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スマホを預ける理由

作者: 相馬 透

第1話

事件編:完璧すぎる夜


 相馬一がスマートフォンの電源を落とすのは、決まって「厄介な匂い」を嗅いだときだ。


 薄曇りの午後、古い喫茶店の奥の席。

 相馬は無言でスマホをテーブルに置き、黒い封印袋を滑らせた。


「今回も、ですか」


 宮下澪が半ば呆れ、半ば慣れた様子で袋を受け取る。

 彼女はフリーのIT系ライターで、相馬の相棒だった。


「事件中は、持たない」

「連絡手段がなくなりますよ?」

「静かな方がいい」


 相馬はそれ以上説明しなかった。

 澪は肩をすくめ、ノートパソコンを開く。


「じゃあ改めて。今回の依頼です」


 画面に表示されたのは、住宅街に建つ瀟洒な一軒家の写真だった。


「IT企業『ミサキ・ソリューションズ』社長、三崎雅人。

 昨夜、自宅の書斎で死亡が確認されました。

 死亡推定時刻は、午後九時十分から三十分の間」


「事件性は?」

「警察は、かなり消極的です」


 澪は画面を切り替える。


「書斎は内側から施錠。外傷なし。

 持病は軽い高血圧。

 つまり、事故死か病死」


 相馬は黙ってコーヒーを飲んだ。

 苦味が舌に残る。


「でも、依頼は来た」

「ええ。社長の娘さんからです」


 澪の声が、少しだけ落ちた。


「“父は、殺されたと思う”って」


 書斎の写真が映る。

 整然とした机。高価そうな椅子。

 そして、床に倒れた三崎の姿。


「争った形跡はありません。

 でも、直前に部下と激しい口論をしていた」


「誰だ」

「営業部長、佐伯 恒一」


 相馬の眉がわずかに動いた。


「犯行動機は十分。

 解雇をほのめかされていたそうです」


「アリバイは?」

「完璧です」


 澪はそう言って、画面を四分割にした。


 SNSの投稿。

 渋谷のカフェで撮られた、湯気の立つカフェラテの写真。

 〈仕事終わり。やっと一息〉

 投稿時刻は、午後九時十五分。


 次に、監視カメラ映像。

 同時刻、佐伯はそのカフェの窓際席に座っている。


 GPSの位置情報。

 渋谷、誤差数メートル。


 最後に、コメントと「いいね」の履歴。

 投稿直後から、次々と反応がついていた。


「死亡推定時刻、すべて一致。

 物理的に犯行は不可能です」


 澪は言い切った。


「警察も、そう判断しました。

 参考人聴取だけで終わる可能性が高い」


 相馬は、画面を見なかった。

 代わりに、澪の指先を見ていた。


「……なにか?」


「君は、どう思った」

「え?」


「このアリバイを見たとき」


 澪は少し考えた。


「正直……

 “ここまで揃ってるなら違うだろう”って」


 相馬は小さく息を吐いた。


「そう思わせるための証拠だな」

「どういう意味です?」


 相馬はようやく画面に目をやる。

 SNSの写真。

 監視カメラの映像。


「完璧すぎる」


「それ、さっきも言いましたよ」

「完璧なものは、人の目を止めない」


 澪は首をかしげた。


「でも、どこにも穴は」


 相馬は画面の端を、軽く指で叩いた。


「穴は、

 “写っていないところ”にある」


「写っていない……?」


 澪が言葉を繰り返した、その瞬間だった。


 相馬は、ふと視線を外した。

 窓の外。

 通りを歩く人々の多くが、スマホを見ている。


「なあ、宮下」

「はい」


「SNSに投稿した直後、人は何をする?」


 澪は即答しかけて、止まった。


「……反応、を確認します」

「そうだ」


 相馬の声は低かった。


「無意識に、必ずな」


 澪は、もう一度監視カメラ映像を再生した。

 佐伯は、コーヒーを飲み、外を見ている。


 画面を、見ていない。


「……あれ?」


 澪の喉が、かすかに鳴った。


 相馬は立ち上がる。


「娘さんに伝えてくれ。

 事件性は、ある」


「根拠は?」

「まだ、違和感だ」


 相馬は封印袋に視線を落とし、言った。


「でも、違和感は嘘をつかない」


 街は今日も、無数の記録を生み続けている。

 そのどれもが真実の顔をして

 人間の目を、簡単に曇らせる。



推理・対立編:証拠を信じる癖


 喫茶店を出ると、冬の乾いた空気が頬を刺した。

 澪はマフラーを引き上げながら、相馬の横顔を盗み見る。


「違和感だけで、事件性があるって言い切るのは危なくないですか」


 相馬は歩幅を変えない。革靴がアスファルトを淡々と叩く。


「危ないのは、違和感を捨てることだ」

「でも警察は“証拠”で動きます。SNSもGPSも監視カメラも、全部揃ってる」

「揃ってるからだ」


 澪は眉をひそめたまま、相馬の背に食らいついた。


「……私、分からない。証拠が揃ってるなら安心する。普通はそうじゃないですか」

「普通に考えるのを、止めさせるために揃えるんだよ」


 相馬は、立ち止まらずに言った。


「宮下。君は仕事柄、ログを見るだろう」

「まあ、はい」

「ログは事実を語る。だが、ログは“意図”を語らない」


 澪は小さく息を吐いた。

 反論したいのに、言葉がうまく噛み合わない。相馬の言い方はいつもそうだ。真っ直ぐなのに、こちらの足場をずらしてくる。


 スマホを封印袋に入れたのは澪だ。相馬の“事件中は触らない”主義に付き合わされるたび、彼女は思う。時代遅れだ、と。効率が悪い、と。


 それでも、相馬の推理が外れたのを、澪はほとんど見たことがない。


「……まず、何から崩します?」

「まずは、現場だ」



 住宅街は静かだった。

 三崎家の門扉は高く、インターホンの横に小さな監視カメラがついている。澪が娘・紗季に連絡を入れ、二人は敷地に通された。


 出迎えた紗季は二十代半ば。目の下に薄い影がある。泣いたというより、眠れていない顔だった。


「来てくださって……ありがとうございます」

「ご愁傷さまです」


 相馬は深く礼をし、すぐに視線を室内へ巡らせた。玄関は磨き込まれ、香の匂いが微かに漂う。家の中は“整っている”。片づけられすぎている。


 澪は仕事柄、こういう家に入るとまずWi-Fiの強さを意識する癖がある。だが今日、相馬の隣にいるせいで、視線は妙にアナログな場所へ引っ張られた。靴の向き、スリッパの擦れ、階段の手すりの手垢。


「書斎は二階です」


 紗季に案内され、廊下を進む。

 扉の前で紗季が立ち止まり、声を落とした。


「父は、ここで……」

「第一発見者は?」

「私です。夜の十時過ぎに帰って……父に連絡がつかなくて。鍵が掛かっていたので、合鍵で開けました」


 相馬が頷く。


「中に入ったとき、何か気づいたことは?」

「……部屋が、変に静かでした。機械の音が一切しなくて」


 相馬の目がわずかに細くなる。


「機械の音?」

「父、いつもパソコンを付けっぱなしなんです。仕事が終わるまで。なのに、その日は真っ暗で……」


 澪は、胸の奥が小さく鳴るのを感じた。

 “真っ暗”。それは事件性とは関係なくても、生活の癖のズレだ。


 扉が開く。


 書斎は整然としていた。

 机、椅子、本棚。壁には賞状。窓のカーテンは半分だけ閉まっていて、薄い街灯の光が床に帯を作っている。


 床に、白いテープで囲われた跡が残っていた。遺体があった場所だ。


 澪は息を飲む。

 写真で見るのと、現場で感じる空気は違う。洗剤と木の匂いの奥に、まだ消えきらない“人の気配”が残っている。


 相馬はまず、ドアノブを見た。次に鍵穴。扉の内側のチェーン。そして床。


「外部侵入は?」

「警察は否定しました。窓も施錠されていて、割れた痕跡もありません」


 紗季が答える。


 相馬は机の上に目を落とす。

 ノートPCが閉じられ、端末はきっちり定位置に置かれている。


「……父のスマホは?」

「ここです」


 紗季が引き出しからスマホを出した。透明なケース。きれいだ。手荒に扱われていない。


 相馬は触れない。ただ視線だけで確認し、澪に言う。


「宮下、確認していい」

「はい」


 澪は手袋をはめ、画面を覗く。ロックは掛かっていない。通知が数件。最後の通話履歴、最後のメッセージ、最後のSNS。どれも“普通”だ。普通すぎる。


「……特に変な履歴はありません」

「普通だな」

「普通ですね」


 相馬は軽く頷いた。


「普通は、作れる」

「……またそれ」

「“普通”って言葉は危険だ」


 澪はむっとする。

 相馬はいつもそうだ。確定を嫌う。言い切らない。けれど、その曖昧さが、何かを拾う。


 相馬は窓に近づき、カーテンの隙間から外を見た。庭は手入れされ、足跡の入り込む余地がない。隣家との境に低い柵。侵入するなら、目立つ。


「紗季さん。昨夜、父上は誰かと会っていた?」

「……佐伯さんです。父の部下。七時半頃に来て、八時半頃に帰ったと聞きました。家政婦さんが」

「家政婦さんは?」

「今日は休みで……」


 相馬は机の横、ゴミ箱に視線を落とす。中身は空。袋も新しい。


「ゴミ箱、空だな」

「私が……片付けました。警察の検証が終わってから。あまりにも……」


 紗季が言葉を詰まらせた。

 澪は胸がちくりとした。片付けは罪ではない。けれどミステリーは、こういう“善意”の隙間に潜る。


 相馬は責めるでもなく、ただ言った。


「分かりました」


 次に相馬が向かったのは、机の上のコースターだった。輪染みが薄く残る。


「飲み物は?」

「父は、夜は紅茶か……ウイスキーです」

「どっちだった?」

「……分かりません。片付けたので」


 相馬は目を閉じ、鼻で息を吸う。

 澪には分からない。だが相馬はわずかに顎を上げた。


「アルコールは薄い。紅茶の渋みもない」

「え、嗅いだだけで?」

「癖だ」


 澪は、相馬の“癖”に助けられるのが悔しい。助けられることが、もっと悔しい。



 帰り道、澪は封印袋を持ったまま言った。


「相馬さん、さっきから“生活の癖”ばかり見てる。トリックを崩すなら、証拠を精査するべきじゃないですか」

「するよ。君がな」

「……私が?」


 相馬が歩きながらこちらをちらりと見た。


「君はデジタルに強い。俺は弱い。役割分担だ」

「強いって言っても、私は探偵じゃない」

「だから相棒にした」


 澪は言葉を失う。

 腹が立つはずなのに、少しだけ、背中が温かくなった。


「まずSNSを洗ってくれ。佐伯の投稿の“周辺”だ。投稿そのものじゃない」

「周辺……」


 澪は頭を切り替え、歩きながらノートPCを開きたくなる衝動を抑えた。相馬がスマホを持たないなら、澪が代わりに持つ。相馬の“目”と、澪の“ログ”。それがこのコンビの形だ。


「何を見るんです?」

「投稿が“自然”かどうか」

「自然……」


 澪は小さく頷き、脳内でチェック項目を並べた。

 投稿時間。文体。写真のExif。タグ。位置情報の付与。コメントのアカウント。いいねのタイミング。過去投稿の癖。


 相馬は言った。


「それと、監視カメラ」

「カフェの?」

「うん。店の映像は見た。だが俺が見たいのは別だ」


 澪が眉を上げる。


「別?」

「カフェに着くまでと、出たあと」


 澪は口を開けかけて閉じた。

 確かに、店内だけ見て“そこにいた”と判断しがちだ。けれど、そこに至るまで、そして出たあとに矛盾があるかもしれない。


 相馬は淡々と続ける。


「人は、画面を見てるとき、周りを見てない。

 逆に、周りを見てるとき、画面を見てない」


「だから“投稿してるはずなのに操作してない”のが変だと」

「そう。だがそれは、まだ入口だ」


 相馬が立ち止まった。

 駅前の交差点。信号待ちの群れ。全員がスマホを見ている。


 相馬はその中で一人だけ、顔を上げている男を指さした。


「……あの人」

「え?」

「今、スマホ見てないのに、親指が動いてる」


 澪が目を凝らすと、男はポケットの中で操作しているらしい。視線は前。親指だけが律動している。


「癖ですよ。ブラインド入力」

「そう。癖」


 相馬が目を細める。


「癖は、嘘をつかない。

 嘘をつくとき、人は癖を消そうとして、別の癖を出す」


 信号が青に変わり、人波が動き出す。

 澪はその言葉が、妙に胸に残るのを感じた。



 その夜、澪は自宅の机にノートPCを置き、封印袋を傍らに置いた。相馬のスマホだ。黒い袋は妙に重い。中身の重さではない。相馬の“縛り”の重さだ。


 澪は深呼吸し、佐伯のSNSアカウントを開いた。


 投稿は確かに午後九時十五分。

 写真もきれいで、露出も適切。加工も軽い。仕事終わりの一息。演出として完璧。


 完璧すぎる。


 澪は目を細め、過去投稿を遡った。

 佐伯は“仕事の愚痴”を滅多に書かない。むしろ、成果報告が多い。自分を良く見せるタイプ。なのに、〈やっと一息〉という弱音が混じっている。違和感が、薄い棘のように刺さる。


 次に写真を拡大する。カップ。ソーサー。スプーンの位置。テーブルの木目。背景のメニュー表。


「……あれ?」


 澪は思わず声を漏らした。

 背景のメニュー表の端に、小さく「Night Limited」の文字が見える。夜限定メニュー。


 澪はすぐに店の公式SNSを検索した。

 季節限定、夜限定の新作ドリンク。販売開始は「21:30〜」。


 投稿は21:15。


 あり得ない。

 提供前のメニューが、そこにある。


「……相馬さん」


 澪はすぐに相馬に連絡したくなり、封印袋を見て手を止めた。

 連絡手段がない。相馬はスマホを持たない。事件中は、と。


 澪は短く笑った。

 この縛りは、相棒である澪に“考える時間”を強制する。


 澪はメモ帳に書いた。

•夜限定メニューが21:15に写っている

•佐伯の文体が普段と微妙に違う

反応いいねの付く速度が不自然に早い


 そこまで書いたところで、澪はもう一つ気づく。

 いいねの最初の一人。いつも同じアカウントが一番最初に反応している。佐伯の同僚、別部署の男だ。


「……仕込み?」


 澪はその男のアカウントを開く。

 似たような写真。似たようなカフェ。似たような時間帯。


 だが何かが、決定的に違う。


 澪は、画面を凝視した。

 指輪。


 佐伯の手には、いつも指輪がない。過去写真でもない。

 なのに“カフェの映像に映っていた佐伯”の手には、光る輪があった。


 澪は背筋が冷えた。

 監視カメラの人物が、佐伯ではない可能性が跳ね上がる。


 証拠が揃っている。

 なのに、矛盾が増えていく。


 澪はメモを更新した。

•カフェの人物:指輪あり

•佐伯本人:指輪なし(過去投稿で確認)


 そして、最後に一行。


「証拠が多すぎる」


 相馬の言葉が、ようやく意味を持って胸に落ちた。



 翌朝。

 澪は喫茶店の奥の席に座り、相馬の到着を待った。封印袋は机の上。相馬が来たら返す、それだけのために早く来た。


 相馬は時間通りに現れ、無言で座った。


「見つけました」

 澪が言うと、相馬は頷く。


「言え」

「SNS投稿の写真、夜限定メニューが写ってます。提供開始は21:30から。投稿は21:15」

「ふむ」

「それと、監視カメラの人物、指輪してました。佐伯本人は指輪しない」


 相馬の目が、ほんの少しだけ鋭くなった。


「いい」

「いい、って……」

「君の違和感だ。十分だ」


 澪は封印袋を押し出した。


「返します。……連絡したかった」

「我慢できたなら、上出来だ」


 相馬は袋を受け取らず、言った。


「まだ預かっててくれ」

「え?」

「これから詰める。スマホがあると、余計なものに目が行く」


 澪は呆れと笑いが同時に込み上げた。


「相馬さん、本当に変です」

「変でないと、証拠に勝てない」


 相馬は立ち上がり、窓の外を見た。


「次は、カフェへ行く。

 “監視カメラが真実を写していない”証拠を取る」


 澪は頷いた。

 デジタルの武器を持つ相棒として、同時に、デジタルの盲点に刺さるための目として。


 証拠は、嘘をつかない。

 だが、嘘は、証拠の形をしてやってくる。



解決編:証拠の形をした嘘


 渋谷のカフェは、昼でも夜でも忙しい。

 人の出入りが多く、監視カメラの存在は誰も気にしない。あるいは、気にしなくていいものだと思い込んでいる。


「ここです」


 澪が店内の隅を指した。

 天井近くに設置された防犯カメラ。入口、レジ、窓際席を広くカバーしている。


「警察も、ここの映像は確認しています」

「“ここ”だけをな」


 相馬は、窓際の席に腰を下ろした。

 佐伯が座っていたとされる場所。テーブルの角度、椅子の位置、壁との距離。


 相馬は、何も触らず、ただ視線を巡らせる。


「宮下。夜はどれくらい混む」

「平日なら、二十一時前後がピークです」

「人の流れは?」

「……一瞬、詰まります。レジ前と、この通路」


 澪が示したのは、窓際席のすぐ後ろ。

 トイレと出口に向かう動線が交差する場所だ。


「人が立ち止まる」

「そう」


 相馬は立ち上がり、その通路に立った。


「カメラは、動かない」

「はい」

「人は、動く」


 相馬は一歩前に出て、また戻る。

 澪の視線が、ようやく合点に至った。


「……重なりますね」

「重なる」


 人が密集すれば、数秒間、特定の人物が完全に隠れる。

 その数秒があれば、十分だ。


「服を替える?」

「それもできる。だが今回は、もっと単純だ」


 相馬は、窓際席を指さした。


「最初から、別人が座っていた」

「……佐伯じゃない?」

「体格が似ている。距離もある。カメラの解像度も高くない」


 澪は、唇を噛んだ。


「だから……指輪」

「佐伯は指輪をしない。

 だが“身代わり”は、外し忘れた」


 相馬は続ける。


「投稿は予約。

 写真は前日に撮影。

 スマホは会社に置いたまま。

 GPSは“端末”を示すだけで、“人”を示さない」


 澪は静かに頷いた。


「……全部、成立します」

「成立するように、揃えたんだ」


 相馬はコーヒーを一口飲み、苦笑した。


「証拠を疑われないためには、

 疑う必要がないほど用意すればいい」



 三崎家のリビング。

 紗季はソファに座り、二人の話を聞いていた。拳を膝に置き、強く握りしめている。


「父は……事故じゃなかったんですね」

「ああ」


 相馬は、淡々と告げる。


「佐伯は、父上を殺した。

 ただし、“その時間”には殺していない」


 紗季が顔を上げる。


「どういう……」

「死亡推定時刻を、意図的にズラした」


 相馬は、書斎を見渡した。


「三崎さんは、七時半から八時半まで、佐伯と口論していた。

 その最中、心臓発作を起こした可能性が高い」

「……」

「だが、佐伯は救急を呼ばなかった」


 紗季の呼吸が、浅くなる。


「代わりに、

 “九時過ぎに死んだ”ように見せた」


 相馬は続けた。


「パソコンを落とし、部屋を整え、

 施錠して退出。

 その後、完璧なアリバイを“用意した”」


 澪が静かに補足する。


「SNS、監視カメラ、GPS。

 全部、“今の時代なら誰も疑わない証拠”です」


 紗季は、唇を震わせた。


「……どうして、そこまで」

「理由は、簡単だ」


 相馬の声が、少しだけ低くなった。


「彼は、“人は証拠を信じる”と知っていた。

 人間より、記録を」


 紗季の目から、涙がこぼれた。

 怒りではない。悔しさでもない。理解してしまった悲しさだった。



 数日後。

 佐伯は逮捕された。


 決め手になったのは、

 カフェの“別角度”のカメラ映像と、

 身代わりを頼まれた同僚の証言だった。


 同僚は言った。


「証拠が全部揃ってるから、大丈夫だと思った」


 それが、佐伯の最大の誤算だった。



 事件が終わり、喫茶店の奥の席。

 相馬はようやく封印袋を受け取った。


「返します」

「ありがとう」


 相馬は電源を入れない。

 机の上に置いたまま、コーヒーを飲む。


「入れないんですか?」

「もう少し、いい」


 澪は小さく笑った。


「相馬さん、時代に逆らってますよ」

「時代は、人間より賢くない」


 相馬は、窓の外を見た。

 通りを行く人々は、今日もスマホを見ている。


「記録は、便利だ。

 だが、記録は責任を取らない」


 澪は頷いた。


「だから、人が見る」

「そうだ」


 相馬は封印袋に視線を落とし、静かに言った。


「事件のときだけでいい。

 これを手放すのは」


 澪は、その言葉の重さを噛みしめる。


「次も、預かります」

「ああ。頼む」


 二人の間に、短い沈黙が落ちた。

 それは気まずさではなく、共有された理解だった。


 街のネオンが、ガラスに映る。

 無数の光。

 どれもが“真実の顔”をして、

 今日も人の目を奪っている。


 ——だが、

 真実はいつも、

 画面の外にあった。



第1話・完


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