其之二
二
翌五月十四日になると、戦術指南役の軍学者山脇治右衛門から授けられていた策が、彰義隊頭によって、次々に発せられた。寒松院を出入りする彰義隊隊士が一気に増えていく。
御頭の御用部屋では、畳の上に東叡山周辺の絵図が広げられ、蔵太の指図が続いた。
「東叡山にとっては黒門口こそが咽喉であると、治右衛門殿は仰った。故に、最大の固めを行う。即ち、黒門口を見下ろす山王臺に四斤山砲を三門配す。二番手として、文殊楼前に大砲一門と共に神木隊を置く。この他、下寺外山下通りと谷中口を強固に守るべし」
今や十八番隊まであり、各番隊の隊長である兵隊組頭の十八人が集まっていた。
蔵太は、閉じた扇子で絵図を指しながら、浅草、天王寺から團子坂通り、善光寺坂、三浦坂、信濃坂上、四軒寺福聚院角、坂本通り、新門口等の持ち場を示した。
「このほか、谷中天王寺、日暮里の養福寺と浄光寺、啓運寺や養玉院等にも分隊を置く。当日は、頭並や頭取からの指示を待て」
武兵衛と辰五郎は軍議から離れた処に座り、甚兵衛は大隅守の後ろに控えていた。
車座で座っていた兵隊組頭衆が頷く中で、春日左衛門が手を挙げた。
「車坂門や屏風坂門の固めが弱くないか。……もし、此処を破られたら――」
「破られはせん。門の周辺に諸隊を配置しているからな」
「だったら、万が一の備えとして、車坂門や屏風坂門の前の通りに、四斤山砲を置きましょう」
「……うむ、それが好い。屏風坂門よりも、車坂門が破られると危険だ。門を上がれば、根本中堂の傍に出る。山内の奥深くに敵を入れるわけにはいかない」
蔵太が頷く。すると、隣の大隅守が、幾つも畳まれた旗の中から一つを広げた。
「当日は、敵の砲撃あらば、直ちに、この葵の御紋と東照宮の神號の御旗を掲げよ。兵隊組頭に渡しておく。これぞ我等が天兵の大義である。しかと敵に知らしめるのだ」
「応」っと声が挙がり、美しい旗をそれぞれが手にした。
そこへ、探索掛が駆け込んで来た。
「昌平橋、筋違橋等、神田川辺へ官軍方が出張り、人夫を集め土俵を積み、封疆を築いております。御門や橋を〆切にする支度かと。市中では明日こそが決戦と騒いでおります」
大隅守は落ち着かない様子で、傍の甚兵衛に尋ねた。
「昨夜の軍議から加わってもらっているが、甚兵衛が何か足りぬと感じる固めは、あるか」
「敵が黒門口から攻め入るならば、こちらの砲撃を潰さんとするはず。山王臺に配する三門の大砲の砲手が最も狙われます。砲手を守る強固な盾が必要ではありませんか」
大隅守が「気が廻らなかった」と呻く。蔵太も、東叡山周辺図を今一度、見詰めた。
部屋の隅で、辰五郎と共に煙草を喫っていた武兵衛は、手を挙げた。
「畳を重ねて楯にするってえのは、どうでしょうかねえ。鉄鉋玉避けになるのでは……」
春日左衛門が膝を叩いて「それは名案。車坂門の通りにも盾が必要だ」と賛同する。
聞き終えた甚兵衛が顎に手を当て、考えながら喋った。
「畳なら軽いし、人夫を集め土俵を積まなくても済む。……山王臺は傍の寺院から借りるとして、車坂門の通りは――傍の町家から一枚ずつ借りる策は如何かと」
すると、大隅守が「町家から調達できれば、黒門口の外にも、すぐに置けるな」と頷く。
武兵衛が「広小路の町々の名主さんへ掛け合って参りますぜ」と立ち上がった。
すると、辰五郎も立ったので、連れ立って本陣を後にした。外は雨が降っている。
「上野周辺の名主衆とは顔見知りだ。俺が話を通せば、早く済むだろう」
番傘を差しながら、辰五郎が語っていると、蔵太が急ぎ足で追ってきた。
「東叡山に隣接する家の者に、戦争が終わるまで難を逃れるよう、名主衆から伝えてもらいたい。戦の作法として、誰一人、町人に怪我などさせたくない」
「よござんす。畳の件と共に、伝えておきましょう。御頭様の心意気、受け取りましたぜ」
辰五郎が応えると「忝い」と一揖し、蔵太は急いで本陣へ戻っていった。
「確堂様が説得して彰義隊の頭にした人物だけに、実に清廉だ。……大当たりであったな」
低い声で辰五郎が呟いた。
武兵衛も「ええ、好漢でいらっしゃいますぜ」と相槌を打った。
黒門から出て、下谷広小路の町名主の許へ行き、各家から一枚ずつ、畳を拝借する件と、数日の間、家から逃れるように、と蔵太の伝言を伝えた。
名主は畳の件を、すんなりと引き受けた。だが、武兵衛と辰五郎に、彰義隊を叩き潰す理由が書かれた触書を見せて、官兵への腹立たしさをぶちまけた。
「先ほど、町触が大総督府から参りました。見て下さいよ。彰義隊が無辜之民から、いつ民財を掠奪しましたか。凶暴でしたか。万民を塗炭の苦しみへ陥としましたか。全部、大総督府が江戸で犯した罪ばかりですよ。自分たちの罪を彰義隊になすりつけるつもりなのです。……むしろ、彰義隊は官兵の暴力から我等を守ってくれたのに」
「全くだな。厚顔無恥も此処までくると、救いようがねえや」と辰五郎が呟いた。
「叩き潰されるべきは、官軍とやらのほうですよ。……辰親方、魚河岸総代。どうか、彰義隊を助けて下さいまし」
町衆は名主から話を聞くと、誰一人として不平を言わず、喜んで畳を差し出した。
広小路では、店を閉めた住人が一枚の畳を大戸に立て掛け、親類の家へ去った。
武兵衛と辰五郎が黒門口へ戻ってくると、西御丸へ呼び出されていた坊官乙葉がいた。
門まで覚王院附の坊官が迎えに来ており、二人が立ち話をしている。
「上野山から宮様に立ち退くようにと、大総督がしつこくて。なかなか帰してくれませんでした。でも『まさか山内へ火は掛けないでしょう。だったら留まったほうが山外よりも安泰です』と謝絶して、なんとか戻って参りました」
「賊徒も、宮様のおわす山へ大砲を向けて、朝敵と誹られるのが、よっぽど怖いのだな」
そんな話を耳に入れながら、武兵衛は辰五郎と本陣へ戻った。
隊士は町家の畳を一枚ずつ運び、黒門口前と車坂門の通りに備えた四斤山砲の前へ配列。累ねて、小さな砦に変えた。支度は、暮七ツ(午後五時前)過ぎに終わった。




