表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/79

第二章 魚河岸義勇軍、創設 其之一

第二章 魚河岸義勇軍、創設


       一

慶応戊辰四年の正月は平穏かつ、賑やかに過ぎていった。


 道では羽子板の羽根の音が響き、()(かわ)(まん)(ざい)が新年を(こと)()いで、家々を廻っている。 


魚河岸の各肴問屋は三日が過ぎると、商売が暇になる午後に、蔵に隠しておいた大紙鳶(おおだこ)を出す。軽子や手代、仲買人の若い衆が掲げて、他の町へ勝負に出掛けた。


「町人相手じゃ、つまらねえや。ちょいと派手に武士(りやんこ)と喧嘩しようぜ」


 血の気の多い魚河岸衆は、わざと旗本屋敷の多い町へ出向き、武家の大紙鳶を倒しに行く。武家が糸を絡ませ、勝負に負けると、足軽衆が門から出てきて、本当の喧嘩になる。 武家を殴れる好機など、滅多にないから、武兵衛は必ず加わった。


 だが、慶応四年の武兵衛は江戸橋の袂で、春の霞んだ空を眺め、煙草を()っている。


「……おや、武兵衛兄ィ。今年は大紙鳶揚げに出掛けねえんですかい」


 仲買人の平助が残念そうに呟いた。店の外では、武兵衛兄ィと呼ばれていた。


「ほら、浜町の武家町を見てごらん。何処(どこ)の屋敷も大紙鳶を揚げてねえんだ。これじゃ、喧嘩ができねえだろ。……ったく、つまんねえったら、ありゃあしねえよ」


 他の屋敷町の空にも大紙鳶が見えない。気味が悪いほどに、静かであった。


 ――将軍職御辞退って話で、お武家衆は、正月どころじゃねえのだろうか……。


 浜町と言えば、三千石の(わか)(どし)(より)(かく)(おお)()(つけ)(なが)()(げん)番頭(ばのかみ)尚志(なおゆき)様の屋敷がある。

 気さくな御前様で、武兵衛が魚を持って御膳所へ上がると、世間話に花を咲かせた。


「数年も上方へ行ったきり。また酒を呑みながら、外国や政事(まつりごと)の話を教えて頂きてえや」


 そこへ、使い軽子の駒蔵と、伊勢屋の()(あげ)(かる)()の留吉が仲良くやって来た。


「武兵衛兄ィ、この新しい錦絵(浮世絵)、大人気なんですぜ。見て下せえよ」


 三枚綴りの錦絵は、(くに)(ちか)の『()(せん)(りよう)(おお)()()(にぎわい)』。江戸で人気者の三人が描かれている。


「噺家の(さん)(ゆう)(てい)(えん)(ちよう)新吉原(なか)花魁(おいらん)(いな)(もと)(ろう)小稲(こいな)。役者の(なか)(むら)()(かん)。間違いなく、この三人は最も勢いがある江戸の看板だ。だが、(はなし)()が役者と肩を並べて錦絵になるとはねえ……」


 武兵衛が感心していると、駒蔵が食い入るように、圓朝の髷を見詰めている。


「……この圓朝の髷、変わっていて面白れえですよね。流行(はや)りそうだなァ」


 近年、講談や(おと)(ばなし)(落語)等の(ぜつ)(こう)(げい)の隆盛は目覚ましく、猿若町の三座の、芝居の人気が食われていた。

 景気が悪く、芝居見物が手の届かない贅沢となったことが大きい。


(かみ)(ゆい)(どこ)へ持って行けよ。圓朝髷、お(めえ)に似合うぜ」


 武兵衛は笑いながら錦絵を駒蔵へ返すと、ボンヤリと考え始めた。


 ――小稲花魁の錦絵が出たのか。稲本楼にも御祝いに行かなくちゃなるめえな……。


 女郎(じようろ)遊びに行くわけではない。女郎の親代わりとして時折、顔を出さねばならなかった。


 武兵衛の場合、稲本楼の花魁小稲の妹分、()(ちよう)の世話をしている。年に幾度か、顔を見に行き、躰を気遣い、(きり)(もち)(一分銀百枚)を幾つか、小遣いとして置いてくる。


 ――お艶は、俺が新吉原に行くとなると(りん)()を起こしやがる。さてどうしたものか……。


 本音では、花鳥ではなく、女芸者の萬吉に逢いたいが、そちらも難しかろう。


 近くでは羽根突きの音が続いていた。空には大小様々な紙鳶が揚がっている。


「……まあ、こうした穏やかな正月も悪くねえやなあ。昨年の冬、薩摩の夜盗に散々苦しめられたんだ。今年は、荒事をしちゃあなるめえと、お天道様が仰っているのだよ」


 武兵衛はまだ冷たいが、春の息吹を感じる江戸の風を、胸一杯に吸い込んだ。


「明日は(かがみ)(びらき)きか。甚兵衛さんは、しきりに案じているけれど、何か起こるような気配は全くねえ……。それよか、上野の東照宮へそろそろ献魚に参じなくちゃなるめえな」


 目の前に広がっている、長閑な正月の景色を静かな心持ちで見詰めた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ