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白き目覚め  作者: バトレボ
第一章 白き目覚め
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声なき因果

冷たい霧が、山の肌を這っていた。

夜と朝の境界線で、湿った風が川沿いに流れ、小鳥たちの目覚めをまだ拒むように、木々の間を静かに漂っていた。


白蛇は、岩場の隙間にとぐろを巻き、じっと目を閉じていた。


意識は明瞭だった。

だが、何かが自分の内側で変わり始めている――そんな“感覚”が、はっきりとあった。



(ここ数日……何かが、おかしい)


骨の深部、鱗の内側、神経の網がどこかふわりと緩んだような奇妙な浮遊感。

思考は冴えている。だが、体が、かすかに“変質”している。


以前よりも、音が遠くから聞こえるようになった。

空気の湿度が、皮膚の奥で分子単位に近い感覚で分かる。

そして――


(……時間の流れが、遅く感じる)


それは明らかな異常だった。

目に映る葉の揺れが、ほんの僅かにスローになって見える。

飛ぶ虫の羽音が、鮮明に一拍ずつ聞こえる。

呼吸のリズムが周囲の生き物と一致せず、自分だけが別のリズムに存在しているようだった。



夜になり、村からかすかに太鼓の音が聞こえてきた。


焚火が焚かれ、誰かが語っている。

「白い神の話」だ。

白蛇はすでに、その内容を理解していた。


語られるとき、空気の流れが変わる。

風が山の形を舐め、言葉が空に触れたとき――自分の存在が“補強”される。


それはまるで、重力がわずかに強くなるような、

物理法則にすら微細な皺を刻むような、見えない影響だった。



(“語られる”ことで、力が増している)


白蛇は確信した。

体が以前より硬く、重くなった。

爪のないはずの尾先に、微細な骨質の棘が浮かび始めている。

それは防衛本能の結果ではない。語られた“守護”の力が、形になろうとしていた。



とぐろを解いて、山を下りる。

川の水面を見下ろし、そこに映る自分の姿に、白蛇は目を細めた。


(……これが、俺なのか)


鱗が、わずかに発光していた。

月光でも、反射でもない。

皮膚の奥から、“語られた存在としての霊的圧”が滲み出ていた。



(これは祝福か、呪いか)


白蛇は思った。


語られることで力を得る。

しかし、語られたままの姿に変質していく。

意志とは関係なく、“理想像”として固定されていく危険がある。


もしも今、この体が「凶神」として語られたら?

「滅ぼす神」「裏切りの神」と伝承されたら?


(俺は、そのように変質するのか?)


震えはなかった。

ただ、冷たい思考が、ひとつの仮説を立てる。


(……ならば、“語られすぎてはいけない”)


力を得ることは、生存戦略の一手だ。

だが、その代償が「自由を失うこと」であるなら、白蛇はそれを拒絶せねばならない。



その夜、白蛇は人里に最も近い祠へは向かわなかった。

あえて、何も語られていない谷間――

“誰にも知られていない”岩壁の影に潜んだ。


語られるほど強くなる。

だが、語られない場所にこそ、“自分自身”がある。


白蛇は、誰にも祈られぬ場所で、静かにとぐろを巻いた。

目を閉じ、かすかに震える体内の変化を探る。


(俺は、語られずに、生き延びてみせる)


それが、世界に対する“知性”のささやかな反逆だった。



その頃、村では小さな子どもが石に文字のような模様を刻んでいた。

まだ字を知らぬ幼い手が、ただの蛇の姿に“飾り”を与える。


「白蛇さまは、山にいる」

「白蛇さまは、まもってくれる」


その声が夜風に乗り、谷を越え、山へ届く。

白蛇の耳に届かなくとも、世界は――またひとつ、彼の形を定めようとしていた。


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