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白き目覚め  作者: バトレボ
第四章 死知る時、生駆け出す
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白い本の返謳

よろしくお願いします

 「ん〜、まず伝承者って分かりますか?」


 唐突な問いが、まだ冷えきらない喉の奥に落ちた。返事を探す舌は乾いて、言葉は一拍遅れる。


 「伝承者……?」


 「噂の発生源。五大家柄……今だと五大語院でしたね。語りを受け継ぐ人たちのことです」


 子どもは丁寧に言い換え、それから肩の力を抜いて子どもの調子に戻した。


 「何か発生源があって噂が立つ。ではなく、噂が先に後に発生が生まれるってことです」

 「お兄さんが黒の縁を呼んだではなく、お兄さんは黒の縁へ引き込まれた」

 「お兄さんの場合、よほど亡くなった人と縁があって、黒の縁に引っ張られたんじゃないでしょうか。分かりませんが」


 背筋が内側から冷えた。路地の湿り気が皮膚に染み、骨がきゅっと縮む。友人との繋がりが、そんなに強かっただろうか。


 彼は生前、照れ笑いで誤魔化す方だった。大袈裟なことは言わない。けれど、葬儀の席で聞いた母親の声


――「憧れてたよ」――


が、いま耳の後ろで鮮やかに反響する。憧れは、口に出さなくても太くなるのか。


 「そんなことになるんですよ」


 テンは小さく肩をすくめた。


 「繋がりの太さなんて、自分と相手の間からは見えません」


 胸の中央が空洞になる。心を覗かれたようで、反論も質問もすべって落ちていく。じゃあ自分は


――何を選ぶ。


 「じゃあ、お兄さんが繋がりを継ぐ番ですよ? 受けるのも、受けないのも自由です」


 丁寧に、しかし逃げ道を用意する言い方で続ける。


 「でも、お兄さんは“受けて継ぐ”って、もう決めてるんじゃないですか?」


 テンと名乗る子に、自分は何も伝えていない。葬儀で受け取った刀の重み、鞘口の擦れ、柄巻に染みた汗の匂い


――それらは掌の内側の秘密のはずだ。


なのに、どうしてそこまで言い当てる。何が見えている?


 「分かるも分からないも、それが答えだと思います」


 テンは指を三本立て、呼吸と同じ速さで折った。


 「思うよ!」


 逃げ腰になりかけた視線を、路地の白い光が支える。石畳の隙間から上がる温い匂い。


 遠くで鈴の消え際がかすかに揺れ、重く苦しい空気は肩に手を置いたまま離れないが、その手は押し潰すためではなく、立たせるための重さに変わっていた。


 「あぁ……あぁ、分かった」


 返事を絞り出すだけで精一杯。それでも声にすると、胸の穴に薄い蓋が載る。テンは、さっきまでの重さが嘘だったみたいに年相応の笑顔へ戻り、袖をひらりと揺らした。


 白い鱗の首飾りが衣の中で小さく触れ合って鳴る。風は路地を抜け、夕暮れの色を連れていった。


 「じゃ、今日はここまで。明るい方へ、帰ってくださいね」


 そう言い残し、テンは角を曲がる。次に顔を上げたとき、少年の姿はもう霞の向こうへ薄れていた。


 風に混じって「お兄さんは縁があるみたい……」という言葉だけが残る。沈む太陽がガラス面に赤い糸を引き、影を長く結び直す。太陽は落ちるためではなく、誰かへ繋がるために傾くのだ


――彼は初めてそう思った。


 家へ向かう道は、いつもと同じ幅で、いつもと同じ段差を持っていた。けれど、踏むたびに足裏が拾う感触が違う。


 昼の熱を少しだけ残したアスファルト、パン屋から洩れる温い匂い、信号が変わる寸前の電気の唸り。生きている音が、大きい。


 首飾りはときおり鎖骨を撫で、その冷たさが呼吸の速度を控えめにする。彼は無意識に、その小さな冷えへ息を合わせた。


 玄関を開けると、いつもの音が迎える。台所で湯気が立ちのぼり、出汁の香りが廊下を満たしている。包丁がまな板を叩く一定の拍が、遅れ気味の心臓を迎えに来る。


 母が振り返り、いつもの調子で「おかえり」と言った。その普通さが、いっそう胸に沁みた。


 「受け継ぐ……受ける」


 言葉が自然に零れた。自分でも、誰に向けて言ったのか分からない。けれどその響きは、部屋の空気に薄い透明の層を作り、姿勢を正してくれた。


 足は迷いなく亡き友人から譲り受けた刀へ向かい、手は刀の位置を心得たように伸びる。柄は待っていたみたいに掌に馴染み、重さが骨の真ん中にまっすぐ落ちる。


 畳の上で膝をつき、鞘を斜めに置く。呼吸を一度深くし、立ち上がる。低語で覚えた型は、頭より先に体が思い出した。踏み出す足の角度、肩の落とし方、肘の余白。


 切っ先が空の張力を確かめ、角度を“半分だけ落とす”。かつて友と笑い合った癖が、身体の奥から戻ってくる。


 朝、夢の中で開いたはずの穴が、腹の奥で疼いた。そこに手を当て、もう一方の手で柄を握る。腹の底に残る穴は、いまや冷たい空洞ではない。細い糸のような温かさが端にかかり、そこから呼吸が引き出される感覚があった。


 最初の一太刀は拙かった。手のひらに汗が滲み、刃はわずかに遅れた。二太刀目、袖が空を撫で、切っ先が畳の縁へ光を置く。三太刀目、呼吸と拍が合う。彼は胸のどこかで、静かな数字を一度だけ数えた。


 指先の震えが小さくなり、視界の端が落ち着いてくる。


 「あいつが、さらに羨ましくなるくらい、やってみよう」


 独り言は、自分をからかうようで、励ますようでもある。受け継いだものが何か、まだ分からない。名にできる言葉は一つもない。


 けれど、友の想いから目を背けたくはない。振るたびに、背中の皮膚と衣の間で、誰かの掌がそっと押す。刃文がわずかに光を帯び、風の拍と一致する。


 切り終えの余白に、今日一日のざわめきが沈んでいく。角度を保ったまま、刃を静かに戻す。鞘鳴りは短く、乾いていて、心地よい。


 居間の隅、机の端に白い本がある。低語の学科で支給されたもの。彼の頁は、一度も光ったことがない。練習のたび開いては閉じ、次第に本の存在自体を周辺視野の外へ追いやっていた。


 今日は――視線の端で、紙が一瞬だけ薄く呼吸した。気のせいと言われたら頷ける程度の、ほんのかすかな明滅。まだ、誰もが気がつかない。


 鞘に納めた刀を膝の上に置き、掌を重ねる。さっきテンがやったように、指先をほんのわずか開く。そこに小さな“間”ができる。


 間に、今日死に損ねた恐怖と、死ななかった安堵と、友の笑顔のかけらを並べる。ばらばらの破片は、間の上で互いの角を鈍らせ、少しだけ寄り添う。


 「ご飯よ」


 襖の向こうから母の声。彼は返事をして立ち上がる。首飾りの白い鱗が衣の内側で軽く触れ、ひそやかに知らせる


――戻ってこられた、と。台所へ向かう短い廊下で、彼は気づかないふりをしつつ、ほんのわずか笑った。


 味噌汁の湯気が眼鏡を曇らせる。箸を取る手の震えは、もうない。口へ運ぶ最初のひと匙は、いつもと同じ味だった。


 だが、出汁の塩梅や豆腐の角に、今日だけは別の意味が乗っている。食べることは、生きることの最小単位だ


――そんな簡単な事実が、いまはやけに大きい。


 母は気づいていない。首飾りの小さな鳴りも、息子の手の内に戻った刃の角度も。気づかれなくていい。名を持たない時間のうちは、静かな方が続けやすい。


 夜、布団に入る前に、彼は押し入れの前で一度立ち止まった。刀の位置は変わらず、手を伸ばせば届く場所にある。


 白い本は机の端、頁は閉じたまま。外の風が窓枠を撫で、遠くのどこかで小さな鈴が三つ、間を置いて鳴った


――ような気がした。数えなかった。数えるかわりに、胸の真ん中で短い言葉を置く。


 受ける。継ぐ。


 明日の朝、また起き上がれたら、そのときもう一度確かめればいい。いまは眠る。眠りは、閉じることではない。


 次に言葉を置くための余白だ。目を閉じる直前、白い鱗が首筋で冷たく光った。彼はその冷たさを、帰り道の目印として受け取り、静かに息を吐いた。



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