1 水色のヒナ
きらきらと日の光が音を立てて降り注ぐ。
さらさら流れる川の面は陽射しを弾いて眼に眩しい。
そよぐ風が梢を揺らすと葉ずれが徐々に広がって、軽やかに謳う小鳥の伴奏をするようだ。
森の中、あちこちで繰り広げられるささやかな即興の演奏会。
優しく心地よい音色とうららかな陽射しがぽかぽか背中を暖める。そのうえ釣り竿はぴくりとも動かない。まぶたは自然に重くなり、僕は一度伸びをして、そのまま後ろに倒れこんだ。
見上げる樹々の向こうには、澄んだ青い空が広がっている。そこにゆっくり流れる白い雲。綿毛のようにふわふわで、丸いそれが2つ重なりまるで僕の毛玉に瓜二つだ。
嬉しくなって、僕はそっと身体を起こして両肘をつき、小さな籠をのぞき込んだ。
藁に敷いた布の中で埋もれているのは小さな毛玉。夜明け前の薄い空を写したような水色の、孵ったばかりの鳥のヒナ。
名前はトリー。
たったひとりの僕の家族だ。
すー ぴすー
耳をそばだてれば小さな寝息が聞こえてくる。
こうしてぐっすり寝ていると、トリーは本当に水色毛玉そのものだ。ふわふわの羽毛の中からわずかに見える、先の曲がった黄色いクチバシ。もしこれがなかったら、どこが頭なのかもどっちを向いているのかもわからない。そして光が当たると羽毛の先がうっすらと輝いて、トリーはまるで生きた宝石だ。
こんな綺麗で可愛い生き物、きっとどこにもいやしない。大きくなったら、きっと目もくらむような美鳥になる。
やがて訪れる、りりしくも美しい鷹を肩に乗せて歩く未来。僕の夢はどこまでも広がってゆく。
そのままうっとりトリーを眺めていたら、さあっと風が流れていった。
梢が揺れて影が動き、まばゆい陽射しがきらりと毛玉をかすめて消えた。その光が眩しかったか、ふるっと身を震わせると水色毛玉がぱちりとつぶらな眼を開けた。
2、3度ぱちぱちまばたきすると、トリーはきゅっと喉を鳴らす。それから黒い瞳で僕を見上げ、そして大きく口を開けた。
ぴゃー ぴゃー ぴゃー
お腹がすいた、お腹がすいた。ご飯ちょうだい。
頭全体を口にして、それはもう必死になってトリーは叫ぶ。あんまり大きな声だから、喉を痛めないよう僕は慌てて食事の入った木箱を取った。
僕と同じく親をなくした可愛い雛。ちゃんと立派に育てなくちゃ。
そんな決意がいつのまにか言葉になっていたらしい。不意に視界が陰ると、呆れた声が降ってきた。
「……そう言うけどな、ミカ。コイツの卵、踏んだんだろ? ひっでえ父ちゃんだよなー」
「アキ……あれは不可抗力だよ」
となりにひょいと腰を下ろしたのはアキ。村長の息子で幼なじみだ。僕の頼もしい兄貴分で、あれこれ世話を焼いてくれている。トリーの卵が孵ったときも、餌がわからず途方に暮れていたときに、生き餌がいいと助言をくれた恩人だった。
「はいよ、差し入れ。どうせ釣れてないんだろ?」
ひょいと手渡された包みの中には青菜と一緒にうぞうぞ動く、大きな芋虫が入っていた。
また、これか。思わず顔をしかめると、アキは笑いながら背中を叩く。
「ほらほら、可愛いトリーちゃんがお腹を空かせて待ってるぞ?」
「わかってるけどさぁ」
ぶよぶよする皮をつまんで大きく開いた口元にあてがうと、トリーはぱくりと口を閉じた。そして上を向いて小さな羽をばたつかせ、あっくあっくと大きな芋虫を丸呑みする。トリーはふわふわしてるからわかり難いけれど、首はそれほど太くない。だからこの食事には、いつだってはらはらする。喉に詰まらせたらどうしようとそれが心配で仕方がないんだ。
なのに、アキはちっとも気にしない。
「思いっきり踏みつけられて割れなかった卵から生まれたんだ。餌を詰まらせたりなんかしないよなー」
そう言って、楽しそうにトリーの頭をくすぐっている。ご飯をもらってトリーもすっかりご機嫌だ。くるくる喉を鳴らしながら、楽しそうにアキの指にじゃれている。
トリーのことでやきもきするのはいつだって僕なのに、二人だけで楽しんで。
「だから、踏んだのはわざとじゃないって」
面白くない、と頬を膨らませたらトリーが首を伸ばしてだっこをねだった。
きゃるる、きゃる、きゃるるるー
籠からそっと持ち上げて手のひらに乗せ、足の間に指を入れて身体が動かないよう支えてやる。するとトリーは足を持ち上げくいっと動かし、小さな尻尾をぴるると振った。そのまま横に動かすと、小さな足がくいっくいっと宙を掻く。きっと自分で歩いたつもりになってるんだ。
けれどたったそれだけだけで、僕もすっかり楽しくなった。
「なー、トリーはちゃんとわかってるよなー」
「ホントかよ……」
「そうだよ。だからこんなに可愛いんだ」
「あー、はいはい。そうですか」
「だからさあ、魚も食べさせてやりたいんだけど……」
桶の中は空っぽで、見ているだけで悲しくなる。トリーは鷹の雛だ。だから将来のためにも肉や魚を食べさせたかった。でもトリーは生き餌しか食べないし、かといって兎じゃとても丸呑みなんてできやしない。だからせめて小さな魚をと思ったけれど、半日も粘って一匹も釣れなかった。
はあ。
溜息をつきながら水色毛玉をくすぐると、トリーはきゅうきゅう喉を鳴らしてうっとりと眼を閉じる。
「いまは虫でも仕方ないだろ? すぐにでっかくなるさ」
「トリーは鷹になるんだよ? いまのうちから肉に慣れさせておきたいんだ」
「鷹、ねえ……」
「なに? このクチバシ見てよ。いかにも鷹って感じじゃないか」
「うーん、でも水色ってのが」
「空の色にとけ込むための保護色だろ?」
「そうかなあ……」
先の曲がったクチバシと太い足を見て、最初にトリーが鷹の雛だと言い出したのはアキの方だ。なのにいまになって違うだなんて、そんなことがあるだろうか。
アキだって、この辺りに住んでいる鷹のすべてを知っているわけじゃないのに。
トリーの卵はきっと高い木の上から落ちたんだ。僕が踏んでもびくともしない頑丈な殻だったから、巣から落ちても無事だった。それにそんな木の上にあったから、いくら探しても巣が見つからなかったに違いない。
山道を下っていたときうっかり踏んでしまって僕は背中と腰を打ちつけた。息もできないぐらいに痛かったけど、怪我も捻挫もしなかった。
あのときトリーは殻の中でだいぶ大きくなっていたから、踏まれたときはさぞ苦しかったことだろう。でも僕が踏まなかったらトリーは誰にも気づかれず、冷たくなってきっと孵っていなかった。だから僕らは互いに幸運だったんだ。
子育ては初めてだけど、きっと立派な鷹に育ててみせる。
僕はそうトリーに約束した。
だけど、ひとつだけ許して欲しいことがある。
毎日魚を食べさせてあげられなくて、ほんと、ごめん。