知らない記憶
三十代ともなると幼い頃の記憶なんて、あやふやなものだ。「お前ってこうだったよな」と人から言われても、それが本当に自分のことだったのか、確信が持てなかったりする。
もっとも、そういう話はたいていどうでもいいことばかりなので、いちいち真相を突き止める必要もない。困ったように笑って、「ああ、そうだったっけなあ」と相槌を打っておくのが一番楽だ。
特に、実家に帰省して母の昔話に耳を傾けているときなんかは。
「幼稚園の行事で、サツマイモ掘りに行った帰り、あんた熱出してさあ――」
「ああ、うん、うん」
以前にもした話を、さも初めてのように語る母親の姿に老いを感じ、切なくなる。だが、それも仕方ないことだと受け入れている自分に、「自分も大人になったなあ」と妙にしみじみとさせられるのだった。
その夜のこと。コンビニに行くついでに、近所を少しぶらついてみた。母の昔話に触発され、懐かしさを味わいたくなったのだ。夜風に吹かれ、街灯がぽつぽつと灯る道を歩いていると、小学校の頃の同級生とばったり出会った。
「おー!」と互いに声を上げ、笑い合う。特別親しかったわけでもないのに、偶然の再会が妙に気分を高揚させ、そのまま居酒屋へと足を運んだ。
自然と話題は過去へ遡り、小学生の頃の記憶に行き着いた。
「お前ってさあ、小一のとき体育館で漏らしたよな」
「ああ……はあ?」
おれは眉をひそめた。まったく覚えがない。朝礼の最中だったらしい。泣きじゃくるおれの手を先生が引き、体育館から連れ出したそうだ。
記憶違いだろう。どこかの誰かと勘違いしているのだ。そんなことがあったら、たとえ一年生といえど忘れるはずがない。そう心の中で突っ込みながらも、結局おれは曖昧に笑って流した。
しばらく飲み、特に再会の約束もせずに別れた。
おれはイベントを一つクリアしたような、妙な達成感と安心感を胸に抱きながら家に帰った。
だが、どうも心に小さな引っかかりが残っていた。布団に入ってから、ぼんやりと思い返してみる。小学一年の頃、体育館で――。
やがて、不思議なことに、その場面が頭の中に鮮明に浮かび上がってきた。
体育館の床にみんなが体操座りしている。その中で一人、おれだけが棒立ちで泣きじゃくっている。ズボンの股間が影を落としたように濃く染みている。そばに立つのは女性の先生――たぶん担任だ。おれは泣きながら先生に手を引かれ、体育館を後にする……。
ありえない話ではない。子供の頃のおれは引っ込み思案で、要領も悪かった。それに、学校のトイレが苦手だった。家のトイレは洋式だったが、学校はすべて和式だった。立小便もうまくできず、個室なんかに入ったら同級生にからかわれるのではと勝手に恐怖を膨らませ、トイレを避けていた。
……ただ、この記憶はやはり想像で作り上げられたものだろう。なぜなら、おれはその光景を第三者の視点で眺めている。湿った下着が肌に張りつく冷たさや不快感といった生々しい感覚は、一切蘇らないのだ。
やはり、相手の記憶違いだろう。
一応、続きを想像してみる。体育館から出たおれは職員用トイレに連れていかれ、膀胱に残ったわずかな尿を便器に落とした。(もう、ほとんど出るものは残っていなかったが)
それから体操着に着替え、保健室へ。養護教諭に優しく宥められていると、母親が迎えに来た。
母と手をつなぎ、優しい言葉をかけられながら、二人で家路を歩いていった。
そして翌朝。ぼんやりとした頭でリビングに入ってきたおれに、母が言う。
「昨日のことは気にしなくていいからね。お母さんが先生にちゃんとお願いしておいたから、誰もからかったりしないわよ」
「うん……」
「大丈夫、忘れなさい」
母がおれの頭を撫でる。その手は柔らかく、温かくて、心地よい。母は撫でながら、繰り返し言った。「忘れなさい、忘れなさい……」。
なんだか、頭がぼうっとしてきた……でも、前にもこんなことが……あっ! そうか、わかったぞ。おれはこうしてあのときのことをすっかり忘れてしまったのだ。
そして今、空白になったあのときの自分の意識に、大人になったおれの意識が入り込んでいる。やっと思い出し――
「忘れなさい、忘れなさい……大丈夫? 学校行ける?」
「うん!」
よくわからないけど、お母さんが不安そうな顔をしていたから、ぼくは元気いっぱいに返事をしておいた。




