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其之四

     四


 夜八ツ(午前一時)前、本陣のある寒松院へ、次々に(たん)(さく)(がかり)の隊士が戻ってきた。


「東叡山が敵兵によって、囲まれましてございますッ」


 この時を待っていた、と言わんばかりに、御頭の御用部屋に詰めていた頭並や頭取衆から歓声が上がった。


 附属隊には「(かい)(なり)」と叫び、酒杯を(けん)(しゆう)し合う者までいる。


 雨の中、二人の頭は、(かがり)()を焚いて、本陣に詰めていた隊士を、本堂の前に集めた。


 魚河岸義勇軍や龍虎隊、火消衆も、隊士の後ろに並んで、見守る。


 ()(ほん)(ぞん)()()()(によ)(らい)の前に二人の彰義隊頭が立ち、蔵太は皆の激揚(げきよう)を抑えながら、下知した。


「この決戦の意義は、偽官軍こそが朝敵であると、天下へ知らしめることにある。鳥羽伏見の汚名を繰り返さぬために、心せよ。最初の一発は、必ず敵に撃たせる。先に偽官軍が宮様へ大砲や小銃を撃った――その事実を見届けるまで、(われ)()天兵は一切、()()けぬ。江戸の衆が見ており、聞いておる。五月十五日は、偽官軍が(まこと)の賊徒となる日だ。忘れるなッ」


 数百人が本堂の前に詰め掛け、皆が「承知」と高調した声で応えた。


 蔵太の隣に立っていた大隅守が声を張って、続けた。


「我がほうからの反撃の合図は、(さん)(のう)(だい)の大砲からの三発だ。聞こえたら、各各(おのおの)、持ち場より神號(しんごう)(東照宮)の()(はた)を掲げ、敵へ討って出よ。(きつ)()、この(ない)(やく)は守るべし」


 隊士が「承知」と声を挙げると、大隅守は続けた。


「我等は()(るい)に非ず。この先の戦いこそが、(まこと)の勝負となる。本日は官軍の兵力を少しでも()げば良い。だから、引き時を(あやま)るでないぞ。各各(おのおの)、宮様の御動座を確かめて下山し、奥州へ向かうべし。(ほつ)(こう)が叶わぬ者は(ちち)()下野(しもつけ)辺へ散り、北より江戸への進軍の()()を待て。……敵に押されたら無理はせず、くれぐれも命を()(まつ)にせぬように。よいなッ」


 神妙なる面持ちで、皆が「承知」と発した。


 蔵太は大刀を抜き放ち、切尖(きつさき)を天へと向けると、よく通る声で呼ばわった。


「大義は(われ)()にあり。彰義隊と附属隊は、東照神君の()(しん)(りよ)(じゆん)(ぽう)し、宮様を頂く天兵である。国賊たるは、宮様のおわす、この(とう)(えい)(ざん)を囲んでおる(にせ)官軍(ばら)なり。(やつ)()を江戸から追い払う戦いが、本日、()()より始まるのだ。武士(もののふ)の誇りを忘れず、正々堂々と戦うべし」


 抜き身を手にした大隅守と共に「(えい)(えい)ッ」と叫んだ。


 すると、その場にいた者が「(おう)ッ」と(とき)の声を合わせた。


 武兵衛ほか魚河岸衆や龍虎隊も、雨に濡れながら、末席より声を挙げる。


 響き渡る声からも隊士衆から溢れる熱気が伝わる。武兵衛は涙を流しながら、呟いた。


「負けるわけがねえ。こりゃあ、勝てるぜ……。そう思うだろ、甚兵衛さん」


 いつもは何かと(たしな)めてくる甚兵衛も、胸を(あつ)くしているのか、ただ頷くばかりだった。


 この日の合語が示された。〈勝〉に〈花〉である。


彰義隊は約千人。附属隊は、純忠隊三百余人、遊撃隊三百余人、(いつ)(こう)(たい)三百余人、八聨(はちれん)隊(人数不詳)、神木隊(榊原藩)八十余人、松石隊(明石藩)三十余人、高勝隊(高崎)三十余人、浩氣隊(若州)三十余人、萬字隊(關宿)二百余人、臥龍隊三百余人で、併せて、およそ総勢二千余。


 このうち恭順論の数百人の隊士は、夜中に戦争を避けて脱走した。


 ()(ほう)の官軍は、薩州、肥後、肥前、因州、長州、芸州、筑後、筑前、大村、佐土原、備前、伊州、新発田、尾州、紀州(軍監両人差添)の兵、併せておよそ総勢一万五千である。


 雨が止まぬ、夜明け前。


 官軍に参じる藩兵の出陣を知らせる開門の大太鼓の音が、江戸府内各所の屋敷から、静寂を切り裂いて、聞こえ始めた。


 同じ頃、彰義隊も、元込め銃を引っさげて、(あま)()(はち)(ろう)(かす)()()()(もん)()(ばやし)(せい)()(ろう)(すが)(ぬま)(さん)()(ろう)()()(じよう)(さく)等が本陣より出て、見廻りのために馬を駆って山を下りた。


 明六ツ(午前四時)過ぎに、(せい)(かん)(いん)(和宮)(つき)服部(はつとり)(ちく)()(のかみ)と、天璋院(篤姫)附の田安家家臣である(いつ)(しき)(じゆん)(いち)(ろう)が、使者として本陣へやって来た。最後の説得である。


 礼儀に基づき、彰義隊頭の池田大隅守と小田井蔵太が応接した。


 武兵衛が、講堂の使者之間の入り口で様子を見守っていると、筑後守は端的に述べた。


「無謀の戦擧(せんきよ)は徳川家に害ありて益なし。大総督府へは我等が歎願し、(ゆう)(じよ)の取り計らいをなす。静寛院様、天璋院様いずれも開戦を見合わよとの思召(おぼしめし)しじゃ。どうか戦争を取り止めて欲しい」


 二人の彰義隊頭は、静寛院様、天璋院様に対して、一揖した。大隅守が丁寧に謝絶する。

「好意は謝するに余りあり。(しか)れども武士の()()()として、一戦をも為さずして降参するは(あた)わず。……どうかお引き取り下され」


「東叡山の御霊(おんれい)()、又は御城より移した徳川家の(ちよう)()をも、戦火に巻き込むおつもりか」


と純一郎が食い下がると、蔵太が応えた。


「格別に貴重な重器は(すで)に山外へお移し致した。他処(ほか)へ移せぬ(おん)(れい)(びよう)と東照宮は、町人衆である火消衆の()()と龍虎隊が守り抜きまする。山内の町人に手出無用(てだしむよう)と、敵兵にお伝え下され」


「既に官軍は支度を整えた。我等が三橋(みはし)を越えるのを合図に、砲撃を始めるそうだ」


 大隅守と蔵太が一揖(いちゆう)したまま黙ったので、筑後守と純一郎は諦めて、席を立った。


 二人の御頭は、すぐに御用部屋の軍議の場へ、戻った。


 使者と入れ替わるようにして、探索掛筆頭の藏三郎が、本陣へ戻ってきた。


「敵を確かめて参りました。広小路口の黒門前は薩州と因州が、池之端穴稲荷之口に細川、谷中口御門は長州、下谷車坂には黒田に鍋島――が配されておりました。以上です」


 藏三郎が再び探索へ出掛けると、伝令役の隊士がやって来た。


「御使者が間もなく黒門を出ます。三橋の向こう、敵の大砲の砲手に動き有り――」


 ドドーンと複数の砲音がした。蔵太が即座に、立ち上がった。


「……皆、聞いたな。今の音は敵の賊徒が宮様へ砲撃した(あかし)だ。(やつ)()こそ朝敵であるぞ。我等は、この事実を手土産に、宮様と共に北を目指すのだ」


 続いて伝令が「葵の御紋並びに、神號(東照宮)の御旗を掲げました」と知らせてきた。


 遂に開戦――である。続けて七発、敵か味方のものかは不明だが、砲撃音が聞こえた。


 ()組の若頭である友蔵がやって来て、勢いよく(たん)()を切った。


「新門辰五郎と子分八十人、本郷組と称する(にん)()百人、更に上野近郊の火消と龍虎隊は、東照宮と代々の御霊廟を警衛する()(はず)を整えました。鼠一匹、敷地にゃ入れさせやしませんぜ」


 蔵太と大隅守、頭取や附属隊の者と甚兵衛も交えて、東叡山周辺の絵図を広げ、改めて、絵図を囲むように車座となった。


 味方は白、敵は黒の碁石を置いて、伝令や()(ろく)(がかり)の知らせを待った。


 すると、物見と指図に出ていた記録掛が一人、軍議の場へと戻ってきた。


「車坂門外の通りについて報告致します。啓運寺、養玉院の分隊の備えは万全。遊撃、純忠等の諸隊も繰り出しました。積み重ねた畳と、往来の中央に据えた四斤山砲を使用し、敵をよく防いでおります。諸隊には、新黒門口と四軒寺角の警固と応援を伝えました」


 大隅守は急かすように「他に知らせは」と続けさせた。


「清水門より谷中口へ進み、善光寺坂、三浦坂の形勢を見るに、敵は三崎より團子坂に攻勢を懸けております。谷中天王寺、日暮里の養福寺と浄光寺、清水門内の養壽院(ようじゆいん)に配していた分隊と歩兵の諸隊に対し、速やかに團子坂に向かい、敵を抑えるよう指図致しました」


 白の碁石が新黒門口と四軒寺角に少し足されて、多めに團子坂へ集められた。


「團子坂は死闘となるやもしれません」と甚兵衛が呟いた。また伝令がやって来た。


「黒門口は臥龍隊が固めております。血気盛んな猛者(もさ)(しゆう)ゆえ、敵を近付けておりません」


 臥龍隊は因州兵からの武器強奪事件で迷惑を掛けたと、隊長の()(みや)(きん)(ぱち)(ろう)が志願して正面口の急所に立った。この隊は歩兵や中野(あたり)(ばく)()不成者(ならずもの)等の荒くれが多く、強かった。


「谷中門の彰義隊本隊及び歩兵、旭隊、萬字隊、松石隊が善戦。敵を押し返しております」


伝令の言葉で、黒い碁石が谷中門から少し除けられる。


「萩、岡山、津、尾張の敵兵は、浅草茅町より進み来て、根津権現社内の彰義隊の分隊を撃ち、三崎町より破竹の勢いで進軍。ですが、そこからは道が狭く、追い込まれた処を、彰義隊(われら)の伏兵によって大いに撃ち破られ、敵兵の進軍が止まりました」


 腕を組んでいた蔵太は「地の利を生かし、伏兵を置いていて良かった」と喜んだ。


「天王寺と日暮里の養福寺、浄光寺に備えて置いた天野八郎の配下と、隊長小川椙太と花俣鉄吉は、手勢百余人を従え、附属隊と共に皆で勇闘奮戦し、大いに敵を破りましたッ」


 味方の優勢を伝える知らせに、部屋の隅にいた武兵衛は「造作もねえやなァ」と喜んだ。


 すると、碁石を動かしながら、甚兵衛が(かた)(ほほ)()んだ。


「左様に楽な敵じゃない。大村益次郎は、手段を選ばないと聞く。劣勢となれば、何を仕掛けてくるか分からん。……格別、加賀屋敷のアームストロング砲が気になる」


「手が空いてるから、俺が見て来ようか。山の上から(しの)(ばずの)(いけ)のほうを見りゃ()いのだろ」


 退屈していた武兵衛は、本陣を出る(きつ)(かけ)ができて、嬉しさの余り、急いで走った。


 すると甚兵衛が追ってきた。


「俺もアームストロング砲の様子が知りたい」


 二人で番傘を差して寒松院を出ると、()(しよう)が五ツ(午前六時半)を知らせていた。


 戦場は山の下であり、山内は静かであった。雨に煙る山門の向こうに、穴ノ稲荷がある。


 南のほうに山王臺が見えた。絶え間なく、小銃による銃撃と、大砲による砲撃が行われている。かなり遠くではあるが、坂下にある黒門の外で、官軍が()(あぐ)ねている様子が見て取れた。


 山王臺には、雨に濡れながらも、隊士によって、東照宮の神號の大旗が掲げられている。


 二人は、穴ノ稲荷の階段の上から、不忍池の西にある茅町上(本郷台)の高台を眺めた。


 ドーンと大きな音が(とどろ)き、加賀屋敷から砲撃が行われていた。


 だが、()()は上野山に届かず、手前の不忍池へポチャンと落ちた。武兵衛は大笑いした。


「……アレが噂のアームストロング砲か。池に砲撃たあ、ある意味、恐れ入ったねえ」


 次の弾玉も不忍池に落ちる。甚兵衛は笑わずに、顎に手を当てて考えた。


「徳川に負けず劣らず西洋軍学に長けている佐賀だ。その(うち)に工夫して、上野山まで届くように大砲の傾斜を合わせていくだろう。……少しでも遅いよう、願いたいものだ」


 階段の(はる)か下のほうでは、穴ノ稲荷口を巡り、細川軍と神木隊が激突していた。


 階段の上から、小銃で応戦する神木隊へ、稲荷口から上がろうとする官兵が、刀や銃剣で襲い掛かっていた。火薬の臭いが立ち()め、血と泥に(まみ)れた、双方の殺気が凄まじい。


 武兵衛は背中の龍の彫物がぞわりとした。町人だが、武者震いのような感じだ。


「戦争は……やっぱし、殺気の種類が、まるで違う。喧嘩とは大違いだ。……怖えや」


 ふと、左を見ると、黒門口脇の〈雁鍋〉や〈松源〉の料理茶屋の二階から、多くの見物人が酒器を手に戦争を眺めていた。まるで芝居を見ているように、歓声を挙げて、楽しんでいる。


 武兵衛は、思わず、ぼやいた。


「江戸市民のための戦争でもあるのに、呆れたもんだな。盃を片手に、戦争見物かよ……」


 ちょうど、十(ちよう)ほどの小銃を肩に引っ掛け、山王臺を目指した隊士が、(そば)を通った。


魚河岸(かし)衆か、こんな処にいちゃ危ないぞ。本陣へ戻れ――」


 ヒュンと風を切るような音がした。


 すると、隊士が頭を撃たれて倒れた。黒門外からの小銃の流れ弾である。


 武兵衛と甚兵衛は、急いで木の陰に隊士を抱えて、引き摺り込んだ。


「……まだ息がある。おい、本陣まで運ぶぞ。手伝ってくれ、甚兵衛さんッ」


 甚兵衛は(ぼう)(ぜん)として、躰が動けずにいた。だが、武兵衛の声で我に返った。


「済まない……。人が撃たれるなぞ、初めて見たのでな。さすがに驚いた」


「こんなもん、慣れたくはねえやな。……俺が隊士さんを担ぐから、小銃の束を持ってくんねえ」


 武兵衛は隊士を担いだ。甚兵衛が小銃の束を肩に掛けて運びながら、呟いた。


「鉄鉋玉は、あれきり飛んでこない。何という、運の悪さだ。気の毒すぎる――」


「あの流れ弾は、俺っちに当たっていてもおかしくなかった。いつ、誰が、命を落とすかわからねえ。……これが戦場ってやつなんだな、甚兵衛さん」


 甚兵衛から返事はなかった。ただ押し黙ったまま、武兵衛と共に、走り続けた。


 隊士は本陣へ辿り着く前に絶命した。救護所まで遺骸を届けると、二人は本陣へ戻った。


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