第一章 はじまる
淡い光に満ちたホールの奥、白と金を基調とした内装の中。
「いらっしゃいませ」
響いた声は、まるで機械のように感情がなかった。だがそれが、この店では最も美しいとされていた。
大きい耳が小さく揺れ、ゆっくりと客へ視線を向ける。
目の前の貴族は、品定めするように彼の全身を見下ろした。
「……うむ、やはり天使はいいな。肉の質も良さそうだ」
ただ一礼し、そっと背を向ける。
本館では、仲間たちが今日の“食材”として選ばれるのを、震えながら待っている。
その中には、昨夜まで一緒に眠っていた友の姿も。
指先がわずかに震えた。
それでも、背筋を正して歩き出す。
仲間を守るために。自分を壊さないために。今日も、何もなかったように接客を続ける。
ホールを抜け、白い扉を押して厨房の奥へ戻った。
外の光が遮られたその空間は、冷たく乾いた空気が満ちている。
「……フィル兄、おかえり」
声をかけたのは、天使の少女、リィナ。
まだあどけなさが残っている。羽も小さく、耳はふわふわした毛で覆われている。
両腕でトレイを抱えながら、不安そうにこちらを見上げていた。
「……今日は、ただの視察。“選ばれた”子はいなかった」
静かに答えた僕に、仲間たちがほっと息を漏らす。
「よかった……」
「でも、明日はわからないんでしょ……?」
誰かの呟きが空気を重くする。
一瞬、言葉に詰まる。
わかっている。この園で“明日がある”という保証はない。
誰がいつ連れていかれるかも、自分たちには知らされない。
それでも、完全に諦める訳にはいかない。
「みんな、今日は無事だった。それでいい。生きているなら、明日が来る」
言葉に力はこもっていない。
それでも、この声は群れの子たちを安心させることはできるだろう。
僕は、何も言わずにその手を握り返す。
そんな彼の背後で、係が無言でドアを開けた。
鋭い視線が厨房を一掃し、帳簿に何かを書き込む。
表情が一瞬だけ強張るのがわかった。
「リィナ。ホールに戻って、客席の片付けをお願い。僕は後で合流する」
「う、うん。気をつけてね、フィル兄……」
リィナが去るのを確認すると、小さく息を吐いた。
心の中には、微かな怒りと痛み、そして、諦めの気持ちがあった。
でも、園がこのままでいいはずがない。いつか、必ず。
その想いを胸に、係の方へと歩き出した。