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白き目覚め  作者: バトレボ
第三章 白霧の眠り
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閑話 星の番の夜

閑話続きます。今日もよろしくお願いします

 屋上の手すりは、日中の熱をまだわずかに抱いていた。薄い金属の肌を夜風が三拍でなぞり、すべり落ちるたびに熱は指先の記憶へと移る。


 街の灯は遠く散らばり、頭上の黒はひとつの深い井戸のように澄んでいる。ヨルはその縁に肘を置き、集まった子どもたちの背丈を目で数えた。


 背後の出入口にはユナが気配だけを残し、下の中庭では白蓮が衛士へ短い合図を送っている。安全の呼吸が整っていくのを、手すり越しに感じた。


 最初の流星が落ちた。鋼の針で闇をひっかいたような細い線が、空の膜を一瞬だけ明るくする。


 「わあ!」


 テンが跳ねた。白衣の袖が風にふくらみ、次の瞬間には背筋を伸ばす。


「本日はよく流れますね」


 丁寧な口調への切り替えに、子どもたちがくすくす笑う。テンもつられて笑い、またすぐ真顔へ戻る。その行き来に、儀と日常が無理なく重なっていた。


 ヨルはその笑いを背で受け止め、息を整える。流星の“消え際”を聴くみたいに、心の中で三拍を刻んだ。ひとつ、間、ふたつ、間、みっつ。鈴がなくても、拍はある。


 「三つ続けて流れたら願いが渡るよ」


テンが言う。


「前は早口で三回言うって教わったけど、ここでは“置いて返す”のがいいの


——いち、(間)、に、(間)、さん」


 数える声は小さいのに、手すりに触れていた熱の名残をさらっていくほど確かだった。子どもたちの視線が一斉に空の一点へ集まり、また散る。白い線は思ったよりも静かに、次の闇へ溶けていった。


 星は次々に尾を曳き、落ちきった光の残像が目の裏に薄く残る。子どもたちは最初こそ数を競い、すぐに数えるのをやめて、消え際の白を追いはじめた。


 白ははっきりとした色ではない。けれど、そこに何かが残る


——返ってくる前の、息の場所。


 「ねえ、あの谷でさ……」


ひとりが言いかけ、怖い噂のかたちを口に運ぼうとする。


 テンがぱっと振り向き、指を一本だけ立てた。


「ぼく、いまはしゃべらない。——星の番だよ」


 それから、その子の前で掌を軽く開いてみせる。


「受けて、置いて、返す。いまは“置く”の番。言い換えるなら、“帰り道で鈴が三つ鳴ったら、だれかが見てるから安心していい”」


 噂は恐れの言葉でもあるが、言い換えれば帯にもなる。子はすこし考え、こくりとうなずいた。


「……うん。そのほうが、いい」


 ヨルは横顔を見つめる。焦りを押し付けず、間を先に置く。それだけで、噂の尖りは丸くなる。流星がまた一本落ち、風が拍の隙間を抜けた。


「消えるのは終わりじゃない」


ヨルは手すり越しに空へ声を浮かべる。


「返ってくる前の白だ」


「はい」


 テンは丁寧にうなずき、すぐ子どもの顔で笑った。


「白、きれいだよね」


 屋上の隅では、年長の少年が小さく笛を鳴らして、すぐやめた。音は風の厚みに吸われ、三拍目だけが耳の奥に残る。


 ユナは出入口の壁に背を当て、鈴箱の紐を指先で確かめている。白蓮は中庭の灯を二つ落とし、夜を広くした。誰も多くを言わず、必要なだけを渡す。言葉より先に、場の呼吸が揃っていった。


「星、つないでもいい?」


 テンが尋ね、うなずきを待たず、人差し指で空をなぞりはじめる。


「ここが頭。ここが背。ここは、くるっと回って——」


 指が描く線を、子どもたちの何本もの指先が追いかけた。瞬く点と点が、不揃いの糸で結ばれていく。やがて白い蛇の背骨みたいな形が夜の上にうっすら立ちのぼり、その輪郭は見る者それぞれの目で少しずつ違って見えた。


「カズハ……」


 小さく呼んだのはテンか、風か。


 名を言い切るまえに、テンが丁寧に言い直す。


「では、こちらは皆さん。三つずつ。好きな星をつないでください」


 子どもたちは自分の“星座”を編みはじめた。短い橋、家の屋根、見たことのない鳥、誰にも言っていない約束。


 名前は言わない。言葉にする前の、形の気配だけを手渡し合う。ひとつ、間、ふたつ、間、みっつ。手の動きは拍に乗り、線は声のない返歌になっていった。


 ふっと風が止む。遠く、白霧地帯のほうから、鈴が三つ、間を置いて届いた。鉄でも木でもない、その中ほどの響きが、ひとはりの白を耳の奥へ落とす。


 誰も口にしないけれど、白蛇カズハの見守りが、この屋上の縁までかすかに通ったのだとわかる。


 ヨルは目を閉じて、その消え際の響きを掬った。拍はやさしく、途切れない。胸の鈴に触れなくても、整う心地は刃の重さを軽くする。


 「もう一度、いち、(間)、に、(間)、さん」


 テンが小声で数え、子どもたちの指が空の上で一斉に止まる。たったそれだけで、散り散りだった線が同じ呼吸に乗る。星はまだ落ちる。落ちて、白くなり、見えなくなる


——その白の時間に、願いを置く。


 「願い、言う?」誰かが囁いた。


 テンは首を横に振り、丁寧に言う。


「声にしなくても、渡ります。——返歌にして、置いてください」


 子どもたちは黙った。手すりに額を寄せる子、空を見上げたまま瞬きを数える子、指先で線をほどいてから、もう一度結び直す子。


 誰も大声で言わない。余白で渡すのだ。言葉は座席を得て、音のないまま星の冷たさへ置かれる。


 ヨルは三拍をもう一度刻んだ。ひとつで受け、間で置き、ふたつで返す。最後のみっつは、何も足さないまま、消え際を聴く。流星が一筋、二筋、続いて三筋。息が揃う。


 テンが胸の鈴にそっと触れる。子どもの声で、「わたってね」とだけ言った。


 願いの形は見えない。それでも、置くべき座は確かにある。彼の指が夜の上で小さく輪になり、風がそこをくぐってゆく。


 屋上のコンクリートが冷えはじめ、足裏から体温が引かれていく。子どもたちはゆっくり立ち上がり、互いの星座をもう一度指でなぞってから、階段のほうへ歩き出した。名もない線は、もう誰のものでもあり、誰のものでもない。


 「本日は、よく流れましたね」


 踊り場でテンが振り向き、丁寧に一礼する。顔を上げればもう子どもの笑顔だ。


「ねえヨル、明日も見る?」


「風がよければ」


「やった」


 ヨルは最後尾で空を振り返る。結んだ線はもちろん見えない。だが、見えない線は消えたのではなく、渡ったのだと知っている。


 見えないものを見たと言い張るのでも、何もないと言い捨てるのでもなく、そのあわいに置かれた余白の気配が、彼の足取りを軽くした。


 階段に鈴の消え際が重なり、子どもたちの囁きが風に混じってほどけていく。


「三つ続けたら渡るんだって」

「うん、明日は三回、ゆっくり」

「怖い話は置いてこようよ」


——都市伝説は怖がらせるためだけのものではない。


 やさしく渡す、見えない帯にもなる。さっきの星座がそうだったように、誰かの心を静かに束ねる形のない帯。


 屋上に戻ると、ユナが短く頷いた。白蓮は中庭の灯をあとひとつ落とし、衛士に解散の合図を送る。風が再び通る。ひとつ、間、ふたつ、間、みっつ。拍が夜を切り分け、残りは静けさが受け持った。


 ヨルは手すりに掌を置き、金属の冷たさを確かめる。そこに熱はもうほとんど残っていない。けれど、あの三拍の息は残っている。


 耳の奥で白が薄く光り、刃の重みが内側へ沈む。今日、渡したものがどこへ届くかは知らない。


 だが、置き場さえ誤らなければ、言葉は橋になる。渡る者が渡り、戻る者が戻るために。


 遠くで鈴が三つ。間を置いて、もう三つ。白霧地帯の奥で眠るものが、眠りながら呼吸を続けている気配だ。白蛇カズハはそこに在り、過去から今へ、今から未来へと流れる語りの帯を静かに見ているだろう。


 置かれすぎず、置かれなさすぎず


——その加減が、今夜の星にも、ここにいる誰の胸にも、同じように必要だ。


 手すりの上を、夜風がもう一度だけ三拍で通り過ぎた。流星の白は薄れ、空は朝の色へ少しずつほどけていく。


 子どもたちの足音は階下の闇に吸われ、テンの小さな声が最後にひとつだけ浮いた。


「きょうの白、きれいだったね」


「そうだな」


 ヨルは答え、鈴のない胸で三拍を打った。物語は眠り、また起きる。その往還を合図するみたいに、遠い鈴は静かに、三つ。



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