
可愛くてたまらない、僕のトリー。
たったひとりの僕の家族。
父さんと母さんが死んでから、初めてできた家族なんだ。
◇ ◇
くしゅっ、くしゅっ、へくちっ
「トリー? どうしたの」
芋掘りの途中、僕のそばで両前足を顔の前ですり合わせ、トリーが顔を掻いていた。
顔、というより鼻先だ。くるくると猫が顔を洗うように手を曲げて、しきりに鼻をかむような仕草をする。そして気になるこのくしゃみ。
夏が終わり、短い秋がやってきた。急に涼しくなってきて、トリーは風邪をひいたのだろうか。
今まで病気らしい病気などしたこともなかったのに、どうしよう。
掘った芋を放り出し、くしゃみの治まらないトリーを抱き上げ僕は家に向かって走り出す。
とりあえず寝かせなきゃ。
慌てて寝台にトリーを降ろし、鼻の様子を見ようと小さな両手をそっと外す。
すると、なにかが僕の手に落ちてきた。
え? と見れば、それはくの字に曲がった黄色く固い──
「う……うわああぁっ!」
ぽろりと、本当にぽろっとトリーのクチバシが剥がれ落ちた。