其之七
七
寒松院の講堂の玄関では、器械掛の隊士が、シナイドル銃に鉄炮玉を込め、先端には銃鎗を次々に取り付けていた。接近戦用の支度である。
御頭の御用部屋へ行くと、大隅守が出迎えた。
「蔵太殿、十数人を仕留めたとは、お見事。……先ほど、御本坊から、御令旨の用意ができたと知らせて参った」
「左様でしたか。すぐに受け取って参ります」
蔵太は濡れたまま、頬の傷も気にせず、そのまま、また出て行った。
武兵衛は部屋の隅に座り込んだ。胸の高鳴りが、全く落ち着く気配をみせない。
「蔵太様の助太刀に行っていたのか」
甚兵衛が、手拭いを差し出してきた。思わず、その腕を掴んだ。
「甚兵衛さん、蔵太様の銃の腕前が凄げえんだぜッ。狙った敵兵を全部、仕留めたんだ。……見ている俺も、吃驚だった。甚兵衛さんにも、見せたかったよ」
童に戻ったように喜んでいると、甚兵衛は冷めた瞳でピシャリと言い放った。
「大将が揃ってやることか。立派な戦果ではあるが、二人共、立場を弁えてくれ」
「まぁ、……そうだよな。悪かったぜ」
我に返って、武兵衛は燥いだことを詫びた。そこへ伝令が駆け込んでくる。
「谷中口が危なく、止むなく近隣の空き家に火を放ち、敵の進攻を抑えました」
甚兵衛は急いで絵図の傍に戻り、碁石を動かす。戦状は明らかに退歩し始めた。大隅守が覗き込んできた。
「官軍の奸計により、敵兵に御山の真ん真ん中に入られたのは、実に痛かった。味方の優れた隊士は出払っており、二百人を殲滅できる兵力がない。このままでは山内から総崩れ――」
言い終わる前に、大隅守は眩暈を起して、絵図の上に突っ伏した。甚兵衛が支える。
「まだ希望はございます。黒門口さえ死守できている間に、……山を下りられれば」
蔵太が御本坊から戻ってきた。手には黒塗りの立派な函を頂いている。
「御令旨、いや御勅旨とも申せる重要な公書を託され申した。……おや、大隅守殿ッ」
驚いて蔵太が駆け寄った。大隅守はどうにか、起き上がった。よろめきながらも、御函に一揖する。
「蔵太殿は直ちに奥州へ向かえ……。小松殿と共に、御令旨を伊達中将様へお届けせよ」
「宮様を見送ってから、山を下ります。覚王院様と相談し、どのような局面となっても、宮様が安んじて御動座できるように、予てよりお頼みしておいた榊原鍵吉殿を呼びに遣らせた処です」
「剣豪の榊原鍵吉殿か。確か……車坂下に屋敷があったな。御味方して下さるのか」
「昔、手合わせして頂いた間柄でして。宮様を錦裂から守る用心棒を引き受けて下さいました」
「それは良策だ。今となっては、彰義隊が護衛して共に動くより、宮様の御身は危うくなかろう」
坊官から綿が届いた。蔵太は早速、令旨の入った函に綿を捲くと、油紙で包んだ。その上から大きな風呂敷で巻き、襷掛けにして背中へ背負った。
そこへ、ずぶ濡れで、顔を煤で黒くした、春日左衛門と天野八郎がやって来た。
「正面撃破に懸け、敵兵が黒門口に集結している。大隅守殿は宮様の護衛として御本坊へ」
「山王臺は、どうなっている」と大隅守が訊ねた。八郎は続ける。
「山王臺から山門付近に、茅町上の水戸と加賀両屋敷から、破裂弾が多数、飛来。樹木を裂き、石塔を砕いた。負傷した隊士は社殿の中へ逃れたが、亡くなる隊士が増えておる」
大隅守は「噂のアームストロング砲か。……水戸家からも砲撃を受けようとは」と深く嘆息した。
左衛門が口を開いた。
「山王臺では、阿部殿、菅沼殿と拙者で隊士を鼓舞し、黒門で奮戦する臥龍隊や諸隊を助けながら、敵の侵入を防いでおります。だが、薬莢も鉄炮玉も間もなく尽きる。我等が山門まで後退すれば、いずれは中堂辺に侵入した敵兵と、黒門口から押し寄せる敵兵に挟まれる仕儀となりましょう。その前に、宮様には御動座のお支度を。大隅守殿、急がれよ」
大隅守は蒼褪めながら、用人を連れて御本坊へ行った。蔵太が八郎と左衛門へ尋ねた。
「直に、八ツ(午後二時)だ。それまで保つか。それとも、宮様以外に隊士や諸隊の下山も促す頃合いだろうか」
八郎は厳しい顔で呻いた。頬を伝う雨粒か汗かわからないものを、黒く汚れた手で拭う。
「ギリギリまで黒門口は守る。だが、今のうちに隊士の総下山を考えるべきだ」
「薬莢と鉄炮玉だが、本陣を守る分が、まだ僅かながら残っている。全部、持って行け」
「本陣を捨てる覚悟なんだな。承知した。左衛門殿、運ぼう」
蔵太を分かれて、八郎と左衛門が動いたので、武兵衛が「手伝います」と従いて行った。左衛門が心配顔になる。
「相模屋も、そろそろ義勇軍を連れて山を下りたほうがいい。怪我じゃ済まなくなるぞ」
「いいや、左衛門様。俺は偽会津軍が憎くて我慢ならねえ。だから、とことん見届けてから山を下ります。見聞きした何もかも、洗いざらい江戸中へばら撒いてやりますとも」
啖呵を切ると、左衛門は微笑した。
「頼もしいぞ、武兵衛。鳥羽伏見の戦いは、偽の噂で塗り固められてしまったからな。この戦争の実相を、どうか江戸市民に、正しく伝えてくれ」
御用部屋の隣に鉄の薬莢と鉄炮玉はあった。どちらも三箱しかない。紙薬莢は二十以上も箱が置いてあった。八郎がぼやいた。
「晴れていたら、紙薬莢で、十分、凌げたのにな」
手を硝煙で真っ黒にした左衛門が持とうとするから、武兵衛が風呂敷に包んで、担いだ。
「鉄砲を撃ちまくるんでしょう。手を大切にしなきゃ。玄関外の馬の処まで運びますぜ」
二人の馬が玄関外で待っていた。薬莢と鉄炮玉を包んだ風呂敷を左衛門が受け取る。
「御武運を」と武兵衛が声を懸けると、素早く馬に飛び乗り、「互いにな」と返してきた。
雨で朧朧となった山内を、八郎と左衛門の馬が、黒門口を守る山王臺へと駆けて行く。
ふと、中堂へ目を転じると、彰義隊と細川軍が刀と銃鎗、銃も使い、血に塗れながら、激しく戦っている。
ドーンと鳴り響く砲音も、次第に大きく近くなってきた。
武兵衛が見ても、形勢が不利なのは明らかだ。どうやら、戦いの終わりが見え始めていた。




