霧境の影
――ヨル視点――
装甲車は白の禁域を囲む最後の集落跡で停車した。朽ちた鳥居が道端に横倒しになり、辺りは沈黙と湿気に満ちている。隊長セナの合図で、調査隊は臨時の休憩陣地を設営した。
霧よけの結界幕が張られ、携帯式炉が赤く灯る。ヨルは小型コンロで湯を沸かし、塩辛いスープをすすった。リニアが簡易診察を終え、「問題なし」と親指を立てる。ウツロは膝に乗せた画帳へ静かに墨を垂らし、霧の色を写し取っていた。
セナが腕時計に目を落とす。「十分後再出発。突入ルートは北の獣径。霧濃度が上昇しても、通信士の信号が限界値を越えた時点で後退だ」
ヨルは刀帯を締め直し、霧を見つめた。胸の奥で脈打つ“呼び声”が、距離を詰めるごとに重たく響く。
――???視点――
廃寺の屋根影。瓦に降りた露が白い指を濡らす。薄絹の袖から伸びたその手は、霧を掬うように宙をなぞった。
(……あの人が反応したのは、あの子か)
瞳は翡翠のように淡く光り、焦点は遠くの白髪の青年──ヨルへ注がれる。風が袖口を揺らし、白蛇の小さな影が足元を滑った。
(白の血の響き……懐かしい感じがする……)
彼女は禁域の外側から静かに見守る。
(もうすぐ霧の門が開く。白蛇さまが眠る奥へ進む者……)
少女の唇がわずかに震え、夜香木の香りが微かに漂った。
――ヨル視点――
進軍開始。獣径は幅二人分ほどの細道で、両脇から伸びる楢の枝が霧をざわめかせている。通信士が周波数を調整しつつ前進。だが二百メートルも進まぬうち、電鍵にノイズが走った。
「……語り干渉波、大幅増幅!」
霧の中から浮かぶ赤い灯。否、灯ではない──“灯喰”という伝承体。濡れた提灯の中に人魂を抱え、人の心臓を吸い上げて灯火を保つと語られる怪異だ。
同時に背後、左翼、右前方──複数の灯喰が揺れた。
セナが短く叫ぶ。「交戦、隊列防御!」
ウツロの墨影が走り、最前の灯喰を絡めて抑える。リニアは障壁術を展開、だが背後の灯喰が障壁をすり抜け、人魂の舌を伸ばして襲いかかった。
ヨルが振り向きざまに斬り払う。銀刃は舌を断ち、灯喰は悲鳴に似た音を発して霧散。しかし別の灯喰が重なり、隊の輪郭を蝕む。
「数が多い!」
通信士が叫ぶ。「ジャミング波を感知! 外部から語りを呼び込まれている!」
――闇導側――
木立の上に、緋の符札が散布されていた。符の中心で黒い煙が揺れ、少年──“朗読師”が低く語を紡ぐ。
「夜道に漂う灯火は、生者の魂を啜り……」
彼の声に呼応し、灯喰の数が膨らむ。トウゲの囁きが耳元に流れた。「よいぞ。白の血を霧の灯に捧げよ」
少年の手が震える。「……語りは、人を縛る」
しかしその呟きは霧に掻き消え、符はさらに赤く燃え広がった。
――ヨル視点――
灯喰の舌がヨルの右肩を貫く。肉が焼ける痛み。しかし血潮は瞬時に再生し、斬撃は軌道を崩さない。
「リニア、俺は平気! 後衛の防衛に集中!」
ウツロが影絵を裂き、六つの灯喰を包む。「筆墨《静対》!」影は無音の真空を作り出し、灯火を瞬時に掻き消した。
だが上空の符札が新たな灯喰を呼び続ける。セナが不意に耳機に手を当てた。「上か!」
――???視点――
屋根影から跳躍。白い衣が霧を払い、少女の手から糸のような光が伸びる。
「出過ぎないで、語りは節度を守りなさい」
光糸は空中の符札を縫い合わせるように走り、焼き尽くした。少年が驚愕し、一歩退く。
「誰だッ……!」
少女は答えなかった。白蛇の影が足元を巡り、霧を美しい円弧に裂く。灯喰は一斉に悲鳴を上げ、炎を失って溶け落ちる。
――ヨル視点――
霧が割れ、白い人影が現れる。ヨルは刀を構えたまま息を呑む。どこかで見たような、いや遠い記憶をくすぐる気配。
少女は目だけで告げた。(先を急いで)
セナが状況を把握。「援護に感謝する!」
ユナは踵を返し、霧へ溶けた。少年は異形の消散を悟り、符札を握り潰し撤退路へ跳んだ。
残された灯喰の残骸は黒煙を散らし、風に消える。
――再編――
セナが隊を集める。「損傷軽微。通信復帰。妨害者の正体未確認だが作戦続行」
ウツロがヨルの肩の傷を見て口笛を吹く。「再生速度、また上がったんじゃない?」
ヨルは肩を回し、刃を鞘に収めた。「禁域が呼んでる。急ごう」
霧の山道は静まり返ったが、どこか遠くで鈴の音が微かに響いた。誰かの語りが重なり、先の闇を彩り始めている。
禁域は、まだ入口に過ぎない。




