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第八章 狼煙 其之一

第八章 狼煙(のろし)

       一

 魚市場通りの裏の道で、近所の子供が()(まり)(うた)を唄っている。


 ♪一ツとや ひらひらひらつく錦切れを 肩に着て 東じゃ左様に思わない 光らない


 ♪二ツとや ふちに離れた殿方の 脱走人 軍に強ふて負けはせぬ 引きはせぬ


 ♪三ツとや みなみな勇士が打ち揃い 劣りなく 朝敵受けても恐れない 無理はない


 これが十まで続く。官軍のトコトンヤレ節への対抗心から、江戸で作られた歌である。


 後半には、有栖川宮や官軍への辛辣(しんらつ)な言葉が出てくる。


 だが、幼子が唄っていれば、官兵もさすがに、(とが)めることはできない。


 お梅は、店の裏から聞こえてくる手鞠唄を、居間の(なが)()(ばち)の傍に座って、ボンヤリと聞いていた。


「……大丈夫かよ、おっ義母()さん。半日寝ていたかと思えば、仏壇で念仏ばかりだ」


 武兵衛は昼の茶漬けを喉に流し込むと、ぼやいた。お艶は息を吐いた。


「宮様の(にしき)()を拝んで『(キン)(キレ)を滅ぼしてくれ』ってさ。呪ってるうちは、大丈夫さ」


「お香は離れから出てこねえかえ。……一人きりにして大丈夫か」


「ぽん太がお香の傍から離れなくてね。お香も起き上がれるようになって、綾取りや、双六でぽん太の相手をしてくれている」


「……お須磨さんだが、相模屋でこれからも面倒を見る件、承知してくれたかい」


「当たり前さ。お香の義理の母でもあるんだ。起き上がれるようになったら、台所の手伝いをしてもらうよ。駒蔵も喜んでくれるよね」


 お艶が涙ぐむ。武兵衛は箸を置いて、お艶の背中を(さす)って、慰めた。


 僅かな日々だったが、駒蔵とお香は、この屋根の下で一緒に飯を喰い、月を眺めた。


 ぽん太はお香と駒蔵と手を(つな)ぎながら、湯屋へも通った。


 二人は、まごう方なき、相模屋の家族だった。


 駒蔵を失った相模屋は、大きな穴が空いたまま、時だけが過ぎて行くばかりだ。


「もう十日が経とうとしているのに、ひょいと駒蔵が戻って来る気がするんだよ」

 

 武兵衛も、同じ心持ちであった。まだ夢だったとしか思えない。お艶が続けた。


「……相模屋と係わってさえいなかったら、今も生きていたんだろうかねえ、お前さん」


「お勝ちゃん、俺たちは何も悪くはない。官軍などと称している悪辣(あくらつ)な賊徒のせいだ」


 武兵衛とお艶は驚いて顔を上げた。


 いつの間にか、甚兵衛が目の前に立っていた。


「小田井様から、義勇軍宛に書翰が届いた。御納屋で開ける。皆が総大将を待ってるぞ」


 武兵衛は直ぐに相模屋の(しるし)(ばん)(てん)から、魚がしと染めた義勇軍の印袢纏に着替える。


 龍王等の将棋の駒の根付を帯に引っ掛け、煙草入れを携えた。甚兵衛が()(ざと)く見つける。


「前は般若だったのに、根付を替えたね。将棋の駒……か」


「蔵太様には恩義ができた。(キン)(キレ)に、俺の意気地を見せつけてやるんだ。さあ、行くぜ」


 相模屋の番傘を差して、店を出た。


 この処、雨の日が多くて、高下駄ばかり履いている。


 江戸橋の袂で、()()()(とり)(しまり)(やく)()(ぬし)の村松源六を見かけた。


 泥濘(ぬかる)んだ地面と橋の段差で今にも(つまず)きそうになっていた。急いで武兵衛が肩を支える。


「源六さん、梅雨も本降りになってきた。足許が悪いから、俺に背負わせて下せえ」


「お前さんの袢纏に高下駄の泥が付いちまうよ……」


「構うもんかえ。洗えば済むんですから。さ、御納屋へ一緒に参りましょう」


 甚兵衛が源六の傘を持った。


 武兵衛が負ぶった源六の背中が濡れないように、相模屋の大きな傘を差し掛ける。源六を背負って、歩き出した。


 最近、源六の躰が軽くなったと思う。


 三月に江戸から逃げる人びとを、日本橋川から船で送り出す役目を全うした。


 疲れが出たのか、四月から閏四月にかけて、寝たり起きたりを繰り返している。


「町触が参ってのう。寛永寺の(へい)()(らい)()(そん)しているそうな。彰義隊から、町人の負担で修繕してもらえないかと、世話掛名主へ相談があった。また金を集めねばならないよ」


 (しわが)れた声で源六がぽつぽつ、話してきた。


 武兵衛は「蔵太様の書翰もその話なのかなぁ」と呟く。


 隣を歩いていた甚兵衛は「分厚い書翰だった。それだけとは思えんが……」と応えた。


 御納屋に着くと、順吉が手拭いと水桶を持ってきた。


 それぞれ、脚を清めると、行事部屋へ向かった。


 玄関式台の一角には、駒蔵の仮の位牌が置かれていた。義勇軍のみならず、御納屋に来た魚河岸衆は、誰もが、手を合わせた。


 相模屋に木彫の正式な位牌が届くと、義勇軍が「仮の位牌を借りて、御納屋に置きたい」と頼むので、武兵衛は、それを許した。


 葬礼も寺で内々に終えてしまったし、魚河岸衆の胸のもやもやが消えないのは、百も承知していた。


「ありがてえなぁ、駒蔵。お前さんは今でも義勇軍の一人として、大切にされているぜ」


 行事部屋には、既に、取締役名主の星野又右衛門の他、佃屋佐兵衛や尾張屋七兵衛、佃屋勘兵衛等が待っていた。義勇軍の主な肴問屋衆である。


「では、彰義隊頭の小田井蔵太様より、義勇軍宛に届けられた書翰を読み上げる」


 眼鏡を掛けた佐兵衛が書翰を広げた。こういう時は、前総代に任せるのが一番良い。


「……(あい)(さつ)は略す。閏四月二十三日、(きん)()(なみ)(より)(あい)(いけ)()(おお)(すみ)(のかみ)殿を彰義隊頭にお迎え致し、二人が頭となり申した。その前日、日光山より知らせ有り。奥州諸侯の盟約、義挙――」


 聞いていた武兵衛ほか肴問屋衆に名主、盗み聞いていた順吉までが「遂に盟約が成るのか」と嬉しさの余りに、声を挙げた。


 佐兵衛は皆が落ち着くのを待って、再び読み始める。


「盟約が成れば、会津軍は徳川脱走と共に南下が可能となる。即ち、白河城と日光山を(おと)し、江戸の官軍を攻撃する()(はず)が整う。盟約締結後、半月から一月(ひとつき)後になる見込みなり」


 佐兵衛も感激したのか、やや間を取ってから「……以上は会津松平家御家老の(かや)()(ごん)()()殿より、寛永寺への伝言にて候。権兵衛殿へ()て、『江都進撃をお待ちする』との書翰を彰義隊士に持たせ、会津へ遣いを出し申し候――」と読んで、一旦、書翰を置いた。


 武兵衛の頭から「江都進撃」の四文字が離れない。


一月(ひとつき)後ってことは、五月中には……俺っちは、あの腐れ官軍を江戸から追い出せるのか」


 喜びの余り、声が上擦った。甚兵衛は顎に手を当て、考えてから呟いた。


「江戸の全てが戦場にはならぬだろうが、上野や御城の周辺は覚悟せねばならぬだろう」


 佐兵衛は「続きは、あと少しだ」と、書翰を持ち直して、再び読み始めた。


「――大隅守殿と話し合い、上野山においても防備を固める仕儀となった。寛永寺の塀矢来が破損し、急ぎ直すことと決まったが……」


 そこで星野又右衛門と村松源六は「やっぱり、町触の通りだ」と声を(そろ)えて笑った。


「まさに、書翰の〆は、名主衆に修繕金を求める話だ」と佐兵衛は書翰を廻覧し始めた。


 武兵衛は源六から聞いた時から、妙な話だと思っていた。


「寛永寺という大きな後ろ楯がある彰義隊だ。金は余っている。なんでわざわざ町家に頼むんだ」


 佐兵衛と同じ、肴問屋衆では最古参の佃屋の一人、勘兵衛は品良く、応えた。


「江戸市民との繋がりを、寛永寺と彰義隊は、大戦(おおいくさ)の前にもう一度、確かめたいのではないかな」


 甚兵衛も聞きながら、大きく頷いた。


「官軍は、数では勝っているかもしれないが、江戸での戦いで不利であることは(めい)(めい)(はく)(はく)。なにせ、彰義隊とは真反対に、江戸の人びとから(けん)()、いや(ぞう)()もされている。格別、江戸在陣の(まかない)(りよう)()いているから、いつ、町人衆が暴れ出しても可笑(おか)しくない」


 又右衛門が「その件なら町会所と勘定所が揉めているよ」と横から口を出してきた。


「賄料の不足分を町会所より八千両下したが、焼け石に水でな。救民のため、更に五千両を何とかできないかと、御番所を介して勘定所へ歎願した処、町会所の積金で何とかしろと、突き放された。役人の吝嗇(けちん)(ぼう)めと、名主衆は皆で怒っている」


 源六が「寛永寺の塀矢来の修繕金なら躊躇(ためら)わずに出す気だろ、名主衆は」とひゃっひゃっと笑った。


 武兵衛は「魚河岸のお得意様でもあるし、彰義隊のために何かできねえかな」と呟いた。


 蒸し暑さに負けて、扇子を(あお)ぎ出した甚兵衛は、表情を和らげながら応えた。


「義勇軍として、大隅守様の就任祝いに鯛でも持って駆け付けるかね」


「名案だ。会津が進軍してくると彰義隊も忙しくなる。その前に参ろうぜ、甚兵衛さん」


 武兵衛が応じると、七兵衛も「木場の生け簀に大きい鯛がある」と乗り気だ。


 御納屋の軒から、落ちてくる雨粒が増えた。今年の梅雨は、どうも長引きそうである。


 二十七日、官軍が「(せい)(たい)(しよ)」を発布。


 これにより、()(じよう)(かん)への(けん)(りよく)(しゆう)(ちゆう)や三権分立、官吏公選など、新政府の政治組織の基本原則が定められた。


 また、江戸・京都・大坂等が「府」とされ、それ以外は「県」と定めた。


 更に、諸侯(大名)の領地を「藩」と称することが決まった。



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