新商品開発から外された私に、三十年目の定番商品改善が回ってきた
「今回の新商品プロジェクトですが、メンバーはこの六名で進めます」
会議室のモニターに名前が並んだ。
私は上から順番に見た。一人目。二人目。三人目。最後まで見て、もう一度、今度は下から見直した。
やっぱりない。
私の名前は、どこにもなかった。
膝の上には、一冊のノートがある。昨日まで、新商品の試作案を書き足していたノートだ。もし選ばれたら、すぐ次の試作に入れるように。会議が終わったら、誰に何を相談するかまで考えていた。
商品開発部に入って九年。三十二歳。
今度こそ、大きな新商品を任せてもらえるかもしれない。少しくらい、そう期待していた。
「以上です。質問はありますか?」
プロジェクト責任者の課長が、会議室を見渡した。
私は手を挙げた。
「はい」
「どうぞ」
「今回、私はプロジェクトには参加しない、ということでしょうか」
確認するまでもない。それでも、聞かずに終わるのは嫌だった。
課長は私を見て、はっきりとうなずいた。
「そうなる」
胸の奥が、ずしりと重くなった。
「理由を聞いてもいいですか?」
「ああ」
課長はモニターを切り替えた。
新しい。目を引く。誰かに話したくなる。
今回の商品コンセプトが、大きな文字で並んでいる。
「今回、会社が最初に取りにいくのは認知度だ。スーパーやコンビニで見た瞬間に、なんだろう、食べてみたいと思わせる商品にしたい」
「はい」
「君の案も悪くなかった。ただ、君の案は完成度を上げる方向に強い。今回必要なのは、既存商品の延長じゃない。まず見た瞬間に興味を持ってもらえる商品だ」
言い返す言葉を探した。見つからなかった。
思い当たるところがあったからだ。
私が提出した案は、どれも今ある商品の不満点を直すものだった。食感を変える。甘さを調整する。包装を変える。
新しい商品を生み出すというより、今あるものを良くする案ばかり。
今回選ばれた六人の名前を、もう一度見る。社内コンペで変わったアイデアを何度も出している人。若者向け商品のヒット経験がある人。パッケージデザインに強い人。
納得できてしまった。
それが、余計に悔しかった。
「……分かりました」
自分でも驚くくらい、普通の声が出た。
会議が終わり、自席に戻る。
机の上には、昨夜コンビニで買った競合商品の袋が置いてあった。新商品の参考にしようと思って買ったものだ。
その横には、膝の上から戻した試作ノート。
しばらく見てから、ノートを引き出しにしまった。
九年目。
今度こそと思っていた。
思っていただけだったらしい。
「ちょっといいか」
顔を上げると、課長が立っていた。
「はい」
「一つ、任せたい商品がある」
差し出された資料の表紙を見て、私は目を瞬いた。
知っている。
三十年前に発売された、うちの会社の定番チョコレート菓子。薄いクッキー二枚でチョコレートを挟んだ、昔ながらの商品だ。
私が物心ついたころには、もう店に並んでいた。
「これ、終売候補じゃありませんでした?」
「候補じゃない。かなり有力だ」
「もっと悪いじゃないですか」
思わず言うと、課長が笑った。
「だから任せるんだよ」
資料を開く。
売上は五年前から右肩下がり。去年はとうとう、ピーク時の半分近くまで落ちている。
「最後に一度、リニューアルを検討したい。それで駄目なら来春で終了する」
新商品から外されて、次に渡されたのが終売寸前の商品。
ずいぶんな落差だ。
正直、少しだけ思った。
私って、そんなに期待されていないのかな。
でも、資料の中には三十年分の売上がある。
三十年も売られてきた商品だ。
今の数字だけで、価値がなかったことにはならない。
私は資料を閉じた。
「分かりました。やります」
選ばれなかった仕事を眺めていても仕方がない。
今、私に渡された商品はこっちだ。
だったら、こっちをやる。
◇
ところが、調べ始めてすぐに困った。
理由が分からない。
売上が落ちているのだから、普通なら何か不満があるはずだ。味が古い。甘すぎる。値段が高い。競合商品に負けている。
まずは過去の購入者アンケートを片っ端から読んだ。
『昔から好きです』
『チョコとクッキーのバランスがいい』
『久しぶりに食べたけど、やっぱり美味しい』
『味は変えないでほしい』
褒められている。
なのに売れていない。
追加で簡単な調査もかけてもらった。結果はほとんど同じだった。
知っている。嫌いではない。食べれば美味しい。
でも、最近は買っていない。
「なんでよ」
私は机に突っ伏した。
美味しくないなら、味を直せばいい。高いなら、原価や容量を検討すればいい。知られていないなら、宣伝すればいい。
でもこれは三十年売ってきた商品だ。
知名度はある。味の評価も悪くない。
なのに、買われなくなっている。
「もう一回、食べるか」
棚から商品を取った。
昔から変わらない大袋を開ける。薄いクッキーを一枚取り出した。
サクッ。
軽い食感。
中のチョコレートも、ちゃんと美味しい。
やっぱり味じゃない。
もう一口かじった。
ぽろっ。
「あ」
書類の上に、小さなクッキーの欠片が落ちた。
手で払う。
よく見ると、机にも細かな粉が落ちている。
「もう……」
ティッシュを取って、書類と机を拭く。
袋を見る。
まだ何枚も残っている。口を閉じるためのチャックはない。
もう一枚食べれば、たぶんまた粉が落ちる。
そこで、手が止まった。
私は今、会社の机でこれを食べている。
皿なんてない。
仕事の合間に袋を開けて、一枚だけ食べた。
全部はいらない。机も汚したくない。
視線をパソコンへ戻す。
アンケートの言葉。
『昔から好きです』
昔。
三十年前。
発売されたころ、この商品は家族向けの袋菓子だった。
家で袋を開ける。皿に出す。家族で食べる。
だったら、少しくらい粉が落ちても問題ない。一枚が大きくてもいい。
でも今は?
仕事の休憩中。移動の途中。家でも、一人で少しだけ。
食べる場所も、食べる量も変わっている。
なのに。
商品だけが、三十年前の食べ方を続けている。
「……味じゃない」
椅子を引いた。
資料をつかんで立ち上がる。
「味じゃないんだ」
課長の席へ向かった。
「課長」
「どうした?」
「この商品、味を変えなくていいかもしれません」
「じゃあ、何を変える?」
私は袋を机に置いた。
「食べ方です」
◇
試作品ができるまでには、何度かやり直した。
最初に決めたことは一つ。
味は変えない。
昔から好きだと言ってくれる人がいる。そこは、この商品の長所だ。
一枚を小さくした。一口で食べられる大きさにする。
クッキーの形と焼き方を調整して、かじらなくても食べられるようにする。欠けにくくして、粉も落ちにくくする。
さらに一つずつ個包装にした。
一個だけ食べられる。残りを明日に回せる。鞄にも入れられる。
試食会で、営業担当が新旧の商品を見比べた。
「これ、リニューアルっていうより、小さくしただけに見えない?」
「はい。小さくしただけです」
「認めるんだ」
「だって、美味しいって言ってくれてるんですよ」
私は試作品を一つ取った。
口に入れる。
噛む。
机には何も落ちない。
「変える必要がないところまで変えたくありません」
もう一つ、営業担当へ差し出す。
「変えたいのは味じゃなくて、食べ方です」
営業担当が受け取った。
一口で食べる。
数回噛んで、うなずいた。
「ああ。これなら仕事中でもいけるな」
そう言って、もう一つ取った。
私は思わず笑った。
「二個目です」
「ん?」
「今、二個目取りました」
営業担当が自分の手を見る。
「……なるほど」
たぶん。
それが答えだった。
◇
リニューアル発売から一週間。
数字は悪くなかった。
でも、私はまだ喜ばなかった。
三十年続いた商品だ。リニューアルしたというだけで、懐かしさから一度買ってくれた人もいるかもしれない。
大事なのは、そのあと。
二週間目。
売上は落ちなかった。
三週間目の午後。
内線が鳴った。
「はい、商品開発部です」
『営業だけど、木村さんいる?』
「私です」
『追加発注入ったよ』
思わず背筋を伸ばした。
「どこからですか?」
『コンビニ二社』
「二社?」
『オフィス街の店舗で動きがいいって。一個だけ食べられるのがいいらしい。追加できる?』
「できます。確認して、すぐ連絡します」
電話を切る。
胸が速い。
狙っていた。
仕事中でも食べられる。少しだけ食べられる。
確かに、そこを狙って作った。
でも。
本当に買ってもらえた。
本当に、そこを評価してもらえた。
「よし」
小さく握った拳を、机の下で一度だけ振った。
翌週。
また営業から連絡が来た。
「三社目」
「え?」
「コンビニ。全国で入れたいって」
「本当ですか?」
「本当。あとドラッグストアからも追加」
思わず笑った。
「やった……!」
今度は声に出ていた。
近くの同僚が振り向く。
「どうしたの?」
「追加。全国です」
「すごいじゃん!」
「うん!」
久しぶりに、自分の仕事の話をしながらこんなに笑った気がした。
翌月。
前年同月を大きく上回った。
さらに翌月。
朝一番で更新された売上表を開く。
数字を見る。
「……あれ?」
前月より高い。
前年よりずっと高い。
過去の数字を開く。
一年。三年。五年。十年。二十年。
三十年前の発売月まで遡った。
「え?」
もう一度見る。
隣の同僚を呼んだ。
「ちょっと、これ見てもらっていい?」
「何?」
「私、見間違えてるかもしれない」
二人で数字を確認する。
同僚が先に気づいた。
「これ……過去最高じゃない?」
やっぱり。
発売三十年目。
終売候補だった商品が、過去最高の月間売上を出していた。
「……やった」
声が震えた。
もう一度、数字を見る。
「やった!」
今度は隠さなかった。
同僚が笑って拍手する。
「おめでとう!」
「ありがとう!」
嬉しかった。
ただ売れたからじゃない。
私が見つけた理由が、間違っていなかった。
味を変えなかったことも。小さくしたことも。個包装にしたことも。
全部、ちゃんとお客さんに届いた。
午後、課長が売上表を持ってきた。
「見た?」
「見ました」
「発売三十年目で過去最高だって」
「はい」
自分でも笑っているのが分かった。
課長が机の上に置かれた商品を一つ取った。
「終売リストから消えたよ」
「本当ですか?」
「それどころか、来期は生産枠を増やす」
胸の奥が熱くなった。
数か月前。
新商品プロジェクトから外されたとき。
私は、自分には商品開発者として何か足りないのかもしれないと思った。
新しいものを生み出せない。
人を驚かせるアイデアを出せない。
でも。
もしかしたら。
私は私で、ちゃんと商品を作っていたのかもしれない。
ゼロから生み出すのとは、違うやり方で。
◇
秋。
私が外された新商品が発売された。
売場で見た瞬間、足が止まった。
派手だった。
形も面白い。パッケージも、一目で新商品だと分かる。
一つ買って帰って食べてみた。
「……これ、面白い」
悔しいけれど、私にはたぶん作れなかった。
発売初日からSNSに写真が流れた。動画でも紹介された。
一週間で、販売目標を上回った。
社内にも明るい空気が広がった。
「すごいな」
私は素直にそう思った。
前なら、少し違ったかもしれない。
自分がそこにいないことばかり気になったかもしれない。
でも今は違う。
私の商品だって、売場に並んでいる。
三十年間で一番売れている。
あのチームには、あのチームの仕事があった。
私には、私の仕事があった。
数週間後。
全社の商品会議が開かれた。
最初の議題は、その新商品だった。
プロジェクトリーダーが前に立つ。
「認知度調査の結果、目標値を上回りました。特に若年層では想定以上の数字が出ています」
モニターにグラフが映る。
発売前とは比べものにならない。
会議室から拍手が起きた。
私も拍手した。
大成功だ。
会社が最初に欲しかったものを、あのチームはきちんと取った。
役員が立ち上がる。
「まずは皆さん、お疲れさまでした。新商品を知ってもらうという第一段階は、十分な成果が出たと思います」
また拍手が起きた。
「では、次の段階です」
資料が切り替わった。
画面に映ったグラフを見て、私は目を瞬いた。
私が担当した、あのチョコレート菓子だった。
発売三十年目。
一度は下がり続けた線が、リニューアルを境に大きく跳ね上がっている。
「商品は、一度買っていただけば終わりではありません」
役員が続ける。
「次に必要なのは、もう一度選んでいただける商品に育てることです」
会議室が静かになった。
「三十年間販売してきた商品を、味を変えることなく、発売以来最高の月間売上まで伸ばした実績があります」
心臓が大きく鳴った。
「新商品の次期改善については、その成果を出した木村さんに任せたいと思います」
私の名前が呼ばれた。
一瞬、立つのを忘れた。
隣の同僚に肘で軽くつつかれて、慌てて立ち上がる。
拍手が聞こえた。
思っていたより、ずっと大きかった。
頭を下げる。
顔を上げると、新商品チームの人たちも拍手していた。
その中に、プロジェクトリーダーがいる。
目が合った。
彼は笑って、もう一度大きく拍手した。
会議が終わる。
まだ少し頭がふわふわしていた。
「木村さん」
呼ばれて振り返る。
さっきまで発表していたプロジェクトリーダーだった。
「はい」
「正直、助かります」
「え?」
「認知度は取れました。初動も想定以上です。でも、二回目を買ってもらうところは、まだこれからなんです」
彼は少しだけ困ったように笑った。
「木村さんが直した商品、俺も食べました」
「あ、ありがとうございます」
「前の商品も知ってました。あれを、味を変えずにここまで持っていったんですよね」
「はい」
「だったら安心です」
彼が手を差し出した。
「俺たちが作った商品、育ててください。お願いします」
胸の奥に、じんと何かが広がった。
私はその手を握った。
「はい。一緒にやりましょう」
彼が笑う。
「お願いします」
その背中を見送ったところで、もう一人近づいてきた。
課長だった。
手には一冊の資料がある。
「最初に言ったこと、覚えてるか?」
「覚えてます」
忘れるわけがない。
「今回必要なのは、まず見た瞬間に興味を持ってもらえる商品だ」
私が答えると、課長がうなずいた。
「そうだ」
胸を張って、笑う。
「そこまでは、俺たちがやった」
「はい」
「ちゃんと知ってもらった。ちゃんと手に取ってもらった」
課長が資料を差し出した。
「ここから先は、お前の得意分野だ」
受け取る。
表紙を見る。
あの日。
モニターに並んだ六人の名前。
そこに私の名前はなかった。
その新商品の名前が、今、私の手の中にある。
「次は任せたぞ」
数か月前なら。
こんなふうに渡されても、自信を持って答えられなかったかもしれない。
私は新しい商品を生み出すのが得意じゃない。
人を驚かせるような発想も、たぶんあの六人には敵わない。
でも。
商品を食べる。買ってくれた人の声を聞く。良いところを残す。選ばれなくなった理由を探す。
そして、もう一度手に取ってもらえる商品に育てる。
それなら。
私は胸を張った。
「はい!」
資料を開く。
最初のページには、新商品の販売データと購入者アンケートが並んでいた。
数か月前、引き出しにしまったノートを思い出す。
今度はしまわなくていい。
私は新しいページを開いた。
今度は、私の番だ。




