其之十一
十一
新吉原から二十人の義勇軍を引き連れ、武兵衛と甚兵衛は日本橋魚河岸へ向かった。
神田川に架かる橋は全て〆切だったので、山谷堀から五つに分けて、猪牙舟を仕立てた。
官兵の船への目眩ましに、酒を呑んだ。片肌脱いで彫物を見せ、賑やかに手鞠唄を唄う。
♪一ツとや ひらひらひらつく錦切れを 肩に着て 東じゃ左様に思わない 光らない
♪二ツとや ふちに離れた殿方の 脱走人 軍に強ふて負けはせぬ 引きはせぬ
♪三ツとや みなみな勇士が打ち揃い 劣りなく 朝敵受けても恐れない 無理はない
♪五ツとや いつか此世が静まるか 困ります 宮さん和さんお天(璋院)さん頼み枡
この時は途中も飛ばさず、最後の十まで、きっちりと歌い続けた。
猪牙舟は、官船に怪しまれずに、日本橋川を上り、雨の魚河岸へ着いた。
夕暮れで、市場はとっくに閉まっている刻限だ。
だが、主だった肴問屋衆は、番傘を差して義勇軍の帰りを待っていた。
佐兵衛が真っ先に、船着代わりの平田船へ下りてくる。
「上野山が燃えていたし、浅草橋の御門じゃ、錦裂が殺した彰義隊の生首を曝していると聞いた。……帰って来るのがあまりに遅かったから。気を揉んだぞ、武兵衛さん」
佐兵衛が珍しく、叫んだ。武兵衛は義勇軍が皆、岸に上がったのを確かめた。
「風邪を引かねえように湯屋で躰を温めたら、御納屋へ集まってくれ」
と義勇軍へ声を懸け、武兵衛と甚兵衛は急いで御納屋へ向かった。
相模屋と千足屋から届いている乾いた着物に着替えると、武兵衛は口を開いた。
「蔵太様と仙台の御使者を無事に奥州へ送り出した。……戦争の一部始終を話す前に、頼みがある。彰義隊の皆さんを匿おうと考えている。魚河岸の皆にも助けてもらいてえ」
佐兵衛は「勿論だ。品川沖の御軍艦へ送り届けよう」と頷いた。
上野の戦争について佐兵衛に話し始めていると、義勇軍の二十人が早くも集まってきた。
「本日はよく働いてくれた。ただ、もう一仕事ある。むしろ、こっからが義勇軍の腕の見せ所だ。一分銀を四枚ずつ渡す。これで呑み屋へ行き、上野の戦争の話をたっぷりと客に聞かせろ。格別、敗北の真因が偽会津軍を送り込んだ敵の狡い計略だった話は、今日の戦争話の肝だ。最もじっくりと話すんだぜ」
「へいっ」と義勇軍は相槌を打つ。すると、甚兵衛は、更に付け加えた。
「勿体なくも寛永寺の伽藍に、錦裂が火を付けて歩いた話も忘れてくれるなよ」
留吉が「合点承知」と威勢良く大声を出した。武兵衛は一分銀を配りながら、語った。
「これが本日の最後の役目だ。頼んだぜ、皆の衆」
二十人は「おうさッ」と応えると、それぞれが町へと散って行った。
ちょうど、御納屋に入って来た名主の星野又右衛門も、彰義隊を匿う話に、否やは申さなかった。
「北から御味方が戻って来るまでの辛抱ですからね。……何せ、官軍は彰義隊に味方しようとした紀州様の御門に、容赦なく大砲をぶち込んだそうですから。彼奴らは頭がおかしいし、気味が悪い。義勇軍も目立たず、地味に人助けに徹しましょう」
武兵衛は義勇軍の務めを終えて、相模屋へ帰ることにした。
御納屋の外に出ると、義勇軍の本陣の高張提灯が雨を避けながら、ぶら下がっていた。
「義勇軍の炎は消えねえ。蔵太様が大軍と共に戻ってくる日まで、ずっとな……」
相模屋が見えてくると、お艶が店の前で待ち構えていた。
「安心しろい。……ほら、脚も手もあるだろ。義勇軍は、誰も怪我一つしていねえよ」
武兵衛が戯けて手足を見せると、お艶は涙を浮かべて「馬鹿ばっかし」と叫んだ。
相模屋へ入ると、お香が脚濯ぎの桶を用意していた。
「お香、気が利くねえ。ありがとうな」
武兵衛は、口にはできないが、駒蔵の仇を討ったよ、とお香に密かに報告した。
上がり框で脚を清めていると、伊左衛門がそっと手拭を差し出してくる。いつになく、真面目な顔で語り懸けてきた。
「無事に戻られて、本当に良かった。……旦那様は相模屋の誇りです」
武兵衛は「やっと主人と認めてくれたのか」と笑った。
「ええ、一人も欠くことなく、義勇軍を戦争から連れ帰った。実に御立派にございます」
仏壇の前に行って、手を合わせてから、居間で落ち着いた。お艶が温燗を渡してきた。
「先刻方、御納屋から戻ってきたお前さんの着物の裏地なんか、汗で塩が吹いていて、真っ白になっちまってたよ。今日は朝から、沢山、駆け回ったんだね。……よく戦った証だ」
武兵衛は燗酒で喉を潤した。すると、昨夜の夜から張っていた気が、解れていく。
「――俺ァ、悔しいよ。蔵太様も彰義隊も正々堂々と奮戦して、勝ってたのに。……あと少しの処で、賊徒の野郎が奸計を使いやがって。……ったく、畜生めッ」
半分からは湿った声で「畜生」を繰り返した。
段段と、お艶の顔が涙でぼやけていく。
「……お前さんは、負け勝負が大嫌いだものね。でも、宮様も彰義隊も無事に北へ向かったたんだろ。だったら、勝負はまだついていないじゃないさ」
「そうだけどよぉ。まさか、寛永寺が燃やされるなんて――」
そのままお艶にしがみついた。まるで堰を切ったように、涙が込み上げ、溢れ出した。
「奴等がそこまでやるとは考え付かなかった。……まったく胸糞悪い――」
そこで、武兵衛は、黒門の官軍へ鳶口を投げ込んだことを、思い出した。
――嗚呼、でも俺は……。上野で駒蔵の仇を討って来た。誰にも言えねえのが残念だけど、俺は成し遂げたんだ。駒蔵が見ていてくれていたら、いいなぁ。
すると、涙がぽろぽろと零れた。これは嬉し涙であった。
その時、お艶が抱き締め返してきた。
「そうともさ。汚え錦裂の遣り口を、わっちらは生涯、忘れるもんかね……」
武兵衛は、嬉し泣きと、悔しくて泣く状態が、交互にやってきた。
長い上野での一日が頭に浮かんでくると、涙がどうしても、止まらない。
「まったく、でっけえ餓鬼みたいだね、魚河岸の総代さんは……」
お艶も泣きながら、童のように垂泣する武兵衛の背中を、優しく撫で続けた。
嗚咽がやがて咆哮となったが、外の雨音の激しさに掻き消され、宵闇に消えて行った。




