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其之五

      五


四ツ(午前九時)頃、天野八郎や春日左衛門、小林清五郎、菅沼三五郎等の頭並や、記録掛の阿部杖策等が、続々と本陣へ戻ってきて、戦状を知らせた。


 おおむね、彰義隊側の善戦が伝えられた。だが、阿部杖策だけは違っていた。


「團子坂では敵兵との銃火による()()いが激化。花俣鉄吉(はなまたてつきち)殿が苦戦し、怪我人も出始めております。寒松院と御本坊の警固兵の一部を、お貸し下さい。團子坂が見える山内の高台から小銃で敵兵を狙います。拙者が案内しますので、すぐに支度を」


「元込め銃を各人三挺ずつ持たせて、警固兵を好きなだけ連れて行け」


 すぐに、蔵太が指図して、杖策を送り出した。


 天野八郎は今一度、周辺の見廻りへ、春日左衛門は山王臺へと、それぞれ向かった。


 大隅守は絵図の上で碁石を動かしながら「浅草辺……東側の官兵が減ったな」と呟く。


 黒い碁石が少なくなった様子を見て、甚兵衛は(いぶか)しんだ。


「引いた官兵を何処(いずこ)へ廻す気でしょうか。……黒門口に集結されたら、当方が不利です」


 伝令が駆け込んで来て、阿部杖策よりの言伝を述べた。


「援護の警固兵と高所より敵兵を狙撃した処、團子坂の官兵が後退しました。警固兵には寒松院と御本坊へ戻るよう伝え、自分は山王臺へ向かうとのこと、――以上です」


 伝令と入れ替わりに、毛利秀吉がやって来た。手に持つ鉄扇に血が付いている。


「浅草屯所の様子を知らせに参った(ところ)、敵の(せつ)(こう)が山門の傍を彷徨(うろつ)いていたので、〈勝〉と合語を尋ねた処、『会津兵だ』と応えた。だが西(さい)(ごく)(なまり)だったので、引っ捕えて本陣へ連れて来た(よし)。すぐに鉄扇で糾問すると『山内を偵察していた』と吐きました。……始末しても(よろ)しいでしょうか」


 蔵太が「任せた」と返すと、秀吉は「承知」と応えた。だが、浅草の報告も忘れない。


「東本願寺に(とう)(りゆう)されていた、仙台の御使者の小松殿ですが、万が一の危機を考えて、彰義隊が懇意にしている田原町の貸座敷〈()()()〉へお移し致しました」


 大隅守が代わって、尋ねた。


「東本願寺の屯所が危ういのか。……そうした報告はまだ来ていないが」


「今すぐ危ない訳ではありませぬ。あくまでも万が一に備えてのこと。ただ、敵兵の数が少しずつ、増えている気が致します。状況に異変がありましたら、すぐに知らせます」


 言い終わると、秀吉は虜にした敵兵の始末へと向かった。


 それから一刻の間は、彰義隊の優勢が続いた。甚兵衛が大隅守へ囁いた。


「そろそろ、御本坊裏から、宮様と彰義隊が密かに下山し、諸隊を集めて北上する、良き頃合いかと」


 大隅守は爪を噛みながら、「もう少し官軍に痛手を負わせたい」と返答してきた。


「余り欲張っては、勝機を逃します。……どうか、早めの御決断を」


甚兵衛の言うように、正午少し前から、戦況が徐々に変わっていった。負傷した伝令が走って来た。


「官兵が〈雁鍋〉と〈松源〉の二階から(すだれ)(ごし)に、山王臺の砲手のみを狙い撃ちし、三人が絶命。三門ある大砲のうち二門が使えなくなり、助けを求めております」


 蔵太が立ち上がり「本陣に待機しておる砲手は、おらぬか」と叫んだ。大隅守が応えた。


「黒門口を守る要衝(ゆえ)に、全て山王臺へ出払っている。足りないとしても、補充はできぬ」


 続いて、阿部杖策が元込め小銃を肩に掛けながら、雨に濡れ、(しよう)(やく)(まみ)れで入って来た。


「山王臺への弾玉の補給がちっとも来ねえッ。敵勢が次第に黒門外に集まり出している。黒門口を破られたくなかったら、(やつ)(きよう)、鉄鉋玉と砲手を、ありったけ寄越せ」


 蔵太が驚いた様子で「余るほど山王臺に配したのに、もう尽きたのか」と返した。


「山王臺じゃ、黒門を守るのに懸命で、撃ちまくっているんだ。ええい、早くしろッ」


 武兵衛は「御膳所の手前の部屋にござんす」と杖策を薬莢や鉄鉋玉の許へ案内した。


 だが、部屋の中を見るなり、杖策はぼやいた。


(かみ)(やつ)(きよう)ばかりじゃないか。こんなもの、雨の中で使えるか。……なんてこった、鉄の薬莢はこれっぽっちしかねえのか」


 紙薬莢以外で、湿気に強い金属の薬莢は、武兵衛が両手で持てるぐらいの量しかない。とはいえ、ないよりは()しであった。


「急いで山王臺へ参りましょうぜ」と武兵衛が促すと、項垂(うなだ)れていた杖策も顔を上げた。


「どうやら、我等は戦争の()め時を失したようだ。もう少し速く切り上げるべきだったか。このままでは、(いつ)(こく)……保つかどうかの量だ。その先は考えまい」


 玄関に並んでいる鉄鉋玉の入った小銃を五挺ばかり、杖策は引っ(さら)った。


「文殊楼前に置いた大砲の砲手を山王臺へ連れて行く。武兵衛、御頭へ伝えておいてくれ」


 武兵衛が本陣の外まで行ったので、


()いて来るつもりか。ここから南は、流れ弾が飛び交っている。……死ぬかもしれんぞ」


「俺は、死なねえんで。大丈夫。それより、手を大事にしてくだせえ。薬莢は重いので、阿部様は持たねえほうがいい」


(かたじけな)い。……正直申せば、助かる。手が痛くてな――」


 二人で本陣の門の外へ出ると、朝方、武兵衛がアームストロング砲見物へ行った時と、状況は一変していた。山内の()()()()で、雨宿りしながら、怪我の手当をしている隊士が見えるようになり、大砲が鉄砲の音が近づいていた。


 山門まで行くと、杖策は武兵衛から、薬莢と鉄鉋玉の入った箱を受け取った。


「魚河岸の総代、山門(ここ)までで良い。この先は流れ弾が多い。すぐに本陣へ帰れ」


 その時、聞いた覚えもない大きな()(れつ)(おん)(とどろ)き、山門の西側の大樹が()ぎ倒された。


 山内の森から、音と地響きに驚いた様々な鳥が一斉に飛び立ち、鳴きながら空を彷徨う。


「畜生め、加賀家からのアームストロングの破裂弾が届き始めやがった……」


杖策が舌打ちする。武兵衛は、驚いて、呟いた。


「なんだって……。佐賀兵は砲口を調整し、上野の崖上まで届くようにしたってえのか」


そのまま、埃と火薬の臭いの混じった雨に打たれながら、山門から黒門を見下ろした。


 坂下の黒門の外で一塊の生き物のように、うねうねと(うごめ)く敵兵を見詰めると、どうしようもない怒りが噴き上がってきた。


「江戸を壊し、(あまつさ)え、今また上野山を(じゆう)(りん)しようとは。……畜生共めッ」


 敵兵の中に、因州の旗が見えた。怒りよりも、ぶわっと、憎しみが腹の底から込み上げてきて、武兵衛の中で抑えていた(もろ)(もろ)が、崩れ去った。


「あの旗は――。駒蔵の仇めッ、思い知れェ」


 後先考えず、腰に差していた鳶口を「ウアアアッ」と叫びながら、(こん)(しん)の力で投げつけた。


 追い風に乗り、鳶口は廻りながら、黒門の上を越えると、敵の群れの中へ飛んで行く。


 砲撃の音に()き消されて、叫び声は聞こえなかったが、群れに穴が空き、誰かが倒れた。


 確かめた瞬間、言葉に尽くし難いほどの、爽快感が全身を駆け抜けていった。


「よおし、仇を討った。駒蔵ォ、俺はやったぞッ。見ていたか、俺の手で成敗したぜ」


 と武兵衛は跳び上がって喜んだが、杖策に強い力で、山門の陰に押し込まれた。


「今の行為(おこない)は見なかったことにする。町人は人を殺してはいかんのだ。……分かったら、さっさと本陣へ戻れッ」


 言い終わると、杖策は独りで流れ弾に気をつけながら、山王臺へと向かった。


 武兵衛は、独りになって、山門の壁に背を預けた。


 喧嘩に勝ったときとは違う、痺れんばかりの昂ぶりに、どうにも躰が動けなくなった。


「……嗚呼、一矢報いてやった。ざまあ見ろだ」


 しかし、昂ぶりは、雨によって、急に冷やされ、収まった。


 どう考えても、町人の分にそぐわない、短慮な行為だった。


「俺っちは武家じゃねえんだ。町人なんだ。人の命を奪っちゃいけねえと、義勇軍を前に(たん)()を切ったのは、ほんの一昨日(おとつい)のことなのに。俺は誓いに(そむ)いた……」


 何かを振り切るように、本陣へと走り始めた。少し()(かい)して、大仏殿の前に立った。


 武兵衛は手を合わせ、大声で祈った。


「彰義隊と附属の隊士衆が無事でありますように。……先ほどの鳶口の件は、ほんの弾みで()っちまいました。どうかお目こぼしを」


 だが、別の想いも、頭を(よぎ)る。正直に大仏様に申し上げることにした。


「いいや、目こぼしはいりませんや。……駒蔵を死に追いやって、江戸を消し去ろうとする敵に、あの鳶口で、一矢を報いられたのなら。俺は、どうなっても構いません。仇持ちとして、逃げも隠れも致しませんや。何せ、これだけスカッとした覚えは、今年に張ってから、一度もござんせんので」


 武兵衛は、晴れ晴れとした顔で、大仏を見上げた。


 (もち)(ろん)、大仏は、何も応えてはくれない。


「……でも、彰義隊のことは、頼みましたぜ」


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