閑話 白蛇の村
祈りは、形になる。
その言葉の意味を、最初に“現実のもの”として見せたのは――
山裾にある、あまりにも小さな白蛇の村だった。
かつては名もない寒村だった。
山から流れる細い川と、小さな段畑、質素な祠、
そして、粗末な狩りと手工芸で生きる村人たち。
誰も見向きもせず、通り過ぎる旅人さえ滅多にいない。
だが、“白蛇さま”が語られてから、村は変わり始めた。
まず、狩りが変わった。
男たちが山に入るたび、不思議と獲物が増えた。
山鳥、鹿、時には山猪――
以前は月に数度しか得られなかった獲物が、毎日のように現れるようになった。
それらの肉と皮は、川を伝い、近隣の村々と交換される。
「白蛇の村の肉はよく獲れる」
「不思議と保存が利く」
「皮がしなやかで温かい」
川の水も変わった。
ある時、旅の薬師がこの水を汲んで持ち帰った。
「ここの水を使うと、煎じ薬の効きが良い」
それを聞きつけた近隣の村の者たちは、
水を汲みにくるようになった。
さらに、布も変わった。
女たちが育てる麻が、以前よりも白く、艶やかに育ち、糸がよく撚れた。
「この村の糸は神の息吹を帯びている」と噂された。
そのたびに、村人たちは言う。
「白蛇さまのおかげです」
誰かが祠に果実を捧げ、
誰かが子どもに白蛇さまの話を聞かせる。
語られるたびに、村の周囲にあるものすべてが、僅かに変化していった。
最初は物見遊山だった。
山の麓に、白蛇を祀る祠がある。
子どもを救った神話がある。
霧の夜に現れた守り神がいる――
そんな話を聞いて、隣の村の老婆たちが連れ立って訪れた。
祠の前に跪き、
「うちの孫の熱が下がりますように」
「嫁の腹が育ちますように」
「来年の麦がよく実りますように」
数日後、祠の前には芋や木の実、干し魚が並ぶようになった。
そして、祠の“石囲い”が大人たちによって大きく作り直された。
誰に頼まれたわけでもない。
祈った者たちが、自ら進んで整備していったのだ。
旅人が通るようになった。
山越えの商人たちが、休憩に立ち寄るようになった。
白蛇の話は、焚き火とともに夜ごと語られるようになった。
村は、少しずつ、しかし確実に“変わった”。
布や獣の皮、薬草や木材が物々交換され、
道具が増え、屋根が厚くなり、
子どもたちは笑いながら白蛇の物語を遊びにするようになった。
「しろへびさまごっこ」をする子どもたちの声は、谷に響いた。
だが、この豊かさを見て――
隣の村の一部の者たちは、眉をひそめ始めた。
「ただの偶然だ。祈って得られるなら、誰も苦労せん」
「白蛇の村ばかり潤うのはおかしい」
「語りを真に受けるな。現実を見ろ」
反発の声は、まだ小さかった。
だが確かに、“神なき村”と“神を語る村”との間に、裂け目が生まれ始めていた。
それでも――
白蛇の村では、語りは止まなかった。
「白蛇さまは、今日も山にいる」
「見ている。守っている。助けてくださる」
子どもが言う。
母が祈る。
祖母が語る。
そのたびに、山の霧が柔らかく流れ、
川の水が涼やかに響き、
獣が道を外れてゆく。
語りが現実を引き寄せる。
語るたびに、現実が“それに従って”形を変える。
**
村の者たちはまだ知らない。
それが、白蛇の村だけに起きている特異な現象なのではなく、
この世界そのものの構造が、静かに変わり始めている証なのだということを。
語りの火は、今や一つの村を包み、
やがて里を飲み、
国を渡り、
世界そのものの“根”を書き換えてゆくことになる。
しかし今は、まだ。
山裾の祠に灯る、小さな火と、
それを囲む数人の静かな祈り。
そして、その中心にいる、
誰の目にも見えないが、確かに存在する――
白き蛇のまなざし。
白蛇は見ていた。
川の流れと、
木々の芽吹きと、
人々の語りと、
それによって変わる**自分の“身体”**を。
(……ここは、もう“ただの場所”ではない)
語られたことが、実在になる。
実在が語られることで、より強固なものになる。
**
山は、ゆっくりと“神域”へと変わりつつあった。