其之三
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クライマックスまであと少し。
どうぞお付き合い下さいーーっ
三
部屋の隅にいた天野八郎が、ようやく蔵太の傍へやって来た。
「武者人形みたいな御方だな、大隅守殿は。……どうも品が良すぎて、俺は不得手だ」
「あの御方が御頭を引き受けて下さったお陰で、多くの大身旗本が、彰義隊へ入ってくれた」
「扶持が少ないだけで、御主を見縊る奴等など、入隊したって使い物になるもんかい」
「今は一人でも多く隊士が欲しい。彰義隊だけで二千、山内に集った諸隊を含めれば三千余。本当は、もっと沢山の兵が必要なのだ。大隅守殿の出現は、既に効き目が出ている」
蔵太は、武兵衛と甚兵衛に向き、改めて一揖した。
「……市中取締の解任で、話があった。義勇軍の皆さんが参ってくれて、話が早い」
蔵太の言葉に、誰よりも早く、甚兵衛が先に口を開いた。
「彰義隊が見廻りを止めたら、誰が江戸市民を守るのですか。まさか……錦裂ですか」
「総督府は、そう申している。先日、副総裁の三条実美が関東監察使として江戸入府してから、潮目が変わった。三条は兵学者の大村益次郎を先に江戸へ送り込んでいたらしく、到着後、直ぐに動き出した。今まで徳川に任せていた市中取締の権限を、官軍の手に取り戻したいようだ。同時に、御城に残された宝物を売り捌き、奥州討伐の金を作っている」
武兵衛は「何だと。徳川様のお宝を勝手に売ってやがるだァ」と大声を出した。
他方の甚兵衛は静かな様子のままだが、力強く述べた。
「益次郎は長州軍の西洋軍学による強化に成功した、油断ならぬ人物です。……奥州討伐の前に、彰義隊を叩こうとするは必定。上野宮様が奥州へ御動座を邪魔して、天子とならぬよう、徹底して阻止して参りましょう。……彰義隊では、戦争の支度はどのぐらい進んでいらっしゃるのでしょうか」
蔵太と八郎は目配せする。口を開いたのは、蔵太のほうであった。
「隊の中で意見が割れている。一つは、奥州同盟が完全に固まるのを待たず、上野宮様の御動座と共に江戸を出立。徳川脱走軍と合従し、会津軍と共に勅旨を掲げて、江戸へ攻め戻らんとする策。二つ目は、先に上野山で戦争を行い、錦裂に宮様へ砲撃させ、薩長土肥(官軍)を、朝敵と定めてから北へ向かう策――。どちらにするか、宮様も悩まれて、大隅守殿に相談されておる」
「市中の取締を辞めさせた暁には、上野宮様を彰義隊から引き離す策に必ず出ましょう。それと同時に、錦裂は上野山へ総攻めを懸けて参ります。……戦支度も急務かと」
甚兵衛の言葉に頷き、蔵太が応えた。
「……その戦支度の前に、義勇軍の総大将殿と副将殿へ、実は頼みがある。官軍が何か申してくる前に、見廻りを取り止めてはもらえぬだろうか」
武兵衛が懸念を口にする前に、甚兵衛は意図を読んだのか、大いに頷いた。
「賛同致します。官兵が市中の取締をやれるか、見物を決め込もうと言うわけですな」
蔵太の隣に座っていた八郎は「そいつは愉快。大恥を掻くだろう」と手を叩いて喜んだ。
武兵衛は、見廻りの件よりも、気になっているほうを尋ねた。
「それで、戦争はいつ頃に始まるのでしょうか」
「探索掛が調べている最中だが、敵の支度の具合を見るに、五月中には恐らく……。これは、先ほどの二つ目の策を選んだ時の予測だがな」
甚兵衛は身を乗り出して、口を開いた。
「武備は揃っておりますか。知り合いの文人が横浜に住んでおりますが、長州や薩摩が最新の大砲を、英吉利の商人から次々に購っていると聞いております」
ずけずけと尋ねる甚兵衛に、むしろ楽しそうに蔵太は言葉を返した。
「アームストロング砲か。……あれは扱いが難しく、的へ絞り込む技を会得するには刻が掛かる。彰義隊には元仏蘭西伝習隊の手練れがおり、仏蘭西の新式砲、四斤山砲を使う。小銃は元込め式を揃えた。……我等は上野山で籠城するつもりは毛頭なく、最大で三日保てば良い武備を用意している。それ以外の武器は奥州へ向かう途次の要衝に隠した」
武兵衛は焦って、途中で声を上げた。
「蔵太様、そんなにベラベラと、俺っち町人如きに喋っちゃいけませんぜ。官軍に御注進するかも」
「畑屋甚次郎の話だな。探索掛から聞いておる。勤王党の肴問屋だとか。……大丈夫、山内へ参った折も、探索掛の岩太郎を張り付かせておいた。なあに、大した種は与えておらぬ」
聞いていた八郎は頬を膨らませて、不平を述べた。
「知っていたなら、教えてくれてよ。先刻方、武兵衛さんから聞かされたばかりだぞ」
「生憎だが、探索掛の調べた種は頭だけのものなんだ。勘弁してくれろ」
蔵太は武兵衛と甚兵衛を、真っ直ぐに見詰めた。
「彰義隊は間もなく正念場を迎える。腹蔵なく申さば、様々な形で、助けて欲しい」
言葉の通り、腹の中に何ら含みが見えない。蔵太は正直に本音をぶつけてきた。
「ここまで蔵太様に言わせておいて、返事は一つしかあるめえや……。なあ、甚兵衛さん」
武兵衛が甚兵衛を見ると、微笑みながら頷き返してくる。意見は同じであった。
「できうる限り力になりますぜ。いや、俺っちだけじゃねえ、江戸の多くの町人も同じ心持ちでござんすよ。恩返しもあるが、何よりも錦裂を江戸から追い出して欲しいからです」
八郎は少し困ったように、頬を指で掻いた。
「恩なら、既に返してもらった。……塀矢来の修繕の金が集まってな。昨日から、新門辰五郎と百人の火消衆が、谷中や池之端の町衆と一緒になって、三十万坪もある寛永寺の柵を急いで直している。宮様への忠節がための行いとはいえ、嬉しくも心苦しくもある」
「黙って受けておけばよろしいのです。そりゃあもう、江戸を取り戻して頂くためですから。町人としちゃあ、先を見据えての、恩の積金(積立)のつもりなのでござんすよ」
武兵衛は笑って見せた。
八郎は人が好いのか、「忝い」と涙を浮かべながら、何度も頭を下げてきた。
塀矢来の頑丈な柵は、広小路から根岸、谷中と途方もない長さであったが、辰五郎以下龍虎隊と近隣の町人の尽力によって、一夜城の如く、あっと言う間に落成した。




